『試着』(2007年01月29日)

矢口晃

第1話

「どちらの回しになさいますか?」

 全部で二十種類くらいある回しの陳列台を前に、若い女性店員は私に向かってそう尋ねてきた。もちろん私はこの店を訪れるのは初めてではなかったが、しばらく来ないうちに随分と種類の増えた回しの前にしばらく迷っていた。

「何か、お勧めのものはありますか?」

 私がそう尋ねると、若い女性店員は両頬にえくぼを作りながらにこりと微笑み、木製の陳列台の上にあった赤い回しを手にとって私に見せながら、

「こちらなどいかがでしょうか? 流行のオレンジ色を取り入れた最新版ですが」

 なるほどそれは目にも鮮やかなオレンジ色に白い優雅な白鳥の模様がある回しに違いなかった。

「ちょっと派手すぎやしませんか?」

「いいえ。これくらいのお色の方が、テレビでも見栄えがすると思いますが」

 そんなものかなあと思いながら、私は

「他のはありませんか?」

 と若い店員に尋ねてみた。店員は今度は緑色の地の中にひょっとこの絵が描かれた回しを手にとって見せ、

「ではこちらなどいかがでしょうか? カラフルな色調と斬新な絵柄で人気が出ると思いますが」

「へえ。これはなかなかいいね」

「よろしかったらご試着なさいますか?」

「え? 試着なんてできるの?」

「もちろんでございます」

 店員はそういいながら、私を試着室の方へと案内した。そこには確かに、我々力士でも楽々と入れる大きさの試着室が用意されているのだった。

「どうぞ」

 私のために試着室のカーテンを開けながら、若い女性店員は両頬にえくぼを作りながら私を中へ誘導した。言われたとおり草履を脱いで中に入ると、私は店員から緑色の回しを受け取った。

「よろしければお声をおかけ下さい」

 締め切ったカーテンの外から、店員は私にそう声をかけた。ともかく私は回しをつけてみることにした。

「いかがでしょう、付け心地の方は?」

 しばらく経ってそう尋ねてきた店員に対して、私は

「そうですね、何だかやけにすべすべするようですが」

 と答えた。すると店員はやはりカーテンの外から、

「はい。中国製の、シルクでできたものですので、付け心地は大変良いかと思います。シルクはお肌にもとってもやさしいんですよ」

「え、シルク? シルクはちょっといやだなあ。普通の綿のはないんですか?」

 私が渋面を作りながらそう言うと、店員は

「少々お待ち下さい」

 と言って試着室の傍を離れたようだった。

 試着室の中で一人ぽつねんとしばらく待っていると、その若い店員が別の回しを手に持って再び戻ってきた。

「ではこちらはいかがでしょう」

 そういってカーテンの隙間から差し出された手の上には、紫と黄色が格子模様に編みこまれた派手な回しが載せられていた。

「こちらはイタリア製ですが、手触りは日本の物にそっくりですよ。柄も少し斬新な感じでお客様くらいの年代の男性にお勧めです。今はやりの、ちょい悪おやじモデルなんです」

「え? ちょい悪おやじ?」

 思わず噴き出してしまったが、私は受け取ったその回しをとりあえず自分の体に巻きつけてみた。するとそれはなるほど意外にも、ぴったりと体に吸い付くような印象だった。模様もつけてみる前に心配していたほどは派手すぎもしらいらしかった。

「うん。これはなかなかいいようですね」

「お気に召されましたか?」

「うん。なかなかだよ」

 そう言いながら私は試着室のカーテンを開けた。店員は回し姿になった私の体を見て、

「はい。とてもお似合いですよ」

 とまんざらお世辞でもなさそうに言った。

「じゃあこれを買いましょう」

「それでは、お見積書はお部屋宛に送らせて頂けばよろしいですか?」

 私は店員のその言葉を聞いて驚いた。すっかりこの出来合いの回しが購入できるものとばかり思っていたからだ。

 その旨を店員に告げると、若い女性店員は済まなそうな顔をしながら私にこう弁解した。

「申し訳ございませんが、お客様のご体型によって回しの長さも変わって参りますので、これからメーカーに発注ということになります」

「そうですか。それは残念だな」

「申し訳ございません」

 店員は丁寧に頭を下げた。

 それから腹回りや腿の太さなどをメジャーで測られて、店員によって発注書が作成された。

「今からだと、できるのにどれくらいかかるのかな」

 カウンターの椅子に腰掛けながら私が訪ねると、店員は壁にかけられたカレンダーを眺めながら、

「そうですねえ。来月の初旬くらいには」

「じゃあ、来場所には間に合うわけですね」

「はい。来場所にはお使い頂けるよう手配いたします」

 私は来場所誰も見たことのないこの斬新な回しをつけて土俵に上がる自分を想像して、すでに興奮を覚え始めていた。来場所は、誰よりも自分が注目されるのは間違いなかった。

 しかし実際に次の場所が開けてみると、私は国技館の異様な光景に目を見張らざるを得なかった。どの力士もどの力士も、みな金だの銀だの、アメリカの星条旗をモチーフにしたものだの北斎の絵をあしらったものだの、見るも鮮やかな色とりどりの回しを身につけていたのである。私はそれらを眺めながら、昔小学校の運動会で頭上に万国旗が垂れ下がっていた、あの風景を思い出していた。

 国際化の波は、確かにこの世界にも押し寄せているらしかった。

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『試着』(2007年01月29日) 矢口晃 @yaguti

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