18 人魚姫どころか、童話にもなりやしない


「これじゃあ……本当にただのこどもじゃない……」


 海中トンネルをすぐに出た場所で千花は大きくため息を吐き出した。

 目の前には水族館内で一番大きいと紹介されている水槽で、元気に色とりどりの魚達が陽気に踊っている。最初は乗り気じゃなかった癖に、来た途端にはしゃぎまわって、はぐれて……本当に情けない。

 今の千花は陽気に踊り狂った魚だ。突っ走って、大きな魚にぶつかったストレスで死んでしまう繊細なマンボウよりも、脆弱な精神かもしれない。


「ああ、そうだメッセ送らないと……ここにいますって……」


――当日、楽しみにしてます。 真壁

――そうですか。       千花


 アプリを開いて見えた彼の誘い文句と、自分の塩対応を思い出した。今の千花は罪悪感で押しつぶされそうだ。

 現金な女だ。

 単純な女だ。

 面倒な女だ。

 結局はデートを楽しんでいたんじゃないか……真壁を心の中で電波や変人だの罵って、不服そうな顔を見せたとしても、真壁が隣に居ないとわかった途端に楽しい気分が削がれた。恋に恋する恋愛至上主義者のような思考回路に陥っている自分が、気持ちが悪くて仕方がない。

 横を向けばじゃれあっているカップルが、鬱陶しい会話を繰り広げている姿も見えて、先ほどまで千花もあんな表情をして楽しんでいたのかと思えば、余計に憂鬱になる。


「その気もないのに、少女マンガのヒロインぶって……私ってば、気持ち悪いな。」


自己嫌悪に浸りながらぼんやりと水槽を眺めていると、一匹の魚が千花の側に寄ってきた。

 大きな水槽の前で泳いでいる鮫は、一人のように思えて側には小さな生き物が群れを成して泳いでいる。

 隣にはカップルいて、後ろを見れば親子連れが楽しそうに亀と戯れている、一人で大水槽に佇んでいる人間なんて千花ぐらいなものだろう。


 結局、千花は独りなのかもしれない。


 今の状態がよく現状を表している。

 人並みに浚われるように流されて、流されて手放して、行き着いたのは孤独だ。深海の底にいる孤独な自分は、誰にも気づかれることない小さな微生物だ。

 千歳も楓もいるのに、いつだって千花は一人なのだと錯覚する。自分がみんなを遠ざけている癖に、いざ一人だと気づくと罪もない真壁に八つ当たりをしていた。

 自分は可哀想だと、悲劇のこどもになりたがるのだ。


「人魚姫は、泡になって消えれていいね……人間はどんなに辛くても、泡になって消えることも出来ないし、現実は過去に戻ることなんて出来やしない。」


 人生なんて後悔しかない。

 優雅に動く怪獣のような生き物を眺め、外国の童話を思い描く。人魚姫は王子様に恋をして、人間になって、恋に破れて泡になって消えてしまった。

 千花は人魚ではない。王子様に恋すらしてない。

 何も持っていない、恋が分からない千花には資格がなかった。

 それでも、一人は嫌なのだ。

 今のようにネガティブな事を考えてしまうし、甘えたくなるし、それなのに八つ当たりもしたくなる。

 その癖に千花は人を拒絶してきた。本当にばかなのかもしれない。

 たとえ、千花がバカだとしてもそれは認めたくない。だからこそ、純粋な真壁に八つ当たりをしたくなるのだ。

 千花の周りは千花に甘い。

 どんなに子供のような癇癪を起こしたとしても、笑って受け止めてくれる人間ばかりで、絶対に離れていかない。

 こどもだと、分かってくれているから、千花は我が儘なこどもになってしまう。

 結局、千花は幼いこどものままだ。変わらないままなのだ。


「真壁さんのバカ……ばか、電波、変人、変態ロリコン、きらい」

「……バカは貴女じゃないのか、千花さん……」

「……ッま、まかべさん?」


 呆れたような声が聞こえてきた。捕まれた手を確認して、振り向けば王子様然とした風貌が現れる。


「あと、嫌いって言うのはやめてくれ。普通に傷つく」


 焦ったような安心したような声で、困ったような笑顔を浮かべる真壁を見つけた。青の光に照らされる彼は幻想的で、荘厳だ。

 嗚呼、彼はそういえば大人だったのだと、今日で何度思い出せばいいのだろうと千花は考える。


「先ほど、こんでいるからはぐれないでくれと言ったはずだ。」


 それなら、掴んでいた手を離さないで欲しかった。


「出口に居るかと待ってもいないし……入り口を見直してもいないから何度も探したんだ」


 真壁が必死になって千花を探せばいい、捕まえていればいい。

 最初、出会ったときのように、情熱的に求めれば良い。いまの千花なら、きっとすぐに落ちてしまう。

 千花は俯いたまま、真壁の言葉を聞いていた。


「はぐれたなら、その場でじっとしていてくれ……お願いだ」


 千花が待つのではなく、真壁が勝手に迎えにくればいい。(そうすれば千花は誰かに必要とされている気でいられる。)

 バカみたいな強引さで千花を追いかけていればいい。(そうすれば千花はいつも通りの、拒否をする。)

 こんな情けないことを考えない、いつもの千花でいられる。(少女マンガのヒロインのように、キラキラとしたモノローグなんて考えられない。)

 我が儘で、どうしようもなく不器用で、恋がわからないと心の中で癇癪を起こす女王様にしかなれないのだ。(千花はお姫様になれないのだから、仕方がない。)


「……急にいなくなってごめんなさい」


 気まずさからか、真壁の顔がまともに見ることが出来ない。俯いたまま千花は“おとなこども”だから、素直にあやまってみせる。

 結局は千花が悪いのだ。それなのに迷子になった不安で、心の中で高飛車になってしまったのは千花だ。


「いや、俺こそ……そんなに大したことじゃないのに、キツい言い方をしてしまった。申し訳ない」

「真壁さんが謝らないでくださいよ。余計に情けなくなっちゃいます」

「え、あ……すまない」

「ほら、また謝る……ほんとに、ずるい人ですね」


 脳内電波でも、大人なんだからずるい人だと思う。

 必死になって探してくれた真壁はなにも悪くない。どれほど彼を罵ったとしても、変わらない態度で千花を心配している。


「手、出してください」

「えっと、千花さん?」

「しかたないから、今日、一日中は繋いでてあげます。」


 多大な一人芝居は気付けば勝手に自分の中で終演を迎えていた。


***


 今度こそしっかりと手を繋いだ千花と真壁は、再び水中トンネルをゆったりと歩いた。

 イルカショーで人気が少なくなったおかげで、海の中にいるような心地になる。ショーでズブズブに濡れてしまうよりも、こうして疑似的に海中に浸っている方が千花の好みだった。


「想像してたとおり、トンネルの中は綺麗ですね」

「それはよかった」


 上へ手を伸ばせば千花は人魚姫になったような気分にすらなれる。

 先ほど人魚姫みたいに泡になって消えてしまいたいと思ったが、このような美しい場所で泡となって消えれたのだと思えば案外悪くないとさえ思った。


「人魚姫が羨ましいです」

「なぜ?」

「こんなにきれいな海の中で消えて居なくなれるなら、それも悪くないかなって思うんです」

「俺は失恋した後に、入水自殺なんて真っ平ごめんだ」

「入水自殺って言うのやめてください。おとぎ話なんです、泡になるんです」


 言い方を変えればずいぶんと残酷なメルヘンに仕上がってしまうものだ。

 御伽噺さえ霞むような、夢見がちな少女思考回路は、千歳と一緒に暮らしているせいかもしれない。

 会話のかみ合わない千花達は立ち止まり、ガラスの近くまで寄ってみることにした。優雅に泳ぐ魚達が、側に寄ってきて愛嬌を振りまく。映画のワンシーンのようで、どうにもむず痒い。


「こうして魚になつかれてると、実は自分が人魚なんじゃないかって思っちゃいます。」

「頼むから、俺の前から消えようとしないでくれないか……君はすぐに何処かにいってしまうみたいだ」

「それは……今日だけですよ」

「……本当か?」


 ジト目で疑わしそうに見つめてくる真壁は、千花を信用していないようだ。苦笑いで返せば、彼は深いため息を吐き出し、もう一度水槽を眺めた。


「大切な子が、目の前で消えていくのはもう見たくないんだ」

「……真壁さん?」


 彼は自分の手を握り呟くように、言葉を吐き出した。

 その時、千花は気が付いた。

 真壁の中の夢物語は真壁のすべてだったのかもしれない。

 そして真壁のすべては、初対面である千花に一瞬で消されてしまったのだ。

 彼は一瞬にして全てを失ってしまったのだ。それなのに真壁は、自分の中の世界をすべて消し去った人間に、すがりついている。

 千花と真壁の関係は矛盾で出来ていることに気づいて、気が付けば口を開いていた。


「私は簡単に消えたりできませんよ、生身の人間なんですから」

「たしかに千花さんは現実にいる人だったな」

「そうですよ、あなたの夢と一緒にしないでください」


 なんて滑稽な話なのだろうと思った。

 千花が迷子になったことも、夢の話も、すべて千花が起こしたことだ。彼から全てを奪い、彼に何かを与えようとも、千花はしていないし、考えていない。


「会いたい時に、会おうと思えば、いつでも私には会えます」


 この人は変な人だ、電波だ、夢と現実を混合していている異常者だ。

 千花をその日によって見れない夢物語の人間と一緒にしないで欲しい。千花は生きている人間で、会いたいときは会いに来ればいいし、好きなら好きだと言える。

 会話の答えが望むものではなかったとしても、人間同士の受け答えが成立する。

 真壁が心酔している幻想生物でも、千花が羨んだ人魚姫なんて物語上のフィクションの存在でもないのだ。


「生身の貴方は素敵だな。」

「言い方が微妙なんですけど……」


 青い光の中、きれいな笑みで微笑んでいる彼は、とんでもなく騙されやすくてバカみたいに純粋で優しいひとだと思う。


「ねえ、真壁さん」


 美しい横顔を眺めながら、気まぐれに千花は彼に声をかけた。


「私のこと、好きになりたいって言ったんですよね?」

「ああ、言ったな……」

「もっと頑張ってくださいよ」

「もっと?」

「一度でも、何回でもいいから、何時間でもいいんです」


 千花が、彼に返せることも、与えてあげるようなことも必要じゃないけれど、なんとなく何かを始めることに丁度良いタイミングだと思ったのだ。

 その美しい容姿を使ってくれたって良い。

 その真っ直ぐな心を向けてくれても良い。

 その優しさを千花に分け与えたって良い。

 いつかの言葉を本当にしてくれたとしたら、千花の中で何か代われるような気がした変化を望まなかったけれど、いつかは変わらなくてはいけない。

 普遍を望む中で、変化する時は、今だと感じた。

 この曖昧な空気の中で、非日常の空気感の中でなら、千花も変わっても良いと思ったのだ。


「私を夢中にさせてください。この人となら恋をしても良いって思わせてください。」


 夢を見ることを忘れた千花に、夢しか見てこなかった真壁が夢を見させて欲しかった。今からならば、動かない心の奥底が、動き出すような気がするのだ。

 千花が信用できる形で、千花を繋ぎ留めて欲しい。

 言葉なんて信用しない千花を言葉で、信用させてみせてほしい。

 態度を疑う千花を態度で信用させてみて欲しい。

 矛盾だらけの面倒臭いところに、誰かが気づいて受け止めてくれた時、やっと心を許して誰かのものになれる気がした。


「運命だって、初対面で言う位なんだから簡単ですよね?」

「貴女はずいぶんと、難しい問題を出してくるな」

「それなら諦めてください、私に恋すること」

「千花さんは、そうやってすぐに逃げようとするから、捕まえるのが大変なんだ。」


 真壁は、情けない笑みで空笑いをしている。

 呆れているのかもしれない……何故なら、こんな平凡な十個も年齢が下の人間に挑発しているからだ。

 馬鹿々しいと思っているかもしれない。

 それでも千花は簡単に好きになんてなれない簡単に恋なんて出来ない。


「千花さん……俺はね、目を覚ましたあの時、一番最初に見えた貴女と恋がしたいと思ったんだ。一条千花が良いと、心の底から思ったんだ」


 これはきっと本当の一目惚れだ。そう真壁は囁いた。

 千花の両手を包み込むように握って、高い背を屈めて幼子にするような笑顔を向ける。


「最近知った、一条千花さんは子供っぽくて、ワガママで、面倒な人だ」

「良いところなくないじゃないですか……」

「そんな一条千花さんが、人間らしくて好きになった」

「私はあなたがまた一つ嫌いになりました」

「そうか……では、これから好きになってもらえるように努力しよう。」


 至って真面目な表情で言った真壁がおかしくて千花は笑ってしまった。

 真面目で勉強家、結構な電波さんで非常識、そんな優しくて子供で大人な真壁は千花と似ているのかもしれない。

 彼も千花と一緒だ、コミュニケーションが下手くそな“おとなこども”なのだ。


「貴女が俺に言ったんだから、覚悟してくれよ?」


 千花が目の前のめちゃくちゃな男を笑っていると、そのめちゃくちゃな運命論者は「千花さん…」と名前を呼び、千花を自分の方へ向かせた。

 するりと大きな手のひらが千花の頬を撫でる。

 ゆっくりと近づいてくる青の混じった黒い瞳に吸い込まれそうになった。


「ッそれ以上は許すか!!」

「千花ちゃん、その変態電波から離れて!!」


 二方向から飛んできた、聞き慣れた声に千花の思考回路が現実に戻ってきた。気づけば随分と真壁から離れている。

 千花はいつのまに武空術を身につけたのだろう?そんな真壁のような事を思わず考えてしまった。

 いやいや、そんなわけがないことも分かっている。

 なぜなら千花の両脇にはいつも通りの体温が感じられたのだから。目の前の真壁は呆気にとられたようで、左右上下を見渡してから千花と両サイドの二人を見比べ、ますます理解が出来ていない表情をした。


「ちょっと!何勝手に出ていってんの!?」


 物陰から楓まで出てきたものだから流石の千花も驚いた。

 しかし、この千花を掴んで離さずに威嚇している二人のお目付け奴だと察した。紀子達が来ていないだけマシなのかもしれない。

 千花は慣れたため息を吐き出して、少しだけ笑ってから言葉を吐き出した。


「手、離してください」

「……千花、怒ってる?」

「千花ちゃん…?いや、本当に見届けるだけのつもりだったんだけどね?いや、本当に」

「ちなみに、彼らは盗聴機を所持してます」

「楓くん、そこは隠した方がよかったんじゃないか?というか、盗聴器を一般人が隠し持っているものなのか?」

「まかべ、コイツ等に常識求めたら可哀想だろ」

「仮にも叔父と、姉の友人なのだからそういう言い方はやめておいた方が良いと思う。」

「そんなことよりも、詳しくお話をお聞きしてもよろしいですか?お昼ご飯でも頂きながらでいいので、真壁さんも構いませんか?」

「え、ああ…」


 この二人は本当にロクな事をしないと千花は思った。

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