第8話 仮初めの夫婦

 公爵家の屋敷は、城を囲む堀を背に、さながら城を守る兵士のような佇まいでその存在を主張していた。

 ディルダーク王家を守る筆頭貴族。

 その権力は国内一と言っても過言ではない。

 そのような大きな力を持つ公爵家の新当主は、己の寝室の扉を開けたまま、固まっていた。

 アルベルト・ウォートナー改めて、アルベルト・バルツァーとなって、実は三日目。

 名前に慣れないように、屋敷にも慣れてない。

 置いてあるものが高価すぎて落ち着かないというのもある。

 つい先日まで、質実剛健なむさ苦しい砦に詰めていた身には、目に入る物の全てが華美で、きらびやかに過ぎる。

 目がチカチカするほどだ。

 寝室もまた、彼の人生においては知り得ない高水準のものだった。

 なにせ、天蓋付きである。

 三日前にこの部屋に来たとき、思わず呟いたものだ。

「…はじめて、だな…ここまで派手な寝床は…」

 と。

 兵士として鍛えられた肉体は、野宿でも問題なく眠れるが、この寝台で眠るのは違う意味で神経をすり減らしそうだった。

 その件の寝台に、アルベルトを硬直させた原因が座っていた。

「レイリーン様…」

 目覚めている事は、長年バルツァー公爵家に勤める女中頭から聞いている。だから彼女が起きていたことに問題が有るわけではない。

 つい、扉を叩くこともなく開けてしまったが、ここは自分だけの部屋ではなく、彼女も共に使うことになる部屋だった。

 そこは夫婦の寝室。

「あ…旦那様…」

 聞きなれない呼び方に、普段、千の兵士に囲まれてもびくともしない黒騎士だが、動揺を隠しきれず

「失礼した!」

 と慌てて開け放してあった扉から部屋の外に出ようとした。

「お待ちください」

 鈴を転がすような、という表現があるが、まさにそのような声で呼び止められた。

 凛とした、はっきりした物言いに、先ほど人事不正に陥ったようには思えない。

「中にお入り下さい」

「はっ!」

 軍事に携わる人間は命令に弱い。

 王族として育てられたレイリーンは、命令することになれており、騎士として努めてきたアルベルトは命じられることに慣れていた。

 言われるがまま扉を閉めたが、そこから寝台に近づこうとはしなかった。

 燭台に灯る火と、暖炉に残る炎とが放つ光の全てだが、彼らはその程度の明かりに目が慣れていて、距離が離れていてもお互いの姿は認識できていた。

 それに今日は月の明かりも強い。

 明かり取りの窓から入る光は、彼女を神々しく映し出していた。

 すっと立ち上がった少女は、ひらひらとした寝間着の裾を摘まんで優雅に一礼して見せた。

「先ほどは醜態を晒してしまい、申し訳のしようもありません」

 式典の最中に意識を失うなど、あっていいはずがない。叱責されても仕方がないと覚悟の上での謝罪だ。

 だが予想に反して、男は労るように優しげに言葉を返した。

「いや、気になさることはない。もう具合はよろしいか?」

「はい」

 思いの外に優しい声音に、緊張していたレイリーンの体から僅かに力が抜ける。少なくとも会話の出来ない相手ではないようだ。

(お兄様がお選びになった方ですもの、それほど無体な方ではないはずだわ)

 そのくらいは信じたいと、淡い希望を持つ。望んだ上での婚姻でないのは、今更だからだ。

 二人を沈黙が包む。

 アルベルトは扉の前から動けず、レイリーンもまた寝台の脇で立ち尽くすより他に術をもっていない。

 望むと望まないとに関わらず、二人は夫婦となったのだから、共にその寝台を使うべきなのだが、互いに牽制しあうように距離を持ち、近づこうとはしなかった。 

(……こういう時は、殿方が来るのを待つべきよね……?)

(無事であった事は良かった。が、このままどうしろと……?)

 どうしろもこうしろもないことは、大人な男のアルベルトにはわかってはいる。が、この少女を相手にするのは色々憚れる。

 淑女としての教育を受けてきたレイリーンは、動かない男に内心首を捻る。《髭》が近づいてこないことは有りがたいが、このままで良い訳もない。髭だろうが何だろうが、受け入れなくてはいけない。男が現れる前にさんざん覚悟を固めていたのだ。王家の姫の宿命として。

「あ、あの、もう少し、こちらにいらしては?」

 勇気を振り絞って、戸口から動かぬ男に声を掛ける。

「あ、いや、その、……はあ」

 断るのもおかしな事だと、上手い切り返しも出来ず、結果、生返事をするに至る。

 来いと言われた以上、行かない訳にもいかず、アルベルトはゆっくりと少女の元へ向かった。

(ううぅぅぅ、髭がっ、近づいてっ、くるぅ……)

 レイリーンは姫として表には出せないが、内心では激しく動揺していた。言わなければ良かったと、後悔もした。所詮、人生経験の少ない十代の小娘だ。これからなされることを思えば、体か震えることも仕方がない。

 平気な振りをしているが、少女が怯えていることは丸わかりだった。

 虚勢を張る少女に、自分の田舎にいる妹の姿が重なった。イタズラがバレて叱られるときに似ている。

 つい、悪気は無くくすりと笑ってしまった。体の大きな男が目の前に立ち塞がれば、大概の人間は怯える。アルベルトには馴れた光景とも言えた。

「あ、いや、失礼した」

 怯える姫を前に笑うなど、礼に反している。左の掌で自分の口元を覆うが、どうにも一度ツボに入ってしまうと笑みが止まらない。

 嗤われているのだと感じ取ったレイリーンは羞恥と怒りで今度は震えた。王族としての育てられたプライドは、そう低いものではないのだ。眉尻がきりりとつり上がり、頬を紅潮させ、きっと睨み付ける。

「こっ、子供扱いなさるのね! 私をバカにしていらっしゃるのでしょう!」

 そして、ついにはキレた。

「いや、そんなことはな…」

「だいたい私がこの婚礼を知ったのはつい先程よっ! 式の直前よっ! それだけだってふざけたお話なのよっ!」

 抑えていた感情が爆発し、きゃんきゃんと言い立てた。

「相手だって知らなかったわ! 心の準備だって出来てなかった! 私はっ、お兄様に会いに来ただけのつもりだったのよ…」

「そうか、それは辛かったな」

 自分も騙し討ちで、式の1週間前に呼び出されていたが、それは言わず、荒れる少女に頷いてみせた。しようとしなくても、共感できる同じ立場の黒騎士。

 自分は上司だから変えようと思えば出来るが、彼女は身内ゆえに変えることは出来ない相手だ。しかも王家。縛られたしがらみの強さを鑑みれば、逃げようもない。

 少女の言葉にうんうんと頷いてやる男の目が据わっていることに、少女自身はきづいていない。男の憤りは勿論少女に対するものではない。

(あんの愚王め、なにが約束だ! このようなまだ幼き少女までだまくらかして嫁に出すとは!)

「気が付いたらアイリスは居ないし、夫は髭だし、オヤジだし、嗤われるし」

 内心で己の主君を叩きのめしていたアルベルトが一瞬「ん?」となった。今、王家の姫君が言うにはおかしな言葉がなかったか?

「お兄様には会えてないし、女中頭とかいう怖そうな人はいるし、知らないところだし」

 女中頭を苦手とするところに共感して、先の言葉はスルーされた。

「わかる、わかりますよ」

「わかってくださいますか!?」

 ガシッとアルベルトのガウンを掴んだ。それくらい至近距離で熱弁を奮っていたのだ。

「貴女の気持ちは良くわかりました」

 静かな、だが聞き慣れない男の声音に、はっと我に帰る。自分が仕出かした事にさあっと血の気が引いた。

(わ、私、何て事を…!)

 あわあわと、先程とは違った意味で慌てふためく。新婚初夜に、夫となる人に向かって暴言を浴びせるなんて。

 ガウンを掴んでいたレイリーンの手に、男の掌が重なった。何をされるのかと、身を強張らせていると、その掌はそっと少女の手をガウンから離させた。

 少女の手が震えていることに気づいていたが、今度は笑うようなことはなかった。すっと片膝をつき、その手の甲に口づける真似をして

「私は貴女を傷付けないと、ここに誓う」

「……!」

 騎士の誓い。

 さりげなく、簡略されたものだったが、誓いには違いない。この誓いを破ることは万死に値する。破れば騎士としての名誉を傷付ける事になるからだ。

「許しては下さらないか?」

 ほっそりとしたレイリーンの右手を、左の掌に乗せたまま、下から伺い見れば、初めてされた誓願に戸惑う少女の姿があった。

「…あ、あの…」

 なんと言えば良いのか、新たに夫となった男の考えがわからない。黒い瞳は真摯で、レイリーンの胸をざわめかせた。

「言葉の通り、貴女の嫌がることはしない。《俺》の誓いは受け入れてはもらえないか?」

 大きく戸惑い、言葉を受け入れることも、拒否することもレイリーンが出来ずにいると、男は立ち上がりガウンを脱いだ。

「私たちには、互いに理解しあうための時間が必要かと思います」

 殊更優しげに微笑み、言葉を重ねる。

「さあ、今宵はお疲れになったでしょう。姫はお休みになられるとよい」

 そっと、自分が着ていたガウンをレイリーンの肩にかける。

「私の着ていたもので嫌かも知れませんが、春とはいえまだ冷えますから」

 囁くように告げ、アルベルトは少女に背を向けた。先ほど入ってきた扉とはまた別の、主に男主人が着替えをしたりする衣装部屋と繋がる扉に向かう。

「あ、あの、どちらに?」

 少女の問いかけに

「少々所用を思い出したので出掛けます。姫は気にせずゆっくりお休みください」

 声は穏やかだったか、表情は危険を孕んでいた。振り向きもしなかったのは、アルベルトにその自覚があったからだ。

 

 パタンと、扉が閉まる。


 その瞬間、どちらもが大きく息を吐いたが、互いはもちろん、それに気づくものは誰も居なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る