ボトルの名は「少年少女」

屈橋 毬花

雨と電車と知らぬ人

 高校生活で盛り上がる一つの学校行事である文化祭。

 6月10日金曜日から11日土曜日までの間に開催される文化祭がいよいよ明日から始まろうとしていた。

 文化系部活動の部活生は遅くまで練習に励み、他多くの生徒は自分のクラスの模擬店のための設営にこれもまた遅くまで励んでいた。

 遅くと言っても、学校にいられるのは長くても8時まで。気難しい管理人に怒鳴り散らされるのがこの学校の8時に起こる日常だ。

 時間はあまりない。


 演劇部に所属する安堂あんどうかなえは文化祭最終日の本番のために部員と共に稽古に励んでいた。

 文化祭で引退する三年生である叶にとって、この稽古は特別な物だ。いつにも増して力が入る。

 恋愛モノや友情モノに走っていた今までの演劇部とは打って変わって、今回は時代劇に挑戦した。もちろん、殺陣たての稽古もしなければならない。薄い板を削って作った刀を強く握りしめて構える。「3、2、1」と演出を担う部員が手を叩く。

 交じり合う刀とぶつかり合う視線、鍛えた体を滑らかに動かす。

 左手が痛むが我慢する。

 殺陣アクションもラストスパートに入ったところだった。


 突然の放送が入る。声は気難しい管理人、ではなく、教頭のものだった。

〈練習中、又は設営中、放送を失礼します。生徒と先生方はよく聞いてください。これから、大雨が予想されます。JRを利用する生徒は直ちに帰りの準備をしなさい〉

 夜の校舎にブーイングの嵐が巻き起こる。しかし、こればかりは仕方がない。

「JR利用の部員は先に帰りなさい。稽古は続けられないから、それ以外の部員はJR利用の部員の分までの道具の片付けを。以上、解散」

 顧問は溜息を吐きながら、手短にミーティングを済まし、部室を出た。


 叶が校舎を出た時には既にバケツをひっくり返したようなどしゃ降りの雨だった。ゴロゴロと雷が唸り声を上げる。

「明日は晴れるといいんだけど」

 傘をさして、駅まで15分ばかり歩く。

 駅に着いたら、生徒でホームはごった返していた。モニターに映された電車の発車時刻はとうに過ぎている。赤文字で『ダイヤの乱れによる遅れが生じています。ご了承ください』と画面を右から左へと流れていく。

 帰るまでにだいぶ時間が掛かりそうだと思った。


 先に駅に着いたのは叶が乗るのと反対方向の電車であった。こちらを利用する生徒の方が断然多く、ほとんどの生徒がその電車に乗って帰っていった。

 叶が乗る電車はまだ来ない。先に親に連絡しようとリュックからスマホを取り出す。

 コール音が数回繰り返された後、『只今、この電話に出ることは出来ません』という女性の声を聞く。「やっぱり駄目か」と叶は呟く。

 共働き夫婦である叶の親は、夜遅くまで働くことが多い。そう簡単に今の時間には着信は取らない。

 どの道、帰りが早いのは叶の方だ。そんなに大袈裟なことではないだろう。

 とりあえず、親に「遅くなる」とメッセージを送る。


 どれだけの時間、いつ来るか分からない電車を待っただろう。

 叶の雨に晒された体が寒さから粟立あわだつ。

 だいぶ減った生徒達、親の迎えで更に生徒の数は減っていく。


 突如、ホームのベルが鳴る。叶の乗る方面の電車が来た。急いで、電車に乗る。しかし、電車はいつまで経っても発車することはなかった。

 叶が首を傾げていると、車内からアナウンスが流れ始めた。

〈お客様にお詫び申し上げます。只今、大雨の影響により、この駅をもって、運行を休止致します───〉

 せっかく乗った電車はもう動くことはない。これから来る予定であった電車ももう来ることはない。

 残された人達で駅は一層騒がしくなる。

 駅員が顔に焦りを滲ませながら、他の交通機関と連絡を取り合うのが、叶の目には映った。


 30分ほどして、緊急事態に応対したバスが駅に着いた。後から駅に誘導をするために来た先生数人が、一般客を優先してバスに乗せるようにと生徒達に指示する。

 一般客が乗った後、あまりの席に生徒達が我先にと乗っていく。乗れなかったのは、叶ともう一人の女子生徒であった。

 お人好しの性を叶は恨んだ。


 取り残された二人は並んで駅のベンチに座った。

 叶は横目にチラリと女子生徒を見た。シャツの袖に縫われた学生章の色は赤。同じ学年だった。

「乗れなかったね・・・」

 沈黙が嫌で叶は女子生徒に声を掛けた。「そうだね」と女子生徒は返す。

「部活は何やってるの?」

「音楽部」

「えっ。音楽部なの?!」

 叶は驚きを隠さずにはいられなかった。音楽部は他校で言う合唱部のようなものであり、毎年全国大会に出場する文化系部活動の中で一番強い部である。しばしば、メディア関係の目も向けられる。

 しかし、音楽部は文化祭のステージスケジュールに出演とは記載されていなかった。

「文化祭では、出ないのに、何でこんな遅くまで?」

「文化祭明けた次の日が大会なんだ」

「ああ」


 彼女は一組の向原きはら來未くみという子だった。文系のトップクラスである一組にいる來未は文系の凡人クラスにいる叶にとって、憧れに値する人となった。

「いいね。音楽部でエース。勉強もできるし、あ、去年の体育祭でも確か短距離の選手だったよね。親もいい子を持って幸せだろうな」

 來未の親を想像しながら笑みを浮かべる。

「私なんて、勉強も運動も出来ないし、親には演劇ばっかりしてって怒られてばっかりだよ。來未ちゃんが羨まし」

「いいことなんてないよ」

 饒舌になる叶の言葉を來未が遮る。その言い方には棘があった。もうこれ以上話すなと叶にその棘の先を向ける。

「・・・お父さんとお母さんが幸せに思ってるわけないもの」

 來未は小さく呟いた。

「どういう事?」


 來未は向原家の一人娘として生まれた。來未がやりたいといったことは、何でもさせてくれた。來未はやること全てに才能を開花させていった。合唱団では同級生よりもはるかにレベルが高かった。陸上の短距離走でも習って直ぐに大会の選手になった。勉強でも毎度トップの成績だった。


 來未は喜んでくれると思ってた。子供ながらに親の喜ぶ顔が見たくて、褒めてもらいたくて、やらせてくれたことに関しては一生懸命頑張った。

 しかし、親が褒めてくれることはなかった。

「どうして、うちの子はこんなに出来るのかしら」

「誰に似たんだろうね」

「おかげで、私達が馬鹿にされるわ」

 絶望だった。

 來未に向けられたのは、喜ぶ顔ではなく、嫉妬で醜く歪んだ顔だった。


「最初はショックだったけど、今はもう、自分のやってることは自分のためだって思うようにしたの。思えるようになった」

「そっか」

 それが結果的にいいのか悪いのか、どっちにも取れるような気がして、叶には來未にこれ以上何を言えばいいのか分からなかった。


 しばしの沈黙。


「左手どうしたの?」

 沈黙を破ったのは、來未だった。

 叶の左手の甲は痛々しく真っ赤に腫れ、内出血で青紫色が手の甲を覆っていた。

「練習でね、ミスっちゃって。こんなのばっかりなんだ」


 叶は演劇が大好きで、演劇部に入ったが、飛び抜けて上手いというわけでもなかった。やらされるのは、モブ役ばかり。それでも、叶は一生懸命その役を演じた。文化祭の舞台が最後ということもあり、顧問がメインの一人に選んでくれた。

 なかなか厳しかった。着物での慣れない衣装での殺陣で、叶はよくミスをした。部員からの溜息も止まらない。

「何で、お前なんかがメインに入れるんだよ」

「あんたより、私の方が上手いのに」

 完全な足でまとい扱い。胸が痛かったが、みんなの前では必死に笑ってみせた。最後くらい、私はここだと舞台の前で輝きたくて必死だった。


「何やっても、なかなか上手くいかないもんだよね」

「そうだね」


 どしゃ降りの夜空を二人で微かに笑みを浮かべながら眺めた。


 叶が手に持っていたスマホが震える。母からの電話だった。

「もしもし」

〈叶? あんた、遅れるって〉

 どうやら、今連絡を見たらしい。

〈調べたら運休になってるじゃない! 帰る方法他にあるの?〉

「バス来るかなーって待ってるんだけど、出るかどうかはまだ」

〈もう少しで仕事終わるから待ってて。迎えに行くから〉

「ありがとう」

 電話を切って腕時計を見る。8時30分を指している。


「お母さん?」

「うん。これから来てくれるって」

「そっか」

「來未ちゃんは?」

 來未は首を横に振った。

「二人共、夜遅いんだ」

 教師が生徒を乗せて家まで届けることはできない。そういう決まりだ。

 來未はタクシーで帰るらしい。

「叶ちゃんのお母さんが来るまで、私も待つ」

 そう言って、來未は叶と一緒に待ってくれた。


 叶の母が駅に到着したのは9時を回った頃だった。

 叶の母は車から下りて、待っていた先生に挨拶をし、來未にも礼を言って、叶に早く車に乗り込むように促した。


「來未ちゃん、ありがとう」

 叶が礼を言うと、來未は笑って首を横に振った。

「───明日は、晴れるといいね」

 來未が別れ際に言う。

「お互いにね」

「うん」


 上手くいかないどしゃ降りの雨が降る日。晴れれば、上手くいく日もある。


 二人は互いに手を振って別れた。



Fin…

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