第9話 時空を越えて

 「あの-、ひとつ聞いてもいいですか?」

 俺は目の前で、遺体に手を合わせる武者に尋ねた。武者も振り返りざま口を開く。

 「ここは、何処ですか?」

 「君は何処から来たんだ?」


 それは、ほぼ同時であった。

 先にその武者が答える。

 「ここは岩村城より、東の尾根を少し下ったところで、あそこに見える水晶山の西麓せいろくあたりになる。と言っても、君には分かりそうもないな」


 「岩村城?」

 (確か岩村城って、織田信長さんが統括していた城だよなあ。城主は遠山なんとかって言ってた気がしたが・・)

 いくら俺が歴史おたくでも、そんな末端のことまでは分からない。


 「そう、たぶん君たちの時代で言うと、岐阜県の南東部あたりになるのかな」

 「岐阜県? 何で横浜に住んでいる俺が、岐阜県なんかにいるんですか?」

 聞いても無駄だということは分かっていても、今の俺にはわらをもすがる思いなのだ。

 「ほう、では君は横浜に住んでいたと言うんだね」

 「横浜を知っているんですか?」


 俺は甲冑姿と横浜とがいまいちリンクしないと思いながらも、ひとまず目の前にいるこの武者が現代を知っていると言うことに戸惑うよりも、少しの安心感を抱いた。


 「って言うより、何で妻木さんには俺がこの時代の人間じゃないって分かったんですか?」

 「そりゃあ、君や周りで死んでいる者達のかっこを見れば一目瞭然だろ」

 なるほど、俺はジーパンにTシャツ、ナイキのスニーカー姿だ。どう見ても甲冑時代とはかけ離れている。

 (そうか、と言うことは、妻木さんも向こうの世界を知っている人間というわけだ。そういえば彼の顔、どっかでみたような気が・・・)


 「さっき妻木さん、君たちの時代って言ってましたよねえ。いったい今は何時代なんですか?」

 周りの景色に目の前の甲冑男、どう判断してもとても現代であるとは思えない。俺はその答えを聞くのが少し怖かったが、それでも知らない方がなお恐ろしい。

 彼は片手で幾つか指を折ると、真剣な眼差しで俺を見詰める。


 「西暦で言うと1582年、こちらでは天正十年ということになるか」

 「天正十年って、あの信長さんが本能寺で・・・」

 言いかけたところで、急に妻木さんが俺の口に掌をかざした。

 「しっ、それ以上は絶対に誰にもしゃべるんじゃない!」

 その声に圧倒されるように、俺は思わず何度も首を縦に振る。その反応に、彼の表情は急に柔らいだ。


 「ところで、君は・・・」

 「俺の名前は、芹沢拓斗せりざわたくとと言います」

 彼は半身乗り出すようにと、顔を近付ける。


 「そうか。では芹沢君、いったい君は今より何年後から時空を越えてきたと言うんだい?」

 「時空を越えて?・・・」

 (ということは、やっぱり俺も妻木さんと同じように、過去へとタイムスリップしちゃったというわけか)

 それでも俺は、努めて冷静に答えた。


 「2020年の8月です」

 「2020年の8月?」

 今度驚いたのは彼の方である。

 彼は大きく眼を見開くや、その手で俺の肩をたぐり寄せた。心なしか、その手が小刻みに震えている。


 「で、では、その2020年の7月28日に東京で起こった、警察官の発砲事件のことを君は知っているのか?」

 (確か巡回中の警察官が殺人犯に発砲し、その後、何故かその警察官はその場から蒸発してしまったというやつだ。撃たれた殺人犯は死亡してしまって・・・)


 「知っているのか?・・・」

 もう一度言われて、俺は声にもならない声で『はい』と答えた。

 「そうか、そうか・・・」

 妻木さんの顔が見る見る崩れていく。泣いているのだろうか、目頭には汗とも涙ともとれる液体があふれんばかりである。


 (あっ、そう言えばあの警察官の顔って!・・・)

 「芹沢君、その警察官の名前を・・・」

 と、その時である。西の尾根を下ってくる数人の男達が声を掛けてきた。妻木さんは急に怪訝けげんそうな顔付きに戻ると、俺の横で片膝をつく。


 「これはこれは貞徳さだのり殿、如何されたか?」

 二人の鎧武者のひとりが妻木さんに問い掛ける。


 肌色の浅黒い中年の男である。その男は朱塗りの甲冑を着け、兜には半月の前立てをしている。

 取り立てて大柄というわけではないものの、身体の骨格そのものががっしりとして見える。

 妻木さんは、その男を見据えたまま黙っている。

 

 「行政ゆきまさ殿、貞徳殿は口萎くちなえでございまする故、ようしゃべりませぬ」

 (えっ!)

 俺は思わず、妻木さんの方を振り返った。彼は俺に目配せすると、小さく首を横に振る。

 咄嗟とっさに俺の勘が、この場でこれ以上妻木さんに触れてはいけないと感じさせた。


 「これは貞徳殿、すまなんだ」

 この行政殿と呼ばれた男、その名を藤田行政というらしい。

 明智光秀さんの重臣のひとりで、この時も武田討伐に出向く後詰めとして、今は美濃の岩村城で待機している。

 もう一人の男もやはり重臣のひとりであるらしく、こちらは全身黒塗りの甲冑を身に着けている。それだけではない。佩楯はいだて草摺くさずり、襟廻から袖に至までをすべて黒の飾り糸で結び、面具には灰白色のひげが施されている。

 顔の表情までは分からないが、眼だけはどことなく冷たい輝きを放っているようにも見える。


 男は彼らの後ろに控える二十人ほどの足軽達に指示をする。

 「早くこの者共を片付けよ!」

 その言葉に、足軽らは一言も発することなく黙々と穴を降り始めた。すきを地面に刺すごとに、その胴鎧が擦れ合う音がカタカタと鳴る。


 「この人達を、どうするんですか?」

 思わず俺はそう口にした。

 「その方は?・・・」

 黒ずくめの武者が尋ねる。

 「こういう時って、尋ねる方が先に名乗るんじゃないんですか?」

 (や、やばい。こりゃあ下手をすると斬られるかもしれないな)

 その男は面具の中の眼を細めると、俺の前で前屈みになる。


 「もっともだ。某は惟任日向守これとうひゅうがのかみ様が家臣、明智光忠あけちみつただと申す。主命により、この者達を葬るようたまわった」

 声は怖いが、面具の中の眼は笑っているようにも見える。

 「お、俺は芹沢拓斗と言います。そこで死んでいる人達の友人です・・・」

 言って、俺はもう一度ひとり一人を見回した。


 「左様か」

 男はそう言うと、遺体を運ぼうとする足軽達に一声かける。

 「よいか、くれぐれも丁重ていちょうに埋葬致せ」

 「・・・有り難うございます・・・」


 俺は一人ずつ並べられた彼らに、もう一度別れの言葉を贈った。

 「平松先生、秀さん、下地のお爺さん、田辺さん、ヤクザさん、けん玉さん、そしてたんぽぽさん、さようなら・・・ 安らかに眠って下さい・・・」

 ところが、彼らの身体に土がかけられても、何故か不思議と俺の目からは涙が流れてこないのだ。


 (これからどうしたら良いんだろう、俺は・・・)

 今の俺には、それだけしか考えられなかった。



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