第8話 命の代償

 しばらくすると、やくざの横山さんが立ち上がった。

 「これが気持ちいいことだってのか? 子供だましもいいとこやろ」

 言うなり、隣にいる秀さんの襟首をつかむ。


 「ようおっさん、こりゃどんな仕掛けなんや。俺たちゃどこにおるんよ?」

 無理もない話だ。明らかにいま自分達がいる空間は、さっきまでいた公園のものとは、明るさも色も匂いも、感触までもがまるで違うのである。

 言われた秀さんも負けてはいない。

 「そう言うあんたは、どう思うんだい?」

 にらみ合う二人。


 「ちょっとー、こんなところで喧嘩なんてやめてよー。それよりどうすんのよ、これからあたし達?」

 たんぽぽさんの一言に、みんなも我に返った。


 「取り敢えず、この雲のようなところから抜け出しましょう」

 田辺さんは、そこから続く白い気体の塊を手探りで掻き分けようとする。

 「だけど、斎藤君は何があっても動いてはならいと言っとったぞ」

 下地の爺さんは胡座あぐらをかいたまま反論した。

 「なら爺さんは黙ってそこに座っとき。どうせ直ぐに月からのお迎えが来るだろうからな。悪いがわし達は先に行くで」

 先頭に立って横山さんが白い気体の外へと出て行こうとする。


 「ちょっと、待って!」

 立ち止まる横山さん。急にたんぽぽさんが、耳を覆うようにと手を当てた。


 「ねえ、なんか聞こえない?」

 その声に皆も一斉に耳を澄ます。俺も必死に、その白い気体の塊の向こうから聞こえてくる微かな音に耳を傾けた。


 「かね?」

 首からけん玉を下げた青年が答える。しかし、その音は誰の耳にも分かるように次第に大きくなってきた。

 「銅鑼どらじゃろう」

 下地さんが答える。


 どーんどん、ジャンジャン。どーん、ジャンジャン。

 どーんどん、ジャンジャン。どーん、ジャンジャン。

 どーんどん、ジャンジャン。どーん、ジャンジャン。


 銅鑼と太鼓の音がはっきりと聞こえてくると、その中に混じって、人のうめき声のようなものが聞こえてきた。

 何と言っているのかは分からない。だが確かに人の声である。


 「祭りか? それとも戦争か?」

 なおも秀さんは、見えぬ白い気体の向こうを見ようとしている。

 「まったく、『天の声』が聞こえなくなる為の儀式だと言うから来てみたのに、いったいこれは・・・」

 彼の声は、銅鑼と太鼓の音で掻き消された。


 「祭りや、祭り。良いことってのは、この事だったんや。早くわし達も混ぜてもらいに行こか」

 大声をあげる横山さんに、皆も一様に腰を上げる。

 「ダメですって。斎藤君が絶対動くなって言ってたじゃないですか!」

 白い気体の外へと出て行こうとする皆に、俺はありったけの声で叫んだ。でも、不思議とその声は少しも響かないのだ。もう一度叫ぶ。


 「秀さん、田辺さん、戻って来て。たんぽぽさん・・・」


 声は空間の中を振動していこうとはせず、目の前の白い気体へと吸い込まれていくようだ。俺には、皆の動きが少しずつスローモーションのようにゆっくりと動いているように見えてきた。

 横山さんに続いて、田辺さんが気体の中に吸い込まれていく。続いて秀さんが・・・

 呻き声のようだったそれも、いつの間にか白い気体の直ぐ外側で、人の、そう人間の断末魔のような声がうごめいているようなものへと変わっている。


 どーんどん、ジャンジャン。どーん、ジャンジャン。

 どーんどん、ジャンジャン。どーん、ジャンジャン。

 銅鑼と太鼓の音が俺の耳をつんざく。


 やがて、俺の目の前からは横山さんをはじめ、ひとりまた一人とその気体の中へと消えて行ってしまった。

 「たんぽぽさーん!」

 最後に、たんぽぽさんの赤いドレスが消えて行く。


 「では、そろそろ私も」

 俺の横で、平松先生が立ち上がる。


 「先生、いま動いては・・・」

 「大丈夫、私の代わりは立てておきましょう」

 「代わり?」

 変なことを言う彼の手を、俺は必死に掴もうとするが、その感覚がどうしても分からない。


 「それに、私はもと居た時代に戻るだけですから。君は彼のことを信じてあげなさい」

 そう言うと、平松先生は消えた皆とは反対の方向へと歩き始めた。

 「平松先生・・・」

 やがてその彼も、気体の中へと包まれていった。


 俺は次第に薄れていく意識をなんとか保とうと、精一杯眼を見開き、声をあげようとするが、どうやらそれも叶いそうもない・・・

 白い気体のそれはやがて徐々に人の形となり、その何人もが俺を取り囲んでいく。

 敵意があるわけでは無さそうだ。それが証拠に、その者達は俺の身体をかつぐと、胴上げのように何度も宙に持ち上げた。今度は皆で俺の身体をでまわしているようだ。



 それからどのくらいの時間が経ったのだろうか。しばらくすると、その中の一人が俺に声を掛けてきた。


 「おい、大丈夫か?」

 「・・・」

 「生きておるか?」


 俺は静かに眼を開けた。

 仰向けに寝ているのだろうか、俺の目の遥か上空には真っ青な空が広がっている。

 その周りをすでに葉が落ちた針葉樹の林が囲んでいるのが見える。

 (そう言えば、さっきまであった白い気体は何処へ行ってしまったんだろう・・・)


 「おい、どこぞ怪我けがはないか?」

 突然、俺の目の前を戦国武者のような甲冑姿の男がさえぎった。


 「うわーっ・・・」

 慌てて身体を起こそうとするが、身体に力が入らない。それどころか、手足の先の感覚がまるで無いようだ。

 (やばい、どうやら俺もあの世とやらに来てしまったのか。それにしても・・・)

 

 「さ、寒い・・・」


 「おお、どうやら生きているようじゃのう。さっ、起きられるか?」

 男は俺の腰辺りに手を回すと、上半身だけを起こしてくれた。その男の手の感触が確かに伝わってくる。

 (どうやら俺は生きているようだ・・・)


 俺の視界は天井から水平へと変わった。先程見えた木々の根元には雪が積もっているのが見える。

 (どうりで寒いわけだ・・・)

 と次の瞬間、俺の目には真っ赤なラメのドレスが飛び込んできた。それが雪の中に無造作に転がっているのだ。

 よく見ると、腕と脚とが不自然な方向を向いている。


 「た、たんぽぽさん?・・・」


 でも、多分もう死んでいるのだろう。直感的にそう思った。

 俺は半分感覚のない手足を引きずるようにしながら、彼の元へと駆け寄ろうとした。


 「待たれよ」

 またしても、俺の視界を遮るその男。にらみ付けるように見上げる俺に、その男は自分の名を名乗る。

 「某、妻木貞徳それがし つまきさだのりと申す者」

 「・・・・・」

 「私の言葉が、分かりますか?」


 (えっ、現代語?)

 驚く俺の顔を見て、その武者はニコリと微笑む。

 「何があったのかは知りませんが、とても君が見るようなものではありませんよ」

 そう言いながら辺りを見回すと、そこには十メートル四方に渡って幾つもの人間が横たわっている。俺には直ぐにそれが、たったさっきまで公園で一緒にいた人達であると察しがついた。


 俺も辺りをゆっくりと見回す。

 右を向いた俺の二メートルほど先には、あの秀さんのバッグが落ちていた。その半分には赤黒いしみがべっとりと付いている。

 そして、その向こうに秀さんがうつぶせに倒れている。彼の背中にも黒い血の跡が・・・


 今度は左を振り返る。

 最初に白い気体の中から出ていったヤクザの男だ。黒いシャツが印象的だったが、そのシャツの先に彼の首はなかった。

 よく見ると、真っ白なはずの雪の所々に真っ赤な血の紋様がへばりついている。


 「なに、何、何、何、何だよ、これ―――――っ!」

 死への恐怖心ではない。現に俺は生きているのだ。むしろ今の現状を理解できないということへの恐ろしさが頭をもたげてくる。

 「ねえ、これ何なの? 何でみんな死んでんの?」


 目の前の武者にすがり付く。

 「私にも分かりません。ただ生きていたのは君一人だけで、他の九人は皆死んでいます」

 「九人?・・・」

 俺は立ち上がると、側にあった枯れ枝を杖代わりに辺りを探し回った。


 「先生? 平松先生・・・」

 (何でだよ・・・ 先生、戻るって言ってたじゃない)


 その平松先生はひとり、俺達より五十メートルも先にある林の中にいた。杉の木の切り株に腰掛けるような恰好で、背中を木にゆだねている。

 ただおかしな事に、あの時居合わせた仲間の内、何故か先生ひとりだけが甲冑を身に着けているのだ。


 「先生、だから動かない方が良いって・・・」

 俺は先生の身体を横たえると、胸の前で静かに手を合わせた。

 

 (斎藤君、いったいこれはどういうことなんだよ?・・・)


 当然それに答える斎藤君は、ここにはいない・・・

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