(2)


 最寄りの軍警駐在所に連行された坂崎は、足をテーブルの上に投げ出し、のらりくらりと受け答えしていた。


「爺さんの時代は軍と警察組織ってのに分かれてたんだっけか。当時の警察とやらは、今よりかは話のわかる連中だったらしいな」


「こっちの質問にはろくに答えないくせに質問か。随分と立派な身分らしい」


「質問じゃねえ。ただの独り言だよこの自意識過剰野郎め」


 ジャケットの胸ポケットから取り出した煙草に火をつけようとする。

だがそれは直前で軍警にもぎ取られ、手の中で揉み潰される。


「ここは禁煙だ」


 坂崎と男は睨み合う。

今にも取っ組み合ってしまいそうだが、ここで坂崎が手を出してしまえば、余計な罪状を負わされるはめになることは彼も重々理解している。


「一ノ瀬七瀬には捜索願が出されているんだ。あんな年端のいかない子供が、日野国ひのくにから帝都の手前まで来てるとは誰も思わなかったよ」


「あのクソガキを家に連れ戻そうってか? 血眼になってガキの居場所を探すついでに、あいつの実家のことをちったぁ調べろってんだ」


「調べたさ。日野国の鳳華街ほうかがいを仕切る大博徒の家の娘だって」


「そこまで分かってて連れ戻すってんなら、お前はとんだ人でなし野郎だ。俺のけつを舐めやがれクソが」


 男は聞き終わる前に坂崎の胸ぐらを掴み、頬を殴り飛ばした。

立て続けに、さらに二発。そしてテーブルに頭を叩きつけた。


「このクソ野郎!」


 男は激昂していた。

鼻息荒く、坂崎の眼前まで顔を寄せ、血走った双眸で射抜く。


 坂崎とて痛みが無いわけではなかったが、彼も頭に血がのぼっていて、感覚が薄れていた。

鼻血を垂らしながら、目の前の男の顔に向かって、血混じりの唾を吐いた。


 男の腕が震える。

始末書を書くはめになっても、知ったことか、こいつを殴り殺してやる。

もはや彼の頭の中に、理性は毛ほども残っていなかった。


「やれやれ、ここはいつからコロッセオになったんだい?」


 振り上げた拳を止めたのは、気の抜けたような優男の声だった。


「……特務課の人間がどうしてここにいる」


「君が知る必要は無いんだよね。その人の身柄は僕が預かるから、君は署に戻ってデスクワークの続きをやるといい」


 振り上げられた拳を両手で包み込み、静かにそれを下ろす。

男が不遜に鼻を鳴らし、忌々しげに坂崎を睨みつけてから部屋を出るのを確認し、優男はパイプ椅子に座ってハンカチを坂崎に差し出した。


「血を」


 坂崎は切れた頬と鼻を拭い、最後にそれで鼻をかみ、ぐしゃぐしゃに丸めて投げ返した。


「……軍の人間、にしては若いな。高校は出てるのか?」


「高校には行ってないよ。飛び級で十五歳の時に帝都大に入った。二年で卒業したよ。今年で十九になる」


「……エリートの坊ちゃんかよ。気に入らねえな」


「手厳しいね。悪いようにはしないから、食事でもしながら話そうよ。坂崎さん」


「一緒にメシ食おうってんなら名前くらい名乗りやがれ。それが礼儀ってもんだ」


 もう使い物にならないハンカチをつまみ上げて、優男は部屋の隅にあるゴミ箱にそれを放り投げて答えた。


「御堂善鶴」


 ▼


 昼食どきを過ぎた定食屋に、坂崎と御堂以外の客はいなかった。

樹楽街の中でも群を抜いて汚らしい店で、それでもピークタイムにはそれなりに客が着いているのは、昔馴染みの常連客が多いということだろう。


 山を越えた気難しそうな店主の爺は、椅子を引っ張り出して、坂崎達などそっちのけで煙草を喫いながらブラウン管テレビを眺めている。


 坂崎は生姜焼き定食を、御堂は焼きさば定食を、それぞれ自分のペースで食べ進めていた。

美味いか不味いかと聞かれれば、安いと答えるほかない。

そんな店で、出されたものに関して湧き出る感想も無かった。


「話ってのはなんだ。クソガキなら引き渡すつもりもねえし、俺を誘拐罪でしょっぴくってんなら、今すぐお前をぶん殴って街を出るぜ」


 生姜焼きの最後の一切れを白飯と一緒に飲み込み、一息に飲み干したお茶の湯呑みを仰々しくテーブルに叩きつけた。

店主が舌打ちをして睨みつけてきたが、坂崎は気にも留めなかった。


「それはあなたの言葉次第だよ、坂崎さん」


 御堂は坂崎よりも食べるのが遅かった。

一口が少食の女のように少なく、坂崎はその様子を見て、七瀬との食事を思い返していた。


「俺次第、だ?」


「そう」


 御堂は薄く微笑んでみせた。

坂崎はその笑みが気に入らなかったが、いやみを飲み込んだ。


「七瀬ちゃん、いい女だよね。あの子はきっと絶世の美女になる。これは余計なお世話かもしれないけど、僕としてはあなたみたいな乱暴な人のそばには置いておきたくないんだ」


「けっ、保護観察官かよ。何様視点でものを言ってやがる」


「……確かにね。ま、これはあくまで僕の個人的な意見だよ。今は聞き流してくれていい。ここから先は、軍警特務課の意見だ」


 御堂は箸を置く。表情が、少しだけ堅い。


「僕たち特務課は、七瀬ちゃんとあなたと友好な関係を築いておきたいと思っててね。軍警はあなた達を黙認する代わりに、あなた達は僕らの仕事の手伝いをする。もちろんタダで、とは言わない。相応の報酬は支払うし、飼い殺しみたいな真似をするつもりは――」


「つまりやってほしい汚れ仕事があるってことだろ。まどろっこしいやつだな。言ってみろ」


 言葉を遮られ、御堂は肩を竦めて息を漏らした。

片目を覆う野暮ったい前髪の奥から覗く彼の目は、坂崎には見えなかった。


「九郎を潰してほしい」


 御堂は観念し、投げ捨てるように言い放った。

樹楽街最大の賭場、九郎を潰す。

それがどれだけ危険な仕事かなど、考えるまでもなく分かる。


 先日七瀬を襲撃したのは喜助の博徒だ。

それは、坂崎が七瀬の口から既に聞いている。

あの七瀬でさえも敵わず、挙げ句の果てには事務所を燃やされてしまう始末だ。


 そしてその傷も癒えぬうちに、喜助よりも巨大な組織九郎を潰せと、御堂は言う。

荒唐無稽な話で、なにより、坂崎には軍がなぜそんな大それたことを自分達に頼むのか分からなかった。


「クソガキを連れ戻さない代わりに、俺たちに死んでこいってか」


「あなた達は死なない。僕達はその為の協力ならば、一切惜しまないよ」


「……狐野郎が」


 煙草を咥え、火をつけようとしたところで思いとどまり、坂崎はそのままそれを箱の中に戻した。

煙草程度で、気分が落ち着くとは思えなかったからだ。


「どうして九郎を潰す? あの規模の賭場はお前ら軍にとって大事な財源だろうが。税金払い渋ってやがんのか?」


 御堂は首を横に振り、苦笑を浮かべた。


「……あなたは樹楽街の出身?」


波坂なみさか生まれの樹楽街育ちだ」


「波坂、波坂かぁ。物騒なところだね」


 波坂は樹楽街より遥か西の土地。

七瀬の故郷である日野国は、本土より海峡を渡った先にあり、波坂は、樹楽街と日野国のちょうど中間地点にある。

夜の界隈の勢力が強大で、当然土地柄も良くない。

それを想像しながら、御堂は一口だけ茶を啜った。


「樹楽街生まれじゃないなら言わせてもらうけど、この街、繁華街としてはもう伸び代が無いだろう? 昼の商売も夜の商売も、内需だけで成り立ってるようなものだし、つまり、この街の興行を維持するメリットより、デメリットの方が大きいんだ」


「だからってお前、九郎は大賭場だぞ。潰すとなりゃ全国の賭場の顰蹙ひんしゅくを買う羽目になるだろうよ。そりゃ置いといて旨味は少ないかもしれねえが、かといって潰すにはリスクが大きすぎるんじゃねえか?」


「だから、筋書きはこうなる。とある私立探偵は自分の事務所を焼かれた報復に、喜助と、裏で喜助と繋がっている九郎共々壊滅させた。我々軍警は坂崎探偵事務所の人間に事情聴取し、九郎に代わる帝都賭場の開設に着工した」


「国営の賭場を開こうってか。むしろそっちが先なんだろ? 近隣にでかい賭場があれば、パイを食い合うことになる。新しい財源である帝都の賭場にとって、昔からある九郎はどうしても邪魔ってわけだ」


「察しがよくて助かるよ」


 店主はとっくに厨房に引っ込み、いそいそと仕込みをしていた。

二人の会話を聞いてはいない。坂崎は一応それを確認したが、杞憂だと分かるなり、足を組み直して構える。


「九郎を潰した俺たちは夜の世界ではSランクのお尋ね者。お前ら軍警は俺らを保護という名目で抱え込んで、汚れ仕事専門の犬にする、と」


「そんな穿った言い方しないでくれよ。事実上公務官だぜ? 今よりずっといい暮らしが出来るはずさ」


 坂崎は腕を組み、しばし考え込んだ。

此の期に及んで、軍の犬になりたくないなどという安いプライドなどあるものか。

境遇など、腐る要因にはならない。

たとえいかなる場所で生きようとも、自分が通したい意地さえ見失わなければ、魂まで売り渡すことにはならないのだ。だが……


「お前らの仕事、殺しは、やるのか?」


「……必要とあらば」


 御堂は少しためらって、答えた。

坂崎はあくまで毅然とした態度で、ものも言わず、それは飲めないと主張していた。


「……分かったよ。そうならないよう掛け合ってみるさ」


「最初からそう言いやがれクソガキ二号。やりたくない仕事までやるつもりはねえからな」


 敵わない。

これ以上懐柔しようとかかったところで、この男は絶対に譲らないと決めたことを譲る気はないだろう。

だが御堂にも、同じように譲れないものがあった。

それは陳腐な兄心のようなものなのかもしれない。

自分でもどうかしてる。

御堂自身すらそう思ってしまうくらい、突拍子もない感情。


「じゃ、ここからは、軍とあなたじゃなくて、僕とあなたの話をしようか」


「お前と話すことなんて……」


「あるんだよ。軍の方針がどうあれ、僕は今からあなたに投げかける問いに対する答えが、納得のいかないものだったら」


 焼きさば定食は半分以上残っていて、白飯はすっかり乾いてしまっていた。

もはや御堂もそれに手をつける気はなく、冷めた茶を飲むこともなく、ただ、坂崎という一人の男を、その目は捉えていた。


「僕の独断であなたを反逆因子とし、粛清する。そして、七瀬ちゃんを本来あるべきところに返す」


 坂崎は無言で身を乗り出し、御堂の胸ぐらを掴む。そして拳を振り上げた。


「あなたが言いたいことは分かる。それに年下の僕が利くような口じゃないよね。でも、これは大事なことなんだ。坂崎さん、どうか一切の詭弁なく、正直な気持ちを聞かせてほしい。これは軍でなく、僕という一人の男の頼みなんだ」


 振り上げられた拳に一切動じず、そして力強く、坂崎の目を見る。

御堂から、普段の飄々とした雰囲気は消え失せていて、あるいは洗練された刃のような、鋭い意志が瞳から滲み出ている。


「教えてくれるかい? あなたがなぜ、軍の意向に逆らってまで七瀬ちゃんと一緒にいようとするのか」

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