ファミレスも、コンビニの自動ドアも怖かった制服のころ
忘れもしない中学生から高校生の花咲ける制服の時代。
私は私服で外出ができなくなり、かぐわしい青春を棒に振った。
とにかく自分のすべてが恥ずかしかった。
身なりも、顔も、一挙一動些細なことひっくるめた全部、他人に見られるのが怖かった。すれ違う見知らぬ人にびくびくし、誰かと向き合わねばならない店の『レジ』が怖かったために買い物さえできなかった。
制服を着て学校へ行っている間は普通だった。どこかに所属している間は、私という『個人』が『生徒』にカモフラージュされるから、だったのかもしれない。
生きているだけで恥。
常に生き恥晒して、誰かの糾弾に怯えている状態。
あの時から「(結婚はしない・できないから)将来はひとりで生きていかなくてはならない」というビジョンを持っていた私は、このままの自分が将来へ続くことにものすごい恐怖を抱いていた。
そらそーだ。
買い物ができないのだ。どう生きていくというのか。誰かと出会わずに生きていくことなんかできないのだ。
お恥ずかしい話、本気で『人に会わない土地』を探し、もうアフリカの未開の土地か未発見の無人島へ行くしかない、アアでもそこに行くために買い物をしたりお金を稼いだりしなくてはならない……! と、暗澹たる気持ちになったものだ。
バカめ。
周囲の友達はみんな、コンビニで買い物ができるらしい。
お洋服だって、自分で選んで買うらしい。ファミレスに入ってご飯が食べられるし、美容院も一人で行くんだと。
……それが「普通だ」ということが、なにより信じられなかった。
それはどれも、私が死ぬより恐ろしいと思うことだったのだ。こうして書いていて、その感覚の伝わらなさに悩んでしまう。あの時私はファミレスの看板すら恐ろしくて見ることができなかったし、そも、そこへたどりつくために道を歩くことさえ心が破裂しそうな恐怖と罪悪感にさいなまれる状態だった。
みんなは一体いつからその「普通」ができるようになって、私は取り残されていたのか?
どうやら私が普通ではないらしい、とはうっすら気づいた。
そして、私は、「自分が普通じゃないこと」を必死で隠そうとした。
要は「ご飯食べに行こうよ」という誘いを片っ端から理由をつけて断ったのだ。
―――このまま、ほんとうにおとなになれるのかな。
小説に出てきそうな上記のセリフをマジで真剣に考えちゃうくらいには緊急事態だった。
ちなみに、切ない瞳でそう思ったあの時の少女は、現在立派なババアになっている。
今思えばこれらのことは完全に「対人恐怖症」という一言ですませられるのだが、その時は自分がなぜこういう状態になっているか皆目わからず、もういろんなことでいっぱいいっぱいになって何度か、いや何度も、死ぬことを考えた。恥を承知で告白するが、死ぬチャレンジも何回かしている。この恐怖でいっぱいの毎日が自分の残りの寿命ぶん続くことがなによりも怖かった。
バスタオルで首を絞めて目の前がまっしろになったことにビビって以来、死ぬのはやめたけど。
……今はあの時の臆病な自分を、「臆病でよかった」と思えている。
こんな話をなぜ、社会人になった今書いたかというと、こういう思いをしているのがどうやら私だけではないらしい、ということを知ったからである。
あの時は世界で自分一人が「コンビニに行けない」などというバカなことで悩んでいるのだと思っていた。洋服を買えないことは恥ずかしいことで、ファミレスでごはんを注文できないことが世界最大の恥だと思っていた。
あのすさまじい自分との生存戦争を生き延びた私だから言える。
その期間が永遠に続かない、ということ。
中学生から高校生のあいだ、私はずっと誰かにそう教えてほしかった。なのに周囲にいるのはノンキにマクドナルドの新作の味を評価したり、新しく買った洋服の自慢をしたり、カラオケの日程を決めようとする普通たちばかりだったのだ。
孤立無援。
孤軍奮闘。
いまでも「孤独」な私だけれど、それはあの時の「孤立」とはぜんぜん違う。
何を思ったか、大学は片道3時間の遠方を選んだ。
合格通知を受け取ったときは呆然とした。家から出られない私が、マジであの遠方へ四年間通うのか、知らない電車をよっつも乗り継いであそこへ行くのか、と。
それが本当に四年間通いきったんだから、人間なんでもやればできるもんだ。
今でもわずかに会食恐怖が残っており外食が苦手なフシはあるが、それでも買い物はガンガンするわパスポートは一人で取りに行くわライブに行くわ、「対人恐怖」じたいはほぼ残っていないと考えていい。もちろん、大手を振ってダッサい私服で公道を歩けるようになった。……これは進化でなくて退化か?
どうやってそこを脱したか?
時がたつにつれてなくなった。明確な原因は覚えていない。
ただ、青春をするべき6年間ひたすら自分のすべてを恥じ、嫌い続けたことに疲れ切って、大学で昔のすべてがどうでもいいとばかりにたくさん笑ったことが大きいのかも。毎日笑っていた。箸が転がっても笑えた(※実話)。
自分を知る人が一人もいないところへ行って、一度すべてをリセットすれば、新しく出会った人たちと新しい話題で笑えるようになる。もちろん、遠いところへ行かなくたって、必ずなにかしら「脱する」機会は訪れるもんだ。保証する。救いを本気で必要とするなら、遅かれ早かれターニングポイントが来る。それを自分で引き寄せるかどうかは、さておいて。
腹が痛くなるまで笑えるようになれば、もう大丈夫だ。
何度も言おう。
長くは続かない。ましてや永遠に続くものなどひとっつもないのだ。
今、私は「あの時の地獄に比べれば」と何もかもを耐え抜ける強靭さを手に入れている。無双状態だ。最強キャラだ。昔焦がれた「普通ちゃん」たちに、私のこの強さはなかろう。他に書いているように世間的に「アラサーおひとりさま低所得」っつーお先真っ暗な現在にわだかまっていようとなお、それがなんぼのもんじゃと達観できている。やばい、自分で書いてて泣きそう。
あの時に比べれば、「全然余裕」なのだ。
どうせ最後は灰になって終わりである。老若男女、紫であっても末摘花であってもたどりつく先すべからく灰であるなら、そこまでをどれだけ笑って生きるかが自分の価値の決め所である。
なにもかも、無駄にならない。
だから歯ァ食いしばって、生きるといい。
生きるのだ。
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