蒸気のように跡を残さず

村崎 愁

第1話 母の見えるもの

三、四歳ほどの幼い頃の博子は母といつも一緒にいた。一緒にいた、というよりも母のことが好きで好きでくっついてまわっていた。母は無口な人でいつも必要最低限にしか喋らない。そしていつも微笑んでいる。

母と少し遠出をしたある日の事だった。博子にとっては初めて見る道、初めて通る道だ。古い木造建ての家が並ぶ細い通り。博子にはなぜか微かに記憶があった。

「お母さん、ここの家曲がったら、茶色の犬がおるんよ。」母の手を引っ張り連れていく。そこにはやはり年老いた茶色の犬が気怠そうに寝ていた。

「ヒロなあ、そこの横の家に住んでたんよ。だからこの犬と仲良しやったの。」嬉しそうに話す娘に疑問を抱かず微笑む母。そもそもなぜ母がそこに連れてきたか、今となっては謎のままだ。

歩いていると目の前に頭の半分が無く、目が窪んで黒い穴になり、片足が削がれている女性が不自然に身体を揺らしながら寄ってきた。地面に落ちては消える黒い体液と鼻の奥を刺激する腐臭。博子が近付くと頭が半分無い女性は博子にゆっくりと手を伸ばした。

「博子ちゃん、いけない。その人は、だめ。」母の初めて聞く大きな声に反応して博子は母の背中に走っていった。振り返ると、その女性は後ろを向き、顔だけをこちらにぐるりと向け「あぁ嫌だ。どうして。嫌だ。」と言いながら、窪み空洞になった目で博子を睨み付けゆっくりと消えていった。結局母の用事は何だったのか、そのまま帰路についた。

「お母さん、どうしてあの人だめだったん?」

母は電車の中で博子の顔を見つめて、「博子ちゃんだから。」と言って微笑んだ。

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