魔王一万分の一
京高
魔王と駆け出し勇者の話
ある世界のお話です。
その世界は高度な文明を育み、ついには世界を繋ぐ門を開いてしまいます。門の先にあったのは、人を超えた知能と力を持った怪物たちが覇権を競い合う世界でした。
新しい闘争の場と景品を得ようとして怪物たちは続々とこちらの世界へと侵入して来ました。
迎え撃った軍は数体を倒した所で壊滅し、残る数百の怪物たちによって都市は破壊しつくされたのでした。
このままの勢いで怪物たちは各地に広がり、世界は滅亡してしまうかに見えたのですが、それを止めたのが一体の怪物でした。それは他の怪物たちにある提案を投げかけました。
「せっかく来た異世界を暴れ回って魔界の様な荒れた世界にしてしまうのは惜しい。ここはまず、我々の内の誰がこの世界を統べるにふさわしいかを決めようではないか」
ほとんどの怪物が賛成しましたが、そこからが問題でした。どんなに高い知能を持っていても、これまで互いに争い合うことしかしてこなかったせいで話し合いにならなかったのです。
結局、一体の怪物が痺れを切らした所で大乱闘となってしまいました。
怪物たちの戦いは昼夜を通して行われ、十日後にはその数は十七体にまで激減、このままいけば同士討ちで怪物たちは絶滅して晴れて平和が訪れるのでは、と思われる程でした。
ところが、事はそんな単純なものでは無かったのです。確かに怪物たちの数は減っていましたが、それに反して怪物一体あたりの力が大きくなっていたのです。
一体何が起きていたのでしょうか?
答えは簡単です。怪物たちは殺し合いではなく、喰らい合い、つまり他の怪物の力を吸収していたのでした。
とはいえ元々怪物たちに同族を喰らい合う習慣があった訳ではありません。むしろそれは嫌悪されることでした。
最初の同族喰らいが起きたのは大乱闘が始まって三日目の夕方のことで、喰われたのは世界の覇者を決めようと提案したあの怪物でした。
それからはなし崩し的に喰らい合いが行われていき、残った十七体はいずれ劣らぬ強大な力を持っていました。
しかし、強い力に耐えきれなかったのか、それとも喰われた者の怨念なのか、その姿は醜悪で見るも無残なものへと変わっていました。それはまるで怪物たちの世界の言い伝えにある悪魔のようでした。
怪物から悪魔になったものたちは、互いを見て驚愕し、そして恐怖しました。十六体は事ここに至って自分たちのしでかしたことを後悔しました。
しかし、残る一体は違ったのです。それは高笑いをしながら次々と十六体に飛びかかっていきました。
そして、わずか一時間にも満たない間に悪魔の数は一体だけになりました。その体は溢れる力を抑えることが出来ずにどんどん崩れていましたが、治癒能力にも優れていたので崩壊には至りませんでした。
再生されては壊れていく体から、気が狂いそうになるほどの激痛が襲ってくる中で、それは高笑いを続けながら世界中を飛び回って言いました。
「我は魔王なり。これからこの世界は我のものとなる。侵略を円滑に進めるために我はこれから体を分ける。不服がある者は分かれた我を倒してみせるがいい」
この姿でいることに限界がきていた魔王はその言葉通り体を分けました。
その数はなんと一万体にも及びました。
もちろん世界中に伝えた言葉も嘘ではありません。侵略を加速させ、支配を盤石なものにするために最も有効だと確信していたのです。
倒してみろと煽りはしましたが、体を分けることで負けるなど微塵も考えてはいませんでした。
しかしそれは魔王の驕りでした。怪物たちに敗れたとはいえ、異世界への門を開く程の技術を持っていた人は各地で抵抗を続けました。
また、別れた魔王たちが互いに連携、協力しなかったことも人側に有利に働きました。魔王はその数を、人は文明と技術をすり減らしながら一進一退の攻防が続きました。
そして四百年後、物語は始まります。
その日、魔王の一体である彼は西大陸の南西にある辺境に来ていました。
目的はもちろん反抗勢力の制圧、ではなくただ足の向くまま気の向くままに任せてのことでした。もちろん戦いになれば手を抜くことはしませんが、わざわざ戦う相手を探そうという気にはなれないでいました。
それというのも、年々人の抵抗が単調になっているのを感じていたからでした。
文明と技術の衰退によって戦術の幅が狭まったことが大きな原因ですが、特にこの十年はその傾向が強く表れていました。
おそらく今の人に残っている技術は最盛期の一握りにも満たないことでしょう。そうなると互角の戦いになるのは人海戦術を用いたものに限られてきて、結局のところ、彼はそうした戦いに飽きていたのでした。
「しかしまあ、随分と長閑な所だな」
魔王は周囲を見渡して呟きました。うららかな午後の日差しの下で、木々の枝では鳥たちが羽を休ませています。もう少し目線を下に向けると、根元では動物の親子が呑気に昼寝を楽しんでいました。
魔王が殺気や敵意といったものをみせていないこともあるのでしょうが、危険とはまるで無縁の光景に思わず苦笑いをしていまいました。
しばらくはこの地でのんびりと暮すのも良いかもしれない、そう思っていた彼の耳に聞きなれた音が飛び込んできました。
戦いの音です。
瞬時に体が疼いて来るのを感じていました。飽きたとはいえ、闘争を求める本能は消すことの出来ないものだったようです。
そうした自分の性質にため息を吐きながら、魔王は音の発生地へと向かって行きました。
「てい、や、たあ!くっ、これでも駄目なのか!」
たどり着いた場所で魔王はがっくりと肩を落としました。そこではまだ少年と言っても差し支えのないような青年が一人剣を振るっていました。
青年の相手は俗にスライムと呼ばれる化物の一種で人里にも頻繁にあらわれるものでした。利器、鈍器を問わず攻撃が効きにくいことで有名ですが、共通して火に弱いという弱点があるため、撃退用に強い衝撃で小さな火が出る発火玉をいくつか持っておくことが郊外に出る時の常識でした。
そうした一般常識を地平線のはるか彼方に投げ捨てて、若者はひたすら剣を振るっていたのです。
ところが最初はされるがままだったスライムもだんだん苛立ってきたのか、ついに反撃を開始しました。
「うわっ!こいつ、強い!」
跳ねる様な体当たりを正面から受けて、青年は大きく体勢を崩しました。そこへ止めとばかりに再度スライムが突進していきます。
「こんなところで、こんな所でぼくは負けてしまうのか!」
さっさと避ければいいものを、敗北感に打ちのめされているのか、青年は目を閉じてその場を動こうとはしません。
「何をやっている!」
鋭い声と共にスライムに火球が襲いかかります。突然の側面からの攻撃に対応できるはずもなく、火球の直撃を受けたスライムは溶けて消えていきました。
覚悟していた一撃がいつまでもやってこないことを不思議に思った青年が恐る恐る目を開けてみると、そこにはスライムがいた痕跡だけが残っていました。
その視線が横合いにいた魔王を捉えた所で、彼は何が起こったのかを理解したようでした。
「危ない所を助けて頂いて、ありがとうございます!」
満面の笑顔を浮かべて走り寄って来る若者に対して魔王は渋い顔をしていました。なぜならば、本当は助けるつもりなどなく、それどころか性質の悪い冗談か何かだと思っていたからです。
そんな魔王の心中を知る由もない青年は、笑みを浮かべたまま言葉を続けます。
「あの、大魔道師様!よろしければお名前を教えて頂けませんか?」
その問いかけに魔王はあんぐりと口を開けてしまいました。
彼は分れた魔王の中では比較的人に近い容姿をしていましたが、額には三番目の目があり、頭には角が二本生えています。
一目見て人では無いことが分りきっているにもかかわらず、青年はその正体に気付いていないようでした。
魔王の呆れた様子から、自分の態度に非があったと勘違いした青年は自ら名乗ることにしました。
「すみません。初対面なのに失礼でしたね。ぼくの名前はミランと言います」
名前まで告げられては無視することも出来なくなり、魔王はとりあえず遠回しに誘導してみることにしました。
「ああ、ミランとやら。儂が誰だか、いや何者だか分らんのか?」
自分で思っていたよりも動揺していたようです。思いっきり直球の問いかけになってしまいました。
「すみません。高名な魔道師様だとはお見受けするのですが。なにぶん田舎育ちなもので」
ところが、返って来たのは完全に予想外の言葉でした。
「そ、そうか」
心底申し訳なさそうなその口ぶりから、嘘を言ったりしている訳ではなさそうでした。
自惚れていた訳ではありませんが面と向かって知らないと言われて、魔王は少し落ち込んでしまいました。
とはいえ、これまでに辺境の町や村を襲った時には魔王だと直ぐに気付かれていたので、このミランが特別そうしたことに関心が薄いのだと思うようにしました。
「まお、いや私の名はマオーだ」
素直に魔王だと教えても良かったのですが、知らないと言われた意趣返しも含めて仮の名を名乗りました。
「マオーさんですか。あらためてお礼を言わせて下さい。先程は危険な所を助けて頂いてありがとうございました。マオーさんの魔法が無ければ今頃、ぼくはスライムの中で溺死させられている所でした」
スライムは多岐に及び、中には村一つ丸ごと飲み込むようなものもいますが、ミランが戦っていたのは人里に現れる最弱のものでした。
ちなみに弱点が良く知られていて、対処法も確立しているので、世界に生息する化物の中でも最弱の部類に入ります。
そんな最弱の化物相手に敗北してしまうなんて、普通は笑い話にもならないことですが、実際に目の前で実行されかけた魔王改めマオーは引きつった笑いを浮かべるしかありませんでした。
「それで、お前はこんな所で一体何をやっていたんだ?」
何となくミランの調子に引き摺りこまれているような感じがして、マオーは気を取り直して尋ねました。
「あ、はい。実はぼく、村の皆から頼まれて魔王を倒す勇者として旅立ったばかりだったんです。そこをスライムに襲われてしまって。後は御覧になっていた通りです」
数分前の自分の情けない姿を思い出したのか、若者は顔を赤らめて答えました。が、
「はあ?」
その説明を聞いたマオーは、間の抜けた声を上げることしかできませんでした。
「どうかしましたか?」
何か分りにくい点でもあったのだろうか、とミランが聞き返してきました。
「いくつか確認したいことがあるのだが、良いか?」
分りにくいどころか混乱する頭をどうにか立ち直らせて、マオーはいくつかの質問をすることにしました。
「はい。もちろんです」
嬉しそうに返事をするミランに対して、マオーはどの質問からするべきか悩んでいました。
「ではまず、ああ、これは長くなりそうだから後にしよう。なぜこんな街道から離れた何もない所を歩いていたのだ?」
いきなり核心をつくよりも無難な点から聞くことにしたようですが、これも立派な疑問点でした。
なぜならミランがスライムと戦っていたのは小高い丘と小さな林、後は緑豊かな草原が広がっているだけの場所だったからです。
「恥ずかしながら、ぼくはこの年になるまで村から出たことが無かったんです。出発の時に村の皆からは東に行けば町があると言われていたので、とにかく東に向かって進んでいたんです」
マオーは頭痛がしてきました。深窓の令嬢でもあるまいし、男を箱入りに育ててどうするつもりだったのか、ミランの育った村に行って問い詰めたい衝動を抑えるのに必死でした。
「街道は町や村を結んでいるから、道沿いに行けば目的地に着くはずだ。人が行き来するから化物も余り近寄らない。今度からは街道を進むことだ」
こめかみ付近を揉みほぐしながらマオーが言ったことは、子どもでも知っている常識中の常識でした。
「そうだったんですね!教えてくれてありがとうございます。これで一歩魔王討伐に近付けた気がします!」
感激するミランを手で制して、マオーは質問を続けます。
「それと、剣だけで戦っていたようだが、スライムの弱点が火だということは知っていたのか?」
先にも述べたようにこれも一般常識なのですが、マオーはこの若者であれば知らなくてもおかしくは無いと思うようになっていました。
「知っていましたけど、ぼくはまだ攻撃魔法を使えないんです」
なのでミランから帰ってきた答えは少々予想外のものではありました。しかし、それが攻撃魔法に直結するあたり、やはり彼の思考回路は特殊なものであるようです。
「発火玉でも何でもあるだろう。大した金額では無かったと記憶しているのだが?」
マオーの言う通り、今日旅の必需品となっている発火玉は世界中どこでも低価格で提供されています。確かに応急処置用の薬よりは値が張りますが、怪我をして何日も宿に逗留することを考えればはるかに安上がりだといえます。
さらに頻繁に遭遇するスライムの危険から身を守れるという安心感は値段以上の価値を持っていて、多くの人が利用しているのにはこうした理由もあってのことでした。
「それなら村の皆からいくつか持たされています」
ミランは懐から発火玉を取り出して見せました。マオーは実は村民全員がこの若者と同じく常識知らずなのではないかと疑っていたので、少し安心しました。
「でも、ぼくは勇者だから剣だけで何とかしなくちゃいけなかったんです」
声の調子を落としながらミランはそう言いました。
「意味が分らんな」
理由にならないような理由を告げられ、マオーは首を傾げました。
「マオーさんはご存じないですか?勇者というのはあらゆる困難に打ち勝ち、不可能を可能にする存在です。だからスライムくらい火を使わずに倒せて当然なんです」
どうやらミランにとっての勇者とは、子どもたちが親から寝物語に聞く万能の英雄と大差ないもののようです。
「それは違うな。勇者と言っても何でも出来る訳ではない」
マオーはまずその思い込みを正さなくてはいけないと痛感して、過去に対峙した勇者について語り始めました。
「例えば、トインク・ホナを知っているか?奴は剣こそ達者だったが、戦術無視の猪武者で魔法もからっきしだった。
だが魔王を三体も倒した。それは仲間の助けがあってこその偉業だったのだ。それでも、儂には敵わなかったがな」
口では大きなことを言っていますが、トインクたちとの戦いは魔王としての長い生の中で一、二を争う程の危機でした。その証拠に彼らを撃退した後、その傷を癒すのに五年を費やす必要があったほどでした。
「えっ?トインク様に仲間がいたんですか?」
さすがに三体の魔王を倒した功績は大きいようです。辺境のミランが育った村にも彼の英雄譚は行き届いていたようですが、それは史実と異なっているものでした。
「ん?何だ、トインクの話も奴一人の戦功とされているのか。安直に一人の超人を求めるのは人の愚かしい所だ。自らが有した資質の中で最も優れた点とは協力し合い、助け合うことだということを理解していない」
それは人の敵として成長と堕落を見続けてきたマオーの本心でした。
「協力、助け合い」
そして、そうした心からの言葉というものは種族を超えて伝わるものであるようです。ミランはマオーの言葉を噛みしめるように呟いていました。
「一人が万能で完璧な存在になる必要はないし、なってはいけない。なぜならそれは魔王の元となった怪物たちと同じ性質のものだからだ。
魔王を倒せても新たな怪物が生まれてしまっては意味があるまい。
人は人のままで魔王を倒すことを考えるべきなのだ」
と、そこまで話してマオーは愕然となりました。いつの間にか見ず知らずの若者に、しかも自分の敵である勇者としての道を歩もうとしている相手に、その勇者としての道を説いていたのです。
数百年をかけて熟成されてきた思いに日の目を見る機会が与えられて我知らずの内に興奮していたようです。
「感動しました!ただ単純に魔王を倒せばいいというものではないのですね。目から鱗が落ちた思いです!人は人のままで。素晴らしい言葉だと思います!」
そしてミランはといえば深い感銘を受けているようでした。当の本人は思いを素直に口にしているだけなのでしょうが、柄にもないことを言ったマオーとしては褒め殺しか、もしくは嫌がらせのように感じてしまいました。
「ところで!質問の続きなのだが、村の皆から勇者になるように頼まれたというのはどういうことなのだ?」
なので、さっさと話題を変えることにしました。
「頼まれたと言っても別に押し付けられた訳ではありませんよ。勇者になるのはぼくの意思であり、目標です」
マオーはミランの様子から勇者になることや魔王を倒すことを強制されているとは思えなかったので、首を縦に振って続きを促しました。
「ぼくは赤ん坊の時に村に連れてこられたらしいんですけど、その連れてきた人が亡くなる直前に、この子は将来魔王を倒して世界を平和に導く聖なる御子だから大切に育てて欲しい、と言ったそうなんです」
ミランは懐かしそうに語っていましたが、マオーは突っ込まずにはいられませんでした。
「まさか、お前も村の連中もそれを信じたのか?」
ミランは首を傾げて何を驚いているのか分らない、という表情をしました。
「ま、まあ、どう捉えるかは個人の自由だからな。続けてくれ」
ミランがこんな純朴な青年に育ったのは、同じく純朴な村人たちに囲まれて育ったからというのが良く分る話でした。
「えっと、それで先日ぼくも十六歳の誕生日を迎えたので、そろそろ魔王討伐に出ても良い頃だろうという話になって、晴れて今日旅に出たという訳です。
みんな一生懸命準備してくれて嬉しかったなあ。
あ、この鎧なんて村長さんがわざわざ町の教会にまで行って守護の祝福を受けてきてくれたんですよ」
ミランは得意そうに身にまとった鎖帷子を撫でていました。具足としてまだほとんど使われていないそれは陽光を受けて光り輝いていましたが、マオーには何の魔力も感じられませんでした。
「本当は剣の方も一緒に魔術強化したかったらしいんですけど、お金が足りなかったみたいです。それでも、駆け出しのぼくには十分すぎる位の一品なんですけどね」
誇らしげに語る姿を見ていると、指摘することが本当に正しいことなのか迷ってしまいますが、もしも、さばききれずに攻撃を受けた時に祝福の効果を当てにしていたら致命傷になりかねません。
「ミランよ、その鎧のことなのだが」
酷なことではありますが真実を告げることにしました。
「何でしょう?」
何も知らずに満面の笑顔を向ける若者から目を背けたくなりましたが、魔王の意地で耐え抜いて伝えます。
「その鎧からは守護の祝福どころか何の魔力も感じられない」
ミランは目を大きく開いて、信じられないという顔をしていました。
「まさか、そんな。村長さんや、皆が、ぼくを騙すなんて、そんなことある訳がない」
予想通り、いえ、それ以上の落ち込みぶりにマオーは慌てて説明を付け足します。
「いや、別に村の者が騙したと言っている訳ではないぞ。近頃は教会の腐敗も進んでいるから、おそらく村長が騙されたのだろう」
その言葉に俯いていたミランの顔が上向きました。
「そ、そうですよね!どこの誰とも分らないぼくを、この年になるまで育ててくれた皆が騙すようなことをするはずがないですよね!」
マオーは以前目にした実の親が子どもに、育ててやった恩を返せと無理矢理働かせていた光景を思い出しましたが、直ぐに首を振ってその映像を消し去りました。
目の前の若者にそのことを告げたところでどうなるものでもありません。彼自身が旅を続ける内にそうした光景を目にすることがあるかもしれませんが、少なくとも今は関係のない話です。
「それにしても祝福がかかっていないことをあっさり見抜くなんて、やっぱりマオーさんはすごい魔道師様なんですね!」
物思いにふけっている間にミランはすっかり元気を取り戻していました。つい先程、勇者の道を説いた自身の態度に愕然としたばかりだったのに、今度は落ち込んだ彼を励ましてしまったようです。
マオーはそのことに苦笑してしまいました。
「あの、マオーさんはこれからどちらに行かれるのですか?旅は道連れと言いますし、良ければ一緒に行きませんか?と、いってもぼくが一方的にお世話になってしまいそうですけれど」
数時間前の、ただの魔王の時であれば人と旅をするなんてもっての外だと思ったことでしょう。
ですが今はそれも面白いかもしれないと思っていました。
「果たして私の正体を知った上でも、まだそのようなことが言えるのであろうかな」
知らない内に思いは口を吐き、声となってミランへと飛んで行きました。
「あの、何か気になることがあるのなら言って下さい!ぼくでは大したお役に立てないかもしれませんが、命を救われた恩があります!何よりマオーさんは勇者としての心構えを教えて下さった師匠でもあります!」
ミランの言葉にマオーは大声を上げて笑いました。
まさか魔王である自分が勇者になろうとする若者から師匠と呼ばれる日が来るとは夢にも思っていませんでした。
ひとしきり笑ったら悩んでいたことなど、どうでも良いことに思われました。
正体を伝えて拒絶されるのならば、それは仕方のないことです。将来この邂逅を糧にして成長したミランやその仲間たちと、互いに敵同士として戦い合うのみです。
そして、もしも受け入れられるのならば、その必要が無くなるまで彼の手助けをしようと決めました。
「ミランよ、儂はな、お前たち人の敵であり、勇者が倒すべき魔王の内の一体だ」
始めはぽかんと口を開けていたミランでしたが、時間が経つにつれてその言葉の意味を理解したのか、
「えええぇぇ!マオーさんが魔王なんですか!?」
大声を上げてのけ反り、そしてのけ反り過ぎて尻もちをついてしまいました。
彼の驚きように、マオーは冗談半分で偽名を告げたことを後悔しました。とはいえ、普通の人であればマオーの姿を見た途端こうした反応を取っているはずなので、半分はミランの責任でもあります。
「魔王、マオーさんが、でも助けてくれた、恩人、人は人のままで、勇者」
突然告げられた真実に思考がついていかないのか、ミランはぶつぶつと呟いていました。考えを整理する時間が必要だろうと思い、マオーは地面に腰を下ろしました。
「マオーさん、質問があります!」
そして待つこと数分、ミランはしっかりした足取りで立ち上がりました。
「何だ」
こちらも立ち上がらなければ失礼にあたると感じて、マオーも聞き返しながらゆっくりと腰を上げていきました。
「これからもマオーさんは魔王として人を襲うのですか?」
その瞳には覚悟が滲んでいました。
「しばらくはこのあたりでのんびり過ごすつもりだが、その後はやはりそうなるだろうな」
マオーも嘘偽りなく返しました。そして、
「それならぼくと一緒に来て下さい!マオーさんは魔王でいるよりも、勇者の仲間として魔王を倒す方が似合っています!だから、ぼくに力を貸して下さい!」
ミランはそう言うと、深々と頭を下げました。一方のマオーはといえば、その頭頂部を見つめながら固まっていました。
「やっぱり駄目ですか?」
どのくらいの時間そうしていたのか、耐えきれなくなったミランが声をかけました。はっと意識を取り戻すとマオーは言いました。
「すまない、余りに予想とかけ離れた言葉だったので意識が飛んでいた」
さて、マオーが予想していたのはこうでした。
『魔王であるマオーさんを放っておく事は出来ません。今ここで倒します!』
『ふふん。お前のような駆け出し勇者では儂に一太刀を浴びせることも出来んわ』
『何だと!?』
『いずれお前が立派な勇者になった時に改めて戦ってやる。それまで精々死なないように気をつけるんだな。はっはっはっは』
『ま、待て!逃げるな!ぼくと戦え!魔王!』
と、こんなやり取りをして二人は別れるのだと思っていました。
しかし実際には、ミランはマオーを旅の仲間、勇者一行になるように誘ったのでした。
「一応確認しておくが、冗談ではないのだな?」
マオーの言葉にミランは心外だというように顔をしかめました。
「言葉が過ぎた。謝る。しかし、ふふふ。いかんな、笑いが止まらん。こんなに愉快なのは久方ぶりだ」
子どものように無邪気な笑顔を見せるマオーの姿に、ミランは自分の選択が間違っていなかったことを悟るのでした。
「これからもっと愉快になりますよ!だってぼくとマオーさん、そしてこれから出会う仲間たちとで魔王たちを倒して、世界を平和にするんですから!」
そこにいるのはもうただの若者ではありませんでした。未熟ながらも勇者の風格を漂わせている、人の希望がそこにありました。
「そうだな。他の魔王たちが私を見た時の驚く顔が目に浮かぶ。さっそく出発しよう、と言いたいところだが、この姿のまま人の町に入るのはまずいな」
不思議そうに首を傾げるミランにマオーは少し呆れながら言いました。
「お前は私が手を貸そうと思う程良い奴だ。だが、もう少し常識というものを理解しなくてはいかん。
私の頭を見てみろ。角が生えているだろう。そして私の額には第三の目がある。こんな容姿の人はいない。つまり直ぐに魔王だとばれてしまうのだ」
やはりこの青年のこれまでの教育の在り方について、彼の育った村の大人たちと話し合う必要があるのではないか、と本気で考えてしまいました。
「ともかく、額の目は隠せるから良いとして、問題はこの角だな。かぶり物でごまかすには大き過ぎる。ふむ、折るか」
マオーは伸びた爪や髪を切ることのように軽く決めました。
「ちょっとマオーさん、そんなに簡単に決めて大丈夫なんですか!?」
なのでミランの方が焦ってしまいました。
「何をそんなに驚いている。角はしょせん角だ。折れば多少の痛みはあるがそんなものは魔法でどうにでもなる」
と、言うとミランが制止の声をかける間もなく、あっさり角を折ってしまいました。
「本当に大丈夫なんですね!?魔力が無くなったりしていませんか!?折れた角から新しい魔王が生まれたりしませんよね!?」
マオーが頭の傷を魔法で癒している間中、ミランはあたふたと落着きなくマオーの周りを走り回っていました。
「全くお前は私のことを何だと思っているのだ。こんなことで魔力が無くなったりはしないし、角から魔王が生まれたりもしない。
おお、そうだ。魔王は生まれないが、魔力は含んでいるから、お前の剣の魔術強化にはもってこいの素材だぞ。持っておけ」
突然血まみれの角を放って寄こされ、ミランは大慌てで受け取りました。彼が荷物袋に魔王の角を大事にしまい込むのを横目に見ながら、マオーは額の目が隠れるように頭に布を巻いていきました。
「準備は出来たようだな」
マオーは軽く身支度をすませると、同じく身支度をすませたミランに声をかけました。
「はい。それでは行きましょう!ぐえっ!」
ミランは意気揚々と草原を森に向かって歩いて行こうとした所を、マオーに首根っこを掴まれて止められてしまいました。
「こら待て、無暗に東に行こうとするんじゃない。ここからなら北へ数分も歩けば街道に出られるはずだ。森を突っ切るよりも余程早く安全に町に着ける。
全くお前には勇者の心得よりも先に常識を教えなくてはいかんな」
こうして、駆け出しの勇者に元魔王が人の常識を教えるという珍道中が始まったのでした。
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