エピローグ 仄暗い天の雲から

「痛かっただろうな」

 私は乙矢をつがえながら言う。

「なんでですか?」

「奇声をあげて叫んでたから」

「いやそういうことじゃなく…」

 ビッ――パシン。中る。

 雨は勢いを弱め、次第に小降りになってきた。

 私は傘も差さず、雪駄を履いて矢道を直進し、安土と的から矢を抜き取った。中ったのは最後の一本だけだった。一人でしゃべり続ける後輩のせいにしてもいいが、単純に今日は気持ちが入っていなかったからだろう。

 私は弓矢を片付け、胸当てを取った。私物の矢筒を肩に提げ、後輩の前を素通りして弓道場を出た。

「え、ちょ、終わりなら終わりって言ってくださいよー!」

 後輩も私の後を追って玄関から出る。鍵を放ってやって、私は先に学部棟に向かう。

 雨はいよいよ小降りになり、そして晴れた。空を覆っている厚い灰色の雲の隙間から、朝日の光が斜めに降り注ぐ。ジェイコブズ・ラダー。

 並木道には鮮紅色の紅葉が、散り散りになって落ち、雨に濡れている。陽光をきらきらと跳ね返すその落ち葉を見ていると、またあのナイフから滴る血を思い出しそうになる。

「そういえば先輩、珍しく僕の話に乗りましたね?」

 と、小走りに追いかけてきた後輩が言う。そうだったろうか。

「死ぬときは辛い方がいいか、楽な方か、どっちがいい?って聞いてくれたじゃないですか」

 確かに。自分でもなぜ後輩の話に反応したのかは分からなかった。

「お前はなんで辛い方がいいんだ?」

 と、ごまかすように私は後輩に聞く。

「まあ正直僕はどっちだっていいんです。死ぬときのことを考えるくらいなら先輩のことを考えていたいので」

 さいで。

「で、その先輩のことを考えたとき、死ぬのが辛いものだったとしたら、先輩が死にそうなとき少しでも先輩の体は抗おうとするかもしれない。うまくいけば死なずに済むかもしれないし、考えたくはないですけど死ぬことになれば、そのとき先輩は僕のことを求めてくれるかもしれない。そう思うとやっぱり死ぬのは辛い方がいいかなって」

 後輩は私のちょっと先を歩き、振り返りながら爽やかに笑いかける。

 やはりこいつは、あの女性と変わらないのではないか、というより、寧ろこいつのほうが性質が悪い気もする。

 はあ、と今日何度目かのため息を吐く。

 雨は止んだが、後輩のやかましい話は止まらない。

 私は先行く後輩の後頭部を、矢筒の先で小突く。が、

「いったあああ!」

 力加減を間違えたのかいい音をたててクリーンヒットする。

「ああ、でも先輩に叩かれたのかと思うと気持ちいい!」

 はあ。

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