カットしたシーン

 中世ヨーロッパ風異世界“ではない”世界をどう伝えるか試行錯誤。

 で、一度書いた町の説明を、長すぎるかなと思って、ばっさりカット。

 消してしまうのももったいないのでこちらに移動させました。

 本編だったころのサブタイトルは『第1話「会いたい」』でした。


 以下、小説。



   ☆ ☆ ☆



 ナイル川の流れが遠い南の地から運んでくる泥を、四角い木枠にギュッと詰めて固めて乾かして作る、日干しレンガ。

 その日干しレンガで造られた小さな民家は、日干しレンガそのもののように白っぽい茶色で、四角くて飾り気がないが、それでもそれらが見渡す限りにズラリと並んでエジプト王国の首都たる大都市テーベを構成する光景は壮観である。

 町があり、農地があり、無限とも思える砂漠が広がる。

 家々の連なりの一番端っこ、それも隣家からわざとらしく距離を取ってたたずむ一軒家の戸口。

 日除けの布をくぐって出てきたカルブは、朝日のあまりの眩しさに、少年とも青年ともつかない寝ぼけた顔をしかめた。

 今日これから向かう先への緊張で、昨夜はほとんど眠れなかった。


 立ち話をしていた中年女性の集団が、チラリとカルブの方を見て、すぐに顔を背けてクスクスと笑った。

「……今の時期に笑い声なんて……」

 カルブは口の中でモゴモゴとつぶやいたが、自分の声が小さすぎて相手に聞こえていないと気づいて途中でやめた。

(不謹慎な奴らだ)

 声に出さずに胸中でごちる。

(王様が亡くなったばっかりで国中が喪に服しているっていうのに)

 イイ子ぶりつつ結局は自分がバカにされた八つ当たりで小石を蹴飛ばす。

(こんな町外れに住んでるような庶民には関係のない話か)

 しかしこの話は、近所中で少なくともカルブにだけは無縁ではなかった。


 砂粒を巻き上げたカラカラに乾いた風が、カルブの素肌をたたきつける。

 カルブはおばさん集団の前を足早に通り過ぎて町に入った。

 道行く人々とすれ違う。

 灼熱の太陽の照りつけるこの国では、老いも若きも男の衣服は基本的には腰布一枚。

 女は筒状のワンピース一丁で、アクセサリーで差をつける。

 先ほどのおばさんも組紐の髪飾りやビーズのネックレスを身につけていたし、男でも金に余裕のある者は自分の姿を貴金属等で派手に飾る。

 カルブは決して貧しくはないし、首都テーベにおいては中の上ぐらいだろうと自分で考えているが、それでもカルブはお守りをいくつか着けている他には飾り気のない格好をしていた。

 カルブの仕事は体が汚れるものだからだ。


 船着場に近づけば、風に湿り気が混じり始める。

 船頭にチケットとなる金属片を渡してナイル川を渡る。

 小船を降りた先には、東岸の賑やかな町並みや豊かな農地とは打って変わって、岩だらけの殺風景な景色が広がる。

 聖なるナイル川をはさんで、日の出の東岸は生ある人々が暮らす町。

 日の没する西岸は、死者の家である墓や、葬式専用の神殿などが集う場所である。

 エジプト王国は果てしなく広大な国土を持ちながらも、そのほとんどが砂に覆われ、人が住める場所は限られている。

 水を求めて人々はわずかな土地に集まり固まらざるを得ず、故に町ができ、故に秩序が求められ、故に王が生まれた。

 秩序が揺るがぬように、王も揺らぐことなかれ。

 もしこの土地が実りに溢れたジャングルならば、木の実を取って暮らせるならば、文明なんか必要なかった。


 死者の岸辺の一角に、生きる者の住む集落がある。

 岩盤を削って墓所を作る作業員や、墓所に壁画を描く職人のための宿舎が集う場所である。

 その宿舎の入り口で、若い職人が親方の雷を食らっている。

 どうやら自分のギルドが王様ファラオの墓所の壁画を任されたのを、他のギルドの職人に自慢してしまったのらしい。

 神殿ではつい先日、神官同士の争いの果てにファラオの葬儀を巡る大役から外された神官が、役目を勝ち取った神官を貶めるために、神殿に安置されていたファラオの遺体を傷つけようとするといった事件が起きた。

 神官の後ろには政治家や貴族が居り、その争いは激しく複雑で、墓造りにだってどんな妨害があるかわからない。

「大丈夫ッスよ! 悪いヤツをファラオのお墓に近づけたりなんかしないッスよ!」

「バカモン! 職人自身が襲われる危険だってあるじゃろうが! そもそもそんな嬉しそうに言いふらすなんて無作法じゃぞ!」

 カルブは自分には関係がないみたいな顔をしながら、内心ではドキドキしながらその横を通り抜けた。


 大きなギルドの大きな宿舎の前から離れ、町と隔てられたこの集落においてさえ孤立している自分の宿舎に、数日分の着替えと食料の入った袋を放り込む。

 作業に区切りがつくまではここに一人で寝泊りをする。

 もう一つ持ってきた袋を持ちやすいように担ぎ直す。

 こちらの中身は仕事で使う器具である。

 集落を出て山の方へと結構歩くと、谷の隅にカルブが働く工房が見えてくる。

 こんな物寂しい場所で、何もやましいことをしようとしているわけではない。

 むしろ尊ばれるべき仕事だ。

 それでも人はカルブを見ると鼻を摘まむ。

 文字通りの鼻摘まみ者として扱われてしまう理由は、仕事で使う薬品のニオイが体に滲みついているから。

 工房の周りには、ハーブやスパイス……といえば聞こえは良いが、単品でもニオイのきつい葉っぱや木の実をつぶして混ぜて煮詰めて作った強烈な虫除けのニオイが漂っていて、遠くからでもそれとわかる。

 工房で待つ存在をウジに食わせるわけにはいかない。

 それに加えて工房で待つ存在自体が放つニオイも強烈なのだが、だからといってニオイの主に非礼な態度を取るようでは、カルブの仕事は勤まらない。

 そしてそこにさらに強力な防腐剤のニオイが加わる。

 自宅近くでおばさん達に笑われたのもこれが理由だ。


 岩陰に隠れるように建てられた工房には、高価な器具や企業秘密の薬品が置かれているため、普段から見張りをつけている。

 しかしその見張りは少し前から、馴染みの地元の業者から、宮仕えの立派な兵士に交代していた。

 アスワドさんとアブヤドさん。

 どっちがどっちだったか忘れてしまったが、カルブは当たりさわりのないあいさつをして工房に入った。

 二人が不機嫌そうな顔なのは、若くして死んだ者への悲しみか、工房から漏れ出るニオイのためか。

 工房の中では棚の上に壷が並び、作業場全体を見守る位置には、死者を守護するアヌビス神の等身大の像が飾られている。

 部屋の中央の机に乗せられた生乾きの遺体を、完全に乾燥させて防腐処置をして包帯でラッピングするのがカルブの仕事。

 神官の下請けであり、葬儀屋の一部門。

 彼はミイラ職人なのだ。

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