第1話 交差点の竹馬

 始業の鐘が鳴ると、ざわつきながら椅子に座る。先生がツカツカと教壇に立ち『起立、気をつけ、礼』をする。ガタガタと机や椅子が鳴り響き、大人しく授業を受ける。いつも通りの毎日が始まる。


 おれは教科書を読むフリをして欠伸あくびをした。大学も受かったし、あとの授業は『消化試合』みたいなものだ。取り敢えず参加しておけばいいだけの時間。もう赤点もないし、あとは卒業式を待つだけ、大学の入学式を待つだけだ。


 そして今日もいつもと変わらず、終業の鐘が鳴り響き、無駄な一日の終わりを告げる。


「あーあ、今日も暇だったな……」


 欠伸を全力で出して、顎が外れそうになる瀬戸際で口を閉じると、余った欠伸が鼻から漏れる。これぞ欠伸の波状攻撃だ。


「すんごい欠伸してんな、タクミぃ」


 声をかけてきたのは、幼馴染みのシンイチだ。『ウェイグリッド』と言う名前を付けたバンド活動のため、物入りだからとバイトをしすぎて、進路さえ決まっていないクズだ。ありゃ、将来フリーター確定だな。


「毎日退屈でなあ」

「まだ授業あんだろ?」

「進路が決まったら、一応参加しとけばいいんだよ」

「一応参加って……ちゃんと聞いとけよ。無駄にすんなって」

「もう大学も受かったし、やってもやらなくても同じなら、やったって仕方が無いだろ。お前のバンド活動みたいなもんだ」

「は!? お前の事ならともかく、こっちにまでケチつけんじゃねーよ!」


 シンイチは唾を飛ばしながら大声を出して、どこかに行ってしまった。


「へっ、どんなに吠えたって負け組だろ」


 おれは誰もいない場所に捨て台詞を吐いた。おれはこれから大学を出て、公務員になって、あとは流れのままイージーモードだ。負け組といたら、負け癖が移るって言うしな。アイツと付き合うの、やめようかな……。


 いつもと同じ帰り道。新しい事なんて何もない。昨日と同じ信号で、昨日と同じ爺さんと、青になる信号待ちだ。


「よく見かけるねえ、君」

「は、え? あ、ああ。いつもこの時間に帰るんで」


 突然、爺さんが話しかけてきた。微妙な空気が流れる。国道を渡るこの交差点の信号は、異様に長いから余計に居づらい。


「部活は、やってないのかい?」

「やってないです。もう三年なんで」

「何か打ち込んでる事は無いのかい?」

「いや、特には」

「家では一体何をしているんだい?」

「マンガを読んだり、ネットを見たりかな」


 なんだこの爺さん、とてつもなくウゼェ。


「若いうちに、何かやった方がいい。年を取ると、何もできなくなる。そして、何もない老後に怯えることになる。自分の周りに、誰もいなくなったときに泣いても、誰も寄ってきたりしない」

「は、はあ……」


 もう相手をするのが面倒くさくなって、おれは上を向いた。空は冬らしく高くて、雲も無い。雲があったところで同じ空だ。今日も明日も明後日も、何にも代わり映えしない。


「果たして、そうかな?」


 ウゼェ爺さんをにらみ付けてやろうとして、爺さんがいる方向を見ようと顔を下ろす。


「……あえ!?」


 余りに驚いて、変な声が出てしまった。

 信号がない。道路がない。加えて爺さんもいない。


「ど、どこだここ……」


 見たところ、どこかの路地のようだ。辺りを見渡すと、砂利道で竹馬の練習をしている小さい女の子がいた。何となく見ていると、女の子は何度もバランスを崩して転んでいた。


「わあっ!!」


 女の子が前のめりに倒れ込みそうになっていた。


「あぶねっ!!」

 身体が勝手に動いて、女の子と地面の間に滑り込んだ。


「……うごっ!」


 女の子の頭が鳩尾みぞおちに食い込んで、おれは得も言われぬ苦しさにもだえた。


「うぐ……ぐ……。だ、大丈夫か……」

「うん! ありがとう、おにいちゃん!」


 女の子は微笑んだ。鼻の下に鼻水の垂れた跡が付いているけど、ちょっとかわいい。


「危ないから、もうやらない方がいいよ」

「どうして?」

「だから、危ないから」

「なにが?」

「顔に怪我したら大変だろ?」

「けがしたって、いいもん!」


 女の子はふくれっ面をした。な、なんだこのかわいさは……。


「そんなに竹馬に乗りたいの?」

「うん!」

「なんで?」

「だいすけくんがね、たけうまにね、のってるから。わたしもね、のりたいの!」


 おれは吹き出してしまった。この子は好きな男の子と一緒に、同じ事をして遊びたいだけなんだ。


「なんで、わらうの!」

「ごめんごめん。君は……名前はなんだ?」

「はつえ、さんさい!」

「おう、はつえちゃんは三歳なのか。それで、はつえちゃんは、だいすけ君の事が好きなんだ?」

「うん、すき!」


 随分ずいぶんハッキリ言ったな。でも、子供なんてこんなモンかも知れないよな。おれはあんまり覚えてないけど、どんなだったろうな……。


「そうか。じゃあお兄ちゃんが竹馬に乗れるようにしてあげよう!」

「ほんと!? やったあ!」


 うおお、なんかかわいいぞ……いかんいかん。だいすけ君に怒られちまうぜ。子供の屈託くったくない笑顔って、何か心に響くものがある気がする。おれだってまだ若いけど、こう言う頃の気持ち、忘れちまったかも知れないなあ。


 ふと見ると、もう一人分、竹馬があったのを見つけた。おれは年甲斐もなく竹馬に乗って、はつえちゃんの近くを回ったり走ったりして、十八歳オトナの凄さを見せつけてやった。説明していなかったが、おれは運動神経も悪くないんだぜ。


「おにいちゃん、すごおい!」

「ふっふ! どうだ!」


 結構、乗れるもんだな。こんなの楽勝楽勝!


 おれは、彼女にみっちり、竹馬を教えてやった。最初は倒れないように支えていたけど、さすがに子供は飲み込みが早い。ほんの少し前のめりに、倒れる前に進むんだと教えてやったら、彼女は小一時間で歩けるようになった。


「すげえじゃん!」

「えへへ! みてみて! のれたよ!」

「うんうん、さっきからずっと見てるぞ。乗れてるな、すごいな!」

「おにいちゃん、たけうまで、さんぽしよ!」

「よし、いいぞ。どこまで行くんだ?」

「かわに、いきたい!」


 おれと彼女はつえちゃんは、竹馬で五分ぐらいの距離にある、サラサラと流れる小川まで散歩した。水がとても綺麗で、おれの家の近所を流れている暗渠あんきょの臭い川とは大違いだ。なんて言う川か、全く分かんないけど。


「おっと、そうだそうだ。夢中になってて忘れてたけど、おれ、帰らないと」

「えええ! かえっちゃうの?」

「ああ。見たいテレビもあったし……。はつえちゃんさあ、ここどこか知ってる?」

「ここ?」

「そう、ここ。何丁目?」

「むちゅうにね、なれる、ところだよ!」

「夢中!? いや、そうじゃなくて……」

「あはは! おにいちゃん、おしえてくれて、ありがとう!」


 彼女はつえちゃんは、すっかり上手になった竹馬で走って行ってしまった。


「っておれ、どうやって帰ったらいいんだ!?」


 途方に暮れたおれは、竹馬を下りると、上を向いて空を眺めた。入道雲がもくもくと浮かんでいるのが見えた。懐かしい感じのする、夏らしい低い空だ。


「そう言えば、『入道雲』って最近言わなくなったよな……いやいや、今は夏じゃないはずだろ……」


 そんな独り言を言って、さてどうするかと顔を前に向ける。


「うおおおっ!?」


 目の前を中型トラックが砂煙を上げながら通過した。トラックは、少し走って止まったと思ったら、運転手が助手席側から顔を出して『気をつけやがれボンクラ、死にたいのか!』なんて、いつの時代だか分からない事をわめいてそのまま走り去っていった。


「あ、あれ!? ……いったい、何だったんだ……」


 辺りをキョロキョロと見回したが、例の国道にかかっている交差点にいる。しかし、爺さんの姿もなければ、彼女はつえちゃんの姿もなかった。その代わり、ギターを背負ってチャリンコに乗っているシンイチを見かけた。


「おーい、シンイチ!」


 シンイチがチャリンコを止めてこっちを見た。顔がちょっと怒っているのが見える。何故か、シンイチの怒っている顔と、彼女はつえちゃんのふくれっ面が重なって見えた。


「さっきはごめん! 言い過ぎた! ほんとゴメン!」


 おれが両手を合わせたあと深々と頭を下げたのを見て、シンイチは片手を上げて、またチャリンコをいで去って行った。あれは、もう許すって事だ。幼馴染みだから分かる。


 おれはまた、空を見上げた。——空はいつも同じじゃない。あの入道雲の空も、今見える筋状の雲が出てきた冬の空も、今の一瞬しか存在しない。


 生きるって、きっとそう言うことだ。一瞬と一瞬がつながって、長い年月を積み上げていく。思えば、おれは無駄に一瞬を積み上げていたのかも知れない。


 シンイチはその間に、必死にもがいて一瞬を積み上げていたのかも知れない。その価値は、同じじゃない。クズだなんて、思って悪かった。


 同じ一瞬なら、有意義な一瞬にしよう。有意義な一瞬を積み重ねて、有意義な一生にしよう。


 まだまだ、爺さんになるまでは時間がある。今これに気づいて良かったのかも知れない……もしかしたら、あの爺さんは、それを気づかせようとしていたのだろうか?


「あの爺さん、何者だったんだろう……?」


 それは、ずっと謎のままだ。


◆◆


「おいタクミ。今度ライヴやるんだ。何とか来てくれねえかな」

「また箱ステか?」

「へへ……それでも大変なんだよ」


 箱ステというのは、『箱ステージ』という名前のライヴハウスで、三十人ぐらいしか入らない、ここいらで一番小さいところだ。でも、この辺のバンドは、最初は箱ステから始まる。


 もっとも、シンイチのバンド、ウェイグリッドはずっと、箱ステに取り憑かれている。いや、ウェイグリッドが、箱ステに取り憑いているのかも知れない。まあ、どっちでもいいか。


「いいよ、行ってやる」

「よっしゃ、でさ、もう一つ相談があってさ……」

「なんだよ。チケットを二枚買えとかか?」

「いや……何というか……ヴォーカルと喧嘩ケンカして逃げられちまってさ……タクミ、代わりに歌ってくれねえか?」

「は!? 何でおれが!」

「頼むよ。お前カラオケ得意じゃん!」

「そう言う問題じゃねーよ!」

「ダメ? マジだめ? なあ、頼む。幼馴染みのよしみで!」


 シンイチは、今まで見たシンイチの中で最高に低姿勢になっているのを見て、おれもちょっと可哀想になってしまった。


「仕方ねえな……今回だけだぞ。おれが歌える曲にしてくれよ……?」

「任せとけ。じゃあ行こうぜ」

「行こうぜって何だよ」

「練習だよ、練習!」

「は!?」


 おれは無理矢理、『箱スタ』……つまり箱ステ姉妹店の『箱スタジオ』に連れて行かれて、その日は喉が枯れるまで歌わされた。


◆◆


 ライヴ当日が来た。おれは袖から客の入りを眺めて驚愕きょうがくした。シンイチたちは、想像以上にチケットをさばいていた。


 なんと箱ステが埋まっていたのだ。ウェイグリッド史上初だろう。


「どういう事だ、これは……!」

「タクミが歌うからってみんなに言いふらしたら、冷やかしてやるって。持つべき者は友達だ!」

「お前なぁ……」

「でも結果オーライだろ。ああ、気合い入ってきたぜ」

「くそ、冷やかしに来ただと……舐めやがって。見返してやる!」


 ライヴは、おれがこれまで見て来たウェイグリッドの、どんなライヴよりも盛り上がった。おれは精一杯歌を歌って、何だかすごく気分が良かった。


 何かに打ち込むのって、悪くないかもな……。


 歌いながらそんな事を思ったとき、客の中に信号待ちをしていた爺さんがいた気がした。ライトが眩しくてよく見えなかったけど、もう一回見たときにはいなかった。


 きっと、気のせいだろう。


◆◆


 それから二十年が経った。


 おれは今日も、あの日のことを思い出しながら、おれの歌を聴きに来てくれている客に歌っている。いつの間にか、おれも中年になった。もちろん大スターなんかじゃない。


 それでもおれの歌が聴きたいと言って、わざわざ来てくれる人の為に、おれは今日も歌う。儲かるとか、儲からないとか、そんな事じゃないんだ。


 それで、いいじゃないか。


 何かに夢中になっている内に、誰かの心を動かすことだってあるんだから。



—完—



- - - 作者の情報 - - -

作者名:サイキ ハヤト

普段の作品:イレンディア・オデッセイ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880978129

http://ncode.syosetu.com/n0576dh/

作品紹介:

元冒険者の父と母と共に、幼馴染を救うために旅に出る八歳の少年ジャシード。古典ファンタジータッチで綴る、少年の成長物語です。

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