シーン4 雨天プラス1
「せ、先輩、分かったんですか!」
ああ、と首を振る。
「して、それは誰ですか?」
「犯人は、お前だ」
私は覇気のない言葉と共に、びしり、と後輩の鼻先を指差す。
「え」
寄り目になって私の指を見つめる後輩は、
「ああ!先輩の麗しきお指!美しく可愛らしい!」
はあはあとあからさまに呼吸する後輩にため息をつきながら、私は手を下ろした。
「どうして僕だと?」
「まず、先にトイレに向かったのは男性の方だった。そして次に向かったのがお前だ。つまり、お前がトイレに向かう途中、女性が一人でいる控室の前を通ったのは確実。お前は男性が戻ってくる前に控室に侵入し、女性を刺す。凶器は女性の私物なのだから、奪ったのだろう。その後、トイレに向かい、男性とすれ違う。戻ってきた男性は女性が刺されていることに気づいて駆け寄り、ナイフを抜き取る。お前が現場を目撃したのはこの前後だ。それからお前は私を呼び、事件の第一発見者に成りすまし、男性を犯人に仕立て上げた」
ふう、と私は息を吐く。疲れた。
対して後輩は俯いており、その表情を読み取ることが出来ない。
すると、
「くっくっく」
肩を震わせながら、後輩は抑えきれないという風に笑い声をあげる。
「アッハッハッハハハハァ!」
気持ち悪い笑い方だなと私は呆れた。
「先輩、珍しくからかってますね」
と、後輩はこれ以上ないくらいの爽やかな笑顔をする。
「まあな。ナイフにお前の指紋が無いから拭き取ったとも考えられるが、返り血は処理が難しい。手やハンカチを洗うにしたってトイレに行くときに他人に目撃される可能性が高い。それにお前はあのときオーバーサイズのサマーニットを着ていたから袖が邪魔だったはずだ」
「なるほど確かに。ああいうの萌え袖っていうんですよ!先輩も僕に萌えますか?」
「さらにあの時、控室に女性が一人だとは知らなかっただろうし、第一動機もない」
「僕は先輩に一途ですからね!」
「残念だ、お前が犯人じゃなくて」
後輩は大げさに落胆する。そしてまたせわしなく首をぶんぶん振ると、また私を見つめる。
「では、真犯人は?」
私はまた椅子に座り直しながら答える。
「女性」
「え」
後輩は今度こそぽかんとした表情をしている。
まず考えられそうなことだと思っていたが、こいつのように毎日がおもしろおかしそうな奴ならそういう考えはしないのかもしれない。
ともかく私は説明する。
「女性が自分で刺したんだ。おそらくは男性がトイレに立っている間に」
「え、自分で腹を刺したんですか、切腹ですか」
「本人の気持ちによっては切腹という意味もあるかもしれない。さっきお前が言っていた、痴情のもつれってやつかもしれない。ともかくあの二人の間になにか問題があって、女性は自傷を決めたんだ。二人を知る人間の言ったことに『勝手にやってくれ』とか『周りに迷惑をかけるな』とかいうのがあったろう。かねてから問題はあったのかもしれない」
「はあ、じゃあこういうことですかね。
『なあA子、俺たちもう別れよう』
『なんでよ!私あなたがいないと生きていけない!』
『でもお前、この間俺の女友達に食って掛かったらしいじゃないか、もう周りに迷惑はかけたくないんだよ!』
『そんな…』
『ちょっと席外す、冷静に考えてくれ』
ここで男性が控室を出ます。そして、
『もうやってられない…生きていけないわ…死んでやる!』
グサー、と、こういう感じで?」
だから一々声真似する必要はあるのか?とは聞かない。
「まあ動機は分かりましたけど、それだけで女性が自傷したって分かりませんよ」
「だろうな。なら男性が犯人だった場合の矛盾を指摘しよう。さっき言った通り、あの控室に女性が一人でいたのは短い時間だったし、知りうる人間はあの二人に絞られるはずだからだ。ナイフの指紋も二人分しか出ていない」
「なるほど、二者択一で消去法をするわけですね」
そう、男性じゃないなら女性、女性じゃないなら男性が犯人だ。
「まず男性が犯人だとした場合、犯行は必然的に、トイレから戻った後になる。刺した後の処理は困難だし、それだけの時間があったら逃げることもできた。もしトイレに行く前に刺したとしてもわざわざ戻ってきてナイフを抜く必要が無い」
「先輩と一緒に控室に行ったとき、男性はナイフを持っていましたもんね」
「では犯行がトイレから戻った後だとすると、控室の引き戸が開いているのは不都合だ。犯行前に閉めておくべきだし、普通部屋に入ったら戸は閉める」
「ははーん、女性が刺されているのが見えて、慌てて部屋に入ったら戸を閉め忘れた、というほうが自然ですね」
「それから、もみ合いになりながら刺したのでなければ、傷の位置が逆だ」
「逆?」
「男性はおそらく左利きだ」
「え、なぜ?」
「咄嗟に動くときや繊細な作業が必要なときは、利き手から動く。男性もおそらくそうだっただろう。女性の左わき腹、つまり男性から向かって右のナイフを抜くとき、男性はわざわざ左手でナイフを抜き、そのまま持っていたままだった。指紋も左手のものだったしな。そして男性が左利きなら、正面の相手の向かって左の位置、つまり右のわき腹を刺す可能性が高い」
「けれど実際に刺されたのは左のわき腹だった、と」
そこまで話して私は一区切り置いた。
これが私の推理だ。正直当たっているかどうかよりも、後輩が納得いったかどうかが気になる。納得いっていなければ余計にしゃべらされるかもしれないからだ。
後輩はなにやらペンをもって、腹を刺すような仕草をしている。
「しっかし、自分でお腹を刺すなんて怖いですねー。僕なら絶対そんなことできませんよ。あ、もちろん先輩に言われたらいつでもできますよ!」
こいつこそがメンヘラというやつなのではないのだろうか。
「それにしても先輩今日はよくしゃべりましたね!普段はなんであんな頑なに口を開かないんですか?」
「言葉は話すだけ軽くなる。書けば積み重なる」
「キター!名台詞ですね!」
私はまたため息を吐く。
こいつに付きまとわれるようになってからため息は日増しに増える気がする。
窓を流れる雨の影が、私の頬を伝っている。
まだ雨はやまない。
意識を取り戻した女性の証言で、男性の容疑が晴れたという情報を、翌日後輩から聞かされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます