一条千花の平穏な日常

01 一条千花の朝は早い



 一条いちじょう千花ちかの一日の始まりは慌ただしく始まる。


 早朝5時半頃、顔を洗っても起き抜けのハッキリしない頭のまま、スケジュールを組み立て、洗濯機を回すのもルーティンのうちだ。

 機械のなんとも言えない鈍い動きに不快感を感じながら、今日も家の中を歩き回る。


かえで、もう起きなさい。時間だよ」

「んーあともうちょっと」

「あと一回しか、起こさないからね」


 千花はいつも通りの言葉を、5つ下の弟である一条いちじょうかえでに投げかけた。

 甘えたような返事に思わず、表情を緩めるのも仕方ないだろう。甘えたい盛りの弟は親が近くにいない寂しさを感じている筈だ。

 少しでも隙間埋めるためにも、甘やかして、後少しだけ寝かせてあげてしまう。端正な顔立ちを、幸せそうにとろけさせ眠る弟は可愛いのだ。

 ふわふわと揺れる癖のついた黒髪は柔らかそうだし、閉じられた瞼は、長くて黒い睫がふるえている。

 幸せそうな表情を浮かべる弟をしばらく眺めてから千花は、次の行動を起こす為に台所へ向かった。


「トマト残ってる、ほうれん草もあるからオムレツにしちゃおう。あとは、賞味期限が近いのなんだったかな……」


 冷蔵庫を開いて、朝のメニューを決めるのにもなれたものだ。

 気付けば独り言をこぼしてしまうのが最近の悩みかもしれない。

気がつけば冷蔵庫の中身を見るだけで、すぐに献立を浮かべられるようになった。

五年前の自分からは考えられないことだと、少し自分でも驚く。

 昨日のうちに仕込んだお弁当の具材を、朝食と同時進行で、軽く調理すれば完璧だ。


「うん、大丈夫」


 そのまま、インスタントスープとコーヒー用のお湯を給湯機で沸かせば、それなりの朝食ができあがる算段が出来る。

 この家の家主が、インスタントや冷凍食品を好まないことは知っているが、千花の技量ではこれが精一杯だ。

 お湯を沸かしている間に、洗濯機の音が聞こえてきたので早足で向かい、朝の支度をどんどん済ませていく。板に付いている所帯染みた行動は慣れたものだ。

 一条千花は、間違いなく17歳の女子高生なのだと、自らに言い聞かせる。

 叔父と弟の面倒を見ていると、どうしても感覚が立派な未婚の主婦になりつつある事が最近の悩みだ。


「かぁえで!!もう起きないと姉ちゃん怒るよー!」

「わかってるう」


 毎回の台詞に、分かってないんだろうなと思いながらも、部屋まで行って起こしにいく千花は、どうしようもなくベタ甘な姉だ。

 モーモーと牛のように怒りながら、弟の部屋まで向かう途中に書斎の扉が開いた。


「千花、うるさい。朝だから、静かにして」


 そこには、黒髪を跳ねさせだらしないキャラTとスウェットを身にまとう成人男性の姿があった。

 いつも彼の寝間着をみる度に、もうすこしマトモなものはなかったのかと頭を抱えたくなるが、こればかりは仕方ないだろう。


千歳ちとせさん、おはようございます。ご飯、すぐ用意するんで席に座っててくださいね」

「今日も、塩対応なの!?ほぼ無視じゃん!神よ、あの頃の可愛い千花ちゃん帰して下さい!!」

「千歳さんは、朝から元気ですね……。ほら、顔洗ってきてください」

「いやだ!俺は寝る!寝るぞ!」


 じゃあ、早く寝てくれ。

 オーバーリアクションを取った叔父を見て、起こさなくても良い人間まで起こしてしまった気がする。

 それも、いつものことなので彼の小言や嘆きを聞かないふりをして、必要事項だけ伝えた。

 叔父である天野あまの千歳ちとせは朝からとんでもない位に元気だし、マトモに絡むとめんどくさいのだ。


 話は変わるが、千花と楓の父親は超多忙である。

 何の仕事をしているのかは詳しくはよく分かってない。それは父親とのコミニュケーションが、希薄なせいだ。

 聞く暇もない程、彼は忙しい。

 とにかく父親は、数年前に出世してから海外を飛び回り、物心つく頃には母親の

 そう、気づけば千花の母親はいなかったのだ。

 子供だけで生活するのは不可能だからと、楓の父の弟、そして我が家の王様である、天野あまの千歳ちとせ宅に居候する事になったのだ。

 そんな頼れる家主である伯父の跳ねた黒髪を眺め、千花は一日の始まりを感じている。

 いつもウダウダの面倒な絡み方をしてくる度に、苛立ちを隠しきれないが、彼がいるからこそ現在の日常を送っていけてるのだと言い聞かせられるというものだ。


「だいたい、月曜日の早起きは好きじゃない!!なんの為に会社やめて専業作家になったと思ってるんだ、二度寝するためだ!」

「違うでしょ?連載増えて筆が追いつかなくなったからって言ってたじゃないですか」


 後ろでうだうだと月曜日は嫌いだと恨めしげに訴えてくる男は小5の楓よりも幼い気がしなくもない。

 もう30近くになるのだから、そろそろ落ち着いて欲しいのは正直なところだ。そんな本心を千花は、精神的に、大人になって飲み込んだ。

 そして、二度寝でも何でもして欲しい。


「あーあー、聞こえない!聞こえない!もう少し、毎日頑張ってる千歳さんに優しくしてくれても良くない?」

「ふわぁ~……千歳さん、うるさい」

「楓、おはよう。」


 眠気のこるのか、瞼を擦りながら起きてきた弟は不機嫌そうだ。

 楓も千歳と同じ場所で、髪の毛を跳ねさせていて、千花は兄弟のようだと思った。


「ん~姉ちゃんはよ。千歳さん、いい大人なんだから姉ちゃんにウザ絡みすんのやめろよ」

「楓、お前どの口で千歳さんに生意気いってんだ?ん?オラオラ」

「うわっ、やめろよ!」


 千歳は大人げなく、楓の額をデコピンした。彼の小学生のような行動に、眺めていた千花はため息を吐き出したくなった。

 生意気な口を利いた楓にも否はあるが、大人としてそこは流して欲しかったと千花も思う。


「脳内小学生オッサン!早く髭剃れよオッサン!!」

「オッサン、オッサン言うな!」

「オッサンはオッサンだろうが!べーっだ!」

「こん、ガキィ!俺みたいな優秀な作家様の脳はなァ!中二の夏休みで止まってんだよ!なめんな!作家様、なめんな!」

「いいから、二人とも早く顔洗ってご飯食べて。片づかないから」


 子供が二人、大人と子供の境目にいる千花が一人、そんな三人での暮らしは案外嫌いじゃない。



***



「忘れものない?大丈夫?」

「大丈夫だって!毎朝、心配しすぎだよ」

「ごめん、ごめん。じゃ、怪我に気をつけてね?」

「はいはい。そんじゃ、いってくる」

「はいはい。いってらっしゃい」


 反抗期かもしれない。

 あからさまに、めんどくさそうな表情を浮かべる弟を見て、千花は切なくなった。

 一緒に登校しようとすると怒るのに、玄関まで見送らないと不機嫌そうに帰宅するのだ。

 そんな甘えたがりの弟は、やはり可愛いので、千花はどうしても構ってしまう。

 甘えん坊な我が家の王子様を見送り、早朝の二試合目の、ゴングが高らかに鳴り響いた。


「それで、、私もそろそろ出ないといけないのですが」

「オジさんっていうのは、やめて……なんでなん、なんで千花は千歳さんの相手してくれへんの……一緒に教育番組見ながら踊ろう」

「私が高校生だからですよ。休みでも踊りませんし」


 なぜ17歳が3~4歳推奨番組のリズムで歌って踊らないといけないのだ。

 千歳の誘いをバッサリと断れば、千歳はフローリングに転がり壁と壁に打たれながら勢いよく遊ぼうと騒ぎ始めた。

 駄々をこねる姿は久しぶりに見たのだが、30近くの男が駄々をこねる姿のキツさったらない。どんなに美形でもない。


「ヤダヤダ!一人つまんない!」

「今日は打ち合わせなんでしょう?二度寝はやめて下さいね。」

「おっと、無視か?無視か?無視なんだな!千花、時間になったらモーニングコールしてくれよな!」

「高校生の休み時間を、なめないでください。そんな時間ないですから」

「ち~か~」

「三十路越えた良い大人が、甘えた声ださない。私も時間ないんですからね?がんばってくださいよ。いくら自由な仕事でも、不規則な生活は、体に毒ですからね。」

「千花、可愛くない」

「知ってます」


 目の前の王様は駄々っ子をやめて素直な悪態をついてきたので、千花も可愛くない返答をくれてやる。

 ふわふわとした柔らかそうな髪は寝癖だらけ、顔を洗っても眠そうな瞳は、小さく瞬きを繰り返している。

 薄い唇は、不満を訴える為に尖らせており、行動と言動だけ見れば、小5の弟と対して代わり映えしない。

 むしろこっちの方が幼いかもしれない。

 不満げに千花を見上げてから、ふわりと蠱惑的でありながら、甘い微笑みを浮かべて、千花の長い髪を掴み、口づけを落とした。


「嘘、千花は可愛いよ」

「おじ……千歳さん、私にこういう事して、楽しいですか?」

「……弟に可愛い可愛いって、連呼してる千花には、言われたくない」


 千花をホストのように口説いた後に、呆れ顔で見つめてくる。

 この男が千花の暮らしている家の持ち主であり、王様だと思うだけで頭が痛い。

 あくまで普通の男性としては、色っぽいお兄さんだ。

 厳格なイメージの強い小説家として見れば、夜の香りを漂わせすぎて、逆にどうなのかと、常日頃から千花は思っていた。

 そもそも肩書きは厳格な純文学作家ではなく、ライトノベル作家なので問題がないと言えば無いだろう。自作品のキャラTを部屋着や寝間着にしている辺り、仕事は楽しんでいて順調なのもわかっていた。

 締め切り明けで疲れているのかもしれないし、キツく言うのは控えておこうと自らを窘めて、鞄を持ち上げた。


「昼ご飯は冷蔵庫にありますから、ちゃんとレンジでチンして食べて下さいね。おやつにプリン買ってきてあげますから」

「もう千花と結婚する。32歳独身の売れっ子小説家は、禁断の愛に目覚める」

「女子高生に何言ってるんですか。コラッ、抱きつかないの!後、自分で売れっことか言わないでください、有り難みないので」


 何故、朝から昼メロドラマっぽいヘヴィな言葉を、聞かなければならないのだ。頼むから普通に、すんなりと起きてくれ。

 千花は、自由すぎる叔父に対して、痛む頭を押さえた。

 こんな下らない押し問答を、叔父としている間に、どんどんやるべきことのスケジュールはずれ込んでいくのだ。自宅作業の千歳と違って、千花は時間厳守な学校生活がある。

 いい加減にしてくれ!そんな気持ちを込めて、千花は千歳をキツく睨んだ。


「そういう冷たい目線、まきさんに、似てんね。興奮する」

「千歳さん、本当に女性が好きなんですか?」

「俺はいつだって千花一筋だからさ」

「そういうのもう良いですから。大体、書いてる本が……」

「少女小説だけど?可愛いもの大好き!千花も大好き!」

「そっちじゃなくて!!最近のは表紙が全体的に肌色で、男の人同士が抱き合ってましたよね!?」

「BLっておもしろいジャンルだよね。最近、こっちの評判がいいし売れるんだって」

「仕事だからいいんですけど……楓にだけは、隠して下さいね」

「何事にも理解を、示せる男の方がモテるのだよ」

「間違った道に、踏み込まれたら両親に顔向け出来ません!!」


 千花ちゃんってば真面目ぇ、なんて言いながらのんびりとリビングに向かった男を、蹴り上げそうになる。

 なんとか理性で踏みとどまった。偉いぞ、千花。

 千歳にはお世話になっているのだ。

 忙しい両親の代わりに何かと保護者代行を引き受けてくれているのだ。

 だから蹴るのはマズイ。

 暗示のように、そう言い聞かせた。


「あ、そうだ!今日の打ち合わせ、南くんの他に新しい担当が来るから、そいつのプリンもよろしく」


 やっぱり蹴るべきだった。


「家に来るならって、担当さん変わるんですか?そういう事は早く言って下さいよ!!」

「え?言ってなかった?」

「言ってません!いつ決まってたんですか!?」

「えっと、一ヶ月前?かな」

「結構前から決まってるじゃないですか!!」


 南さんも教えてくれればいいのに!

 しかし、南が気軽に教えてくれるような性格ではないことも知っているので千花は頭を抱えた。新しい人が来るなら事前に掃除もしていたし、なにかお茶請けも用意していたのだ。

 慣れきった南が来るのと、初めて訪れる担当がくるのでは勝手が違う。そういう所、千歳は解っているのだろうか?いや、わかってない。


「あ、南さんから連絡来てるご飯は一人分だけ用意しといてってサ」

「だから!なんで、そういう事を今言うんですか!?」

「大丈夫、大丈夫。いつも部屋は綺麗にしてくれてるし、飯は……ともかく、いつも通り珈琲煎れてくれるだけでいいからさ」

「なんでご飯ちょっと濁したんですか」

「今だから言うけど千花のご飯、ちょっと味薄すぎない?」


 とりあえず今日の夕飯は、千歳の嫌いなピーマンをたっぷり使ったチンジャオロースにしようと心に決める。


「……いってきます」

「え、千花?怒った?怒った?おこなの?ごめんって」

「今日の夕食はチンジャオロースの素で作りますから、ご安心下さい」

「え、ちょ、大丈夫だって!いつもおいしいから!ホント!ただちょっと味が薄いだけ!!」

「ちゃんと鍵閉めて下さいね。じゃ」

「千花!!俺が悪かったから、ピーマンたっっぷりのチンジャオロースだけは辞めてくれ!あと、レトルトもイヤだ!!千花!!千花ァアア!」


 千歳の悲痛な叫び声を聞き流し、玄関を出た千花は冷たい女だと思う。

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