虜囚
虜囚
真白い部屋で、澄んだ声音が短く乞うた。
「ごめん、なさい」
こどもは、首筋をさらしてうつむいている。その、まだ柔い頰の輪郭を見下ろして、私は素早くまばたきをした。そうすることで、小さな埃のような、何かの気配を追い払う。
「分かっていると思うけれど。危ないから、外へ出てはだめ」
「はい」
年端もいかないこどもは、舌足らずに、けれど丁寧に受け答えする。そのように、ここではしつけられている。口ごたえは甘やかに封じられて、いとけない顔つきのまま、ゆっくりと、人の意に沿うようになる。
こどもの切り揃えられた髪は、光を集めている。つやつやとしたラインが浮かび上がって、なだらかな天の川に似て見えた。
私は、戸棚からキャラメルを取り出す。できるだけ威厳を保って。
「次は、約束を守れますか?」
「はい。……あの、うまくできないかもしれないけれど、努力、します」
こどもは手をもじもじと絡ませる。その細い指先は、さっきまで弾いていたピアノのために、爪を短く切られている。
「分かりました。では、これを」
私は、こどものてのひらに、そっとキャラメルを落とす。
こどもは息を飲んで、上目でこちらを見やった。
「いいんですか?」
「いいよ」
「ありがとう、ございます」
素早く包装を解き、こどもはしばらく、キャラメルを見下ろしていた。だが意を決して、キャラメルを口に含む。こどもの頰が、ほころんでいく。
決められた食事、決められた運動、決められた楽曲。それらを規則正しくこなすこどもは、たまにこうして甘やかされる。
じわじわと。
こどもたちの出演する、夜ふけの舞台は、サーカスを見るようなおとなばかりがやって来る。
故郷ではがさついた手で、鉛を垂れ流す機械の残土をあさって暮らしていたこどもは、少しずつ、食べ物に混ぜられたやさしさをもって飼いならされる。
歌のじょうずなむすめは、先日あたらしい家族にもらわれて行った。
私には、幸せが何かは分からない。けれども、売れる芸を仕込むことで、かれらに、生きるすべを与える。
私もまた、ここで育った。
元いた、荒れた土地に、何度も戻ろうとして、柵を越えた。
ここから逃げ出しても、逃げ出しても、足は草原をさまよった。どこへ行けばいいのか、分からなかった。自分が来たのは、いったいどの方角だったのだろうか。生まれそだったのは、どんな名前の場所なのか。知らなかった。知らないままに連れてこられた。
どうしたら楽になれるのか、分からなくて、靄の中で泣いていた。
あんなに、抜け出したかった元のくるしい生活が、優しく真綿でくるんで息をうばうようなこの生活に、いったい、どこが、まさっていたというのだろう。
今、目の前にいるこどもは、ここに来てそれほど経たない。体の傷は癒えても、心は、飢えてさまよい、私の若いころのように、ここを抜け出して逃げてしまう。
私はそのたびに、自分に与えられた甘味を、こどもに分け与える。
それは逃げ出せない世界の中で、ほんの少しだけ、私がこどもに与えることのできる、何かだ。
ほかの誰かに買われても、私の意思と選択だけは、私のもので、あって、ほしい。
きみも同じ。
たとえすべてが折られても、手離さないで。
うまく、生きて。
#ヘキライ
第11回参加作品の再録http://ncode.syosetu.com/n9497dr/6/。お題は折られた白旗。
逃げだしたいのに、逃げられない。
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