シーン3 その先輩、探偵につき

「と、いうわけで、先輩の推理を聞かせてください」

 え?と私は小説から目をあげる。向かいの席の後輩は身を乗り出して目を輝かせている。数日前、事件の日も同じ構図だったのを思い出す。雨もまだ降っている。

「あ、もしかして僕の推理聞いてませんでしたね?」

 ああ、と軽くうなずく。

「あー、ひっどいなあ!結構考えたのにー。まあいいです、とりあえず僕の考える犯人は、あの院生の男です!さあ先輩は?」

 さあ、と言われても、そんなことは知らなかった。勝手に話を進めて勝手に話を振るので全部が後輩のペースだ。いつの間にそんな話題になっていたのかも記憶になかった。

「まあ正直考えなくてもいいので先輩の麗しきお声をお聞かせください!もうほんと毎日毎日刑事さんたちの野太い声しか聞いていなかったので先輩のお声が待ち遠しかったんですよー!」

 気持ち悪いことをさも爽やかに言ってのけるのだけは褒められたものだ。

 だが、私は事情聴取で話し疲れていた。これから一週間は誰とも口を利かないだろうと思っていたのに、解放から数日後の今日、ようやく時間が出来たらしい後輩は当然のように研究室に入ってきて言葉の嵐を叩きつけた後、今度は私に話せと言う。

 目で威圧する私に怯まずに、後輩は私の言葉を待っている。

 私は細く深いため息をついて話す。

「私は現場に居合わせただけで事情は知らない」

「と、おっしゃると思っていたので、僕なりに調べてきました!」

 食い気味に言葉を継ぐ後輩は、彼がいつも背負っているバッグから手帳を取り出すと、

「事件の被害者の女性と、容疑者の男性を知る人への聞き込み。それから凶器と見られるナイフの状態、現場となった院生の控室まで、集められる情報は集めてきました!」

 えっへん、とわざとらしく鼻を伸ばす後輩に、私は顔を引きつらせた。

 だいたい、どうしてこいつが事件の事情など知っているのだろう。警察には聞かれることはあっても聞く機会などあまりないのではないか。私が警察に聞いて答えてもらえたのは、被害者の女性は命にかかわるような負傷ではなかったという事だけだ。

「それは、僕が先輩という探偵の『助手役』だからです!」

 と、また鼻を伸ばす。私が探偵?笑えない。推理小説は苦手だ。

「じゃあ状況を整理しますね」

 勝手にしてくれ、と私が手を払うと、後輩はここぞとばかりに話し始めた。

「まず、現場となった院生の控室ですが、これは先輩も実際にいましたし、大体の物の配置なんかは分かると思います。大事なのは時間ですね。容疑者と見られる男性は、被害者と見られる女性と一緒に控室にいたそうです。なにをしていたのかまでは、二人に聞かないとわかりませんが…。それで、男性は途中トイレに部屋を出ます。この階にも階段を挟んだ向こうにトイレはありますが、若干遠いので五分はかかるでしょう。その間に女性は何者かに刺されます。男性が言うには、戻ってきたときには女性はすでに意識を失っていたということですが…。ともかくその後僕たちが駆けつけます」

「ちょっと待て。私はお前に呼ばれて部屋まで行ったが、お前はいつ現場を見たんだ」

「ああ!麗しき先輩のお声!…はい、僕が見たのは倒れている女性に男性が話しかけていたところでした。控室の引き戸は開けられていたのですぐにわかりましたよ」

「お前も男性もトイレに行っていたということは、途中ですれ違ったんじゃないか」

「その通り!僕がトイレに入るのと同時に、男性は出ていきました」

 意外に乗り気になって考えている自分がいることに、私は気づいた。

 後輩もにやにやと含み笑いをしながら話す。

「そういうことで、女性が刺されたのは一人になっていた数分の間。そして、男性が犯人だとすると、僕とすれ違って控室に戻った後、ということになります。これって状況を見れば、もう犯人は男性で決まり!って僕は思うんですけど、どうでしょう?」

「他の話を参考にしないと分からん」

「いいでしょう。では凶器の話に入ります。凶器はナイフ、特に美術なんかで使うデザインナイフの類である小さなものです。所持者はおそらく、美術系を専攻する被害者の女性でしょう。それから付いていた指紋ですが――」

 なぜ指紋のことまで知っているのか、と私は首をかしげる。

「『助手役』だからですよ、先輩。それで指紋ですが、女性と男性の二人分が見られました。女性の右手の指紋、男性の左手の指紋です」

 男性が犯人だとすると、左手で刺したという事になる。私が見たときも、男性がナイフを持っていたのは左手だった。

「最後に二人を知る友人知人の聞き込みの話です。それぞれに、事件についてどう思うか、怪しい人物に心当たりはないか聞いてみました。

 まず一人目はこう答えました。『二人は付き合ってたんじゃないか。どうしてあんなことになったのかは分からないし、怪しい人物にも心当たりはない』。

 次に二人目。『勝手にやってくれって感じ。あんまり周りを巻き込まないでほしいね。心当たり?さあね』。

 最後に三人目。『彼女のほう、なんていうの、メンヘラ?そんなところがあったからねえ。彼氏さんも大変だったんじゃないかしら』」

 わざわざ声真似をする必要があるのかは疑問だったが、大体二人の事情はつかめた。

「つまり、男性と女性は恋人同士、あるいはそれに類する関係であった可能性がある、ということか」

「イエス!それで僕は考えました。これはいわゆる痴情のもつれってやつだと!女性が浮気して男性が怒って刺した、とか男性が浮気して、それに気づいた女性を刺した、とか」

 原因に浮気しか考えられないのか、と思ったが、後輩は真剣らしい。野次馬根性むき出しの嫌な笑みを浮かべている。

 だが、これまでの話で犯人の目星はついた。私は、ちょっと前に推理下手を克服するために手を出したゲームの決め台詞で後輩の考えを否定する。そう、犯人を前にした探偵のように、おもむろに立ち上がり、後輩を指差し、私は告げる。

「それは違うよ」

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