20 恋はいつだって愛された方が勝ちなのだ。



 今時、観覧車に乗る人間はもの珍しい様で道筋はずいぶんとガラリとしている。

 後ろを振り返れば、近くのコーヒーチェーンで胡乱な瞳で千花達を見つめている雪路の姿があった。彼は最後まで二人でいることを反対していて、いつもなら止めるであろう千歳が珍しく雪路を制していたことが印象的だった。

 鉄で出来た階段はずいぶんとチープで、カンカンカンと靴の音を鳴らしていた。

 規則正しい靴音は千花のものだが、疎らに聞こえてきた音は後ろを歩く真壁だ。彼は先ほどからずっと渋い表情を浮かべ、柳眉を潜めている。


「真壁さん、さっきからどうしたんですか?」

「あ、……いや、その……やっぱり、一人で観覧車に乗ってもかまわないだろうか」

「えっ、一人で、ですか?どうして……」


 千花の問いかけに、彼は悲しそうに微笑んだままで答えない。その表情は夕焼けに照らされて綺麗だった。

 彼の美しさを純粋に感嘆すると同時に、この人は現実世界にいない人間なのかもしれないとも思ってしまう。

 電波人間の考えることはよく分からない。

 それでも観覧車は、きっと彼の中で、大きななにかあるのだろう。一人でも、乗る必要があるくらい。彼は今日、観覧車に乗りたかったのだろう。


「あの、その……別に一緒に乗るのイヤじゃないですよ?」

「そうじゃないんだ。今日、一緒に居てわかったんだ。やっぱり千花さんは、千花さんだって」

「意味が分かりません…」

「自分でも何を言っているかわからない。それでも俺は観覧車に乗らないといけない。でも、貴女と乗ってもいけないんだ」

「言葉遊びですか?」

「そう聞こえても仕方ないな」


 くしゃりと笑った真壁は子供みたいで、いつもよりも可愛らしく映った。容姿の良い人間は得だと思う。

 夕暮れの中で千花は、真壁の言いたいことがなんとなく理解できた。真壁は千花じゃない“チカ”と観覧車に乗りたいと思っていたのだろう。

 夢の中の人間と比較され重ねられることを好まないことを伝えたせいで、きっと彼はこのコトを言えないのだと解った。

 彼の世界を壊したのは千花だ。

 それなら、少しだけ、時計の針を戻して挙げても良いのではないかと思った。


「ねえ真壁さん、観覧車……やっぱり一緒に乗りましょう?」


 千花は真壁と向き合い、 不安故か、遊んでいた彼の手を捕まえた。

 彼の息が詰まる音が聞こえてくる。

 水族館とは違う、駅前で触れたときと同じ手の温度だ。冷たい手の温度は本当の真壁を感じさせられた。小刻みに震える手は、彼の心を感じ取ることが出来た。

 自分から、心の底から彼と向き合うのは初めてかもしれないと関係ない事を考えた。彼は驚いたような顔をしていたが、すぐに不安そうな表情を見せる。


「いや、その……好きな人と観覧車に乗るのは良くないんだろう?だから俺は千花さんと乗りたくない。」


 ゆっくりと首を振った彼の仕草は、どこか幼い。楓と変わらない仕草だった。

 心の底から彼は繊細で、純粋な人だと思う。だから、架空と千花を重ねてしまったのかもしれない。子供の頃から、変わらないまま今まで生きてしまった不器用な人なのだろう。


「それじゃあ、観覧車に乗っている間、私は私じゃないふりをしてあげますよ。」

「千花さんッ、あの……」


 いよいよ真壁の表情は困惑し始める。

 真壁の大好きな言葉遊びをしてみせたのだが、彼は納得していない様だ。


「私じゃなくて、彼女として乗るなら問題ないでしょう?」

「でも、千花さんは、千花さんだ。貴女は一条千花だ。貴女は、貴女だけなんだ」

「……真壁さん?」

「そうじゃないんだ……そういうことじゃない」


 言葉を反芻する真壁の考えることなんて千花にはわからない。

 千花は、彼への思いに応える準備など出来ていないし、その感情を理解してあげることもできない。

 千花が"彼女"のふりをする行為が彼への好意への少しでも返しておきたい思いの一つでもあった。

 しかし、真壁は困ったように、辛そうに眉を潜めるだけだ。



「ただ、彼女に別れを告げるなら、今日で、この観覧車がいいと思っただけだ。勇気がなかっただけだ。一人で、彼女にさよならをいう勇気が無かっただけだ」

「それは、一体どういう意味で……」

「今日、一日……やっぱり貴女の側は居心地が良いと思ったんだ。好きというのは……こういう感情なのだと、心の底から思えた」


 自分ではない自分と重ねられても不愉快なだけだし、本当に似ているかすら怪しい人間だ。その上、千花は最初、彼と出会ったとき、猫を被っていたのだから確実に別人だ。

 千花は自分の出来る限りの頭を活動させても彼の事などわかるはずもない。

 そんな千花の様子を見て、真壁は微笑んだ。

 その顔を見て、千花はやはり好みの顔なのでかっこいいと思ってしまう。

 夕暮れに照らされた美しい造形美にうっとりと顔が緩んでしまうのだ。


「心の中の彼女がいるのはダメだ。彼女への感情は大切にしたい。でも、それ以上に、貴女へのこの恋心を大事にしていきたいから、彼女にさよならをしたかったんだ」

「真壁さん……」

「何を言っているか、自分でも分かっていない。変なことを言っているのは分かってる。ただ、ちゃんと消して上げることが出来なかったから……心の中の彼女を、出来るだけ、上手に弔いたかったんだ」


 千花は“チカ”のふりをして、たださようならとでも言ってみせればいいと思っていた。

 それでも真壁の言葉は物語を紡ぎだしているようで、面白味のない朗読劇を聞いているように感じた。

 奇妙な点は、そこには感情が存在していなかった。

 あの時に語った熱っぽい感情はまるで感じられなかったのだ。

 それは千花が真壁から夢の世界を消し去ったからなのか、語り出す内にその頃の真壁の感情が舞い戻って来たのかは定かではない。


「きっと貴女と乗っても、彼女は消えないのかもしれない。ただ、なんとなく、それがわかったから良いんだ」


 そういって真壁は、千歳達のいる喫茶店の方へ足を向けてしまった。

 千花は、彼のあきらめたような言葉がどうにも気に喰わず、すぐさま彼の手を掴んだ。


「っ、千花さん?」

「真壁さん。……やっぱり、一緒に乗りませんか?」

「え?」

「恋人同士が乗れば分かれますけど、私たちはそんな関係じゃないですよ。何を勘違いしているんですか」

「あ、嗚呼、確かにそうだな」


 きょとんとした眼が妙に幼い雰囲気を醸し出していて、とても愉快だ。千花はいつも通りの重たいため息を吐き出して、可愛くない笑い声を鼻で響かせる。


「本当に、気の早い人ですね。私を落としてから、そういう心配したらどうなんですか?」

「え、嗚呼、そうだったな……俺は貴女に恋をした。でも、貴女はまだ俺に恋をしていない。」


 真壁は自分を指さし、千花を指さしゆっくりと確認していく。

 行動の幼さに千花は呆れた目線を向けてしまった。

 アレは本当に千花より10才年上の男なのだろうか……そんな失礼な事を考えていることなど真壁は知らない。


「そうか、俺たちは恋仲では無い、のか……」


 腑に落ちたような低い声が間抜けに、夕焼けに溶け込んだ。


「そうですよ。私は真壁さんの恋しく思う相手という意味の恋人ですが、決して彼女ではありません。真壁さんのものじゃないんですから」

「思わぬところで、手厳しい現実を知ってしまった」

「さ、観覧車に乗りましょう。少しくらいなら、彼女のお話聞いて上げないこともないですよ」

「本当に、貴女には適わないな」

「私に勝てるなんて思わないでください」


 恋はいつだって愛された方が勝ちなのだと、いつだか千歳の言っていた言葉を思い出した。

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