終章

第10話 左近、吠える

 迷宮の地下に木霊した左近の遠吠え。


 その遠吠えを発した左近の脳裏には、この世界に来てから初めて、前世の記憶が明確によみがえっていた。







――近江国、関ケ原。


(総崩れか……)


 大谷隊が壊滅したとの知らせに、流石の左近もついに観念せざるを得なかった。


「申し上げます! 蒲生頼郷がもうよりさと様、討ち死に!」


 僅かな手勢で織田有楽隊を押しまくり、大将織田有楽に手傷まで負わせた将が戦死した。これで石田隊の左翼は持ち堪えられないだろう。


「殿は下がられたか」

「ハッ、先ほど撤退を開始なされました」


 そうとなれば自分の役割は一つしかない。


「者ども、苦労の多い事だが、今一度奮ってくれい」

「応!」


 鳴りやむことのない銃声、ひっきりなしに飛び交う名のある将の戦死報告。

 金吾中納言の裏切りが決定打となったが、何より初めから味方の動きが悪すぎた。


(これが戦場いくさばに住まう魔物というものよ)


 石田隊は約三千。

 実際に前線に出ているのは二千に満たないが、西軍の中央で敵の攻撃を一身に受けながら奮戦してきた。


 黒田隊、細川隊、織田隊、松平隊、井伊隊。


 名だたる勇将の攻撃を受けながら、左近であるからこそここまで戦えたと言えるだろう。


「申し上げます! 摂津守せっつのかみ様、備前中納言様、総崩れ!」


 その知らせに、左近は微動だにしない。

 西軍の主力を担い、ともに大善戦した両隊の壊滅。それが意味する事は、この戦の終結である。


「さてと、最後の一仕事と参ろう」


 既に満身創痍、気力だけで生きている左近が、同じく満身創痍の愛馬に跨った。


「目指すは黒田隊」


 士気の失われかけていた石田隊に、高く天を貫く程の気炎が上がった。


「かかれえ!」


 見事に統制のとれた鉄砲隊を駆使する黒田隊に対し、決死の突撃である。


 一斉射撃に怯むことなく、大一大万大吉の旗印を掲げる石田隊が駆けた。


 血しぶきが舞い、阿鼻叫喚の地獄絵図が再び展開されていく。

 この時の光景を、黒田の兵は生涯忘れる事が出来なかったと伝わっている。


 そんな中、ついに力尽きようとしている左近の腰を、一発の銃弾が砕いた。


 たまらず落馬し、動かぬ身体を地に投げ出す。

 どうにか顔だけを黒田隊に向けるが、視界に入ったのは己の首を取らんと群がる黒田の兵であった。


(無念、我に万の兵があらば……)


 この狭い関ケ原の戦場において、激しい攻撃に曝されながら何倍もの敵を退け続けてきた島左近が、ついに討ち取られようとしていた。


(万の兵があらば、内府の首を取れていたであろう。口惜しや、我に万の兵があらば……)


「島の左近殿とお見受けいたす。黒田家郎党菅正利すがまさとし、その首もらい受ける!」


 直後、首に鈍い痛みが走った。







 左近の脳裏に鮮明に甦った、己の最期の記憶。


「アオーーーン」


 遠吠えに反応するかのように、迷宮全体がずしりと揺れた。

 まるで大地が沈んだような、そんな揺れである。


「な……これは」


 ほぼ全裸状態の三成の目に映ったのは、大一大万大吉の旗印を掲げる石田家の兵。


 その数は視界に映り切らない範囲まで、無限に広がっている。


ワオーン!かかれえ!


 刹那、凄まじい銃声が迷宮の地下に鳴り響いた。


 大地を引き裂くような音が反響し、魔物の群れに恐怖の色が浮かぶ。


 直後、数こそ少ないものの大筒までが撃ち放たれ、群がる魔王軍のど真ん中に鉛の弾が着弾。直撃を受けた魔物は見るも無残に体を四散させる。


 何処からともなく怒号が上がり、石田家の兵が槍を手に突撃を開始した。


 その後も銃声は鳴りやむ事なく続き、一斉射撃をまともに受けた魔物たちは粉々に粉砕されていく。


 三成を捕らえていた触手の魔物も言うに及ばず、兵達の猛攻の前にずたずたに引き裂かれて原型をとどめていない。


「殿!」

「頼郷……!?」


 見知った男が駆け寄り、裸の三成に陣羽織をかけた。それはかつて、天下分け目の大一番で身に着けていた自慢の一着だった。


「ここは我らにお任せを!」


 そして魔王城に向かって駆けていく。


 震える身体を陣羽織に包み、駆けていく兵を見守る三成の周囲には、原形をとどめていない無数の魔物の残骸が散乱していた。



 この時魔王城に向けて総攻撃を開始した石田隊は、その数およそ十万余。


 左近が死の間際に望んだ『万の兵』は、正しく十倍となってこの場に出現したのである。



 負傷していた左近の元へ駆け寄った三成は、震える手で左近を抱きかかえた。

 胴に深い傷を負い、呼吸の荒くなった左近を強く抱きしめる。


「左近、ありがとう。すごいね、左近、ありがとっ」


 知らぬ間に流れ出ていた涙を拭おうともせず、ただただ左近を想い抱きしめる。


クウ~ンいたい



 一方、十万騎を超える石田軍を相手に魔法で抵抗を試みた魔王であったが、その戦果は焼石に水となっていた。


 魔王が手ごわいと見た石田軍は、数百丁の鉄砲による一斉射撃で魔王を狙い、それをまともに受けた魔王は数百の鉛弾に体を粉砕され、五体飛散して絶命。


 程なくして魔王城へ突入した石田軍は、その四天王と目される魔族までをも討ち取り、多くの犠牲を出しながらも僅か数時間で魔王城を占領する事に成功したのだった。



「アオーーン」


 左近の遠吠えが響き、石田軍が煙のように消え去る。


 残されたのは、魔王に敗北した上に石田軍にもみくちゃに踏まれてボロボロになったイシヌマと、巨大な魔物に食べられてしまったが石田軍に救出された胃液まみれのタカムラ。


 それから、裸エプロンならぬ裸陣羽織の金髪碧眼の貧乳美少女と、瀕死の重傷を負った一匹。


 そして、朱く光り輝く水晶玉がひとつ。


「これか」


 どうにも変態な立ち姿で水晶玉を手にした三成は、手にしていた荷物から別の水晶玉を取り出し、そこに話しかけた。


「老婆、手に入れたぞ。左近を従者に選んで正解だった」


 刹那、水晶玉が不気味な光を発し、老婆の姿を映し出した。


『これはたまげた。五百年届かなかった場所にたった二日で届いたのか。お前を選んだ儂も正解だったという事じゃな。いーっひっひ、ちょっと待っておれ』


 程なくして、老婆が映し出されていた水晶玉から煙が噴き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る