早々アラルガンド(2)

 企業や飲食店が立ち並ぶ、舞橋市街のメインストリート。車の往来が激しく、人や自転車が雑多に行き交う夕暮れの街には、ぽつぽつと明かりが灯り始めていた。


 アーケード街に入る小道の手前で、春と深月は人を待って立ち尽くしていた。

 深月は平然とした様子で携帯電話をいじっているが、春は内心はらはらしながら、今か今かと通りを見つめている。

 幸いにしてさほど待たされるでもなく、すぐに目的の人物は姿を現した。春ははっと顔を上げて、申し訳なさそうに両手を合わせる。


「葵くん! ごめんね、急に呼び出して」

「いえ。どうせ暇してたから、問題はないっすけど」


 息を切らせて自転車を停めた葵は、据わった目で深月を一瞥する。


「それで何でしたっけ。まだ概要しか聞いてねぇけど、ストーカー男のコイツを警察に突き出せばいいんでしたっけ」

「違う違うこっちじゃない変質者は別の方だから誤解しないで」


 慌てて電話した為か、上手く葵に伝わっていなかったらしい。




 あれから春は、深月と話をするにあたって二つの条件を提示した。

 一つは、街中にある人目のある店で話をする事。

 もう一つは、深月との二人だけでは話を聞かないという事。つまり、春の味方である人物を誰か同席させて欲しい、というものである。


 高神楽文彦以外であれば、と深月も条件はすんなり飲んだ。

 だがいつもの三人組は塾であるためすぐに呼び出すのは難しく、頼みの琴美は電話が通じない。

 悩んだ挙句、春は地理的に一番早く駆けつけられそうな葵へ連絡をとったのだった。


 電話では状況を手短に話したが、実のところ肝心な部分については、深月が近くにいたためまだ話せていない。

 春はひっそりと葵に耳打ちする。


「この人。例の、影路の家の人なの」


 怪訝な表情で葵が唸る。


「……敵じゃないですか」

「でも、敵意とか、すぐ攻撃するって意思はないみたい。電話で言ったみたいに、高神楽文彦が随分と威嚇してったから。けど手を引くにあたって、ちょっと話をしときたいらしいんだよね。

 巻き込んじゃって申し訳ないけど、お願い、一緒に話を聞いてくれるかな」

「そういうことなら。むしろ連絡してくれてありがたい、この件はお互い様でしょう」


 葵は神妙な顔つきで頷いた。


「相談は済んだ?」


 深月の声に二人は顔を上げる。

 ふと深月は、葵の担いでいる竹刀袋を見上げて小首を傾げた。


「何で竹刀担いでるの」

「元剣道部だからだよ悪いか」


 葵は警戒心と敵愾心てきがいしんをたっぷり滲ませて答えた。

 だが深月は動じずになおも尋ねる。


「元剣道部だからって普通は受験期のこの時期に持ち歩いてないっしょ」

「念のためだ。何かあった時に対処のしようもあるだろ。俺は理術の方はからきしだからな」

「へえ」


 深月は改めて葵をまじまじと見つめる。


「意外だな。開眼は、してない?」

「してねぇよ。つぅか普通はそれがデフォルトだろうがよ」

「そうか。じゃあ単純にただ、……そういうことか」


 何かに納得したような素振りで、彼は口元に手を当てた。

 その後で、どこか悪戯めいた表情で言い返す。


「だったら同じように俺が開眼してるとは限らないよ」

「影路を名乗ってるくせに白々しく何をぬかしてんだよ。こっちの世界に首を突っ込んでるなら、どう考えたって最低は開眼してんだろうが」


 まして深月は影路の家の者である。覚醒していたとておかしくはない。


「そりゃ、そうだ。成る程、そこまで理解してるなら話は早いか」


 深月は表情を崩し、少しだけ笑ってから、親指ですぐ側にあるミスタードーナツの店舗を指し示した。


「じゃ。役者も揃ったところで、行きますかね」


 彼はまるで既知の友人とお茶しに行くかのような素振りで、後ろ暗いことを画策しているようには見えない。

 戸惑いながらも春と葵は顔を見合わせ、静かに頷いた。






「それで。一体、何を話そうっての」


 店内に入り、全員の注文の品が出揃ったところで、春が口火を切った。


「ま。さっきも言ったけど、口裏合わせだよ」


 深月は珈琲を口に運びながら目を閉じる。


「俺は別に君に手を出す気はない。けど、ただ帰っただけだと面倒くさい横やりが入る可能性があるから、後でバレないように俺も状況を整理する必要がある」

「つまりは次に備えての情報収集か?」

「ある意味じゃそうかもな。けど、そっちが思ってるような理由じゃない」


 深月の答えに葵は腕組みして不満そうな表情を浮かべた。続けて問おうとするが、その前に春が口を開く。


「ちょい待って。今更だけどさ、元々は君はどうして私のところに来たの?」

「勧誘」


 短く深月は告げた。


「風の噂で、一般人が開眼したって聞いたから、様子を見に来がてら影路へスカウトしに来た。けど、高神楽が来たからそれはなしだ。もう何もしないよ」

「お前はそれが怪しいんだよ。どうしてそんな簡単に引き下がるんだ」

「じゃあ。ここからの話は、俺の独り言だと思って聞き流して欲しいんだけど」


 深月はちらりと視線を上げ、カップをソーサーに戻した。


「最近、一般人が開眼したらしいと俺のところまで話が入ってきた。

 有用な人材ならば手中に収めたいと影路側は考えたみたいだけど、ぶっちゃけ俺はそんなのどうだっていい。むしろ関わりたくなんかない。けどこういう立場であるからにゃ関わらざるを得ないし、まして俺と同じ年齢の人物とあっちゃ駆り出されざるを得なかった。

 仕方がないから渋々来てみたところ、思いがけず高神楽文彦が現れて、ありがたいことに彼女は高神楽のものだと宣言してくれた。こっちとしちゃ僥倖僥倖と潔くさっさと手を引きたい訳なんだけど、かといって尻尾を巻いて帰っただけじゃ家の連中がそうそう納得しないからさ。

 後で齟齬が生じないようにする為に、そちらさんを味方に付けとく必要があるんだ」


 二人にしか聞こえない音量で、深月は落ち着いた声音で一息に述べた。話し終えると、彼は再び珈琲のカップを手にする。


「と。そんな訳で。俺は身内に感づかれたくないんだ。たいして深入りもせず、さっさと手を引いたって事実をね」


 ははあ、と春は自分もカフェオレのカップを握りながら頷いた。話が事実なら、彼は家の事情に不本意ながら巻き込まれているだけなのだ。


 竜太が話していた影路のやり口の様に、はなから春を影路側に連れ去るつもりなら、もっとうまいやり方があるだろう。警戒されないよう、影路と名乗りすらしない筈だ。

 やろうと思うなら深月は、葵が合流するまでにどうとでも行動できただろうし、わざわざ人目に付く場所で話をすることにしたのだって、葵を呼び出すことを快諾したのだって、深月の話を本音とするのならば一応の説明は付く。

 葵もそれなりに納得したようだが、まだ疑いの眼差しで深月に尋ねる。


「高神楽が出てきたからってのだけじゃ駄目なのか?」

「畠中さんなら分かると思うけど。高神楽文彦が言ったのは、あまりに抽象的な内容だったからね。

 何がどこまでどう関係して高神楽の手が入ってるのか、ないしはあいつのハッタリだとしたらそれをハッタリじゃなく本当と上手く思わせられるように、うちらの間で口裏合わせが必要だろ。どこから情報を聞かれるか分からないし。

 だから、あまり時間は取らせないよ。本当に俺の個人的なお願いだからね」

「……それくらいだったら。別に構わないけど」


 春はちらりと横目で葵を窺う。春の言葉を聞いても動じていないところを見ると、彼も同意見であるらしい。

 深月が影路であるということは、既に理術の秘密は知っている。琴美との約束を破ることにはならない。

 こちらの方で迂闊に情報を与えないよう気を付ければ、多少の話をする分には問題は無いように思えた。正直に事実を伝えずとも、双方で口裏さえ合わせておけばいいのだ。


「けど、一つ。聞いてもいいかな」

「どうぞ」


 本題に入る前に、春は深月へ尋ねる。


「私たちが聞いた影路の家は、目的の為なら手段を選ばない……みたいなイメージだった。

 今も、影路……深月くんの話を聞いてると、影路は人材の確保に躍起になってて、高神楽がちょっと出て来たくらいじゃものともせずに手に入れようとする、ぐらいに聞こえる。

 本当に影路は、そんなことをしてるの?」

「……俺が言っても、信憑性は薄いだろ」

「そうだけど。でも、聞いておきたいの」


 深月は難しい表情で頬杖を付いた。


「高神楽と影路の間には、冷戦みたいな微妙な力加減がある。だから、高神楽が本気で絡んでくるなら、影路だって手出しはしないさ。

 問題なのは、その度合い。言葉じゃ説明しづらいけど、高神楽が絡んでいたって、最上級の賓客ひんきゃくと一介の食客しょっきゃくとじゃ、こっちも動きが違うってこと」

「そっちの話じゃない。実験台だとかモルモットだとか、ホントに人へ危害を加えるようなことやってるのかって聞いてるの」

「それは、また独り言を言うしかないな」


 自嘲気味に深月は口元へ笑みを浮かべる。


「もしも叶うなら、俺は今すぐにでもこの苗字を売り捨ててどこぞへと行くよ。

 けど。それはできない。そういう気力もない。そうやって、生きていくしかない。

 俺はただの影路の傀儡かいらいだ」


 深月の独り言は、春の問いの答えにはなっていない。

 しかし。語られた彼の感情は、実際の度合いはどうあれ、彼の置かれた立場を如実に物語っている気がした。






 三杯目の珈琲とカフェオレが注がれる。

 あらかた話し終え、ちょうど彼らは一息ついたところだった。一口珈琲をすすってから顔を上げた深月は、ガラスの向こうを見つめてぼそりと呟く。


「あ。財布が来た」

「こんなところにいた、ミツキちゃん!」


 ほぼ同時に、ちょうど店内に入ってきた青年の声が響く。私服姿であるが、年齢は彼らとさほど変わらないように思える。

 彼は深月の姿を認めると、春たちのいるテーブルへ歩み寄った。春と葵、そして深月の顔を順番に見比べてから、青年は深月へ尋ねる。


「なになに、何で女の子とお茶してんの? 何? 修羅場?」

「煩いよ十六夜いざよいさん」


 構わず珈琲を味わいながら深月は冷たくあしらう。


「どうせ来たならおごってくださいよ」

「何その扱い!? この店、前払いでしょ。俺知ってるよ!?」

「なんだ、十六夜さんの癖に知ってたんだ。たかろうと思ったのに」

「年上に対して酷くない!? それに俺、ミツキちゃんよかよっぽど貧相な生活してるからね!?」

「知ってる」


 会話をしながらその合間に深月は珈琲を飲み干すと、かたりとカップを置き、改めて春と葵に向き直った。


「じゃあ、余分なのも来ちゃったし、お開きということで。お手数とらせて申し訳ない」

「これで大丈夫?」

「ま。何とかなるっしょ」


 肩をすくめ、諦念交じりの声色で深月はぼやく。そのまま彼は鞄を手にして立ち上がった。春と葵も後に続く。


「そうだ。一つだけ言っていい? 特に、なんだっけ……ええと、染沢さんの方」


 店外に出たところで、深月はふと思い出したように足を止めた。


「多分、俺なんかより高神楽のあの変質者に警戒した方が良いと思うよ」

「そりゃ、お前の立場だったらそう言うだろ」

「いや、そこじゃないんだ。DDが云々とか、家の話を抜きにしてさ。勿論、そっち方面でも警戒するにこしたこたないと思うけど、別の意味で」


 深月は真顔で葵に告げる。


「文字通り変質者だからあの人。少なくともそこの畠中さんに公道のど真ん中でセクハラ行為を働いてたから」

「ンなっ……!?」


 深月の指摘に葵は激しく動揺する。

 春も彼の言葉にまた驚いて、少々たじろいだ。


「き、聞いてたのあの会話!?」

「全部は聞こえないけど大体察した」


 人差し指を立てながらなおも深月は続ける。


「それに。俺を追い払うのに『高神楽側にいる』って主張するのは分かるけど、最終的にあの人『オレのものだ』とか言ってたからね。高神楽や影路がどうこうじゃなく、そっちの意味で発言してたおそれすらあるからね。

 十歳程度の年の差とか物ともしないから、あの人。まして女子高生とか、三十路に入りかけのオッサンには垂涎物すいぜんものも甚だしいと思うから、本気で気を付けた方が良いよ」

「そっち!?」

「そっちだよ重要だ、当たり前だろ」

「ってか、なんで私じゃなくて葵くんに言うの!?」

「女性のそういう危機は、当人じゃなく周りがどうにか気を付けてやらにゃ」


 ごく真面目に助言をする深月に、春は苦笑いを浮かべた。

 あの時はよく考える時間もなかったので思考の隅に追いやっていたが、なるほど確かに文彦の言動はどちらの意味でも懸念すべき案件だ。


「非常によく分かった」


 深々と葵は頷いた。

 更に深月は、思いついたように手を打つ。


「あ、そうだ。もしあの高神楽文彦が、畠中さんや他の誰かに本気で手ぇ出してしょっぴかれたら、連絡してよ。俺、見たいから」

「そんなに高神楽と影路って仲悪いの!?」

「いや。俺が個人的に、あの人については、落ちぶれたところを是非とも見てみたい」


 深月は自身の携帯電話を取り出し、葵に水を向ける。


「それ抜きにしても、一応。聞いておくに越したことはないかなと思ってさ。ただ、ま、そっちも嫌だろうから、染沢さんのだけで良い。警戒するなら無理にとは言わないけど」

「いや。別に構わねぇよ」


 葵も携帯電話を取り出す。

 連絡先の交換をしながら、深月は付け加えた。


「念のため言っとくけど、俺の個人情報、みだりに売り渡さないでね?」

「……立場的にその台詞は俺が言いてぇんだけどな?」

「ま、ま、ま。大丈夫だろうから交換したんだけどね。ちょーっと前にやられたことがあって、面倒だったからさ」

「やらねぇよ。だからお前もやるんじゃねぇよ」

「多分ね」

「そこは保障しろよ!?」


 軽口を叩きながら二人は操作を終えた。


「じゃあ、今日はありがとう。暗くなっちゃったけど畠中さん、大丈夫?」

「今から帰れば門限にも間に合うし、私は大丈夫だよ」

「染沢さん、夜道だからしっかり送って行くように」

「言われなくても任せろ」


 まるで友人の様に言葉を交わし、彼らは別れた。

 しばらく歩き、深月たちとの距離が離れてから、春はひっそりと葵に言う。


「あの人。……悪い人じゃ、なさそうだったね」

「あぁ。少なくとも、宮代の言ってた影路っぽくはなかった、な」


 葵は携帯電話を自転車のカゴに放ってから頭上を見上げた。日はすっかり沈んでいたが、街の灯りが邪魔してまだ星は見えない。


「あいつの話から想像するとさ。

 影路の家そのものは、大体が宮代の言った通り。

 けどあいつはそんな影路の方針が好きじゃなくて、逆らうのは難しいから表立っては反抗せずに、上手いこと関わらずに済むよう立ち回ってるって、そういう感じだな」

「……そんな、気がするね。だとしたら、どっちかっていうと彼は、私たちの立場に近いのかも」

「そうかもしれねぇな。家の事情とやらに巻き込まれてるだけなんだ」


 やや同情したような面持ちで、彼は深月と連絡先を交換したばかりの携帯電話をじっと見つめた。






 春と葵が帰路に着いたのを見送ってから、深月は傍らの友人をちらりと眺める。


「で。首尾はどう、久路人くろとさん」

「バッチシ」


 親指を立てて、十六夜いざよい久路人くろとはにんまりと笑った。


いつきちゃんにも伝えてあるよ。あとは最終サインをミツキちゃんが出せばオッケー」

「はいよ」


 返事をしながら深月は手にしていた携帯電話を開き、電話を掛ける。相手も準備していたのか、コール音は一度だけですぐに繋がった。


「もしもし。今、店を出たところだよ。後は手筈通り、よろしく」

『了解っ!』


 それだけ話し、電話はすぐに切れた。


「さて」


 深月はポケットに携帯電話をしまい込むと、鞄を担ぎ直し、春と葵の消えて行った方角を見つめた。




「いっちょ、狩りに取り掛かるとしますかね」

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