12月24日 PM11:30 @菅野さとみ(死体の女)

 たっぷりと眠ったはずだというのに、菅野かんのさとみの頭はぼんやりとし、何だか気分も悪かった。


 その上、どこへいってしまったのか、部屋には一緒に来たはずの紺野隼人の姿もない。


 どこいったのかなあ……ぼんやりした頭をふらふらさせながら、階段を降り、人の声のするほうへ歩いてきたのだ。


「あの、すいません……」


 しかし、さとみを迎えたのは、そこに集まっていた人々の発した、すごい音量の悲鳴だった。


「で、出たああああああああ!」


「いやああああ!」


「来ないでえええ!」


 一体何が起こっているのか。さとみは驚いて後ずさる。と、その叫ぶ人の中に、紺野の姿を見つけた。


「悪い、俺が悪かった!」


「ちょっと、紺野くん?」


 さとみは焦って呼びかける。


「どうしたの? ってか、何、これ? サプライズのつもりなら、ちょっと説明が必要なんだけど」


 しかし、紺野は床に倒れ込み――これは土下座をしているのだろうか――悪かった、と叫ぶばかりだ。


 それも、どうやら芝居ではない――紺野は座長も呆れるほど、演技が下手くそなのだ。だからこそ、志望していた役者を諦め、いまは美術のスタッフとして働いているのだが――


「悪かった、この通りだ。だから、お願いだから成仏してくれ!」


「成仏? 成仏って……あ」


 紺野の言葉を繰り返して、さとみは、はた、と自らの服装を見下ろした。そして思わず舌打ちをした。


「衣装のままだったか……」


 さとみの白いドレスの胸の部分は、薔薇が咲いたかのように真っ赤に染まっていた。もちろん、本物の血液ではない。血のりだ。


「い、衣装って……?」


 床から顔を上げた紺野が、間の抜けた声を出す。具合の悪さも手伝って、さとみはぶち切れ、怒鳴った。


「『白いドレス/赤い惨劇』の衣装でしょ! あんたが、公演のチラシにする写真を撮りたいって言うから、わざわざ稽古の休みをもらってこんなとこまで来たんじゃない! それなのに!」


 一度大声を上げると、怒りに拍車が掛かった。


「写真は?! もちろん、写真は撮れたんでしょうね! 今夜中にデータ送らないと、チラシが刷り上がらないって言ったでしょう! そうなったら! どれだけの人に迷惑掛けるかわかってんでしょうね! おい、わかってんのかあああ!」


 息が切れるまで叫ぶと、さとみは紺野の脇腹を蹴り上げた。ひい、情けない声で紺野が泣く。その声に苛つき、蹴りをもう一つ、追加する。


「あの、ですね、この人は記憶を失っていまして……だから、あまり乱暴なことは」


 高校生くらいの少年が、さとみを止めにかかる。しかし、それはさとみの怒りに油を注いだだけだった。


「記憶喪失だあ? じゃ、データどうすんだよ、このやろう!」


 今度はヒールのかかとを背中にねじ込む。


「い、痛い……」


「痛い、じゃねえよ、台詞が違うだろお!」


「すいません……」


「ほかには?」


「本当にすいません、けど何のことだか……」


「何だと?!」


「やめてあげてください!」


 そのとき、凛と張りのある声が聞こえ――お、これは舞台映えしそうな声だ、とさとみは反射的に思う――いままで見たことのないような美人がさとみの前に現れる。


「この人、本当に反省してるんです」


「……何を?」


 その美しさを吟味しながら、返事を上の空で返す。すると、彼女は完璧な間合いで答えた。


「あなたを、殺してしまったこと」


 うん、滑舌もいけるな――さとみは一人頷き――遅れて彼女の言葉を理解すると、思わず吹き出した。


「……何がおかしいんですか」


 少々不満そうに美人が聞く。


「いいね、あんたはコメディにも向いてる」


「それって、どういう――」


「あんた、演技経験は? 学生? なら、入団テストを受けてみない? いや、一応あたしが看板女優ってことになってんだけど、アラフォーで少女役とか、正直きついじゃん? 若い子いないかなって思ってたんだよね。どう?」


「どう、って言われても……」


「急なのはわかってる。けど、その流れに身を任せてみるのもいいんじゃないって、あたしは思うけどね」


 さとみは笑った。


「うちの劇団、テレビとのコネもあるんだ。だからその気になれば、月に一度、おいしいごはんに行けるくらいのお金は出るよ」


 ここに来る前も、イイもの食べて来ちゃったんだ、と舌を出す。そういえば、この具合の悪いのは、普段食べ付けないものを食べたせいかもしれない。


「おいしい、ごはん……」


「ね、どう?」


 さとみが美人の答えを引き出そうとしたときだった。ああああ! と大声を出し、這いつくばっていた紺野が飛び起きた。


「データ……カメラ、俺のカメラは?!」


 そう言うが否や、窓に駆け寄り、外を覗く。


「早く! 早くしないと座長に殺される!」


「どうしたの、あれ?」


 ため息をつき、さとみが聞くと、


「あの方、二階から落ちてきたんです。血まみれで」


「ああ、あいつ、ドレスに血のりをつけようとして、全部ひっくり返しちまったんだよ」


 初めこそ、ナイフで刺された瞬間の劇的な表情を、と注文を出され、思い切り悲鳴を出しては見たものの、役者として鍛えた声は山荘中に響き渡ってしまった。


 これでは他の客の迷惑になる、とベッドに寝転がり、動かぬ死体の写真に変更したのだが、このところ稽古ずくめで疲れていたさとみは、そのうちにうとうとし、そのまま眠ってしまったのだ。


 外から中を覗いてるって構図もいいですかね――眠りに入る直前、そんな声を聞いたような気もするから、大方、無理な体勢で写真を撮ろうとしてバランスを崩し、ベランダから落ちた、といったところだろう。馬鹿なやつだ。


 窓から身を乗り出す背中から呆れて視線を外し、ふと壁際を見ると、そこにはどこかで見たような太った女性が佇み――その傍らで若い男女が神妙な顔をしてうなだれていた。どうやら、女の方は涙を流しているらしい。


「あれは、何をしてるの?」


 さとみは輪に近づこうとして――床に転がっていた何かに盛大に躓いた。


「痛っ、もう、何だっていうのよ……!」


 振り返ると、そこには一人の老人が倒れていた。そして、さとみが思い切り踏んでしまった膝を抱え、うんうんとうめき始める。


「どうなってんのよ、ここは」


 さとみが立ち上がる。同時に、どこからか焦げ臭い匂いが漂ってきた。

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