03 諏訪雪路は自称幼馴染である
「千花ちゃん、一緒に帰ろっ!!」
「え、はやすぎない?」
「先生が出て行ってから、すぐ教室に来るの怖すぎるんだけど」
終業と共に駆け寄った雪路を見て、近くの席にいた絵里子が引き気味に呟いた。その言葉は、千花も深く同意を示したい。
どうして、いつもHRが終わるのが千花のクラスより先なのだろうか……
放課後、もっとも感じている疑問の一つだ。
雪路のクラス担任は真面目を絵に描いたような男なので、抜け出すという事は許されていないはずだ。むしろ、自由すぎる服装に関して、何か一言貰っても可笑しくはない。
「で、何しにきたの?私、早く帰らないといけないんだけど」
「さっきも行ったでしょ?千花ちゃんと一緒に帰りたくて来たのー」
間延びしたような口調は甘え方を熟知しているようで、少しだけ妬ましい。
いつだって、キラキラとした金髪の隙間に見える明るい瞳は、縋るように千花を見るのだ。
彼が千花に何かを求めるような表情をする理由がまったく分からない。だからこそ、千花は一生懸命、彼から逃げるのかもしれない。
しかし、いくら千花が早足で廊下を歩いても、身長のある男子の諏訪には適わない。千花の周りをちょろちょろと付いてくる蛍光色は、視界の中に目立って仕方がなかった。
「ちーかちゃん、無視しないでよー!」
「私、今日忙しいから無理だよ。相手しないからね」
「オレ、荷物持ちでもなんでもするよ!だって今日、大変なんでしょう?買い物もいっぱいしなきゃだろうし!」
「貴方……部活あるんでしょう。サボっちゃダメだよ?」
「千花ちゃんの側にいる方が、俺とっては大事だよ?」
ニコニコと首を傾げて、語尾をまねてくる雪路は正直言って鬱陶しい。
千花はため息を一息吐き出し、一言声に出す。
「勝手にしたら」
そう言って、千花は下足箱からローファーを取り出した。
「もう、すぐはぐらかすんだから!良いもんね、勝手に付いていくから!」
不満を言いながらも、意気揚々と派手な色のスニーカーを履いて、この蛍光色は千花の後ろを付いてくる。
いつか見た幼い日の光景を思い出しそうで、思い出せないのは千花が過去を振り返りたくないだけかもしれない。
千花は母親の事を思い出したくない。それなのに雪路がいると思い出さないといけない気がしてくる。
忘れたい記憶を引き吊りだそうとする、そんな雪路が千花は嫌いなのかもしれない。それでも彼を邪険に出来ないのは、数少ない母親との記憶がひどく忘れがたくて、掛け替えのないものだからかもしれない。
寂しさの傷が疼いて、懐古を求めたとしても、最後の記憶は思い出したくなかった。
「千花ちゃん、千花ちゃんってば!」
「え、あ……なに?」
ふと、雪路に呼び止められて振り向けば怪訝な表情を浮かべた彼が目の前に居た。
「何って、そっちは商店街の方向じゃないよ?いくら俺が嫌でも、無我夢中に歩かなくったっていいじゃない」
「ごめん、少しぼんやりしてた」
君のせいだと、言いたくなった。でも、それは八つ当たりだと自覚しているので口には出さない。
「まあ、今日は色々大変だって聞いたから仕方ないか……俺、付いてきてよかったかも」
「別に帰ってくれてもいいよ」
「そりゃないよ、千花ちゃん!!」
明るい声を背に、再び千花は歩みを進めるのだった。
「マジで荷物持ちって感じ。なんだこれパネエ……」
彼が不服そうに下げている地味な紺色のエコバックは、パン屋からもらったものだ。蛍光色に似合わない鞄は、千花と雪路の関係に見えて少し笑いそうになった。
商店街の店主たちから、雪路を引き連れているとどうしたの?という疑問に対して、意気揚々と「荷物持ち」だと答えたのは雪路本人だ。
自分の状態に些か不満気味な雪路にため息を吐き出しながら、軽く肩を叩いて背筋を伸ばすように声をかける。
「家まで運んでくれたら、お茶くらいなら入れてあげる。だからもう少しだけ我慢して」
「本当に?俺、千花ちゃんの入れる紅茶美味しいから大好き!」
「そういうとこ、調子いいんだから……」
「俺の良いとこなんて、そんなとこしかないじゃん?」
開き直ったように話す金色は本当に底抜けの明るさを見せてくる。
どうせ住んでるマンションは隣近所なのだし、いくら鬱陶しいと感じていても労力に変えることは出来ない。
千花は一息ついて、腕時計を見た。もう少しで約束の時間が近づいている事に気づく、もしかしたらもう担当が駅に着いてるかもしれない。
急がなければと慌てて、歩みを早めようと足を踏み出した瞬間誰かに手を捕まれた。
雪路がまたフザケているのかと思い、キツく目線を向ければ拍子抜けした。
「ッ……すみません」
「はい?」
千花を呼び止めた声は、明るくて跳ねるような雪路とは違った低く穏やかな声だった。
振り返った瞬間、蛍光色を警戒していた筈だった。しかし、見えた光景は穏やかなダークグレーとセンスの良い青いネクタイだった。髪の毛も太陽を反射するような金ではなく、背景を飲み込むような黒で、目を見開いた。
「急にすみません。道を尋ねたいのですがよろしいでしょうか?」
「何?ナンパ?」
「コラッ」
不機嫌な表情で失礼なことをつぶやいた雪路を叱れば、男性は「構いませんよ」と穏やかに返してくれた。
これが、ちゃんとした大人かもしれない……。家主を思いながら千花は失礼ながらも感じた。
「ッ……いえ、違います。本当に道を尋ねたいだけです。」
「ちょっと大人の人に失礼なこと言わないの」
「だってわかんねえじゃん……なんか雰囲気もちょっと変だし」
雪路の言い分が分からず確認のためにと、不躾ながらも男性を眺めた。
服装は暗い色をしていたが、驚くほど華やかさを持った容姿をしていた。千歳や楓で、美形には見慣れている千花でも思わず目を奪われてしまう。
惚けながら自然と頬に赤みが差していくのが分かり、目線を反らす。千花の様子に雪路の表情はより一層険しいものとなっていた。相手は二人の様子に首を傾げながらも安心させるような優しい声色で話はじめた。
「……この辺りに『KAGARI』というケーキ屋はありますか?」
「あ……はい。この辺りです……ゆ、有名ですよね」
「そうなんですか……」
男性は目を見開いて驚いていた。有名だから行くのではないのだろうか?そんな疑問を持ったけれど、千花は平静を取り繕うだけで、精一杯だ。
「有名だから行くんじゃないの?」
「いや、そういう訳じゃないんです。人に頼まれただけなので」
千花の代わりに雪路が警戒心丸出しで、疑問を男性に問いただしていた。男性も戸惑いながらも答えていたので、本当に知らない様だ。
『KAGARI』というケーキ屋は商店街の裏側にひっそりと佇んでいて隠れ家のような雰囲気が印象的な店である。甘すぎない上品なケーキや、焼き菓子が口コミからはじまり、都会からわざわざ買いに来たりする人も居るほどの名店だ。
此処で一緒に住み始めた頃、千歳が買ってきてくれてから千花はその店のケーキが大好きになった。誕生日は必ずそこのケーキにするし、テスト明けはご褒美と称して紀子達とイートインスペースでお茶をするのが定番になっている。
どうすれば分かりやすく、大好きな店の案内が出来るか脳を働かせるがうまく説明出来る気がしない。
本来ならその店まで案内してあげたい所なのだが、もうすぐ千歳の新しい編集がいるかもしれないという不安もある。
誰よりも大人の色気を放出しているあの男は、誰よりも子供っぽい。新しい担当を玩具にして遊ばない筈はないのだ。
「えっと…商店街の裏側にあるんですが、ちょっと分かりにくいかもしれません」
「裏側ですか…」
「ここから真っ直ぐいって、右にある書店の角を曲がったところにありますよ。書店は一軒しかないから、すぐ分かると思う。」
「わかりやすい説明をありがとう。助かった。」
雪路が男性と千花の間に割って入り、派手なケースに入っているスマートフォンを見せつけた。地図アプリと連動しているグルメ系SNSアプリはわかりやすく店の外観もばっちり掲載されていた。
そういう使い方もあったなと、一生懸命アナログで説明しようとしていた自分が少しだけ恥ずかしくなる。
「あっ、貴女もありがとうございます。あの…」
「それじゃあ、俺たちは急ぎますので失礼しますねー」
「え、ちょっと待って!ちょ、っちょっと!」
早口気味で男性に挨拶をした雪路に、手を盗られてしまい男性の言い掛けた言葉を聞くことはなかった。
「待ってくれ、お礼を……」
振り向き様に聞こえた男性の声と、寂しそうな表情がやけに記憶に残るのは後の出来事を千花は、予感していたのかも知れない。
困惑したまま千花は雪路の手によって引きづられていく。
よく回るものだと感心していた口は閉ざされていて、二人の間は静寂に包まれていた。商店街の喧噪も随分離れていって、住宅街に入っていくと静けさはより顕著になっていく。
マンションの近くに差し掛かった所で、どうして彼の背がこんなにも苛立ちに満ちているのか分からず、困惑が怒りへと変わっていった。
「手、痛いから離して」
「ああ、ごめん」
苛立ったままの口調で雪路は返す。いつもは軽薄そうな声色で奏でられている音は、今は随分と低く重たい音となって千花を攻撃してくる様だった。
謝罪の言葉を口にしながら、彼の手は千花の腕を離さないままだ。
「ねえなんであんなに感じ悪くしてたの?意味わからないんだけど……」
「逆に千花ちゃんが警戒しなかった意味がわかんなかったよ、俺は」
どうして、彼に千花は責められなければいけないのか、理解出来ない。だからこそ、千花も棘のような声を吐き出したくなる。
「別に普通にイケメンのサラリーマンだったじゃない。」
「顔がよかったから、千花ちゃんは良い顔したの?」
「別にそういう訳じゃないよ……知らない人なんだから、電話口の母親みたいなもんじゃない」
嫌みったらしい言い方をする雪路の言葉は止まらなかった。
最低限の処世術だ、誰しもがしている猫かぶりだ。人を面食いのように言わないで欲しい。
「俺にはそんな声してくれないし、笑いかけてもくれない癖に」
「なんでそんなこと求められてるのか、わからないんだけど」
「わからないフリしてるだけじゃん」
「っ、それどういう意味……」
「千花ちゃんはずるいって事。ごめんね、急に苛々して意地悪いって」
「ちょっと、待って……諏訪くん」
もう一度雪路は音にならない言葉で「ゴメンね」を紡いだ。悲しそうな表情の意図が分からないまま、彼は手を離した。
「早くしないとお客さん来ちゃうかもだよね!あーあ、変な人に絡まれてびっくりした~!」
「諏訪、くん?」
「もぉ、いっつも雪路って呼んでって言ってるのに!折角、新婚さんみたいに~帰り道、お買い物したのに連れないなあ!」
「ちょっと、雪路くんうるさい」
誤魔化してるのは自分の方じゃないかと、思いながら千花はそっと胸をなで下ろす。こんな自分の行為は彼の言うとおり、ずるいのだと、すこしだけ胸の奥をドロリと重たくさせた。
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