ひととき短篇集
茜木
いつか嘘が無くなる日が来るまで
バタッ と煩い音を階段から出させながら、数段跳ばしで一階まで降りてくると直ぐに玄関に向かい、履き慣れた靴を棚から出す。持っていたスクールバックを右足下に置いて、片足靴に突っ込む。
「また行くのか?」
紐を結わき直していると、背後から聞き飽きた、生意気な弟が声をかけてきた。
横目でチラリッ と後ろを窺うと、弟が口に歯ブラシを突っ込んで立っていた。どうやら歯を磨いていたらしい。
両足が履き終わって、俺が立ち上がりながら鞄を肩にかけると「ハァ……」と、溜め息が漏らされた。
「兄貴もよく諦めないな。僕だったら無理だし」
「オメェは諦めが早いんだよ」
行ってきます、と返ってくる筈もない弟に言いながら外へと出る。冬が近づいているように冷気を含んだ風が髪をなびき、露出している肌に当たる。
「さっみ……」
首に巻いた緑のチェック柄マフラーに顎をうずくめながら玄関の直ぐ隣にある自転車の籠に鞄を入れ、明らかに後から付けたと判る鍵を開ける。
車輪に付いているストッパーを外し、サドルに腰掛けると、植木の奥に置いてあるバケツの中の水の水面に氷が張っているのが見えた。今日は今まで以上に寒いらしい。ここら辺では、冬でも降ることの珍しい雪が近々降ると予想されている位だ。
そんな事を考えながら、錆のせいか、やけに重く感じられるペダルを漕いで、目的地へと向かう。
俺は高校生だ。そして、今日の曜日は水曜日である。この二つの条件を言われれば、俺が行こうとしている場所が高校だと、誰しもが思うだろが、実際はそうではない。第一、俺の家からだと、俺の通っている学校は徒歩15分程度なのだから、自転車等必要ない。ついでに言えば、こんな朝早くに出ても、校門は開いてやしない。
今向かっているのは、この近辺に唯一ある大型の病院だ。近辺だと言っても、家から車で向かったとしても30分は軽くかかる程の場所だが。
暫く、と言っても、およそ4、50分間程ひたすらペダルを漕ぎ続け、近道と言う近道を通ってようやく病院に付く。その時、既に時刻は7時になろうとしていた。
大型、と言うことで、この病院は7時から面会受付を始めている。患者が起きているかどうかは別問題だが。
ほぼ丁度面会受付開始時間に到着したのは偶然ではない。半年近く繰り返していれば誰にでも出来る芸当だ。
弟が言ったのはこの事だ。家から時間がかかる上に学校から真反対にある病院に、わざわざ、しかも半年近くも毎日行こうと思える人はそうそういないだろう。俺だって、そんな事がしたいと思っている訳じゃない。
7時になったのを一度確認してから自動ドアを通って受付まで行く。すると、カウンターで書類のようなものを整理していた今日担当の看護師は、直ぐに俺に気が付いた。
「『川原
こっちから用件を言わずとも、看護師は病室番号が記されているネームプレートを探す素振りすらせず、棚から取ると、分かった様に俺に渡した。否、『分かった様に』ではなく、俺が今日も来ることを『知っていた』のだ。なんせ、半年間一日も欠かさずに受付が開始する頃にやってくる人間など、俺くらいしかいないのだから。そして俺は、アイツが退院するまで、これを止めるつもりはない。言ったら弟に呆れられたが。
看護師に見送られながらエレベーターの最上階、三階を押す。実際は五階まであるのだが、このエレベーターでは三階までしか行けない。目的地は三階なので困った事は無いが。
一瞬、下に押さえられる様な力が感じられ、十数秒で三階の扉が開く。
直ぐに降りて振り替えることもせず、一直線に廊下の突き当たりの病室に向かう。
扉の横にはネームプレートが貼り付けられており、『315号室・川原 繋』と名が書いてある。一つだけなのは個室だからだ。
俺はそこへ、ノックも無しに扉を開けて中へ入った。家族とや看護師と一緒だとノックをしろと言われるが、いつもの事だし、それは性に合わない。
病室の為の特注品なのか、恐ろしい程の消音効果で殆ど音が出ない扉を閉めると、窓を開けっ放しにしているのか、冷たい風が頬に当たった。病院の病室内で、この時期暖房を入れていない所は無い筈であるから、これでは電力の無駄である。
俺は一つ溜め息をつくと、白いカーテンがなびく窓に近寄り、外の冷気をシャットアウトする。途端、病室の雰囲気に似合わぬ大声で
「あー!! ちょっとッ! 折角外界の空気に浸ってたっていうのに、いきなり何すんのよ!! バカユータ!!」
「馬鹿とは何だ馬鹿とは。つーか、繋の方が馬鹿だろーが。真冬に暖房の効いた部屋の窓を開けるか普通」
それと、俺はユータじゃなくて雄太だ。鞄を置きながら、ベッドの横に重ねて置いてある椅子を一つ取って座る。しかし、患者ーー川原繋は文句を続けていく。
「ユータもユウタも似た様なもんでしょ。 それより、何でそこに座ってるのよ! 一体何しに来たの?!」
「何処に座ろーが俺の勝手だろー。後、病院に来たとしたら見舞い以外無いと思うが」
朝から騒がしい、騒がし過ぎるテンションで繋は怒った様に、否、本当に怒りながら叫ぶ様に言った。
「大体、何で朝早くから来てんのよ? 普通夕方でしょうが! うざったいなユータ!」
何で朝早くからなのか、と言われれば、気持ち悪い事に早く繋の顔を見たかったから、としか言えないが、そんなことを本人に言ってしまえば、全力で気持ち悪いと言われてドン引きされる事になるので言わない。言っても仕方がない。
「いいじゃんか。俺がいつ来ようが」
テキトーな曖昧に応えると、気にさわったのか、繋は更に怒ってキツい口調で言う。
「ユータはいっつもテキトーばっかし! 少しは深く考える事をしない訳? バァカ!!」
「別に」
深く考えない事なんて無い。少なくともここ半年間は。
繋は校舎の二階から落下したのだ。半年前に。
事故か自殺かは不明だが、二階と言う中途半端な高さからして後者は有り得ないだろう。打ち所が悪くでもない限り、大事にはならない。彼女の場合は、運悪く見事に頭をぶつけてしまったが。
一時は俺を含めた多々なる人々が心配をしたが、命に別状は無いと言われ、少なからず安心はした。俺は友人でもなく、ましてや家族でもないが、一応は幼馴染みだから。
だが、それでめでたしめでたし等と言うオチにはならなかった。なっていれば、現在進行形で俺が苦労をかけて繋の見舞いに来る訳がない。
頭を打ったと言うことで、何らかの後遺症があるだろう、とは覚悟していたが、その甘い覚悟以上に最悪な形で
大雑把に言えば、記憶障害、だそうだ。
思い出に当たる部位、事故以前の記憶は失われ、事故後の記憶も古いものからあやふやにになっていくと言う。
とどのつまり、繋は俺の事を何も覚えて無かったのだ。
別にその事で俺の学校生活や私生活に影響が出ることは無かったし、元々繋は俺の事を好ましく思っていなかったらしく、事故前後で然程態度は変わらない。変わったことがあるとしたなら、繋が俺の事を『腐れ縁の幼馴染み』から『唯のクラスメイトの男子』と思うようになっただけだろう。
たったそれだけ。それだけの話なのに。
毎日飽きもせず、繋の見舞いに行ってる俺がいる。コイツが以前の事を思い出す可能性も、この先覚えていてくれる可能性も無いのに、だ。
「特に考える事も無いし」
だから、漏れるは嘘。本当のコトが解らないのだから、言うことは虚言になる。
「朝早く来てんのも、朝暇だからだよ」
朝なんて、半年前まで8時近くまで寝てた。病院に行くためにわざわざ早起きしてる様なもんだ。が、自分が行ってる行為の真意は、俺自身も解らないままだ。
たとえ俺がそれを解って、本当の事を話したとしても、繋が好感を持つとは思えない。今の繋にとって俺は、半年前に初めて知り合った男子なのだから。
「深く考えても意味無いだろー」
「ま、ユータはそういうのが性に合わなそーだけどさぁ……朝早く来られても困るんだよコンニャロウ!」
俺が毎日行く度に繋は怒っている。一度だけ確認済みの本心を伝えたら、顔を真っ赤にして盛大に怒ってきた。とことん嫌われているのだと痛感した記憶がある。
以前は俺に対しても笑っていた気もするが、今じゃ確めようが無い。
「……? 何急に黙りコクるの? そんなに朝に来たかった訳?」
反応が無かった事を不可解に思ったのか、少し勢いを落として、怪訝そうに訊いてくる。
「別に」
それでも、本当は言わない。奇跡か何かが起こって繋に記憶が戻ったりしたら、嘘つきと言われるしかない嘘をつくしかないのだ。
けれど。
「怒ってばっかじゃねぇで、少しは笑ってみたらどうだ? ちっとは可愛気が出るだろー」
「なッ…?! 変態!? 馬鹿!!」
やはりと言うか、本音を言えばこうなるしかない。けれど、以前に笑ったとき可愛く見えたのは本当の本当だ。変態とは心外だが。
もし俺が、嘘をつかなくなるとしたら、それは記憶が戻った時か。
「オメェが笑ったら馬鹿だって認めてやるよ」
そして今日も、嘘をつく。
Fin.
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