第2話 呼びつけられた騎士団長

 ‘’大至急‘’と言われれば、取るものも取り敢えず馳せ参じなければならない。

 眼前に不穏な軍旗が翻って、互いの国境線をにらみ合う、そんな非常事態でも。


「アルベルト殿…」

 ディルダーク王国北部国境線の要、アンカラ要塞には、国の主要戦力の一つであるトーア騎士団が駐在していた。その騎士団を統率するのは黒髪と黒ひげが特徴的な騎士団長、アルベルト・ウォートナー。彼が今、手のひらで握りつぶしたのは、間違いなく国王からの公的な文書だった。

 親書をたずさえてきた近衛騎士団団長グランツは、右手に紙くずとなったソレを握りしめ、プルプルとうち震える彼に、手紙の内容こそは知らないが、

(あー、無理難題を押し付けられたか)

 と同情の眼差しを向ける。

 親書を届けるのに、わざわさ自分が選ばれたのは、同格の騎士団長相手に無下に出来ないようにするためだろう。

 アルベルトは長く吐息をつき心を落ち着けると

「…失礼した。陛下はこちらの状況を理解されていると?」

 北の地ということもあって、まだ雪解けが浅いとはいえ、目の前にはすでに春を待つ敵軍が列をなしている。

 敵軍の士気は高く、雪解けなど待たぬうちに攻めかけてきそうな有り様だということを。

「勿論ですとも。ですから私目わたくしめを代わりにと寄越されたのでしょう」

 近衛騎士団団長が。

 本来、近衛というのは王の側に侍り、彼や彼の家族を警護するのが役目だ。城内に常に身を置き、王と共に行動する。

 その近衛騎士団の団長が、戦の最前線に駆り出されて来たのにはそれなりの理由がある。

 一つには同格の者でないと、砦の者達が従わない可能性がある。最前線を固める兵等は、騎士団の者達だけではない。むしろ犯罪者まがいの荒くれ者も多くいる。それらを束ねるにはそれ相当の地位や力が必要だ。アルベルトが抜けることによって、それらを纏めていた力が弛むのは至極当然と言えた。そうならないための布石が近衛騎士団団長だ。

 しかもこの団長は、元はこの砦に詰めていた経験がある。

「このトーアをお任せしても?」

「元々こちらは私の古巣のようなもの。老兵とはいえ、まだ幾ばくかの力にはなれましょう。どうぞ、陛下の御心に添うて差し上げて下さい」



 全身黒ずくめの騎士装束は、彼の主君からの賜り物だが、若干悪意を感じていた。

 黒目、黒髪、それはディルダーク国内においては珍しい部類に入る。大概の国民は、濃い赤毛か茶髪で瞳の色も茶色だ。

 しかもこの半年、前線で指揮をとっていた彼は、身の回りのことに手を掛ける暇がなく、立派な黒ひげまで身に付けてしまっていた。

 黒目、黒髪、顔全体を覆う黒ひげ。

 更には纏う装束まで黒。

 嫌がらせとしか思えない。

「ここまで統一した黒だと圧巻ですな」

「……」

 旅装を調えたアルベルトをそう評したのは近衛騎士団長のグランツだ。自身の髪には白いものが混じっていて、黒々とした彼の頭髪が羨ましかったのかもしれない。

 だが、トーア騎士団長アルベルトはそのコメントを無視した。

「団長、あ、いや、アルベルト様」

 叙勲したての若い騎士が振り向いた二人に慌てて言い直す。

「広場に団員揃いました」

「ああ、今行く」

 素っ気なく返事をし、

「グランツ様、後はお任せします」

「了解した」

 馬を引き、整列した団員のもとに行く。

 不在期間がどれほどになるのか、正確には分からない。

 きちんと並んだ団員を一瞥し、頷いた。

 副団長のサイラスには諸事情を伝えてある。グランツと共に騎士団を纏めてくれることだろう。

「アルベルト様、お気を付けて」

 サイラスはそう声をかけた。

「ああ、早く戻って来れることを祈っていてくれ」

 願わくば、己が不在の内に戦端が開かれることがないように。


 アンカラ要塞を後にしたアルベルトは、馬を駆けに駆けらせ、街道をひた走った。

 途中の関で何度も馬を変え、どんなに見積もっても十日以上かかる道のりを、1週間で踏破した。

 途中の町や村に、変え馬の手配がされていたことが速さの要因だか、彼の馬術の腕前もまた、速度を上げさせた一因である。

 休息もろくに取らずひた走ったのだ。

 なにより、‘’大至急‘’に見合う速度だったには違いない。


「早かったな、アルベルト。お前でも十日はかかると思っていたが」

 城に着くなり、すぐに面会が許された。門番から執務室に直行するように言われたのには流石に面食らった。

 普通、身なりを調える暇くらいあるはずだ。

 一国の主に面するのに、埃まみれの薄汚れた姿で良いわけがない。

 口上を言う間もないまま、ディルダーク王国国王、ヘルベルト・ナージェ・ディルダークは

「早いに越したことはない。よく来た」

 見ていた書面から顔を上げ、一応、彼を労った。

 即位して三年。御年23歳。

 柔らかそうな茶色の髪と理知的な瞳の持ち主で、荒事には向かなそうに見えるが、その実、剣を持たせれば中々の腕前だったりする。流石に今手にしているのは羽ペンだが。

 執務室には彼一人だった。近衛兵は外に待機しているが、側に侍り、彼を補佐する侍従もいない。

「随分汚れているな」

 王都テイアに入る関所の前で掴まえられ、ほぼ強制的にここまで連れてこられた身としては、一言どころか言いたいことだらけだ。

「陛下、春季祭しゅんきさいの一週間前までには来いと書かれていた筈ですが?」

 その春季祭の一週間前は明日だ。彼でなければたどり着いていない。

「そうだったか?」

「テイアに着いた早々、城に連行されるとは思っても見ませんでしたよ」

「何の事だかわからんなぁ?」

 王の顔がにやりと一瞬歪んだのをアルベルトは見逃さなかった。そしてその言い草に、アルベルトの額に青筋が浮かぶ。

 濁り潰した書簡を持ってくるべきだった。

「まあ、良いじゃないか」

(良くない!!)

「ほれ、これをやるから赦せ」

 ぽいっと投げ渡されたのは、巻物だ。

 王家の紋章が刺繍されたそれは、ただの巻物ではない。

 顎で促されて閉じ紐をほどいた。くるくると軸に沿って開かれたそこには、意外な内容が書かれていた。


「アルベルト・ウォートナーを軍事の総司令たる将軍に任命する」


「どう言うことですか?」

 大出世だが、素直に喜べない。

 元々、将軍とは名ばかりの名誉職だ。第一線に出ることの無い大貴族が、戦時の折りに担がされる御輿とも言う。

「俺に一線を退けということですか?」

 騎士として叙勲した以上、戦地で死ぬのが華、とまでは言わないが、彼にも騎士としての誇りがある。共に戦った仲間を戦地に残したまま、なにもせずにいられるはずがない。

 険しい表情で己が主君に詰め寄れば

「まさか。まだおまえに楽をさせる気はない」

「だったら何故!!」

「まあ落ち着け」

 ニヤニヤを深めた王は、更にもう一つの巻物を放った。

 危なげなく受け取ったアルベルトだったが、内容を確認すると開いた口が塞がらなくなった。

 暫くするとわなわなと拳を震わせ、大音声で怒鳴った。

「一体何を考えてるんですか!!!!」

 怒鳴られた方はどこ吹く風といった様子で気にもしていない。

「あなたは妹殿下をなんだと思っているんです!?」

「可愛い肉親だが? いや、約束は果たさないとな」

「約束!?」

 何を云ってるんだこいつはという、主君に向けるにはあまりにも間違った険しい表情でヘルベルトに詰め寄る。

 ヘルベルトの方は目をしばたかせ、

「したろ? お前に俺の妹をくれてやるって」

「いつ! どこで! どのタイミングで!?」

「いつ…三年前の砦奪還戦で、どこで…ムーア大平原で、どのタイミング?…馬上で敵対勢力を切りながら、かな?」

 茶目っ気を感じさせる返答である。

「ふざけてるのか!」

 一方、アルベルトの方は額の青筋がぶちギレそうだ。

「そんな分けないだろ」

「だったらこの婚礼日時はいったいどう言うことだ!!!」

 相手が国王だと言う事実はもうどうでも良くなっていた。机がなかったら襟首を掴んで締め上げている。

「いやー、間に合って良かったよ。さすが将軍! いや大将軍のほうがいいかな?」

 暖簾に腕押し、糠に釘。

 そういえば、と思い出したのは王のもう一人の妹の事だ。半分だけ血の繋がるその姫君は、隣国に人質として差し出されている。

 反論は諦めた。


 人生を決める婚礼の日時は、全国民が春を祝う春季祭、当日だった。





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