黄昏見本市
バチへび
心臓預かり屋
とある路地裏にある、古びた店へやってきた。
狭い通路を吹き抜ける風に煽られ、キイキイと乾いた音を立てるモダンな吊り看板には
「あなたの心臓 預かります」の文字。
「どうも、ごめん下さい」
ドアを開け、薄暗い店内に足を踏み入れた。
辺りを舞う埃が外からの光を受け、部屋の中を灰色に浮かび上がらせる。
その灰の部屋は、奥に見える真っ赤な「彼女」を、毒々しいほど際立たせた。
「ようこそ、いらっしゃい。
あら、あなたはもしかして、連絡して下さった記者の方かしら……」
「彼女」がこちらに気付き、挨拶をしてきた。
しかし、私はその容姿のあまりの異様さに、事前の噂で覚悟していたとはいえ、完全に圧倒され、少しの間声を忘れたようになってしまった。
実にこの部屋の半分ほどを占めるであろう、真紅のドレスに包まれた「彼女」の巨軀。
その身体に不釣り合いな小さな顔は、これもまた同じ真紅の色をしたベールに覆われており、表情を窺うことはできない。
そして何より異様なのは、彼女の肥大した胸元の皮膚に透けて見える、おびただしい数の心臓……。
「貴女がこの店の店主ですか。取材のご連絡をさせていただいておりました、記者のミナガワです」
「ええ、本日はようこそ。私のことはフランネルと呼んで下さいな。どうぞ、こちらにお掛けになって。……ああ、今日、あまり良いお茶が入ってなくて、ごめんなさいね……」
なんとか平静を取り戻した私は、部屋の中央のテーブルへ促された。
ビールジョッキほどの大柄なコップに、深いルビー色の紅茶が注がれる。
「あ、ありがとうございます」
「さて、お答えできることでしたら何でもお答えしますわ」
「……では早速ですが、フランネルさん、貴女のお店についてお訊きしたいと思います」
「ここは『心臓預かり屋』ですわ。当店へいらしたお客様の大切な心臓をお預かりしておりますの」
「心臓を預かる、とは?」
「言葉通りの意味ですわ。心臓は、その方の心を司る臓器……。深く傷ついた心に耐えられず、一時的でいいから、すっかり自分の中から心を無くしてしまいたい。そのようなお考えをお持ちのお客様が、この世には大勢いらっしゃいますのよ。その方々からの依頼により、取り出した心臓を私の体内で大事に大事に保管するのです。そうして私の中で、凍てつき震える心臓を、あたたかく包んで差し上げますの。せめてお客様が、目覚めを暖かく迎えられるよう」
「目覚め、と言いうことは、心臓を預ける間、何処かで眠っているということですか」
「そうですわね。奥の……ああ、私の身体で見えないかしら。ここのドアの先の部屋で眠っていらっしゃいますわ」
「なるほど。もしよければ、その部屋も後ほど見させていただくことは……」
私の言いかけた言葉に、彼女の顔を隠すベールが少し揺らいだ気がした。
「それは出来ませんわね。……申し訳ありませんけれど」
その大きな身体をググッと乗り出し、こう続けた。
「誰だって穏やかな眠りを邪魔されるのは、嫌でしょう?」
「わ、わかりました……。残念ですが、そこは諦めます」
彼女の身体が、まるでこちらへ覆い被さってきて、そのまま私を潰しに来るかのような錯覚を覚え、気圧されてしまった。
何か、知られてはいけないことでもあるんだろうか?
少し気になったが、質問を続けることにした。
「……では、別の質問に移りましょう。心臓を預けるのには、料金はおいくら程必要なのでしょう?」
「お代はいただいておりませんわ。もっとも、お金としての、という意味ですけれど」
「どういうことでしょう?」
お金ではなく、何か金銭的価値のある品物などで取引するということだろうか。
「丸3年、目覚めないお客様の場合。預かった心臓は私の所有物となる……そういう契約を結んでおりますのよ」
「な、なんですって!それじゃあ、そのお客さんは……」
「もう二度と目覚めることは出来なくなりますわね」
「そんな!目覚めなければ死ぬだなんて!なぜそんなことを……。いや、死ぬと分かっててなぜ彼らは目を覚まさないのですか?
……ま、まさかとは思いますが、実は彼らは目覚めることなど出来ず、心臓が欲しくて貴女は何も知らぬ人々を騙しているんじゃ」
「そんなことは致しませんわ!ちゃんとお客様は目覚めることができます。ご自身がそれを望まれた時に……。3年経ってもまだ心を失っていたいのなら、それは既に世界に関心がなくなったということ。その時は私が速やかにお客様を旅立たせて差し上げる、そういう、双方の合意の上での決め事ですから。私が一方的に騙すなどということはあり得ませんわ」
頭がクラリとした。
自身の心である心臓をこの怪しげな店に預け、ひたすら眠り続ける……。
目覚めなければ死ぬ、そういう決まりであっても進んで契約を結ぶ人々が、そんなにも沢山いるのか。
心に耐えきれぬほどの苦痛を背負い、生きている人々が……。
「……すみません、あまりに衝撃的なお話でしたもので。妙なことを口走ってしまいました」
「まあ、構いませんわ。もちろん、お客様の中にも、このことを聞いて、お怒りになって帰られる方もいらっしゃいますから」
そう言って、彼女ははち切れそうなほどに膨らんだ胸元をさすった。
そこにギッシリと詰まった心臓たち。
どれが、いま眠っている人たちのもので、どれが、彼女のものとなった心臓なのだろうか……?
「しかし、本日は貴重なお時間と、お話をいただきありがとうございました。私は、そろそろ次の取材へ行かなくてはならなくて……」
「あら、そうですの。記者の方って、お忙しいのね」
次の取材が入っているのは本当だが、まだ約束の時間までかなりある。
しかし、ここの異様な空気と彼女の話に少し当てられたようになってしまった。
できれば早々に立ち去りたい。
「こちら、本日の取材のお礼です。本当に、どうもありがとうございました」
「あら、お金なんて私には必要ありませんのに……。ああそうだ。あなたも、もし心を抱えるのが辛くなったらうちの店へおいでなさいな。ミナガワさん、あなたのお名前、ちゃんと覚えておきますわよ」
「ははは……それは恐らくないでしょう。では私はこれで……」
ドアを開けると、外からの光が陰気な室内に注がれた。
それを見た私は、溺れる人間が呼吸を求めるかの如く、半ばドアの隙間を縫うようにして外に出た。
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