戦慄インテルメッツォ(5)
一通り話を終えると、裕希は術を解き、公園を元の状態に戻した。大した時間は経過していないが、ほとんど全員がどこか気怠い疲労感を覚えている。
その中で一人、爽やかな面持ちの竜太は、思い出したように杏季に尋ねる。
「そうだ。俺は今日、まだ寮に戻らないんだ。杏季に会うって話をしたら、折角だから夕飯を一緒に食べないかって母さんが言ってたけど、どうする?」
「行く!」
目を輝かせて杏季は大きく何度か頷いた。満足そうに竜太は笑みを浮かべる。
「じゃあ支度して来いよ。ちょっと俺はこの後、もう一件寄るところがあるんだけど、終わったら連絡するから」
「分かった! 許可取ってくるね!」
即座に杏季は踵を返し、小走りで寮に向けて帰って行った。
杏季の姿が完全に見えなくなったのを確かめると。
竜太は、ふと真顔になった。すっと方向を変え、おもむろに裕希へ歩み寄る。
すると、彼の目の前に来るや否や、竜太は拳を握りしめ。
思い切り、裕希の横面を殴りつけた。
「なっ……」
隣にいた葵は
強かに殴られた裕希は、されるがままに跳ね飛ばされ、地面に尻餅をついた。
竜太は冷たい眼差しで裕希を見下ろす。
「これだけで済んだことを有難く思えよ。杏季の手前、一発で我慢してやる。
本当は、レンと同じ目に遭わせてやりたいくらいだ」
「…………」
言うと、竜太はぱっと表情を変え、京也を振り返った。
「なあ京也。お前、この後は時間あるか?」
「あ、あぁ。別に何も予定はないけど」
戸惑いながらも京也が返事をした。
「じゃあこの後、ちょっと付き合ってくれないか。頼みたいことがある」
裕希と竜太とに視線を
裕希の様子を気にかけながらも何も言うことは出来ず、彼に続いて京也も公園を去った。
「……おい。大丈夫かよ」
葵はおずおずと裕希を覗き込んだ。体を起こし顔を拭いながら、裕希は舌を出して答える。
「大丈夫だよ。どーせこうなるだろうってことは分かってた。
気付いたかよ、ハナからあいつは俺を
言われて思い返してみれば、確かに二人の間にはどこかぎこちない空気が漂っていた。本日、妙に裕希が大人しく思えたのは、そういうことだったのだろう。
「ンだよあいつ。そりゃ俺が杏季にしたのは相当な事だけどさ、何様なんだあの野郎は。ってかレンって誰だよ」
「『レン』というのは、貴方たちが言うところのビー。水橋廉治です。彼は奴のことをそう呼んでいます」
さらりと琴美が答えた。彼女はいつもと違って険のない眼差しで裕希を眺めながら、どことなく疲れたようにため息を吐き出した。
「大体、何がどうなったのか予想がつきますね。
京也さんはおそらく治療要員として連れて行かれたのでしょう」
「治療、って」
「さっき、あの人も言ってたでしょう。ビーを殴り飛ばしてきたと。
それは本当にそのままの意味だと思いますよ。彼ならやりかねない」
竜太の言葉と、先ほど裕希が殴られた光景を思い返しながら、潤は小声でもって琴美に尋ねる。
「……じゃあ、文字通りビーの野郎はりょーちゃんにフルボッコにされたと」
「ええ。言動からして間違いないでしょうね。皆さん短時間でも分かったでしょう――宮代の杏季さんへの執着は、尋常じゃない。
あの人が、杏季さんに手を出した彼をそのまま放っておくとでも思いますか?
ですから、この立ち位置でこの場で宮代竜太と
眉間に皺を寄せて、低い声で裕希は唸るように呟く。
「……本当に、何なんだよ、あいつ。いくら幼馴染だからって、まるで杏季が」
「お止めなさい」
落ち着いた声で、しかし有無言わせぬ声色で琴美は止める。
「貴様如きで、あの人の足元にだって及ぶとでも思っているんですか?
外見、成績、運動神経、信頼度、諸々のステータス、それだけじゃない――全てにおいて、あの人には、どうあがいても勝てない」
冷淡な琴美の物言いに裕希は言い返そうとするが、その前にぽつりと春が口を開く。
「……あのね。前に話した飼育小屋事件があったでしょ。
あの時にあっきーを助けてくれたのが、『りょーちゃん』なのよ」
裕希は目を瞬かせる。
杏季が小学年の時に疾患を発症し、飼育小屋に閉じ込められた時。そのまま放置された杏季を見つけ出したという人物。
暗くなっても帰らない杏季を探し、一人で泣いていた杏季を助けた張本人。
それが、宮代竜太だった。
更に奈由はその後を続ける。
「話は聞いてたけど。りょーちゃんが男だってわかった今なら余計に分かる。
敵しかいなかった男子の中で、唯一の味方だったのが宮代くん。
小六の時だけじゃない、もっと小さい時にあっきーが扉の事故で弟をなくした時も、唯一その気持ちを分かち合えたのがあの人。
彼はあっきーにとって、特別過ぎる存在なんだよ」
彼女たちは竜太の去った方向をぼんやりと眺める。
これまでのこと全てに合点が要ったような、そんな表情であった。
帰り支度を始めた女性陣を尻目に、立ち上がった裕希はぼそりと独り言のように宣言する。
「決めた。俺、T大に行くわ」
「はあっ!?」
葵は素っ頓狂な声を上げ、裕希を覗き込む。
「だってお前、どんだけ先生に薦められたって、面倒だから確実に受かるとこ一校だけしか受けないって」
「気が変わった」
肩から鞄をかけ、裕希は唇を引き結んだ。
「当面であいつに分かりやすく勝つには、それしかない」
裕希は公園にそびえる大樹を見上げる。大樹が枝を広げるその上には、更に広い青空が広がっていた。
青空は深く高い。少しずつ、秋の空になりつつあった。
+++++
「悪いな。付き合ってもらって」
「いや。僕は別に構わないけど、一体、何の用なんだよ。……しかも」
京也は見覚えのある風景を見回す。
「こんな懐かしいところで」
苦笑気味に京也はぼやいた。
竜太と京也は、チームCの本拠地であった場所、高神楽家の所有するビルの中にいた。数日前までは彼も出入りしていたというのに、妙によそよそしい感じがする。夏休みが終わったためなのか、それともチームCが解散したからか、前と違って人気はない。
三階に続く階段を上りながら、竜太は振り返らずに答える。
「お前以外に適任がいなかったからな。ちょっと、治療して欲しいんだ」
「治療、って」
「着いたぞ」
彼らは三階に到着し、扉の前で立ち止まる。ビーが事務室として使用していた部屋である。
中へ入るが、そこには誰もいない。しかし竜太は気に留めず、そのまま部屋の奥へと向かった。奥にはまた別のドアがある。そのドアを竜太は躊躇なく、ノックもなしにがちゃりと開いた。
竜太の後ろから中を覗きこんだ京也は、思わず息を飲む。
「お前……」
そこにいたのは、先ほどもたびたび話にあがった元チームCの仮リーダー、水橋廉治その人である。
だが、そこに彼が知っていた、冷徹な面持ちの
廉治は無表情で力無くベッドに座り込んでいた。半袖のシャツから除く彼の両腕には痛々しく数か所に及ぶ青痣が残っている。
腕ほど酷くはないが、顔にも数か所、殴られた跡や引っ掻き傷が見られた。下は長ズボンのため分からなかったが、広範囲に渡る傷を見る限り、服に隠れた見えない部分にもかなりの傷があるのだろうことは予想できる。
竜太はドアに手を掛けたまま、ぶっきらぼうに言った。
「よお。連れて来てやったぞ、レン」
「……余計な事すんじゃねぇよ」
ふてぶてしく言い、廉治はそっぽを向く。彼の態度に京也は目を丸くした。
構わず竜太は廉治に近付く。
「そういう訳にもいかないな。そのままじゃ、お前は絶対医者になんか行かないだろ」
「僕がどうしようと勝手だろ」
「確かにお前が怪我を放置してどうなろうと勝手だけどな、俺の方が胸糞悪いだろうがよ」
「うるせぇな」
目を合わせぬまま廉治は吐き捨てた。竜太は腕組みして冷やかに告げる。
「てめぇいつまでも強情張ってんじゃねぇよ。もうケリはついてんだからな。当てつけのつもりならそうはさせねぇからな」
「分かったよ。分かったから、お前はもう帰れ。当分あんたの顔は拝みたくないね。さっさと行けよ、どうせ白原杏季でも待たせてんだろ」
廉治は投げやりな口調で、手で仕草をした。竜太はため息を吐くと、踵を返し、京也の肩に手を置く。
「悪いな。後は頼んだぞ」
言い残すと、彼は部屋を後にして、振り返ることもなく去って行った。
「……手間を掛けさせますね。貴方だって僕なんかを治すのは本意ではないでしょう。嫌なら帰ってもらって構いませんよ」
「驚いたし何事かと思ったけど、こんな状態のお前を放置するほど僕は非情じゃないんでね」
残された京也は、部屋に留まり廉治の手当てをしていた。潤の腕を治療しているので、勝手は分かっている。
廉治の所為で傷を負った潤の世話をしている身からすれば、複雑な思いはぬぐえない。かといって傷だらけの彼を見て突き放すことができるほど、京也は残酷ではなかった。
「相変わらずのお人よしですね、貴方は」
「僕じゃなくても同じことをしてるだろうよ。さっきの宮代の話じゃないが、もう夏休みで事は済んでんだ。わざわざ
思った以上に廉治の傷は広範囲に及んでいた。その傷の痛々しさに顔をしかめながら、京也は気になっていたことを尋ねる。
「お前、……そんなキャラだったっけか」
「何のことです?」
「さっきだよ。宮代と話してる時」
「あぁ」
廉治はふっと口元を緩める。
「あいつにだけは、ああなんです。今更、こういう口調で話す仲じゃない」
「仲は……良い、のか?」
腕の痣を見ながらおずおずと京也は呟いた。彼の表情を見て、廉治はくつくつと笑ってみせる。
「良くなきゃ、逆にここまで出来ませんよ。気を許しているからこそ、でしょう」
「にしたって、ここまでやるかよ」
「あいつからしたら、まだマシな方だったんじゃないですか。
ああ、念のため弁解しときますが、僕だって反撃くらいしてますよ。僕の方が喧嘩が弱いのと、あいつの場合は既に治療してもらっているからです」
「……さっき、臨も宮代に殴られてはいたけどな。あいつは一発だった。それにしたってどうかと思うけどさ」
「そりゃ、僕と彼とじゃ立場が違いますから。
少し話したのなら分かるでしょう。あいつの白原杏季に対する執着は異常だ」
京也は黙って頷く。竜太の説明からも、裕希への態度を含む行動の端々を見ても、彼が杏季をどれだけ大切にしているかは初対面の京也にもよく判った。端から見て、過剰すぎるほどに。
ふと思い当たり、京也は顔を上げる。
「もしかして。夏休みに、お前が急いでた理由ってのは」
まだ京也がチームCにいた時、そして敵として対峙するようになった時にも、廉治は度々「時間がない」と口にしている。それは、もしや。
廉治は壁にかけてあるカレンダーを見上げながら、隠すでもなく認める。
「理由はいくつかありましたよ。新しく制御装置が設置される前に。ナツ姉さんの誕生日の前に。
けど、最大の理由は……あいつが日本に戻ってくる前にどうにかしないといけなかった。心情的には別の理由が大きいですが、何よりも竜太が帰る前にどうにかしないと、そもそも全てが破綻しますからね」
彼の目線の先にかかったカレンダーは、日付の数字がびっしりとバツ印でつぶされている。だがその印は、夏休みの終わり間際で不意に途絶えていた。
そして沢山のバツ印で覆われたカレンダーも、あと二日で役目が終わろうとしている。
「なあ。……この部屋、なんなんだよ」
「何って」
平然と廉治は答える。
「僕の家です」
「家……って」
困惑して京也は辺りを見回した。
彼らのいる部屋は、八畳ほどの空間である。内装はコンクリートのむき出しであり他の部屋と大差ないが、大きく異なっているのは、室内に家庭で置かれるような家具が並べられていることだった。彼が腰かけているベッドの他、学習机に椅子、壁際にはタンスが置かれている。
まるで、誰かの私室のように。
「竜太から少しその辺りの話はあったんじゃないですか。
僕は親がいない。居候させてもらってたナツ姉さんの家には、あんなことがあって流石に居づらくなった。だから、ここに居させてもらってるんですよ」
まるで世間話のように、廉治は淡々と話す。かえって京也は面食らって、戸惑いながらも言葉を続ける。
「お前、……ここ、家でもなんでもないだろうがよ」
「大して変わりませんよ。暮らせるならどこでも同じだ」
目を細め、廉治は片手に体重を預けて顔を仰向けた。
「伯父も伯母も……ああ、ナツ姉さんの両親のことですが。二人の名誉の為に言っておきますが、彼らは赤の他人の僕でさえも追い出す気はさらさらなかった。僕の方が勝手に家を出たんですよ。適当な嘘を吐いてね。
これでナツ姉さんのいない家に帰る方が――何十倍も地獄だ」
京也は黙り込む。
それ以上、廉治は何も言わない。
ただ部屋の中には、京也の術の淡い光だけが灯っていた。
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