オーガゲイン~鬼と魔法少女と鬼未満~

@hakumushin

第1話~途中の始まり~

「おい、きみ」

 人ごみに溢れかえる繁華街。匀昧咲楽ひとまいさくらは高校の制服を着てこんな夜に繁華街をうろつく自分が呼び止められたのだと思い、後ろを振り返る。しかし見ると、小さな子供と警官が話しており、なんだよ、と小さく舌打ちする。

 小さな子供だったら、あぁして心配される、誰かが気に留めてくれる。でも自分はどうだ? もう高校生になり自立した大人とみなされる。けれど法律ではまだ子供のまま、大人に入りきれない溢れた年齢……自分は半端ものだ、と咲楽は考える。自立しろ、と言われる反面、あれはダメ、これもダメと大人さまに行く手を遮られている。その大人は、咲楽が困っていても、見て見ぬ振りを決め込む。もう大人なんだから、自立しなさい、と。

 一人、あてどもなく繁華街のメインストリートを歩く。ここにいれば、咲楽は不思議と落ち着くのだ。喧騒に漂っていれば、自分という侘しさ、矮小さという檻を意識せずに済む。人ごみに溢れているのに、ここには誰もいないみたいに感じられる。個という存在が、群体という巨大な存在感に覆い隠される。自分そのものが、群体に埋没して煌びやかに反響する賑やかしに紛れ、ただただ漂う心地よさと胡乱な気だるさが楽しい。

「ねぇねぇ、きみ。一人?」

 咲楽は歩を止める。今度は間違えようがなく、自分に話しかけてきたのだ。何せ、相手は真正面に回り込み、咲楽の目を見ている。

「よかったらさ、このあと、俺らと食事しない?」

 二人組の、服をだらしなく着込んだ男たち。

 咲楽はにこっと淀みなく微笑み、こくりと首肯する。

 二人組の男たちは互いに顔を見合わせ、にやりと嘲るように笑った。



 むせ返るような熱気、絶えず往来する魂の群れ、瞬くともなく天空に張り付く星々の下、繁華街は酸いも甘いも取り込み、吐き出し、圧力の調節を行っている。高いところから低いところへと流れる水とは逆に、群れ集いひしめき合う人々を、うんざりするように、散地瑠希亜ちるちるきあは雑居ビルの屋上から睥睨する。

「まったく、嫌になる」

 吐き捨てるようにつぶやく瑠希亜。Tシャツにスラックスというラフな出で立ちの、まだあどけなさを残す青年だった。

「そう? 僕は好きだなぁ、こうゆう場所って、人が見えるでしょ?」

 青年の隣、ビルのヘリに腰掛け、朗らかに微笑む少女。少女の名前は、満木沫夜みちるぎあわや。ノースリーブパーカーのフードを被った、八重歯が特徴的な幼い子供である。

「人が、ねぇ……」

 呆れたようにつぶやく瑠希亜。

「で、どうするの?」沫夜はしゃぶっていた棒つきキャンディーを口から出して差し出しながら、瑠希亜に訊ねる。「いる?」

「いらねーよ……」瑠希亜は面倒くさそうに一蹴すると下界にいるある人物を睨み据えて、「あいつ、知ってると思うか?」沫夜に訊ね返す。

「んー」心外だとばかり眉を顰める沫夜はキャンディーに口づけしてから、改めて口に入れる。「どうだろうね……あぁ見えて、彼、僕たちよりずっと年上だからね……知っていてもおいそれとは教えてくれないんじゃない?」ビルのヘリから足をぶらつかせて、彼、を見ながら口にする。

「……だよな……」

 瑠希亜はやれやれと頭を振る。

「ん、動いたね」

 沫夜がポン、と窄めた口からキャンディーを出す。

 言われるまでもなく、瑠希亜にもわかっていた。

対象の彼が、路地の方へと歩き出す。

 警官を誘うようにして。



 その警官は繁華街を警邏している途中だった。平日だというのに夜ともなればこの界隈には人が多く繰り出す。当然、犯罪及びその温床となる箇所や空気も多く存在しているので、頻繁な警邏はその抑止撲滅に必需だった。

 今日はなんと、繁華街をうろつく一人の子供を発見した。近くに親御さんらしき人物は見当たらない。まだ小学校低学年程度に見えるその子に、警官は話しかけた。「おい、きみ」と。普段、青年や中高年を相手にすることに慣れている警官は、子供の相手は不得手だった。どう対応するべきだろう、場合によっては交番に連れて行って、他の警官に相手してもらおう、と瞬時に考えるほどに。

「あっちの方に落し物しちゃったんだ」

 そんな警官に、子供は指差して訴える。見るとそこは、薄暗い路地だった。

「そうか、そうか。じゃあおじさんも探してあげるよ」

 警官はそう答え、誘われるままに、路地に入る。

 L字型にカーブした路地で、奥まった通路は左に折れないと見通せない。こんな場所で子供は何をしていたのだろうか、警官は不思議に思いつつ、「で、何をどのあたりでなくしたんだい?」質問する。

「もっとこっち」

 子供は警官を手招きする。

「もっと、もっとこっち」と。

「はいはい」警官は携帯していた懐中電灯で辺りを照らす。エアコンの室外機、薄汚れたダクトに雨樋、捨てられた空き缶やその他雑多なゴミが、光の輪に入ったり消えたりする。「まだかい?」警官は努めて優しく口にする。

「もっと、もっとこっち」

 ついに子供は、L字型の奥まった路地裏に曲がっていく。

「本当にそんなところ?」警官は不審に思いつつも、できるだけ優しく訊ねる。

「うん、こっち」子供はそう繰り返す。

 随分と暗い。四方がビルに囲まれているのだから当然だが、数十メートル先にあんなに人や光が溢れていたのに、まるで異界のようにここは薄暗く薄ら寒い。

「もっとこっち」

「おいおい、この先はもう行き止まりだよ?」警官は子供にそう伝える。繁華街一帯は頭に叩き込んである。こうした路地裏は犯罪の温床になりやすいのでなおさら把握しているのだった。

「おい、きみ?」警官が言いかけたとき、子供が急に立ち止まる。

 次の瞬間、何かが警官の横を通り過ぎる。ビクッと身を震わせ、反射的に懐中電灯をその何かに向けて確認する。

 猫だった。

 ゴミでも漁っていたのか、それとも家でもあるのか……、人間が近づいたので咄嗟に逃げ出したのだろう。

 ホッとしたのも束の間、警官は斜め後方から、カタカタと乾いた軽い音がしたのを聞き取った。そちらは子供のいる方向、さきほどまで歩いて行っていた方だった。

 不審に思い、懐中電灯をそちらに向ける警官。

 そこには、白骨が立っていた。

 白骨……、それは、人骨だった。

 剥き出しの骨がぽつねんと光の輪の中に立っているという不条理な情景。人骨はなぜか、肩をやたらと怒らせている。

「は?」警官は思わず口に出す。

「「「「こっち」」」」白骨はカタカタと顎を動かして発声する。口という空洞から轟いてくる、幾重ものトーンの声が同時に響き、気味の悪さを倍化させる。「「「「もっとこっち」」」」カタカタとどこかユーモラスに骨を鳴らして、警官を手招きする。

「どうなって……」警官は乾いた口からようやく言葉を発する。目だけを動かして、子供を探すが見当たらない。「あの子は?」

 コキコキと首を曲げ、骨を鳴らし、「「「「もっとこっち」」」」なおも空洞から幾重もの声を轟かせる。「「「「もっとぉー」」」」突然雄叫びを上げると飛びついてくるように両手両足を広げて警官へと襲いかかった。

「う、うわあぁぁあぁぁぁああ」警官の絶叫が、路地裏に谺した。

 瞬間、

 何かが落下してきたのを警官は見た。そして、鈍い衝突音。「「「「ぐへぇ」」」」というくぐもった幾重もの声。

「あっぶねぇー、やばかったぁ!」

 尻餅をついた警官が、いつの間にか瞑っていた目を開くと、目の前には、Tシャツとスラックスという出で立ちの後ろ姿の男性が立っていた。

「沫夜ぁー、もっと低い位置から落としてくれよ」

 男性が頭上に向かって文句を垂れる。

「十分低かったって、これ以上低くしたら相手にダメージないよ?」

 少女のような声が警官たちに降り注ぐ。

 警官は頭上を仰いだ。

 黒と藍色の空を背景に、パーカーのフードを被った少女が白い棒に跨って滞空しているのが目に飛び込んできた。白い棒は尾にまん丸の球体を備えているのが見て取れる。

 巨大な棒つきキャンディーだ、と警官はぼんやりと思った。



「「「「いったいなぁー、ったく」」」」幾重もの声に、警官は再び地上へと視線を戻す。肩を怒らせた人骨が、むくりと起き上がるところだった。「「「「あぁーあ、胸骨が折れてんじゃん」」」」その声には、さきほどまでいた子供の声も混じっているように聞き取れた。

「治療してやろうか?」

 Tシャツにスラックスの若者、散地瑠希亜が人骨に対して言う。

「「「「いいよ、別に」」」」重低音織り交ぜて発せられる言葉はしかし、子供じみた物言いだ。「「「「ただし、復讐はさせてもらうけどね」」」」

「ふぅーん」

 瑠希亜はつまらなそうにつぶやく。

 人骨は罅の入った胸骨を、指の骨で撫でると、「「「「もっと、もっと、もっと、もっと」」」」と叫び始めた。すると、全身が小刻みに震え出し、一瞬のうちに、大きくなった。さらに、「「「「もっともっと、もっともっと」」」」と叫ぶのに呼応して、また倍に大きくなり、そしてついには四階建てのビルに匹敵する大きさにまで巨大化したのだった。

「わぁーお」

 滞空していた少女、満木沫夜が見上げて歓声を発する。

 直立していた巨大な人骨は、ぐぐぐ、っとのっそり上体を屈め、瑠希亜と警官の方へと差し迫る。「まじか」と、瑠希亜は舌打ちして、尻餅をついたままの警官の腕を取り、「おい、急げ」と急かす。

 巨大な人骨は怒らせた肩を支点に腕を持ち上げる。腕はビルの高さを悠々と越える。夜のネオン街を突き抜けて生える巨大なタワーのようだった。

 巨大な人骨は、そのタワーを、勢いをつけて振り下ろす。

「やばい、やばい……沫夜ぁー、頼む」

 瑠希亜が路地裏を右手に曲がろうとしたところで、声を張り上げて滞空した状態を維持する沫夜に呼びかける。

「あいさ!」

 沫夜は軽く請け負い、振り下ろされる巨大な腕のちょうど真ん中まで浮いたまま移動し、「それ、とつげきー」と白い棒を斜め上空に差し向け、自分ごと一気に駆け上がる。振り下ろされるのと、駆け上がるのとが交わる寸前、放電のような雷光が一閃する。巨大な腕の骨は弾かれるが、沫夜は微動していない。「どうだー?」

「「「「もっと、もっともっともっと」」」」人骨は絶叫する。巨大化した人骨の叫びは、ビルを揺らし、地鳴りを発生させる。

「おい、沫夜!」

「なんだ、どうした瑠希亜?」

 警官を置いて戻ってきた瑠希亜は、沫夜の真下から頭上を見上げている。

「おまわりさんはどうした?」

「気絶したんで向こうに置いてきたよ。それより、呪いを解除してくれ」

「あいあい」

 沫夜は懐から懐中時計を取り出すと、それを瑠希亜目掛けて放る。瑠希亜の全身を包むほどまで巨大化した懐中時計の幻影が、瑠希亜の眼前に陽炎のように立ち込める。そこへ歩を進める瑠希亜。

「さて、と……」ふぅーっと息を吐いてから、「戻りますか」自嘲気味に笑い、その幻影の懐中時計に、右手だけを差し入れる。

「お、右手オンリー? 大丈夫かい?」

 頭上から沫夜が声をかける。

「問題ない」瑠希亜は軽く応える。

 腕を引き抜いたのと合わせて、幻影の懐中時計は消えて、気づけば、沫夜の手元に元のサイズに戻った懐中時計が握られていた。

「「「「その腕は?」」」」

 事の次第を呆然と眺めていた巨大な人骨は、瑠希亜の右腕の変化に驚愕する。

 瑠希亜の右腕は肘から下にかけて紫に変色し、爪は黒く鋭いものとなっている。さらに、全身を覆うように白と青の瘴気が立ち込め、輪郭も白く縁どられて陽炎を通したように歪んで見える。

「「「「なんだ、お前は?」」」」

 人骨が苛立ちで平静を保つように吐き捨てる。

「お前こそ、なんだ? その無様な格好は……」変化した右腕、その人差し指で骨を示す瑠希亜。「お前、堕鬼だな?」

「「「「ダキ? なんだそれはぁ?」」」」

「はい、ダウト! ったく、骨折り損かよ……」言ってから、違うって、と頭上に抗弁する瑠希亜。

「うん? 何がだ?」

 沫夜はきょとんと首を傾げる。

「うん……まぁいいや……」瑠希亜は再び人骨に向き直り、「んじゃあまぁ、ちゃっちゃと片付けちゃいますか」右腕の指の関節を鳴らした。

「「「「格好つけるなー」」」」

 降り注ぐ巨大な骨身の両手、その猛攻を寸でで掻い潜る瑠希亜。

「「「「なぜ当たらないんだぁー、もっと、もっと、もっとだぁー」」」」

 巨大な人骨は、身震いしたと思ったら、さらに巨大になる。もはやビル群を見下ろせるほどの巨体だった。

「あちゃあ、さすがに人目につきすぎるだろう、これ……」瑠希亜は頭を抱える。

「めちゃデカ!」沫夜は口をあんぐりと開けて驚く。

「「「「壊れろぉー」」」」 

 巨大な人骨は腕を振り下ろす。しかし巨大になりすぎたため、下半身がビルとビルの間すれすれのサイズ、上半身は既に収まりきらず圧迫していた。当然のごとく、握り合った両手を振り下ろせばビルの外壁に当たる。

「わ、馬鹿!」瑠希亜の叫びに合わせて、外壁を削り取りながら振り下ろされる巨大な腕の骨。「ちっくしょ」降り注ぐコンクリートを、瑠希亜は変化した右腕で薙ぎ払っていく。そして、ついに巨大な骨が自分と接しようとしたとき、広げた手のひらで、それを受け止め、ようとして前転して避ける。

 握り締めた巨大な手はコンクリートの地面に放射状の割れ目を作り、めりこむ。

「あっぶねぇ、マジで」

「なんで受け止めなかったんだよ、瑠希亜ぁー?」

 相変わらず巨大なキャンディー棒に跨り滞空した状態の沫夜が声を張り上げて叫ぶ。骨と骨の隙間から、辛うじて転がった瑠希亜が見えている。

「「「「どこに行ったァ?」」」」骨本人は瑠希亜を見失っている。自分の両手の骨の間に瑠希亜が入り、視認できずにいるのだ。

「腕しか呪いを解除してない状態で、こんなもん受け止められっかよ……」瑠希亜はぶつくさと、骨に聞こえないようにつぶやく。「さて……と」頭上を仰ぎ見る。巨大な腕の骨という傘の下に自分はいるのだと思うと、怖気が走る。けれど同時にそのスケールのあまりの大きさに、フィクションにしか思えない滑稽さも混じる。「んじゃあ、ま……、終わりにさせてもらうわ」

 瑠希亜は右手を引いて、身を屈めると、そう宣言した。

「「「「どこに行ったって言ってんだよぉー」」」」

 おんおんと、不気味に響く重低音綯交ぜの声はもはや爆音となり、辺り一帯に響いた。このままでは大勢の人がこいつに気づいてしまう……、だけならまだしも、ここに来られたらたまったものではない。早々に決着をつけなければ、瑠希亜はそう考えた。

 瑠希亜は、気合いを込めて、右手を弓なりに一閃させる。すると、弓状の青白い刃が、頭上を覆い尽くしていた巨大な腕骨に罅を入れ、ついでもう一閃させると雪崩を打ったように罅が広がり、そして、手首あたりから本体と切り離すことに成功した。

「「「「んなぁ!」」」」幾重もの声が奇怪な声を漏らす。「「「「何をしやがったぁぁぁあああ!」」」」

 それから身を翻らせると瑠希亜は、切断面のとっかかりを変化した指先で掴み、そして、自分の全身をひと思いに持ち上げた。巨大な腕骨の上に飛び乗り、さらに上にある頭蓋骨を見上げる。頭蓋骨には、人間サイズのときには見えにくかった突起物が、眉間よりやや上から生えている。

「鬼の残りカスってとこか……いま、行くわ」言うが早いか、腕骨を一気に駆け上がる瑠希亜。

「「「「来るなぁああああああ」」」」

 口の空洞より絶叫が轟く。

 振り払おうともがく巨大な人骨。

 しかし、まったく意に介さないとばかり、瑠希亜は人骨を辿り、頭蓋骨へと駆け上がっていく。

「おぉー、すっげ、かっけぇ」と沫夜は見上げて拍手する。

「「「「何なんだぁーお前はぁああーあああああぁぁ」」」」

「だから、お前の方こそ、何なんだ?」人骨の怒らせた肩の上に立ち、一旦侵攻を止めると、瑠希亜は改めて訊ねる。「お前にこの怪異を授けたのは、どこのどいつだ?」

 やたらと並びの良い歯を、ぎしりと擦り合わせる人骨。

「ひょっとして、絵門定経(えもんさだけい)ってやつじゃないか?」

 人骨は、ぐぅと悔しそうに呻きながら、空いた左手を瑠希亜の立つ自分の右肩甲骨にぶつけに行く。ちょうど断面が届くくらいには柔らかい関節を持っているようだ。

 だが、衝撃と同時に起こる手応えは、襲撃者を潰したものではなく、受け止められたものであった。

「「「「は?」」」」人骨が頓狂な声を上げる。

 無理もない。青年は右腕一本で、自分の何十倍もある人骨の猛攻を防いだのだ。さきほどの咄嗟の前転といい、ここまで駆け上ってくる機動力と体力といい、こいつは本当に何者なのだ、人骨は狂乱する脳のない頭で考える。

 しかし考えても仕方がないとばかり左腕をもう一度叩きつけるため、一度引かせにかかる。だがその左腕に乗って、瑠希亜は頭蓋骨の真正面を捉えた。

「終わりだ」

 え、と言う間もなく、瑠希亜は跳躍し、頭蓋骨に襲いかかる。

 数瞬の間、

 瑠希亜の青白い燐光に縁どられた全身、

 そして振りかぶった変化変色した右腕、

 脈打つようにしならせたその右腕が燻るような陽炎を揺らめかせる。

 すべての時間が停止したように感じられた瞬きほどの間だったが、人骨はすべてを捉えていた。振りかぶられた右腕は弓状の衝撃波を伴い、頬骨を左から右へと殴りつけて行く。あまりの衝撃に空気が雷のように震え、太鼓を打ち鳴らしたときのように波動が全身を打つ。

 あ、あぁ……自分は終わりなのだ、巨大な人骨は脆くも聡しく、そう悟った。

自分は化物に生まれ変わったのだ、と浮かれていた。しかし真性の化物は、こうして目の前にいて、半端な自分に怒りの鉄槌を振り下ろしたのだ。

 薄れゆく意識の中、人骨の化物はそう思い、そして意識は暗転した。



 その若者は、とにかくむしゃくしゃしていた。どうにもならない現実に、親に、社会に。そうした得体の知れないものたちに怒りや苛立ちをぶつけて、自分の空虚さ、人生の淡さとの折り合いをつけていた。しかし然したる才能も度胸もない自分には、大罪を犯したり革命を起こしたりするほどの器はないと自覚してもいて、毎日をただ虚ろに過ごしていた。

 そんなある日のことだ、狸の面を被った見知らぬ人物が現れ、自分を「鬼譲りの白煙」だと名乗った。むしゃくしてクラブでストレスを発散しているところだった。酒にも酔っていたこともあり、その人物を面白がり肩を組んで談笑した。

 鬼譲りの白煙は、日頃の得体の知れない鬱憤を激情とともに吐き捨てる若者に、良いものをやろう、と持ちかける。持てば人外の異能を手に出来る怪異、鬼をくれてやる、というのだ。若者は酔も手伝って「おぉ、くれくれ」と気乗りしてしまった。

そして、鬼に感染した。

 若者はしかし、鬼のなり損ないとして皮膚を破り棄てた鬼未満の半端な怪異、堕鬼となる。ここでも自分は半端ものなのかと若者が怒り狂うと、クラブにいた全員を怒りのままに殺してしまう。

 目に見えていたすべての人間、一切のあらゆる人間を殺し終えたとき、若者は虚無と恍惚に身を震わせた。こんなことはもう二度とごめんだ、と思う反面、もっとだ、もっとやれ、と訴えかける自分ではない、けれど自分の中から轟く声を聞いた。

「なるほど? それ以来、こいつは鬱憤晴らしに人殺しに明け暮れた、と」

 瑠希亜が顔をしかめて口にする。

「んー、みたいだねぇ」

 沫夜は屈んだ姿勢で、子供に差し伸べていた手をそっと離す。

 子供。

 そう見えるこの子はしかし、実年齢は四十を越えている。自分の年齢、生きられるはずだった持ち時間と引き換えに、この人物は怪異、鬼に身をやつし、栄養分を与えていたのだ。鬼に取り憑かれその異能に魅入られたこの人物は、鬼に栄養分を次々と搾り取られ、見た目の年齢が下がっていき、ついにはこの年齢まで退行してしまったというわけだ。

「本来生きるはずだった時間ばかりか、もとの年齢よりもさらに下がって……それじゃあ持ち時間のマイナスじゃん」

「うん……、だから自己矛盾を来たしていたみたいだよ。残念だけど、暴発した怪異のせいで残りの寿命を一気に消費し尽くしてしまってるね」

沫夜は瞑目し、両手を合わせる。

「前にも思ったけど、魔法少女の宗派ってあんの?」

 ほどなくして、子供はさらに小さくなり、赤子にまで時間を巻き戻すかのように退行し、やがて、灰となり風もないのにさらさらと空気に拐かされ、あっという間に跡形もなく消え去ってしまった。

 沈黙があった。

「んー、これで一件落着っと。で、何? 何かいったかい?」

 満面の笑みで沫夜が立ち上がる。

 短く息を吐く瑠希亜。

「いんや、何にも」

 そそくさと、路地裏を後にする二人だった。

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