短編童話集『栞の園』

冬春夏秋(とはるなつき)

スネイクス・リトルクラウン

おおきな蛇とちいさな王冠



 ――村の近くに、海と同じ味のかわがあるだろう。



 あの大きな河沿いの森には、すごく大きな蛇がいるんだ。



 それで、そのとても大きな口で、何でもひと飲みにしてしまうんだ。



 犬も猫もおおかみ獅子ライオンも、みんなぱくりさ。



 昔、隠れを探していた盗賊団とうぞくだん宝物たからものごと飲み込んでしまったこともあるんだって。



 それで、その宝物目当ての人達も、まるごと飲み込んでしまうんだ。






 だからね、お嬢ちゃん。




 ――あの森には、近づいてはいけないよ。





         


        /おおきな蛇と、ちいさな王冠




 その日は、ひどい雨が降っていた。河は冗談じょうだんみたいにあふれ出す。



 その日、ある家の幼子おさなごが高熱を出して寝込んだ。


 両親は雨の中、馬を走らせる。



 このままでは私の子どもが。私たちの子どもが、雨と一緒に流れてしまう。



 小さな村で、医者は橋の向こうの街にしかいなかったのだ。



 優しい子なんです。



 かみさま。かみさま。かみさま。


 どうか。どうか。どうか。この子を。



 それでも、天には喧嘩のような雨音と、ばきばきと木々を飲み込んでいく狂った河の叫びで、声が届かなかった。




 そして、ついに。



 親子を乗せたまま、橋が悲鳴を上げて倒れてしまった。



 父親は必死に妻の手を取った。母親は娘を抱いて離さない。



 灰色の空と、茶色い水の中で、高熱にうなされた娘は言った。



 おとうさん、おかあさん、もういいの。もういいから。






 ……言って、母親の腕をするりと抜けて、狂った河に流されて行った。





 荒れ狂う大雨と濁流だくりゅうに終わりは無く。



 父親は必死に娘を追う。



 優しい子なんです。



 かみさま。かみさま。かみさま。



 流れの先には、あの森があって。/どうか。どうか。どうか。



 そこには、大きな大きな蛇がいて。/助けて。助けて。助けて。



 流れ着いた、まだ小さなその子を。/優しい子。優しい子、なんです。




 ぱくりと、のみこんでしまいました。/―――――――――――――。











 /







 目が覚めると、そこは見た事がない場所だった。



 わたしは、やわらかいベッドの上にいるみたい。



 羽根のシーツは、何だかまだ、夢の世界にいるみたいで、ベッドはゆっくりと上下していて――



 触ってみると、ひんやりしていて、火照ほてった身体に気持ちが良くて、それで…



『おはよう。調子はどうだい、お嬢ちゃん』



 その声に、心臓が止まってしまうかと、思った。



 目の前には宝石みたいにきらきらしていて、それで、わたしの身体よりもよっぽど大きな、蛇の顔。



 よく判らなくて、首をぶんぶん振った。



 大きな蛇は、ぱちくり。


 わたしの身体からだくらい大きな瞳をつむって開いて、それは良かったと、チロチロ赤い舌を出して笑った。



 ――だからね、お嬢ちゃん、あの森には――



 近所のおじさんの言葉が思い出されて、すごく怖くなった。



 おとうさんとおかあさんに、すごく逢いたくなって、ぽろぽろなみだが落ちてしまう。





 大蛇はどうしたものかと困り顔。


 まだ鹿しかが腹に入っているが、食べるかい?


 ますます娘は泣き崩れ。


 それじゃあこれは、と小さな王冠を、舌先で娘の頭に乗せてやる。



 今度は娘が目瞬またたいた。不思議な顔で蛇を見る。



 大きな舌が、小さな娘の泪をすくって取った。




 むかしからの決まり事。言って蛇は洞窟の入り口のような口を開け。



 子どもは食べないのさ、と隙間風すきまかぜのようにわらった。






 /おおきな蛇と、ちいさな娘






 大蛇の口は、不思議の国のドアのよう。



 おもちゃや果物、ドレスに絵本。何でも出てきた。



『もっと蛇は怖いものだと思っていたの』


 娘はそんなことを口にする。


 大蛇は笑って言った。


『お前が子どもで無かったら食べているよ』



『大人になったら食べても良いよ』娘は言う。



『だって、わたしは何にも返せない』


 それに蛇は答えた。



『優しい子。子どもは見返りを考えてはいけないよ』



 蛇は口を大きく開けて。



『親にとっては、自分の子が何よりの宝物なのさ』






 そう言って、ぱくりと娘を飲み込んでしまった。











 /小さな蛇と。



 とおむかし



 まだ小さかった蛇は、ある男に薬を貰った。



 それは、不老不死の薬なのだという。



 それを飲み込んで以来、蛇は永遠の命を手に入れ、皮を脱いでは新しくなっていった。



 その後、蛇は金の卵を産むようになって。



 卵は欲の深い人間達に盗まれて行った。



 怒った蛇は、人間達をみんな飲み込んで、それから悲しくて千年泣いた。



 千年かけて、涙は河へとなっていく。



 これなら良いと、蛇は森の中に移っていった。



 それから更に千年。



 いまでも、なくした仔たちが忘れられずに、大蛇は子どもを食べるのを、頑なに拒否している。





 /小さな王冠







 老いも病も無くす蛇の腹の中で、娘は次第に元気を取り戻していく。



 娘を飲み込む時に、蛇は言った。



 あと二日もすれば、元気になって、そしたら森を出ていきな。



 蛇に飲み込まれる時に、娘は言った。



 蛇さん、蛇さん。どうしてそんなに優しいの。



 娘を飲み込んで、蛇は思う。



 子どもが出来たみたいで、アタシは久しぶりに嬉しいのさ。優しい子。











 それから一日経った夜。いつものように大蛇は娘を飲み込んだ。



 あしたでお別れね、蛇さん。ねぇ、大きくなったらわたしを食べて。



 蛇は答えず、洞窟の入り口で、大きな瞳を閉じた。



 お前は優しいが、ばかな子だね。











 ――――ずんと岩が落ちてきた。



 蛇の口に、落ちてきた。これでは口が開かない。



 大蛇は目を覚まして、辺りを伺う。



 娘の父親が、ばかみたいだ。手斧なんかを持って、大蛇をにらんでいた。






『娘を返せ』父は言う。



『あいにく、口が開かないのさ』大蛇は閉じた口で笑う。



『それなら腹を裂いてでも』決死の覚悟で父は言う。



 蛇は小さく、腹の中の娘に、ありがとうとささやいて。



『好きにしたら良い。どうせなら宝も持っていくかい、人間』動かず、口の端で笑って言った。



『私の宝は、あの娘だけだ』









 大蛇の腹を、斧が裂いていく。蛇はわめかず、目を閉じた。



 腹の中には、羽毛にくるまれて眠る、愛しい娘。



 取り出す時に、蛇は言う。



『アタシの宝も、娘だけさ』









 優しい娘が目を覚ます。次には涙をいっぱい溜めて。



『蛇さん、どうして。蛇さん、どうして』



 小さな王冠を抱き閉めて、娘は蛇に駆け寄った。



『大きくなったら、お前を食べて良いと言ったな、優しい子』



『うん、うん。だから、それまで。生きて、生きて』



『何度か試して思ったのだけどね』


 さいごに、へびはわらっていった。



『やさしいこ。おまえはまずくて、たべれられない』




 ひとみを閉じて、笑ってった。





 おしまい。



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