貴方が選ぶ短編集

舞台譲

人生設計士

 時雨久人の視界には、患者の感情・身体的能力・職業能力・経済力や人間関係が数値化・グラフ化された拡張現実オーグメントが写っていた。

 コンタクト型拡現オーグメントの情報を見て、久人は満足して頷いた。


「順調な人生を歩めているみたいですね。どの数値も安定しています。この調子でいけば、あなたの望みの人生を描くこともできるでしょう」

 

 久人の診断に、若い女性の患者、君野ヴェルはほっとした表情を浮かべた。

 

 二十四世紀になり、文明の発展が完全に人工知能に担われるようなった。それにより、人々は社会の部品としてではなく、幸福な人生を生きるための努力を推奨されるようになった。

 望む職業、望む友人、望む恋人、安心できる生活、これまでにも人々が求めてきたものだが、この時代になり、その傾向がより顕著になっていた。

 

 そのために用意された職業が、人生設計士ライフマネジメントだ。

 

 人生設計士ライフマネジメントは、患者との交流を重ね、相手が望む人生を歩めるよう導く職業だ。患者の悩みや望みを引き出し、人間関係を具体的な資料として纏め、それを未来を予測する人工知能『ノルン』に計測・算出させることで、患者の人生の道筋を修正していく。


 喫茶店の座席に座り、患者のヴェルと語らう久人も人生設計士ライフマネジメントのひとりだった。

 

 久人は紅茶を一口呑んだあと、視界の拡現オーグメントに手をかざして映像を切り替えた。視界には、彼女の人間関係と個々の人物への感情を数値化したグラフが現れた。


「ずいぶん頑張りましたね。ご友人との仲も、最近は良好のようですし。例の事件で生まれた悩みにも、もう迷いはないようですね」

 

 久人の言葉に、彼女ははにかむように笑ったあと、紅茶を口にした。

 

 君野ヴェルは飲食店で働く二十四歳の女性だ。学生の頃、傷害事件を起こし、それ以来、久人の患者として、彼のもとに通い詰めている。多くのことが機械化された現代においても、人間関係を機械化することはできない。当時、女学校に通っていた彼女は、いじめを受けていた。人生設計士ライフマネジメントがアドバイザーになることで、悩みの重さは軽くなっていたが、それでも、思春期特有の自己と現実の軋轢を完全になくすのは不可能だ。

 

 閉塞した環境、個人の幸福を無視して同調を求める共同体、教室という檻は簡単に子供の心を歪ませる。不運なことに、君野ヴェルは少女たちの苦悩の捌け口に選ばれた。

 

 ヴェルも、ただいじめられていたわけではない。教師にも親にも相談し、解決の糸口を模索した。だが教師は自分可愛さにヴェルのいじめを黙認し、親も保身的な学校に対して有効な手だてを出せなかった。

 

 最後に彼女が頼ったのが、当時、彼女の人生設計士ライフマネジメントをしていた女性、亜湯村カナエだった。

 だがそのカナエでも、ヴェルを救うことは出来ず、彼女は障害事件を起こした。

 

 いじめの主犯である女生徒を、包丁で刺したのだ。情状酌量の余地はあったものの、ヴェルは退学を言い渡され、彼女の人生は本来歩む道からは大きく外れてしまった。

 

 それ以降、ヴェルの人生設計士ライフマネジメントは、カナエではなく久人が担当することになった。

 

 久人は犯罪者専門の人生設計士ライフマネジメントだ。彼が担当をする犯罪者は、傷害事件や殺人事件を犯した、犯罪者のなかでも特に扱いの難しい者たちだ。例え元犯罪者だとしても、彼らなりの幸福を見つける手伝いをするために、久人は活動している。

 

 ここで問題なのは、彼らのなかには、かなり特異な幸福を求めるものがいるということだった。


「あの、それで先生、例の申請、通りましたか?」

 紅茶のカップを両手で持ちながら、患者が不安そうに問いかけた。


「ええ、通りましたよ。ここ最近は、君野さんも頑張っていましたし、阿倍野さん担当の人生設計士ライフマネジメントも、これ以上は面倒を見切れないと些事を投げていましたから。それに阿倍野さんの社会的評価は基準を大きく下回る数値になっています。これなら問題ないでしょう。一週間後には、君野さんの望みも叶います」

 

 久人の解答に、ヴェルは嬉しそうにはにかんだ。


 一週間後、久人はヴェルと共に、彼女の職場近くの廃工場に訪れた。人通りの少ない場所で、ヴェルの悩みを減らすのには丁度良い場所だ。


「よし、準備が出来た。もういいよ、ヴェルさん」

 

 久人の前には、縛られた女性がいた。髪を短く切り揃え、不摂生な生活をしているのか、頬に幾つかのニキビが目立つ女性だ。口をハンカチを詰め込まれ、ものを言えない彼女は、怯えた眼で久人のことを見つめていた。

 

 彼女を縛ったのは、久人だった。

 

 幸福な人生を歩めない、それどころから他人が幸福な人生を歩もうと邪魔をする彼女は、社会的評価がとても低い人間だ。もう社会には必要ないと判断され、こうして社会から処分されることになった。


「わたしの方も準備が出来ました。先生、いつもお手伝い、ありがとうございます」

 包丁の峰を、つーっと指でなぞりながら、ヴェルは幸福そうに笑った。

 

 君野ヴェルは、人を刃物で傷つけたとき、最高の幸せを感じる。

 

 そんな歪んだ嗜好を、かつての彼女は持ち合わせていなかった。しかし、いじめの反逆に、人を刺したことで、彼女は心は完全に歪んでしまった。自身が溜め込んだストレスを、ひとを物理的に傷つけることで発散するようになったのだ。その悪癖は、遂には殺人を犯す域にまで達してしまっていた。


 もはや普通に社会生活を送るのが難しい彼女は、久人の手により、特異な立場に置かれるようになった。

 

 君野ヴェルは、数少ない、人を殺しても罪に問われない人間だ。

 

 彼女の存在は、いまの社会には都合が良かった。

 人生には多くの障害がある。そのなかで、人と人との関係は、望む人生を歩むためには、最も邪魔な障害になることがある。個々の望みの人生を邪魔する者、社会的評価が極端に低い人間は、排除しなければならない。

 

 そう人口知能により形作られた社会には、ヴェルのような殺人を犯しても正常な生活を送る人間が必要だった。ヴェルのような人間は、社会的評価が低い人間を始末しても、他の人間の人生を邪魔するようなことはしない。だからこそ、彼女には殺人が許されていた。

 

 ヴェルは包丁を持ちながら、ゆっくりと阿倍野マリに近づいた。マリは瞳に恐怖を宿し、ヴェルが近づくのを拒絶するように首を横に振り続けた。

 

 包丁が、マリの胸に突き立てられる。

 

 何度も嬉しそうに包丁を突き刺すヴェルを見て、久人は高揚した。

 

 久人も、ヴェルと同じく破綻した人間だった。

 

 かつて、ヴェルをいじめた主犯の女性。

 

 ヴェルにとっては、復讐の対象となる女性。

 

 その相手に、彼女はなにを思うのだろう。

 

 肉を破り、血を撒き散らす刃物を見ながら、久人はそんなことを考えた。


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