ひまわりが姿を変えるとき

第1話

 長い夏期休暇に突入すると、わたしは独り暮らしをしている北陸から、たっぷり時間をかけて故郷である田舎町へ帰る。あまりに仕事が忙しいと帰るのが正直難しい時もあるのだが、八月までには絶対に戻らなければならないと決めていた。

 八月の頭には、毎年親戚みんなで母の実家へ集まるのが決まりとなっている。何故ならその時期には、母の生まれ育った小さな町で、花火大会があるからだ。

 その日は夜になると、みんな浴衣に着替えて外出し、夜風に当たりながら空に舞う大きな花火を眺める。

 十年ほど前にわたしの母が突然いなくなったことを除けば、その流れは小さい頃から何一つ変わらない。

 だから今年も、当然そうなるはずだった。花火大会は今年も予定通りに行われるようだし、わたしもこうしてちゃんと帰って来ることができた。

 ただ……その年は一つだけ、いつもと違う出来事があった。


    ◆◆◆


 その日、いつも多忙な父から今日も今日とて「夜まで仕事を抜けられそうにない」と連絡を受けたわたしは、兄のさとると一足先に母の実家へ向かった。

「「こんにちはー」」

 勝手知ったる昔ながらの引き戸をガラガラと開けると、まずはニコニコ笑顔の祖母に出迎えられる。料理中だったらしく、右手には菜箸を持っていた。

「いらっしゃい、二人とも。お父さんは仕事か?」

「うん、いつもの通り仕事が忙しいみたいで……花火が始まる時間までには来れるようにするって言ってたけど」

「そうか……お母さんが亡くなってから、あんたたちのところも何かと大変だね」

「だけど今は僕や凛も社会人になって、働いてるからね。母さんが亡くなってすぐの頃よりは、ずっとましだよ」

「それならいいんだけど……」

 そんな兄と祖母の会話を、わたしは複雑な思いで聞いていた。

 昔から、父と共に我が家の稼ぎ頭であった母。その母がいなくなった今の家計を、わたしは少しぐらい支えられているのかな。少しは、助けになれているかな。

 中学の頃に母が病気で亡くなり――兄は、高校を卒業してすぐ就職した。まるで、母がいなくなったことで空いた穴を全力で埋めようとするかのように。

 わたしは、兄をはじめとした家族の勧めで北陸の大学に行き、そしてそのまま就職した。給料は決して多くないけれど、それでも毎月実家に仕送りするようにしている。『そんなことしなくていいのに』と家族は言うけど……でもやっぱり、家族のために何かしなくちゃと思うのは事実で。

 今のわたしには、それぐらいしかできない。他に何かできることがあるのか、わからない。

 それはとても、もどかしいことで……。

 ……そんなわたしの考えを察したかのように、祖母は再び笑顔になると、持っていた菜箸を軽く振った。

「そんなことより、もうすぐご飯できるよ」

「何作ってくれるの?」

「今日は、お前たちの大好きなビーフンだよ」

「おおっ!」

「やったね、楽しみ!」

 祖母の言葉に、兄と二人でハイタッチを交わした。ぱちん、という小気味いい音が鳴る。そんなわたしたちの様子を見て、祖母は嬉しそうに笑った。

 祖母の作るビーフンは、わたしたちが子供の頃から大好きな料理だ。いつも祖母は料理を多く作りすぎる傾向にあるのだが(本人いわく、実家が大家族であったことによりついてしまった癖らしい)、これだけはいくら多い量でもみんなでペロリと平らげてしまえる。

「中で待っときな」

 言われた通りに靴を脱ぎ、居間へ足を踏み入れる。そこでは先に来ていたらしい伯父の椋介りょうすけさんが、缶ビールを片手にわたしたちを出迎えてくれた。

「おぉ、悟にりんやないか。大きゅうなったな」

 変わらぬ屈託のない笑顔と口調で、椋介さんは言った。どことなく機嫌良さそうで、頬も上気している。テーブルのあちこちにいくつも転がっている空の缶から察するに、もうすでにそれなりの量を飲んでいるようだ。

「おっちゃん、もう飲んでるの」

 兄が苦笑気味に問いかける。椋介さんは鷹揚にうなずいた。

「おう、何やったらお前らも飲むか」

「んー、そうだなぁ……来たばかりだけど、せっかくだし僕も一本開けちゃおうかな」

「わたしはいいや……」

「お前も成人したんだから、少しぐらいお酒に慣れといた方がいいんじゃないか?」

「せやで、凛。これから付き合いも増えるんやでな。何ならワシが訓練したろか」

「訓練って、ちょっと……そんな怖い言い方しないでくださいよ」

 そんな会話を交わしながら、兄は椋介さんの隣に、わたしはその向かいにそれぞれ腰を下ろした。

 畳が敷かれた広い部屋は縁側の窓が開け放されていて、そこから涼しい風が吹いてくる。時折虫が入っては来るものの、クーラーも扇風機すらもいらないほど快適だ。

 ――そう、そこまでは例年通りだった。

 だけど、わたしはそこでふと、ある異変に気づいた。

「――あれ、若菜わかなちゃんは?」

「あれ、本当だ」

 わたしの言葉に気づいたように、兄も周りを見回しながら言う。

 そう。本来なら椋介さんと一緒にいるはずの、彼の娘――つまりわたしの従姉にあたる三つ上の女性・若菜ちゃんの姿が、今日に限って何故か見えなかったのだ。

絢乃あやの伯母さんもいないね」

 不思議そうに首を傾げながら、兄が続ける。

 絢乃さんというのは母の姉であり、若菜ちゃんの母親――つまり、わたしたちにとって叔母にあたる人物だ。

 本来なら三人揃ってここにいるはずの瀬戸せと家の人間が、二人も欠けている。一体これは、どういうことなのだろう。

 椋介さんの方を見ると、きまり悪そうに目を泳がせていた。無精髭に囲まれた口が、ためらうように動いている。いつも朗らかな椋介さんにしては、珍しいというか……非常に奇妙な反応だ。もしかして、何かあったのだろうか。

「椋介さん?」

 わたしが問いかけると、椋介さんは微かに肩を揺らした。弱々しげに、口を開く。

「これ、どこまで言うてえぇんかわからへんねんけど……」

 ただならぬ雰囲気に、わたしは兄と二人で、揃って息を呑む。

 やがて意を決したようにわたしたちの方を向くと、椋介さんは普段のあっけらかんとしたものとは違う、低く重々しい声で言った。

「実は若菜がな……こないだから、入院してるんよ」


    ◆◆◆


 結局、その年の花火は若菜ちゃん抜きで見ることになった。

 絢乃さんは花火が始まる少し前……ちょうど父が来るのと同じぐらいの時刻に来た。椋介さんいわく、入院している若菜ちゃんの側に着いていたらしい。

 彼女は「ちょっと用事があって、遅れちゃったのよ」といつも通りの穏やかな笑顔を浮かべて言ったけど、やっぱりどこか疲れているみたいで顔色も悪かった。

 絢乃さんは、どうやら若菜ちゃんのことを誰にも言いたくなかったようだった。椋介さんにも「ワシが言うたこと、絢乃には内緒にしといてくれんか」と念を押されたので、彼女のことについては『仕事で来れなくなった』と聞いたことにして、本当のことは誰も知らないということにしておいた。ちなみに何も知らない父にも、同じように説明して納得してもらった。

 椋介さんは、夜空に舞う花火をずっとデジカメで写していた。機械音痴らしく、時折兄に使い方を聞いたりしながらも。

 こっそりその理由を聞いてみると、「若菜に見せたんねん。病院は携帯見れへんからな。もちろん後で現像するで~」とさっぱりした笑顔で答えた。彼なりの、若菜ちゃんに対する気遣いだったのだろう。

 そんな夫の後ろ姿を、絢乃さんはどこか切なそうな眼差しで見つめていた。

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