第20話 マルディグラ
頭が痛い。
この頃、頻繁に僕は頭痛を起こす。
「頭が割れる」なんて表現があるが、そこまでではないものの、つらい事は確かだった。しかし、痛みが続くというのは気分のいいものではない。そして、その頭痛がある日には限って嫌な夢を見る。あまりの痛みに数日おきに市販の薬に頼ることもあった。医者に診てもらうべきか? 悩むところではあったが、みんなに心配をさせたくないから、僕はずっと我慢をしていた。
*****
此処に来て、初めて遊びに行く。
……というより、せがまれた。と、言えばお分かりいただけるかと思う。
たまの休日だというのに。嫌ってくらいに朝早くに起こされる。ニアはとても楽しそうに鼻歌を唄い、朝メシにアーモンドパイを焼いて、オイルサーディンサンドイッチやホットドッグまで作っている。仕方ないと思うしかないのか? 逃げる事は無理なのか? 観念しろと言わんばかりの雨上がりの朝露みたいな笑顔は「逃がさない」と俺の腕をがっしりと拘束する。無駄にキラキラしやがって。
さようなら、今日の俺。
「お得意様から本日から開催されます、移動型の遊園地の優待券をいただきました。ニア様、4枚もございますよ。みなさまで楽しまれてはいかがでしょうか?」
封筒に入ったチケットをニアの前に差し出し、ウチの詐欺師天使は嗤う。
……俺が何も知らないとでも思うなよ? シモンを守りたいのは俺だけじゃないって事だな? よく分かったよ。まあ、少しでも味方が出来るなら俺は文句も、口も出さない。
「まさか…… その 「みなさま」 に、俺は含まれていないよな?」
ぼやっとした寝起きの俺は耳を疑う。
「ニール! 四枚だよ? カズ数えらんないの? 先ずはボクでしょ! 次にウィリアムさんでしょ! シモンちゃんに、アンタでしょ?」
ニアは指を折り、数をそれは嬉しそうにかぞえていった。
「私は行きませんよ?」
ウィリアムは本を片手に、淹れたての珈琲をゆっくりと飲む。
「えー! どうしてえええ! ウィリアムさん! どうしてえええええ!」
その場で大袈裟に一度だけ跳ね上がると、相当な衝撃を心に受けたのか、絶望感を顔で表現すら出来なくなっていた。ニアは首をかくんと落として項垂れた。
「大事な仕事が沢山入っています。みなさんとご一緒出来なくて申し訳ない気持ちでいっぱいですが、 ニア許してください……」
「うーん…… 今日がダメなら…… じゃー、明日は? ウィリアムさん、じゃー、明日!」
両手でチケットをふり回し駄々をこねたが、そんなニアにウィリアムはゆっくり首を横に振る。
「美味しい物もたくさんあるってチケットに書いてあるよ! ねえ! ウィリアムさん、どうしても…… ダメ?」
しょんぼりするや否や、俺を見るニアの顔は何かを頼みたそうだった。だが、俺も首を静かに横に振る。
「あんまり無茶ばかり言うなよ。 仕事ってそういうもんだろ? ニア、言っとくけどな、俺をそんなで目で見ても無駄だぞ? 俺に頼んだって同じ答えだ! これだけはどうにもならねえよ……」
ニアは今にも零れ落ちそうな涙を大きな瞳にためて、俺を見る。そこでウィリアムが提案を一つ上げる。
「では、私の変わりに彼を連れて行っては如何ですか?」
そう提案をしたウィリアムはガブリエルを見て微笑む。
「え? ……ワタクシに休みなんて! 此処に居て、皆様のお傍に居られるだけで、皆様の御世話を出来る事が私の幸せでございます。ですから……」
「はっ! ガブりん! そうだよ! たまにはいいじゃない! そうしよう!」
「ですが……」
「いいでしょ! それともボク達とお出掛けは嫌?」
「俺はイヤだ……」
「……ニール」
「お言葉に甘えてみてはいかがですか? 悪い話じゃないと私は思いますよ?」
この期に及んで嫌がるニールに呆れるシモン。ガブリエルにシモンはやわらかな笑顔を向け言葉をかけた。
「ウィリアム様……」
ガブリエルは不安な気持ちをあからさまに顔に出し、困った声を上げウィリアムを見る。
「ニア、ガブりんってオマエ…… そのネーミングセンスなんとかしろよ。ガブリエル? オッサンの命令は絶対だろ? なあ?」
「……命令ですか?」
「ニール…… 言葉をもう少し選んで……」
「そうだよ? ウィリアムさんはキミに可愛い可愛いボクのお供をしろって言っているのだよ!」
腰に手を添え、偉そうな素振りを加えてから満面の笑みをこぼすニアはワクワクが止まらない。ということを全身で表現する。
小さく諦めた溜息を吐いたガブリエルは渋々承諾する。
「……まさか、ガブりん、その堅苦しいスーツで行くつもりじゃないよね?」
自らの鏡に映った姿を見て「おかしいでしょうか?」と、ガブリエルはスーツを見下ろし、首を傾げた。
「その服装がおかしいとかではないのですが、遊園地にそれはあってないっていうかなんというか……」
シモンが眉尻を下げ、困った笑顔でガブリエルを見た。
「……と言っても、ワタクシにはこの様なスーツしかございませんし。これが普段着ですから……」
「うん! じゃあ〜 ……遊園地に行く前に服も買ってから行こう! そうしよう!」
「服か! それなら俺も一緒に行ってやってもいいぞ! 服は是非とも見に行きたい!」
「「服は」って言葉にひっかかるけど…… まあいいや。でも、めずらしい事もあるもんだね〜 ……いいよ! じゃあ、ニールも一緒に行こう! ただし…… シモンちゃんには決定権ないからね! お供決定エエエ~!」
ニアは僕の顔を覗き込むと舌なめずりをする。そして悪戯に笑った。
「ニア…… なんだか僕だけ扱い方が違うんじゃない? 酷くない? ……ねえ?」
呆れた声は風に流れて消える。シモンは観念した顔で朝買ってきたまだ暖かなパンを口に頬張り、珈琲で胃に流し込む。どうもあの事件から僕へのニアの対応が悪い気がした。順位付けされているような、だけど友達のような、そんな感じもする。不思議と悪い気持ちじゃなかった。
街に出て様々な服屋を巡り、好みの物を選び、準備は着々と進む。
「ねえ! この靴ものすごく良くない? ボクはね? すごくカワイイと思うの!」
エメラルドグリーンの編み上げブーツを見つけてニアはその場で小躍りをする。軍物コートのフードを深く被り、伊達眼鏡をかけたニアが俺を見て両手にブーツを持ち、子猫の様に喉を鳴らして擦り寄る。
「また高額なモノをオマエは…… 今の俺にそんな金ねえぞ!」
「誰もニールに買ってもらおうなんて思ってないやい! それに、そっちのダサい細身のジャケットよりイイじゃん! 英国かぶれのモッズジャケットって…… まあ、似合ってない訳じゃないけどさ……」
「……オマエは素直に褒めるってことを知らないのか! なおさら、それは買ってやらねえ!」
「もともと、ボクのために買う気もないクセに!」
二人は困惑するショップ店員をよそ目に、小競り合いを始める。ガブリエルが苦笑いで店員に頭を下げ。そんな光景に何故か僕は嬉しくなった。いつからだろう? こんな普通の生活を忘れていたような気がする。
夕方の花火が上がると、遊園地の始まりの合図だ。鮮やかなネオン管が人々をいざなう。妖艶な毒々しい紫とオレンジのランプはまるでハロウィンの飾りみたいだった。各々の被り物の親子連れ、陽気な仮装のカップルと、皆一斉に入口へと歩いていく。
カラフルな色とりどりの観覧車が廻る。レインボーカラーの甘い香りを放つ、ふわふわのコットンキャンディー。白雪姫の真っ赤な唇を連想させる、林檎を丸々使ったグレイズドアップル。シナモンポップコーンに特大のホットドッグ。
目まぐるしく輝く光が僕を昔へと引っ張っていく。移動型の遊園地は子供の頃に何度か連れて行ってもらった記憶がある。大きな手。それからタバコの匂い。懐かしい記憶。
スリンキーを器用に伸ばしたり戻りたりを繰り返しては、ニアは、子供のようにはしゃぐ。ニールは「嫌だ」と、いう割りに楽しげな表情をして笑う。ウィリアムさんが居ないのは残念だったけど、今日は此処に無理矢理つれて来られた執事のガブリエルが、いつものスーツではなくスタイリッシュな黒のジャケットにVネックのTシャツに清潔感のある白い細身のパンツで本来の青年という感じがした。心做しか、すれ違う女性たちの視線がガブリエルを見ている気がしてならなかった。そして、僕らは彼らの後をゆっくりと歩く。ニアの後ろを丁寧に歩幅を合わせるガブリエルに僕は声をかけた。
「こんな時までみんなに気を使うんですね…… こういうの苦手なんですか?」
「いえ、どうすればいいのか戸惑っています。このようにここで同じように過ごせる事に……」
「真面目なんですね…… たまには羽根休めも必要で大事ですよ。ガブリエルさん」
僕の言葉に、ほんの一瞬だが目を大きくしたガブリエルは、すぐに表情を元に戻すと、いつもの優しい物腰の落ち着いた声を出す。
「羽根休め…… そう、ですね…… ありがとうございます、シモン様」
僕らの先を歩いていたニアとニールは、人だかりで足を止める。
数人の道化師が踊り、ヴァイオリンをひき、アコーディオンを奏で、フルートを吹く。生演奏が皆を魅了させ、盛大な手品や大道芸が更に魅力ある空間を創っていた。不思議な大道芸に目を輝かせた子供達。キャンディとキラキラの星の散りばめた封筒を渡しては満面の笑みで華麗に踊り回る。道化は丁寧にお辞儀をしてから、ニアには虹色のユニコーンが描かれた封筒を手渡した。ニアは急いで封筒を開け中身を取り出す。カラフルな星の便箋、オルゴールのメロディーの流れる仕組みに、ニアの心は踊る。となりのニールがそれを覗き込み笑顔でニアの頭を撫でる。
【 ***気狂い道化のコルトレーン*** 貴方を誘う素晴らしい世界へ。さあ、みんなさまと素敵な時間を】
「道化のコルトレーン……」
そう書かれた便箋を持つ手はダラリと垂れ下がり、ニアは封筒を落とす。そして、その名を口にして目は一点を見つめたまま、目の色は赤黒い濁りを奥底から滲み出し、押し黙ってしまった。
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