12月24日 PM4:33 @梶原ヒナ子(美人の大学生)

 車を降りると、梶原かじわらヒナ子の髪には、見る間に雪が降り積もった。


「ヒナ子さん、疲れたでしょう。先に中に入ってて」


 運転席から、金沢かなざわ翔平しょうへいが慌てたように飛び出してくる。


「荷物は俺が持っていくから」


「疲れたのは、ヒナ子より、お前の方だろ」


 トランクから大荷物を取り出しながら、榎本えのもと裕太ゆうたが茶化すように言う。


「そうよ。ヒナ子は座ってただけなんだから」


 裕太の彼女――三枝さえぐさ美夏みかも肩をすくめながらそう言ったが、誰の言葉もヒナ子の耳には聞こえていないようだった。翔平に勧められた通りに、素直にエントランスへと向かう。


 寒さのためだろう、扉の先にはもう一つガラス戸があり、その先は食堂だろうか。


 高価そうなリトグラフや花器が飾ってあるが、同じ場所に貼られている名物フグ雑炊・要予約という貼り紙や、びっしりと並んだ指名手配班のポスターがそれを台無しにしている。


 それにしても、ここの名物がフグだということは知っているが、ふもとの海際ならともかく、こんな山奥でもフグを出すとは驚きだ。


 ヒナ子はその愛嬌のある魚の絵をぼんやりと見つめた。


「……どうして翔平くんたちと来ることにしたんだっけなあ」


 クリスマス・イブだ。誘いならはいくらでもあったはずだ。


 それなのに、どうしてこんな山奥まで来ようなんて気を起こしたのか、ヒナ子自身にもわからない。



 とびっきりの美人で、引く手あまたの人生を歩んできた彼女は驚くほどの気分屋だった。


 つまり、彼女の前に用意される選択肢は常に選りすぐりのもので、どちらを取っても後悔するようなものではなかったのだ。


 しかし、今回の旅行は少々勝手が違うようだった。


 車に慣れていない翔平の運転はのろかったし、おまけに途中で雪も降り出した。


〈〈〈今日の出会いは天の思し召し〉〉〉


 毎日チェックを欠かさない、「ミュウミュウ」の占いには、そんな助言が載っていたが、こんな山奥ではその出会いにも期待が持てそうもない。


 間違えちゃったなあ、そうつぶやいたとき、背後から冷たい空気が吹き込み、たくさんの荷物を抱えた翔平たちが入ってきた。


「結構良さげなところじゃない。あれ、チェック・インって……不在の際は、ベルを押して下さい、ですって。押した?」


 突然、美夏が振り向く。ヒナ子がその質問が自分に投げかけられていることに気づくのに、しばらく時間がかかった。


「いいえ。押してないわよ」


 なぜ、と首をかしげると、美夏は大げさにため息をついた。


「私、押しましょうか?」


「もういいわよ」


 ヒナ子の申し出に、美夏が怒ったように言う。


「そう」


 小さく肩をすくめると、ヒナ子は大人しく引き下がった。


 美夏はヒナ子ほど美人ではないが、整った顔立ちはしている。だというのに、いつもでもこんな風にカリカリしてるのはどういうわけかしら、と彼女は思う。


 そして、大荷物を椅子に降ろした裕太をちらと見やる。大柄でクマのような外見をしているが、美夏と付き合っているのだ、とても優しい人に違いない。羨ましいな、ヒナ子は思った。



 実を言うと、ヒナ子はいままで特定の彼氏というものを持ったことがなかった。


 もちろん、言い寄ってくる男たちは絶えないのだが、彼らには何かが足りない。


 かぐや姫のように難しい条件を並べ立てて、理想通りの男性を探そうというわけではない。


 それなのに、誰もが、どこか違うのだ。いくらおっとりマイペースのヒナ子でも譲れない、何かが。



 美夏が何度か呼び鈴を押したにもかかわらず、フロントの奥はしんとして誰も出てくる気配がなかった。


「もしかして、ここへ泊まるのって私たちだけなのかしら」


 美夏が苛々とつぶやいたときだった。


 ふと視線を感じて顔を上げると、一人の少年が階段の上からヒナ子をじっと見つめている。


 高校生ね。家族と一緒に来たのかしら。そんなことをのんびりと考えていると、彼の顔はひょいと引っ込んた。


「ヒナ子さん、疲れたんでしょう。座っていたら?」


 振り向くと、おずおずとした翔平の笑顔が目の前にあった。普段から青白いような顔をした翔平は、暗い場所にいるとまるで幽霊である。


「……ありがとう」


 礼を言いながら、ヒナ子はいまさらのように、翔平の誘いを受けた理由を思い出した。



 いままで彼女に誘いをかける男性は、皆、自分に自信がある明るいタイプが多かった。


 けれど、翔平はと言えば、その真逆のタイプである。


 だから、そんな彼についていったら、もしかしたら何かが――自分の理想というものがもう少しはっきりするかもしれない、彼女は気まぐれにもそう思ったのだ。


「お待たせしました、すいません」


 そのとき、フロントの奥から初老の男性が現れた。


「ようこそ、苫野とまの山荘へ。私、オーナーの苫野とまのと申します」

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