聖少女領域(5)

「えっ」

「えっ」

「えっ?」


 重々しい直彦の言葉とは裏腹に、間の抜けた声が方々から漏れた。

 数秒の沈黙が経った後。おずおずと杏季は進言する。

 

「……ごめん。もう一回、アホな私にも分かりやすく言ってもらっていい?」

「白原さんは、異世界のプリンセスなんだよね」

「分かりやすいけど分かりがたい!?!?!?」


 高い声を上げ、杏季は頭を抱えた。

 

「エッ待ってそういう方向の話が来るとは思ってなかったんだけど!?」

「まあ、誰もそんなこと、現実世界で真顔で言われるとは思わないよね」

「理術とか古属性がどうとか、そういう話が来ると思ってた!」

「平たく言ってしまうと、要は古属性の家系って元王族なんだよね」

「そうなの!?」

「そうだよ」

「だって私の家、普通の一般家庭だよ!? 直彦くんの家の方がよっぽどセレブじゃない!?」


 混乱しながら言い募る杏季へ返答するより先に、至って冷静に直彦は確認する。

 

「ええと、今更だけど念のため。……現状では立場上あんまりよろしくないんだけど、多分話しづらいと思うから、今まで通りに話してもいい?」

「勿論というかむしろそれでお願い致しまする」


 こくこく頷きつつ勢いよく言った杏季に、直彦もまた頷き、立ち上がった。

 

「了解。じゃあ一つ言うとね。普通の家には、あんまり立ち入り禁止の地下室はないんだよ白原さん」

「なんで知ってるの!?」


 杏季は慄き、またもや高い声を挙げた。

 

「エッ何、あっきーんそんな楽しいのあるの!?」


 直彦の告げた地下室という単語に、潤が少々目を光らせて反応した。だが杏季は、困惑した様子で眉を寄せる。

 

「あるけど。そこは、お父さんの仕事部屋だから近づいちゃいけないってだけで、そんな変わったものがある訳じゃ……まぁいつも鍵掛かってるから、中に入ったことないんだけど……」

「そんな秘密の部屋、そうそう自宅にないよあっきー!」

「でもお父さんの仕事、VIPのSPだし」


 杏季の返答に、潤は更に目を輝かせる。

 

「マジで!? 格好良!!!」

「うん。ただあんまりそういうの話すの良くないから、みんなには警察官としか言ってないけど。それで普段はほとんど家に帰ってこなくて、だから私、寮にいるんだもん。

 地下室も、仕事が仕事だから、機密とかそういうものかと思ってた」

「まあ……それなら納得はするわな……」


 潤もまた杏季の説明に納得した。

 直彦は補足する。

 

「一般家庭に見えるように擬態してるからね。当事者がそう思うのも当たり前なんだよ。因みに見た目は普通だけど、実はあの家のセキュリティ、スゴい通り越してエグいよ」

「エグい」

「悪意持った奴が下手に侵入すると、まあ普通に死ぬからね」

「死!?!?!?」

「確か過去に一回、空き巣に入った純然たる一般人の悪党が居たらしいんだけど。危うくマジで流血沙汰で、隠蔽するのに苦労したって聞いたな」

「なにそれ私知らない!?」

「子ども時代の話だからね。隠されてたと思うよ」


 ますます杏季は混乱しつつ、唸りながら腕組みする。


「でも、そうするとえっと……じゃあ、まさかお父さんの職業もフェイク?」

「半分はね。ただVIPのSPってのも、事実は事実だよ。

 元々の王位第一継承者だったアイリーン殿下の……もとい、白原さんのお母さんの護衛者なんだから」

「護衛者!?」


 目を見開き、しばし視線を宙を泳がせてから、杏季は早口で直彦に尋ねる。


「……異世界の事情よく分かんないけど、王族と護衛者って身分的にどうなの結婚できるの? まさか身分違いの恋の果ての駆け落ち? それで今まで私は事情を知らずに一般人として生きてきた系?」

「突っ込むポイントそこか!?」


 思わず葵が口を出した。杏季は振り向き、深く頷く。


「そこは創作でのときめきポイントな設定として最重要」

「落ち着け白原これは現実だ」

「現実だとしても、もし前提にあるテンプレ設定がこれなんだとしたら割と滾るほかないよねなんだか急に楽しくなってきた」

「テンションおかしくなりすぎて妙なスイッチ入ってるぞ」


 笑いながら直彦は答える。


「残念ながら、いや残念ながらって表現もおかしいけど……ともかく白原さんちのご両親は、隠れるでも駆け落ちでもなく周りに認識されてたし、途中まではこっちの世界でも理術の界隈に関与してたよ」

「あれまあ残念」

「身分違いではあったけど」

「そこんとこ詳しく」


 両手を組み合わせて杏季は食いついた。

 二人を眺めながら、葵は得心がいったように頷き、腕組みする。

 

「だから『姫君』とか『プリンセス』とか気障キザったらしい呼び方してたのか。あいつのキャラじゃないのにおかしいと思ったんだ、京也じゃあるまいし」

「おい葵どういう意味だ」

「お前、東風院の呼び方に関して何か申し開きはあるか?」

「ありまくるわ僕の意向じゃない!」


 噛みついてから、京也はふと葵の様子に気付いて尋ねる。


「葵は、あんまり驚いてないのな」

「驚いてるよ。けど、これまでのことを総合したら別に突飛な話でもないだろ」


 本人含め、話を聞かされたメンバーは大なり小なり動揺していたが、葵だけは唯一、特に声も発さず落ち着いて現状を受け止めていた。

 葵は京也の疑問に淡々と答える。

 

「古の規格外な潜在能力だったり、護衛者なんていう存在がついていたり。本人の自覚はともかく、それこそVIP扱いなんだろうなとは思ってた。佐竹の術の制約があったし藪蛇になるのは怖ぇから、深くは突っ込まなかったけどな」

「それは僕も思ってはいたけど。それにしたって」


 理解を超える規模の話に疲弊した京也は、深く息を吐き出した。

 葵は直彦を見ながら、小声で付け加える。


「あんまり大きい声じゃ言えねぇけど。俺は兄貴から、『この街にはやんごとなき血筋の人間が一般人として紛れてるんだぞ』って話を聞いてたからな。勿論、具体的なことは一切だったけど」

「やんごとなき血筋……にしたって、やんごとなさ過ぎるだろ……」

「確かにな。――だから。迂闊にこの界隈に関わるなって、言われてたんだ。どこに何が潜んでるか、分からないから。引き返せないところに引き摺り込まれる可能性だってあるからって」


 ぼそりと呟いてから、葵は自嘲気味に笑みを浮かべた。


「今じゃ、とんだ渦中だけどな」

 




「お父さんとお母さんの楽しい事情は把握しましたが」


 心なしか弾んだ顔つきで、杏季はようやく話を戻す。

 

「なんで今まで私にはその辺の事情が伏せられてたの? まだ未成年だから?

 ……にしても、直彦くんとか、ついでにりょーちゃんとかは、諸々知っていたんでしょう」

「知ってたよ。それで、なんで伏せられてたのかについては……一言で言えば、宮代が情報をブロックしてたからだ」

「またりょーちゃんなの……」


 げんなりしたようすで杏季は肩を落とした。が、直彦は頭を振って続ける。


「ただ。この件に関しては、一概に竜太が悪いとは言い切れない。

 アイリーン殿下……白原さんのお母さんが健在だったら、俺たちと同じように白原さんも成長に伴って事情を知ることになってたと思うよ。

 だけど途中で状況が変わって、姫様の処遇をどうするかについては、こちらの界隈で大きく二つの派閥に別れたんだよ。

 正統な王位継承者として、積極的に政治に参与してもらうべきと主張する復古派と。

 来るべき時が来るまで知らせず、平穏な生活を守るべきと主張する保護派とで。

 それで、宮代家は保護派の筆頭なんだ」

「ああ……」


 やはり杏季は浮かないようすで頷いた。

 奈由は相変わらずカメラを構えつつも、真面目に頷く。


「なるほどね。夏にこっちゃんがあそこまで情報を秘匿してたのは、それもあったってこと?」

「その通りだよ。現在の御堂は、基本的に保護派だからね。そして、その保護派によって整えられたのが、これまでの白原さんの環境ってこと」


 口を尖らせて杏季は腕組みした。


「まあ。なら、りょーちゃんは家の都合に従ってたんだから、そこはしょうがないのか」

「それが最高に厄介なところなんだけど、現在、宮代家の当主は竜太だよ」

「なんで!?」


 杏季はもはや悲鳴のような声を上げた。

 

「理術の力のピークは。順調に段階を踏んだ場合、通常は10代後半から、精々が30代後半くらいだ。

 男女問わず、自分の血を継いだ子どもが産まれると、そこから少しずつ理術の力が弱まっていく。普通に暮らす分には特に問題ないけど、王侯貴族が責務を果たすには段々と力が足りなくなってくるんだ。

 そして自分の子どもが10代半ばに差し掛かった頃には、親子で理術の力関係は逆転する。だからあちらの世界では、向こうの成人年齢である18歳になったタイミングで代替わりすることがほとんどなんだよ」


 一息に説明してから、直彦は杏季に尋ねる。


「宮代家が白原家と親戚なのは知ってるよね」

「うん。私とりょーちゃんは再従兄妹はとこだよ」

「それも事実だ。そして、つまりは竜太もまた王族なんだよ。宮代家は傍系の王族にあたり、現在こちらの世界で政治こっちに関与してる唯一の王族になる。

 つまり、これまで界隈で一番、力を持ってたのは宮代家なんだ。だから保護派が主流だったんだよ」


「……ねえ。あの、全然事情を知らないながらに、凄い嫌な予感がするんだけど、検討違いだったらごめんね」


 直彦の説明を聞き、杏季は腕組みしたまま宙を睨んだ。

 

 

「りょーちゃん。つまり、私を無力化して実権握ろうとしてない?」

 


 一瞬の沈黙の後、直彦は苦笑いする。

 

「俺の口からは、是とも否とも言えないけど。

 もし。仮にそうだとしたら、白原さんはどうする?」


「えっとね……あの……。

 シンプルにドン引きするし、もう王族とか向こうの世界とかどうでも良いから、私のことは放っといてくれって言いたい……。

 私はみんなとパフェでも食べつつ大学受験してるから……」


 額に手をやり、口調まで引き気味に杏季は答えた。

 

「竜太の腹の内までは分からないけど。正しく情勢を認識してもらうために、今回は一部、宮代を擁護させてもらうよ。保護派がその目的を謳うのには、もっともな理由があるんだ」


 指を立てて直彦は説明する。


「一つ目に。復古派は、厳密に言うと更に二つの派閥に分かれるんだ。『復古穏健派』と『復古過激派』にね。因みに穏健派の筆頭が高神楽で、過激派の筆頭が影路だよ。

 そして過激派の意見って、つまるところ『あっちの異世界に戻って王権を取り戻せ』って主張だからね」

「エェ……」


 至極、嫌そうに杏季は顔を歪めた。

 潤は首を傾げる。


「影路って、古……つまり王族には手を出すなとかなんとかって話がなかったっけ?」

「うん。だから遠ざけられてるんだよ」

「これ以上ない理由」


 深く潤は頷いた。


「穏健派と保護派はそこまで対立はしてない。むしろ協力関係にある。けど、復古穏健派だって復古派なことには変わりないから、過激派が近寄る隙を与えないために、保護派に留め置いておきたいってのが一つ目の理由。

 少なくとも、アイリーン殿下の意思と過激派の主張が相容れないのは事実だったからね」

「なるほど……」


 考え込みながら、杏季は呟いた。

 直彦は二本目の指を立てて続ける。


「そして、一番大きな二つ目の理由は。10年くらい前の、白原さんの弟と竜太の妹が行方不明になったが原因だよ」


 その言葉に、杏季ははっとして顔を上げる。

 

「今じゃ白原さんは、あの出来事は扉の事故だと認識していると思う。

 けれど、白原さんの弟と竜太の妹の件に関してだけは。事故ではなく『故意』だった――だったとの見解が強い」

「故意!?」


 杏季は目を見開いて聞き返す。


「どういうこと。誰かが、わざとあんな事故を起こしたってこと!?」

「事故を起こそうとしたわけじゃない。

 異世界の人間が、意図してんじゃないかということだよ」

「召喚……!」


 息を呑んで、杏季は黙り込んだ。

 

「向こうの時勢は詳細不明だけど。おそらく、クーデターで王位を奪った王族たちに後継者が生まれなかったのではないかと言われている。それを示す兆候も見られたしね。

 そしてさっき話したとおり。後継者の存在がいないということは、こちらの世界と違ってあちらの世界の王族にとっては、とんでもない死活問題になる」


 奈由が首を傾げる。

 

「でも。さっき力が失われてくのは、子どもが産まれてからって話じゃなかった? 後継者が産まれてないなら、力も失われないのでは?

 それとも子どもが産まれずとも加齢と共に力は減っちゃう感じ?」

「いい着眼点だね草間さん」


 奈由の質問に、直彦は低い声で答える。

 

「おそらくは。『子どもは産まれたが後継者は生まれなかった』が正解だ」

「後継者が生まれない?」

「つまり。


 直彦の言葉で先んじて理解し、奈由は心底厭わしげに眉をひそめた。


「……最ッ悪」

「そうだよ。ご想像のとおり、だからこちらの世界で資格を持つ者、すなわち古属性をきちんと発現している王族を召喚ゆうかいしたんだろうと言われている。

 王が生まれなかった、だなんてことが民衆に露見しないよう。向こうで傀儡かいらいとして玉座に据え置くために」


「…………」


 杏季は黙り込んだまま拳を握り、静かに爪を手の平に食い込ませた。


「あちらの真意は正確に把握できない。ただ事実として、この事件によって当時の第一王位継承者であったアイリーン王女と、第三位王位継承者であった白原さんの弟のリンゼバード王子、少なくとも白原の血は二人分、明確にこちらの側から失われた。

 だから保護派はその後、白原さんのことを、正統な王族の血脈のことを秘匿することにしたんだ。

 唯一残された正統な血脈の王族であるアンゼローザ王女のことを、敵の目から徹底的に守り抜くために。

 元より王に返り咲くことは望んではいない。けれどその血脈を絶やしてはならないという理由からね」


 長い話を終えると。直彦は居住まいを正して改めて杏季を見つめる。

 やや俯きがちに話を聞いていた杏季だったが、その視線に気付いて顔を上げた。


「以上のことを踏まえて、相談なんだけど」


 直彦は軽い口調で杏季に告げる。


 


「白原さんさえよければ。俺の許婚いいなずけにならない?」


「……へ?」



 

 部屋の中に、さっきまでとは違った空気の沈黙が訪れた。

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