Gender Lost

わしを

第0話

 諸君は、滅びの危機にある幻の人種、「男」の存在をご存知だろうか?


 その噂は聞いたことはあっても、実体をその目で見た者は滅多にいないであろう。その姿を詳細に描こうとすると当局の検閲により削除されてしまうため、ほとんどの人は男の概形すらもおぼつかないのが実情だ。


 しかし、つい百数十年ほど前までは、男はこの国の人口の約半数を占めていた。それどころか、国の支配層のほとんどが男という時代も信じられないほど長く続いたのである!!

 彼らは、生物学的にいうなら人類の「オス」の役割を担っていた。当時の人類は男と女(メスに相当。現人類と遺伝的に等価)との動物的な交配によってのみ彼らの子を殖やしていたのである。


 動物的…そう、まさに動物的である。


 すでに狩猟採集から農耕牧畜の時代へ移行して数千年、産業革命からは数百年、IT革命からも数十年経ち、社会が高度に文明化されていたにもかかわらず、こと生殖に関してはこの原始的かつ非文明的な方式を捨てなかったというのだから、人類の歴史というのは誠に奥が深い!


 ではなぜ、男は姿を消してしまったのか?


 直接的な原因を上げるならば、21世紀末に実用化された人工受精技術、通称「マキノ法」こそまさしくそれであろう。

 人間の遺伝子から精子状ナノマシンを合成し、本物の精子のごとく着床させるこの技術は、まさしく革命であった。女の遺伝子からも精子を作り出せるのだ―もはや、男も、精子も、必要ではなくなったのである!


 急激な人口減少に苦しんでいた当時の日本国政府はこの技術に飛びついた。

 すこしでも出生率を上げるため、それまで結婚の一形態として認められていなかった女性婚に男女の結婚と同等の地位を与え、この方法で子供を作ることを奨励したのである。女性同士からは、女児しか生まれない―この生物学的事実を、決して政府が見落としていたわけではない。ただ彼らは、見通しが甘かった。実際に女性同士での結婚を望む者はごく一部、多く見積もって1%弱であろうと推定していたのだ。


 …現実は違った。この制度の開始からたったの数年で女性婚の数は恐るべき上昇を遂げたのだ。10年後には新婚夫婦の二組に一組は女性婚、新生児の四人に三人は女性カップルによるものとなった。

 社会的需要の高まりによりマキノ法は劇的に洗練化、低コスト化が進み、その技術革新がまた女性婚を、そして彼女たちによる出産を促したのだった。


 当初女性婚の主体となったのは高学歴、高所得者の独身の妙齢の女性たちであり、彼女たちの全霊をかけた投資によって高度な教育を受けた子供たちが、国の中枢そして命運を握るようになるまで、そう時間はかからなかった。

 2152年、 彼女たちを支持の中心母体とするとする政治団体が衆院選で与党の座を獲得。それを境に女性婚者の権益拡大は格段に進み、男は社会の徐々にマイノリティに陥落していった。


 無論、男がこの事態を看過するはずはない。男の栄光の復活を目標とする政治結社が合法非合法を問わずいくつも乱立した。これらの結社はかの悪名高き黒志団を筆頭に過激化、凶暴化し、日本は明治以後稀に見る内紛状態となったのだ。

 この内紛が男の失落を決定付けた。2183年に結ばれた終戦協定により、男は女性政府の支配から自由であるという条件の下、日本国民としての義務及び権利を返上。活動範囲を特別居住区(通称"特居")に限定され、そこからの逃亡は国境侵犯並みの重罪を課されることとなった。読者の中にも、高い壁に囲まれた薄気味悪い一角を指差し「あそこには何があっても決して入ってはいけませんよ」と言われたことのある者は多いであろう。そう、あそこが特居である。


 過ぎし時代の遺物、男。しかし彼らは今もなおこの特居の中で生きながらえているのである…


* * *


 牧野鳴海は、「実録!日本の遺物大百科」のページをバタリと閉じた。眼鏡がだいぶずれてしまっていることに気づき、クイッともとに戻す。

「異人種、かつての栄光、そして歴史的敗者、か…」

そう呟くと、く〜、と息を鳴らし、目を爛々と輝かせた。

「浪漫だねぇ、心躍るねぇ」

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