04 電波男、襲来

「ただいま戻りました」

「おっじゃましまーす!!」


  明るい雪路の声が、千花の声をかき消し廊下を響かせる。小学生の楓よりも響いてるんじゃないのかと千花は眉を潜めた。

 そして、小学生の甥っ子よりも足音を騒がしくさせた大人が恵比寿顔で寄ってくる。


「おっかえりー!千花ってばはやいじゃーん!そんなに千歳さんに会いたかったのぉって、うわ、雪路。なんでお前まで……」

「やっほー、千歳さん。相変わらず意味わかんない格好してんね」


 つーか、俺の声で気付いてるっしょ?ワザトらしすぎね?と、笑みを張り付けたまま彼は文句を言うが、千歳はまったく意を返さぬ様子だ。

 良い年をした大人が、「おみやげは?」と千花に催促してくる姿はアラサーとは到底思えなかった。


「はあ、千歳さんも、諏訪君も、うるさくしないで下さい、近所迷惑だから」

「足音は大丈夫だって、ここ一階の角部屋だから。で、千花お土産は?」

「隣も別に人いないんでしょ?それにこのマンション防音しっかりしてる俺知ってるよ!ここのピアノ教室通ってたから!」 

「そういう問題じゃないでしょう!!」


 (お土産なんて誰が渡すか!)


 この二人には倫理観はないのかと、少し頭を抱えた。

 ヤンチャな盛りの楓だっておとなしくしているというのに、大人の方が騒がしいなんて事案でしかない。

 騒がしい蛍光色とに小言を良いながら玄関の靴を揃えていると不満そうな千歳の声が遠のいていく。


「折角、お茶煎れて待ってたのに連れねえなあ」

「お茶?珍しいですね、自分で水以外飲むなんて……」

「本当だ、いい匂いする~!紅茶かな?」


 ダイニングに近づけば上質な茶葉の香りが鼻孔をくすぐってくる。しかし、この香り覚えがある。

 紅茶?何でもめんどくさいといって、自分から動きたがらない千歳が紅茶なんて煎れるの?


「この香り、もしかして……」


 覚えのある香りにつられてリビングへの歩みを早め、確信にふれた瞬間に千花はかけだしてしまった。先ほど足音がうるさいと注意しておきながら、自分も大きな足音と大きな声を出してしまう。


「ああ!やっぱり」

「あー、俺これ知ってるよ~!めっちゃ良いのじゃん」

「これそんなに良いやつだったのかあ?いやあ、知らなかったなあ?」


 とぼけたように返してくる千歳の表情は腹立たしい。

 千歳が勝手に煎れた紅茶は英国王室も御用達で日本の百貨店でもお目にかかれないメーカーのものだ。

ヨーロッパを飛び回る父が、甘党で紅茶好きの千花に贈ってくれた物の中でも最高級の一品だ。それが、これ見よがしに紅茶の缶がカップの側に置かれており、喧嘩を売っているとしか思えなかった。


「だいたい…なんで、もう煎れてるんですか!新しい担当さんが来たら、冷めるし渋くなっちゃうじゃないですか!」

「知らねえ~、レンジでチンしてミルクティーにでもすりゃいいじゃん。俺は今、コレが飲みたかったんだよ」

「そんなのまだスティックタイプの方がマシじゃないですか!」


(だから隠してたのに!!楽しみにとっていたのに!)

 千花は千歳の自由な行動に頬を膨らませたくなったが、あまりにも子供っぽいので落ち着かせた。

 千花の不服な様子にご満悦な千歳はニヤニヤしながら、指で千花の鼻をつついた。


「千歳さんに隠れてイイコトしようなんて100年早いぞ、千花」

「くっ……」

「アハハ、千歳さん家主じゃなかったら、千花ちゃんにはり倒されてるんじゃない?」


 そんな我が家のトラブルメーカー代表である千歳を恨めしく睨んでいると、インターホンが聞こえてきた。千歳の住んでいるマンションはオートロックなので解除しないと中には入れない。


「天草です。どちら様でしょうか?」

「ほら!雪路くん聞いた?天草だって、もう結婚してるのと変わらないよね」

「先生はもう少し自分の姪を妻の如くいうのは控えた方がいいと思うよ?あと千花ちゃんの名字は諏訪になる予定だから。これ決定事項だから」


 外野うるさいし、結婚してないし、雪路と結婚する予定もない。そんな事を思いながら努めてにこやかな声をインターフォンを耳に付ける。

 身長が高いせいなのか、カメラにまったく入っておらず仕立ての良いスーツしか視認出来ずにいた。


『明星堂の真壁と申します。天草千歳様はご在宅でしょうか?』

「存じております、少々お待ちください。いま、オートロックを開けますので」


 コントは聞き流し、低く穏やかな声に対応する。

 聞く限り、いきなり「ちーとーせー」と不躾に呼びつけたりしていない。今回の担当は至極まともそうだと千花は安堵した。

 前担当の編集長さんのようなチャランポランだったら、今度こそ千花は千歳に頼み込んで女性編集者を付けてもらうように説得するところだったからだ。

 女性の編集も編集で、千歳と千花、楓が一緒に住んでいることに関して何かしらの事を言ってくるが、変な男が家を出入りするよりもマシだと思う。

 千歳の大学時代の友人だと言う編集長の性質は、千歳よりも遥かに面倒なのだ。

 二度目のインターフォンが聞こえて来た。

 今回の担当はピッキングで部屋をあけることもなく、挨拶もしっかりしてくれている、ちゃんとした大人がやってきたのだと再度、確認できた。

 そんな予想もすぐ反故にされることなど、知る由もない千花はご機嫌で玄関にスリッパを用意した。



「いらっしゃいませ……あ、さっきの……」


「ッ運命だ……」

(あ、変な人かも知れない。)


 目の前の男がノータイムで呟いた言葉に、千花も頭の中でノータイムで返した。

 先ほどの言動は千花の聞き間違いか、聞くべきではなかった言葉なのかもしれない。

 出迎えた男は先ほど道を聞いてきた美丈夫で間違いはないだろう。間違いはないが、二度目の出会いは歓迎すべきものではなかったかもしれない。

 男らしい手に握られたケーキ屋の紙袋を見て、再度確信する。ドッペルゲンガーではないらしい。


「あの、真壁さんでしたっけ?とりあえずリビングにご案内しますね」

「っ、ずっと会いたかった」

「いえ、先ほど、数分前にお会いしました」


 ハッとした様に表情を正した美丈夫は、先程出会った時と変わらぬ美しさを持っていた。

 その表情は、正気を取り戻した時にするもので電波発言を続ける為の表情ではないと思う。


 神経質そうではあるが精悍な顔立ち、に清潔感あふれる香りは、一瞬で千花に好感を与えたが、先ほどの表情が全ての好感度をどん底に付き落とす位に気持ち悪い。

 硬派な見た目に似合わない程だらしなく歪み、頬には赤みを差していて熱っぽく千花を見つめている。

 その瞳は恋に恋する乙女のようだと千花は思った。

 人がどのような表情を浮かべようがその人の自由だし、それは完璧な美しさを持った成人男性であろうと変わらない。

 しかしそれが自分に向けられると考えれば気味が悪くて仕方がなかった。


「そういう意味じゃないんだ……ずっと、君を探してた」


 しどろもどろに言葉を紡ぎながら手をとられても悪寒しか走らない。背筋がぞわぞわとしていく感覚は酷く気味が悪かった。


「手、離してもらっていいですか?」


 いくら美しい造形をした好みの男性だろうと、初対面同然の女子高生相手に興奮気味に頬を赤らめ、目を潤ませて熱い吐息を吐き、唐突に運命など呟き、勝手に手を握ってくる男はお断りだ。

 千花の頭の中で“変態” “電波” “危ない” の三文字が巡り始める。


「君の名前を聞いても良いか?」

「……天野千歳の姪の、一条千花と申します。」

「チカさん?君は、チカという名前なのか?」


 嬉しそうに千花の名前を口の中で転がし、妙に確信めいている様は意味が分からなかった。千花はこの男と会った記憶などないのに、この男はまるで知っていたかのように振る舞う。

 一瞬でヤバイと感じた。


「そうです。とにかく、リビングに叔父が待っておりますので」


 口の端をひきつらせて、男と目を合わせた。その時に、初めてちゃんと彼の目を見た気がする。


「えっと、たしか真壁さんでしたっけ…?」

「そうだ。信彦、真壁信彦だ。」


 何故、名前を強調した。 

 最初に出会ったときは写真や置物のような怜悧さを感じていたのに、今はどろどろに溶け出しそうな生クリームのような雰囲気を感じた。

 話せば話すほど、彼の空気は不思議なモノへと変化していく。その急激な変化に、千花は全くついていけない。

 そして先程まで敬語だったのに突然、ふつうに話し出した事にも千花は疑問を投げかけたいが面倒だと思い遠くの彼方へ思考を飛ばすことに専念する。


「ずっと会いたかった」

「先ほどで初対面ですよね…?」


 早くリビングに言って千歳と雪路にこの男の異常性を訴えたい。めんどくさい雪路の遥か上をいく対応のしづらさに目眩がしてくる。

 リビングまでの道のりがやけに遠く感じるのは千花の気のせいだろうか?

 出会った当初は素敵だと感じた低く穏やかな声でさえも、気持ちが悪いと思う。

 熱っぽい吐息を吐き出すように話している様は、変質さをより強調していた。


「さっきの事じゃない、もっと昔から」

「もっと、昔?あのすいません、ちょっと…手離してください」


 神は無慈悲にも程がある、どうしてこの男から“常識”や“理性”を取り除いてしまったのだろうかと、千花は泣きそうになった。

 あまりにも彼の素晴らしい容姿が哀れだ。

 宝の持ち腐れだ。

 もっと正常な思考回路をもった人間がこの美しい容姿を引き継ぐべきだ。

 捕まれた手は男性の力でふりほどけない、千花が何をしたと言うのだ。手首から感じる握力の強さには辟易としてしまう。

 先程以外でこの男と出会った記憶などない、こんな印象の強すぎる男と出会ったのなら忘れるはずはない。


「やっと見つけたんだから、手離すわけないだろう?」

「貴方と会ったの、先ほどが初めてだって言ってるでしょう!?」


 射抜くような視線は暴力的で脅迫じみていた。少し血走っているような瞳からは恐怖しか感じることが出来ない。

 明らかな異常性に千花は震えが止まらなくなって来た。なんだこの人。千花が何をしたというのだ。


「千花来るのおせーぞ、どうし…オイ、そこの男なにしてんだ!!」

「……ッさっきのリーマン、何してんの!!千花ちゃんから手、話しなよ!」

「私の運命の人!チカさん…君が俺の捜し求めていた人だ……」


 この男の中で始まっている物語上での千花の設定が知りたい。

 吐息たっぷりに囁かれたその言葉が許されるのはフィクション限定だ。現実世界で初対面の相手に囁かれた瞬間に、それは警察への通報を許可したことになる。


「ヒィッ……」


 我慢できずに小さな悲鳴が漏れ出してくる。

 男の異常性に気付いた後方二人も、一瞬で顔を青ざめさせて足を一歩引かせた。


「何こいつ!発言怖い!!つうか、発想が怖い!」

「ほら!!やっぱりヤバイ奴だって!えんがちょ!えんがちょしよ!千花ちゃん!」

「ああ、チカさん!!」

「なに昔年の恋人との別れを惜しむみたいな声出してんだよ!!」


 千花を背にやり、千歳が変態電波に向かって吠える。いくら記憶を洗っても、彼との交流記録は見あたらない。

 ここまでの美形に秒殺で猛烈アプローチを受けてもいっさい靡く兆しが見えないのは、本能が止めておけと鐘を鳴らし続けているからに違いない。


「昔年の恋人には間違いありません。私は彼女を探し続けていました。夢の中で」

「夢の中は時間にカウントしてはいけません!」

「初対面の女子高校生の手をつかむのは痴漢行為に等しいんだからな!」

「ていうか、その芝居口調やめろ!背筋がぞわぞわするんだよ!!」


 今や鞄がお尻に当たっただけでも痴漢認定されてしまうし、耳に息が当たっただけでも痴漢行為だ。神経過敏な女子高校生に対する仕打ちとは思えない。

 なぜ、見た目も性格もすべて普通の千花が変態電波の妄想に巻き込まれなければならないのか皆目検討が付かなかった。

 シェイクスピアの演目か何かを論じているのではないかという程、飾りだらけの言葉は現実味が一切無い。いくら破滅的な美形だとしても、絵になっていたとしても、この場はマンションの一室なので違和感しか感じられないのだ。


「チェンジ!担当チェンジ!!」


 百井千歳、渾身の一言。


「嗚呼、貴方が七瀬先生なんですか、突然ですが娘さんを私に下さい」


 真壁信彦は、"スルー"をした。


「うっせえ娘じゃねえ!!姪っ子だ!!つうかやるわけねえだろ!!」

「チカさん、貴方との恋は生涯ばかりのようですね」


 両の手をぎゅっと胸元に持って行きながらまるで恋する乙女かのように熱っぽくささやく台詞は、まるで月9のようだ。心の底から気持ちが悪い。

 千花の背筋は音速で悪寒が駆け抜けていく。


「さも私と貴方が両思いかの様な言い方は止めて下さい!!」

「アナタなんて……そんな、気が早い……」


 ポッと頬を赤らめる仕草はもはや少女マンガのヒロインのようだ。大の大人がなんて仕草を見せてくるのだ。視界の暴力でしかない。

 あまりにも言葉が通じない事に疲れ果て、千花は廊下の壁にもたれ掛かった。千花が口を開けば開くほど、この男の思うがままのような気がしてならない。

 疲労困憊の千花とは打って変わって血気盛んな、フェロモンと蛍光色は電波にかみついていく。


「っまちがいなく、そっちのアナタじゃねえから!貴い方と書いて貴方な!」

「お前は全然、貴ぶべきじゃないけど!!つうか、マジでなんなの!?」

「チカさんの運命の人ですね」

「カッエッレッ!カッエッレッ!」

「チェーンジ!チェーンジ!!」


(ただの小学生のやり合いにしか聞こえないのは私だけかな……)


 アラサーの小説家と、高校二年生の男子がタッグを組んで、語彙力が小学生並みでしかないのは些か問題ではないだろうか。

 身長がそれなりにある青年二人が、ファミリータイプのマンションの廊下を占領している様は酷くシュールだった。

 本来ならばリビングに案内しなければならないのだが、今すぐお引き取り願いたい。

 そんな千花たちの心情などお構いなしに電波劇団員は、大きな身振りで台詞を吐き出していく。


「嗚呼、チカさん貴方とはもう少しお話したい。しかし、今日の私は仕事で来ている身だ。自由のみではない私をどうか許して欲しい」

「許すも何もかえれっつってんだろう!!バックートゥーザカンパニー!!」


 真壁の視界に入れることを許さないとばかりに雪路は、千花を背に隠したが細身の体では隠し切れてない気がしてならない。

 それとも彼は雪路越しに透視でもしてきているのだろうか?熱視線が千花から離れていない気がするのだ。

 バタバタとしている雪路をしばらく眺めた真壁は、大きくため息を吐き出した。


「先程から気になっていたんだが。君はなんなんだ?甥っ子ではなさそうだな。今から私たちは仕事の話をしなければならないんだ、部外者は控えていただきたいんだが」

「この変態電波、いきなり職権乱用してるんだけど!!」


 突然まともな発言をしたものだから、雪路も千花も目を見開いた。

 この男の頭のスイッチは一体どうなっているのだ。

 千花はどうしていいか分からず、これから彼のビジネスパートナーとなる我が家の王様に視線を向けた。

 千歳はゆっくりとスマートフォンをとり出した。厳かな動作で、目当ての連絡先をタップし、そっと耳に押し当てた。


「……もしもし南君、君の部下どうなってんの?てか、南君まだ来ないの!?」


 千歳の疑問に、千花も雪路も思わずうなずいてしまった。音量の関係で微かに漏れ聞こえてくる声を頼りに、固唾を飲んで結末を待った。


『ゴッメーン!今日は急用でこれなくなったんだよネ。あと、担当ちゃんは今更変えられないよー!』

「ただいまー!ねえちゃんお腹空いたー!って、なにこの光景……てか、オッサンだれ?」

「真壁信彦、27歳です。本日より、天野千歳さんペンネーム、百井千歳先生の担当となりました。」


 楓のかわいらしい声と共に、担当編集が変えられないことが断定されてしまった。

 どうにもならない事実に千花は声にならない悲鳴を上げ、雪路と千歳は無言で壁を殴りつけるのだった。

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