03「賢いエルフの育て方」

「さて、これからどうしようかねぇ」


 マゼルは金色の髪を揺らしながら、あうあうと部屋のコンセントをいじくりまわしていた。


 なにが気に入らないのか、この子は手で掴んだものをなんでも口に入れようとする癖がある。


 がじがじっ子だ。


「バカ、なにやってんだ。そんなもんお口に入れちゃいけませんよ。今のうちからなんでもかんでも口に入れる癖がつくと、将来誰になにをされるかわかんねえからな」


 俺は「うだっ」と叫んでいやいやをするマゼルからコンセントプラグを取り上げると、届かない場所にぽーいと投げ捨てた。


 彼女は未だプラグに未練があるのか、抱っこされた状態でしきりに身体を反り返らせている。


 一体これはどういった反応なのだろうか。前世はエビなのか。抗議しているんだろうなぁ。


 部屋のなかに閉じこもってばかりでも暇だが、起きてすぐ、こんな小さな子を外に連れまわすのもなんだか気が引ける。


 俺は、なにか小さな子の気が紛れるものはないかと部屋のなかをきょろきょろと見回すが、そこは高校生野郎の部屋であり、めぼしいものはすぐ見つからなかった。


 年若いレディの好みそうなものはあまりないが、ふと、両親が四国旅行で土産に買って来た土佐犬のぬいぐるみがあったのが目についた。


 この小娘も、おしめがとれないとはいえ、立派な女児だ。こういったものを好むだろうと、適当に与えてみる。


「うだっ」

「ははは。犬だ。土佐犬だ。わんわんだぞ」


「わんわ?」


「そうだ、わんわだ。おまえにやろう。存分に弄ぶがよい」


「わんわっ!」


 案の定、マゼルは目を輝かせると犬のぬいぐるみに飛びつき夢中になった。


 土佐犬ぬいぐるみの〈とさたろうくん〉は白い化粧まわしもきらびやかに、今やひとりの幼女のよだれでべとべとにされている。すまないとも思うがそこまで愛されれば本望だろう。


 定期的にマゼルのおしめを交換したり、散らばっていた部屋を片づけたり、マゼルを構ってやったりしているうちに、お昼になった。


 うーん、おかしいな。当初の計画では両親が旅行に出かけている間に、この際日頃できないことをやって思いきり楽しもうと思ってのだが、どうもその夢は果たせそうになかった。


 さて、昼飯である。はっきりいってノープランだし、エサを作る作業も億劫だ。


 どうしようかと迷っていると、先週行ったラーメン屋の割引券が部屋の片隅に落ちているのを発見し、ほくそ笑む。


 俺は、唯一、サキュバス強盗から略奪を免れた秘密資金を机の隠し場所から抜き出すと、はたと思った。


 マゼルをどうしようと――。


 ちっちゃな子などいなかったから気にも留めなかったが、ラーメン屋に赤子を連れてゆくのはどうなんでしょうか。


 そんなことを思いながら、背後を振り返ると――。


「うわっ! 立ってる?」


 そこには俺の思いを汲み取ったかのように仁王立ちしているマゼルの姿があった。


「おいおいおい、嘘だろ? 赤ちゃんって、こんなふうにすぐ立てるようになれる生き物なのかよ」


 マゼルは、生まれたての小鹿のようにプルプルしているが、犬のぬいぐるみ〈とさたろうくん〉を傍に控えさせ堂々とした面持ちでこちらを見つめていた。


 ああ、どっから来たかはわかんないけど、こいつの両親はマゼルが立てるようになる現場に立ち会いたかっただろうなぁ。


「凄いじゃないかっ。もう立てるなんて!」

「あー、だぅ」


 マゼルは褒められているのがわかるのか、頬を朱に染めるとにこにこと笑って脚にぎゅっとしがみついてきた。


 やったな、これなら外食に出かけられるかも。


「あ、よく考えたら子供用の靴がないか。しょうがねえ、やっぱ抱っこだな」


「あう!」


 言葉の意味を理解しているのかどうかはわからないが、マゼルはにゅっと両手を突き出して抱っこの準備は万端よ、とばかりにアピールしてきた。


 よし、とりあえず出撃だ。






 家人がいないのでしっかりと戸締りを行うと、徒歩で家を出た。時間はちょうど昼の十二時を回ったところだ。


 市営のバスに乗り込んで駅前へと移動する。やはり金髪の赤ん坊を抱いているのでそれなりに視線はあったが、昨日と違って毛布でぐるぐる巻きになった不審人物がいないので注目度は格段に低かった。


 ま、短い時間ならあのサキュバスも戻ってこないだろう。


 それよりも覚醒したマゼルのはしゃぎようったらなかった。窓にぴたっと頬を張りつけ、「あー」だの「うー」だの流れる街並みや自動車の姿に感嘆の声を発し続ける。


「かわいい赤ちゃんですねー」

「あ、どもどもっ」


 部活帰りなのか結構美人さんの他校の女子生徒にも気軽に話かけられたりして、俺の頬もゆるみっぱなしだ。


 ほどなくしてバスは駅前についた。ちなみに料金や切符はマゼルが投入箱に入れたがっていたので任せたが、絶妙なコントロールで運転手さんにぶつけてしまったので、次回はない。


 さて、今回俺の胃が求めているのは三郎系らーめんインスパイア店の流れを汲む「ごっつり山森」という店だ。


「と、この昼一食で夜までもたせ、あわよくば夜飯の量も軽減しようという作戦なのだよ、マゼルくん」


「ふゆ?」


 マゼルは金色の瞳をぴかぴかさせながら指をしゃぶり、いわゆる長いエルフ耳をぴこぴこ動かしている。


 とりあえずは髪の毛が長く埋もれているのでそれほど目立たないが、なにか聞かれたりしたら「コスです」といっておけば許されるだろう。かわいいしね。


「ィラッシャイ――ッ!」

「ェラッサ――!」


 白タオルをねじり鉢巻きにした店員たちの威勢のいいかけ声に、腕のなかのマゼルがびくりと身悶えしたのがわかった。彼女の大きな瞳がショックでふるふる震えている。怯えるマゼルかわいい。


「おい、こんなことでビビッてどうする。戦いはこれからだぜ?」


「う、だう。だうっ」


 気を取り直したのかマゼルは、こんなのへいちゃらだよ、と唇に薄く笑みを浮かべて見せる。


 そうだよ、その意気だよエルフっ子。


 俺は券売機で〈特大らーめん〉を選ぶとカウンターの一番端っこの席を選んだ。ここならマゼルが万が一に粗相をしても特に問題ないだろう。ふふふ。


「あのお客さま。お子さま連れなら、まだテーブル席が空いていますのでよろしければそちらのほうに」


 込みどきのピークは過ぎたというところだろうか。


 店内をぐるっと見回してみると、それなりにチラホラ空きがあった。


 特に逆らう理由もないので店員に促されてカウンターから移動する途中、テーブル席に座っていた三人組の男女と目が合った。


「あれ、ええと藤原くん?」


 なかでもぽわぽわっとした感じのゆるふわ系女子が俺の名を呼んできた。


 栗色の長い髪に、大きな黒目がちの瞳。俺の名前を知っているというのであれば、どこかで接点があったような、ないような。


「げ、藤原だ……」


 もうひとりの女は美人ではあるが目つきが幾分鋭い――そうだ! こいつは同じクラスの白岡ちゃん。ジョークでスカートをめくったら騒ぎ立ててあわや俺を停学にまで追い込もうとした女だ。


 それとその隣で力なく微笑んでいるの優男はテニス部の部長の神崎武史。


 うむうむ、抜群の記憶力だな。

 たぶん三人とも俺のクラスメイトだ――。


「奇遇だな、おまえもサブロリアンだったのか」


 神崎が窓際の席でグラスを揺らしながら聞いた。すでに注文は終えているのか、どこか余裕気な表情だった。


「おう、実はサブロリアンだったのです。こんなところで仲よくランチかい? 神崎、白岡、それと、ええと――鈴木千和子ちゃん」


「最後のってあたしのことっ? 酷いよ藤原くんっ、ふたりの名前は覚えてるのにあたしの名前は忘れてるなんて! あたし、三ツ森ちろるだよっ」


 しまった、惜しい。


「あーあー、そうだったな。悪い、ど忘れした」


「酷いよぉ。三年になってもうひと月も経つのにぃ」


「ちろる。こいつになんか顔覚えられないほうがいいよ。ロクなことない」


 白岡が目をスッと細めて俺の顔を睨んだ。


 そう。俺が、白岡と神崎を覚えていたのは二年のときも同じクラスだったという極めて面白味のない理由だった。


 おまけに、あのスカートめくり事件は俺なりの好意表現だったのであるが、白岡には完全に嫌われゴミ扱いされている。


 そしてあの一件以来俺は同クラスの女子から蛇蝎のごとく嫌われ、結局今年もクラスの男子全員に配給される〈恵まれない子羊救済企画〉における有志からのバレンタインのチョコをひとりだけハブられるハメになった。


 ま、身から出た錆といえば錆なのだが。


「まあまあ、ひまりも三ツ森さんもそんなに熱くならないで……」


 そう、そして白岡の名前を馴れ馴れしく呼ぶこの神崎こそ、今現在白岡がつき合っているクラスカースト上位に相応しい存在であらせられるのだ。


 嫉妬のあまりハンカチの端を噛んできいいっと叫んじゃうもんね。


 と、クラス替えが終わった五月になっても俺がまだ同クラスの女子全員の名前と顔が一致しないのは、そういったわけがあった。


 だって、女子のみんな俺の顔見て喋ってくれないんだもん。俺が悪いのかよ、悪いんですね、すいませんフヒヒ。


「両手に花ですねぇ、神崎の旦那ァ。乱交パーティやるなら俺も呼んでくださいねェ」


「んなっ、ちょっ!」


 俺がわざとゲス顔でいうと神崎は焦った顔で、白岡と三ツ森を代わる代わる見た。


「……なんで、アンタはいっつもそういうことばっかいうのか、ったく」


 白岡は案外大人なんで俺のゲスジョークをさらりとかわした。


「え、え、え? らんこう? ひまりちゃん、藤原くんなんのお話してるのかなぁ」


「ちろる、こいつのいうことは基本的に気にしなくていいから。そして、今のことも即刻脳のデータから削除なさい」


「う、うん」


「でさ、どうでもいいけど藤原。その子――なに?」


 白岡は見るからに金髪金眼のマゼル姫を指差すと、うずうずと上目遣いになった。


 くっそ――! この女の唇とか胸と大事なところが神崎の野郎によっていいように蹂躙されているかと思うと、凄く……興奮します。


「そーか、聞きたいか。実はだな――」


 俺は三人に昨日会ったことを、微に入り細に入り、多少の脚色を加え、かつサキュバスさんの存在は伏せつつ喋った。


 我ながら、実にまとまった話だったと思うが、聞き終わると白岡は「真面目に話す気ないのね」といって温度を感じさせない冷たい目をした。酷いの。


「ははは、藤原って、かなりオタ入ってるね」


 神崎は俺のいうことがすべてジョークだと思って大人ぶって流した。


 馬鹿が。

 決まり切った常識しか信じられない凡夫風情が。


 唯一俺の話に興味を示したのは三ツ森だけだった。


 彼女は、半ばうっとりしながら俺の与太話につき合って、運び込まれたらーめんすら目に入らない様子である。


「それで? 藤原くん、その続きは?」


「あのさ、三ツ森。話をしっかり聞いてくれるのはうれしいんだけど、らーめん冷めちゃうぜ」


「あ、そだった。って、でかっ!」


 三ツ森は目の前に山と積まれた「ごっつり山森」自慢の逸品に茫然としている。


 あたりまえだ。俺でも初見時は絶望したわ。


 白岡も目の前に置かれた尋常ではないらーめんの量に心を折られかけている。


 一方、ヘビーユーザーである神崎は余裕を崩さぬ表情で半ば鼻歌まじりに割りばしを割っていた。


 変態だ。


「うーっ、うーっ!」


「姫よ、しばし待たれい。そのうち、われらのところにもあの化け物は来るでな」


 隣のテーブルに積まれたどデカらーめんを目にしたマゼルが、ぱしぱし俺の胸を打ちながら興奮で顔を真っ赤にしていた。


「んじゃあ、食うぞ」


 ものを食べるときには色々考えてはいけない。味に集中できなくなるからだ。


 俺は、そびえ立つ大山を崩すようにして、らーめんという試練に立ち向かった。


 時間はかけない。かけている暇はない。麺がスープを吸って無限に膨張してしまうからだ。


 時折、マゼルの助けを借りて、化け物に挑み続けた。順調に完食。


 隣を見ると、なんとか食い切れたのか、死屍累々。あまり目にはしたくない光景が広がっていたので、そっと席を立った。






 凶暴な量を胃の腑に収めたのだ。なので、少しばかり動きが鈍くなっても致し方ない。


 腕のなかでは、満腹になったマゼルがうとうとしながら船を漕いでいた。


 店から出て、脂とニンニクと濃いスープのまじったげっぷをしたところで、


「藤原くんっ」


 と、店から俺を追って来たのか、三ツ森の姿が見えた。


「なんだ、あれだけの量を食ってよく走れるな」


「う、うんっ。凄い量だったね、あのらーめん。でも残すともったいないから、もったないパワーで食べちゃいました」


 三ツ森はそういうと照れたように笑った。どこか、人懐っこい仔犬のような印象がある。


 うむ。今日、これだけ話せば月曜教室で会っても、個人として認識できるぞ。


「心配しなくても大丈夫だぞ、三ツ森」

「……?」


「おまえの顔と名前、ちゃんと覚えたからな。来週からクラスメイトAからは卒業だ」


「あたしってばそんなふうに呼ばれてたんだっ」


「ちなみに、ほかの連中は、B~Zまでいる。よかったな、卒業できて」


「ちっともうれしくないっ? じゃなくて、あのねあのね。えへへ」


「なんだよ、金ならあんまないぞ。昨晩盗賊奪われたんだ」


「すっごく大変な状況なんだっ?。その、困ってるなら幾らか貸すよ? あまりはないけど」


 三ツ森は俺の話をまるっと呑み込むと、脊髄反射で財布を取り出しはじめる。


「いや、まだ少しは蓄えがあるから大丈夫だよ」


「そお? でも、ホントに困ったら連絡してね。あ、ロインやってる? 交換しよ」


「お、おう」


 彼女は躊躇なくスマホのSNSアプリのロインを表示させ、連絡番号を交換する体勢に入った。


 ちょっと。俺のような怪しいやつにホイホイ教えていいんですかねぇ。


「これって、バーコード読み込むの難しいねぇ」

「そだな」


 三ツ森はちまちました動きで俺の表示した、識別コードを読み込もうと四苦八苦している。


 カメラと四角の部分が上手く合わせられないのだ。


「えいっえいっ」

「貸してよ、俺がやるから」

「え、あはは。ありがとー。ごめんね」


 ちぇ。男にホイホイとロイン番号教えやがって。どうせウザくなったらすぐにブロックすりゃいいと思ってるんだろうが、そういう行動は男心をいたく傷つけるので控えてねっ。


 俺はマゼルを両肘で上手く支えると、ふたつのスマホを操って即座に読み込みを完了させた。


 匠の技だな、こりゃ。


「で、さっきいいかけてた本題はなんだ?」


「あのねっ、マゼル姫を――抱っこさせて欲しいんだよ」


「ああ、これ?」


 俺は腕のなかにいたマゼルをちらと見た。いつの間にか目覚めて、どうやら少しばかり身をこわばらせている。生意気にもこやつめは緊張しているのだ。


「マゼル、こいつがおまえのこと抱きたいってよ。いいか?」


「お姫さま相手になんか口調が偉そうだっ」


 マゼルはしばし三ツ森のにこやかな顔を凝視していたが、なぜか恥ずかしくなったのか、急に俺の胸のなかに顔を埋めふるるっと震え出した。風に吹かれた寒天みたいなやつだ。


「三ツ森、姫は少々お恥ずかしがりのご様子。そなたから歩み寄りなされい」


「姫ぇ、おねえさんだよー。怖くないようー。ふかふかだよう」


 そうやって呼びかけがしばし続くと、かすかに警戒を解いたのかマゼルはそっと顔をずらして三ツ森が危険な人物ではないかと窺いはじめた。


「姫、この者、我らに害を及ぼすものではないかと。いかがか?」


 とうとうにこくりとうなずいたマゼルを、そっと三ツ森に渡した。


「わ、わ、わ。赤ちゃんだぁ。ふかふかだぁ、かわいいなぁ」 


 三ツ森に抱かれたマゼルはやがて徐々にリラックスすると、頬を胸へとこすりつけはじめた。


 このゆるふわ女子高生のお胸はかなり放漫な部類に入るだろう。


 あのネグレクトサキュバスに比べても遜色のないものである。


 そういった意味ではマゼルにとって心地のよい揺り籠であるといえた。


「ねえねえ、藤原くん。今度藤原くんちに行ってもいいかな。あたし、マゼルちゃんと遊びたいよう」


「まあ、そんな機会があればな。構わないぞ」


「うん、ホントはこれから行ければよかったんだけど、これからいまりちゃんたちとお約束してるからー」


 三ツ森は名残惜し気な風情で、手を振りながら店に戻っていった。


 というか、神崎はともかく食い過ぎで沈没していた白岡は大丈夫なのだろうか――。


 ちょっと心配だったが、それはもう彼氏である神崎の考えるところであろう。


 俺は、一抹の寂しさに深くうつむき、そして重たいげっぷをした。


 ああ、こりゃただの食い過ぎだな。






 帰り道、子供服の〈石松屋〉に寄って、ウエアや肌着、それに靴下、靴などを購入した。


 これでまた、金は結構いってしまいちょっと苦しくなった。


「これで、よしと」


 やはり少しばかりエルフ耳が目立つので、ワンポイントくまさんマークの入ったベビー帽子をマゼルにかぶせてあげた。


 あはは、かわいいかわいい。


 本人が少し歩きたそうにしていたので、靴を履かせて手を引いてあげる。


 マゼルは俺の顔をにっと見上げると、ちょこまかと拙い足取りだがひとりで歩きはじめた。


「おおっ。上手いぞ、その調子だ。そろそろ一人前かな」


「わちゃし、いちにまえ」


 ――は?


 いやいやいや、喋っ、だ? 嘘だろ!


「おい、ちょっ。おまっ、マゼルっ。おまえ、喋れ――喋れるんか?」


「わちゃし、しゃべれうよ」


 こいつだけは本当に、ビックリした。なにせ、つい一時間前にはほえほえいっていたやつが、かなり流暢に言葉を使い出したからだ。単語ではなく、確実に文節を理解し使用している。


 これが、エルフのすぐれた知能なのか。


 まあ、俺としては意思の疎通ができるだけ手間が省けてよかったような気がしたが、なにかもの凄く成長スピードが速すぎるような気もしないではない。


「そっか、マゼル。おまえも、俺が知らん間に大人になっちゃったんだなぁ」


「おとにゃらよっ。まぜる、おとにゃっ!」


 俺は面白がってドンドンマゼルに話しかけた。


 周囲からは、ちょっと仲のよすぎる若い父親と娘に見えたのだろうか、特に誰からも不審がられることはなかった。


「とーた、あれ、にゃに?」


 マゼルが俺のことを藤太とフレンドリーに呼ぶのはいいが、とーたがとーたんに聞こえちょっと本当の親父みたいで一気に年を取った気になるな。


 マゼルが指さした先には小さな公園があった。


 今どきは、公園内においてもボール投げやあらゆる遊戯が禁止されており、場所によっては家なき子たちに占拠されていたりするので、公園自体存在する意義をすでに失っているのかと俺は常々考察していた。


「あれは、公園だ。おまえみたいなちびっ子が最後にたどり着くアルカディアだ」


「ありゅかでぃあ……いくっ!」


 マゼルはむふーっと鼻息も荒く両手を天に突き出し吠えていた。ほほ、元気な子ね。


「仕方ない、許可する。ちゃんと手をつなごうな」

「ちゅなぐっ」


 公園に入ると意外や意外、思った以上に人口密度は高かった。ふとベンチを見ると、未だ二十代と思しきヤンママ数人――それも二目と見れないドブスじゃない――が、わりとセクシーな服装できゃっきゃっと駄弁っていた。


 中央部にはちゃんと砂場があるが、近頃では犬猫から媒介する病原体を意識してママさんたちも子供を近づけさせてはいないようだ。


 数人ほどの幼稚園児が小さなピクニックシートを敷いておままごとをしているようだった。


 そのへんはいにしえより変わらないのね。


 子供たちは早速入ってきたマゼルを見ると強烈に意識してこちらの様子を窺っている。


 マゼルはマゼルで自分と近しい年齢の女児を見たのははじめてなのだろうか、酷くまごついておどおどしていた。


「ほら、お姉ちゃんたちと遊んできてもらいなよ」

「うゆぅ……」


 最初はもじもじしていたマゼルであったが、やがて勇気を出して子供たちの輪のなかに入っていった。


「きんぱつだー」

「かわいいっ」


「かわいいねー。どこの子かな?」

「おなまえは?」


「うゆ、わちゃち、まぜる」

「マゼルちゃんあそぼー」


 思い切って飛び込んでいけばなにごとも不可能なことはない。


 俺は目を細めて彼女たちがおままごとをするのをそっと見つめると、俺のことを興味深そうに見ているマダムたちに近づき声をかけた。


「いやぁ、子供は元気なのが一番ですねぇ。私、藤原といいます。みなさん、このあたりの女子大生さんですか?」


「え、そんなわけなじゃないですかぁー」

「やだやだぁ」


 俺は自分でも歯が浮くような追従を並べ立ててマダムたちの機嫌を取り繕った。


 け、実際近くで見ると案外年がいってるじゃねえか、とはおくびにも出さない。


 マダムたちは若い男に飢えていたのか、いきなり出現した新米パパさん(十八)に対して過剰なまでに食いついてきた。


 しかし、この無防備な胸元といい、最近は経産婦といえどなかなか侮れませんなぁ。


 そうこう駄弁っているうちに、日差しが妙に暑いので、マダムたちに自販機で飲み物を一杯ずつ奢った。


 彼女たちは、たいして飲みたくないであろう清涼飲料水を片手に俺に対する好感度はうなぎ登りである。


 奢ってもらった値段の多寡や物自体がなんであるかが重要なのではない。男に奢らせた、ということが重要なのだ。


 人生とは錯覚とその場の流れで堅牢に構築されている。


 彼女たちはクラスメイトと違ってお嬢さまでもなんでもないので、それほどこちらも気を使う必要性もない。


「あら藤原さん、そうだったんですかー」


「いえいえ、朝起きたら女房のやつがマゼルを置いてぷいっとどこかに行っちまったんで」


「よくない奥さんねー。こんないい旦那さん放っておいて出ていっちゃうなんてぇ。あたしなら、朝からでも……」


 なんというかゾクッとするような流し目で肩に手を置き、今にもしなだれかからんばかりの奥さまがひとり。


 さすがのあからさまな攻勢に俺も若干引き気味になった。そのとき、


「ひゃっ!」

「なんだっ?」


 ひゅん、とばかりに小っちゃな石ころ、それこそ小指ほどの大きさにも満たないものが砂場のほうから放られてきた。


「マゼル――?」


 なにを癇癪を起しているのかマゼルは真っ赤な顔をして俺の傍にいたセクシーマダムに対し、これでもかとばかりに投擲を続けている。嫉妬ですな。俺もよくなるのでわかる。


 しかし、この公園自体かなり徹底的に整地がされているので、マゼルも思うような大きさの弾を見つけることができず、仕舞いにはその場で地団太を踏んで腕をくるくる車輪のように回しはじめた。


「マゼルッ! やめるんだっ!」


 腹の底から声をほとばしらせた。近くのマダムがビクッと震えるほどの声量だ。


 俺はマゼルが動きを止めるのを見計らって走り出すと無理やりに抱き上げ、ベンチにまで連れてゆき、頭を下げさせた。


「すみませんでしたっ! うちのマゼルが、ほらっ。謝るんだっ!」


「うーっ、うーっ!」


 なにが気に入らないのかマゼルはぎっと歯を噛みしめてその場に立ち尽くしている。


 こいつ、意外と頑固な性格だなッ。


「ま、まあ、お父さんもそんなに怒らないであげてくださいな。所詮、子供のすることじゃないですか……」


「そんなに叱らないで。かわいそうですよ」


 俺のあまりの剣幕に、とうとう被害者であるマダムたちから擁護の声が上がった。


 だが、それはよくない。どう考えても理由もなしに石を放るなど危険極まりないからだ。


「いや、ここはしっかり叱っておかないとダメなんですっ。今、マゼルを叱っておかないと、この子は大きくなったとき、していいこととしてはいけないことの区別のつかない大人になってしまう……! 少なくとも俺は、こいつに対してそんないい加減に向き合うってことはできないんですっ」


 俺は膝を折って地面につけると、マゼルの目を真っ直ぐ見た。彼女の金色の目は怒りと悲しみと反抗心がないまぜになった複雑な色合いになっていた。


「どうして石なんて投げたのっ。ほら、おばさ――お姉さんたちにごめんなさいはっ」


「うーっ、うーっ。れも……」


「でもじゃないっ。もし石が目に入ったらとんでもないことになってたんだぞ! 石を人に投げるのはいけないことですっ。マゼルは、今自分が悪いことしたってわかってるのか!」


「りゃ、りゃって……」


「わかるよな、自分がなにをしたか。悪いことしたら、ごめんなさい、だよ。ほら、俺も一緒に謝るから。おまえの罪は、俺の罪だ――な。ごめんなさいでしたっ!」


 深く、公園マダムたちに向かって頭を下げると、とうとうマゼルも得心したのか

 、

「ご、ごめんしゃい……」


 金色の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙を流して謝罪の言葉を口にした。俺は、みゃあみゃあ泣くマゼルを強く抱きしめて頭をずっと撫で続けた。


「とーた」

「なんだ?」


「ごめんしゃい。れも……まじぇるのこときりゃわないで」


「ばか、ずっとずっと大好きだよ、マゼル」


 俺はマゼルの額にちゅっとキスをした。マゼルはふにゃらと笑ってぎゅうぎゅう鼻先を首筋に押しつけてくる。


「まじぇるもとーたのこと、だいすき」


 この子は、きちんと話せば理解できる賢くてやさしい子だ。


 まったく、自分のガキでもないのに、なんで俺はここまでムキになっているんだろうかな。


 泣き疲れたマゼルを抱っこしたまま帰宅した。


 赤ん坊の常なのか、とにかく彼女は体温が高い。


 こうしているだけでも身体がポッポしてカイロ代わりだぜ。


 自室に戻るとすでに夕方近くになっていた。土曜日の過ごしかたとしてはそれほど悪くもなかったような気がする。


 一応、女子との触れ合いもあったしな。


 この数時間忙しくて確認していなかったが、何件かロインにメールの着信があったらしい。


 俺は既読無視を恐れる男なので、たとえ野郎からでもきちんとお返事はするタイプだ。


 どうでもいいのはスタンプ一択だけど。


 けどトークの部分が自分を無視して百超えていると途端に怯えを感じる仕様。


「おや?」


 見れば新規メールで三ツ森からのものがあった。開くと、


『こんばんは、藤原くん。今日はすっごい偶然だったね。けど、今まで話せなかったからこれから仲よくなれるとうれしいかなって思いました。明日とか、実は暇なんで遊びに行っていいですか? マゼルちゃんを抱っこしたいよう』


 とあった。


 おおっと、ここで予期せぬ女子からのお誘いの言葉だ。


 断然、テンションも上がるって寸法じゃねぇか! よう!


「弱っちまったな、モテモテだよ、俺。なぁマゼル――」


 と、そこまでいいかけてマゼルの真っ赤な顔に気づいた。


 すぐさま額に手を当てると火のように火照っている。


 俺は数瞬だけ硬直すると、すぐさま今の時間帯でやっている近場の小児科をスマホの検索で探し出した。


 

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