ムネより大腰筋が好き
Drop。
第1話 出会い
男子高校生たちが昼休みのひと時に、幸せな話に花を咲かせている。
「なぁなぁ、お前オンナの一番好きなのどこ」
「やっぱおっぱいだろ!」
「だよなぁー!」
「オレ太もも派」
「やーらし〜!」
何のことはない、女性のどこにもっとも惹かれるかという話だ。順番に一人ずつ振られていく中、ちょうど少しいやらしい雑誌に目を通していた少年にも、話が回ってきた。
「お前は?」
「俺?」
彼は雑誌から目を上げると、しばし考え込んでから、雑誌を机の上に広げて、言った。
「俺はやっぱり、大腰筋のしっかりした女が好きかな」
でれりと顔をとろけさせて、背筋のピシリと伸びた半裸の女性の写真を見つめる彼。
名前を、長谷川新太という。
新太は学生時代陸上部に所属していた。陸上部の中で美しい女性とは、バランス良く筋肉が付いて、胸など強調してはいない。新太は彼女らの、引き締まった肉体美に魅せられてしまったのだった。
「背筋を無理なく伸ばせるやつは大腰筋がよく鍛えられててカワイイ。次に見惚れるのはアキレス腱」
とは、高校二年生の時の新太の言葉である。
新太とて自分で、こじらせちゃったかなー、とは、思っている。しかし大人になった今も、自分が理想とする美しい身体を求めるため、週三でジムに通い、肉ダルマにならないラインで筋肉を鍛えている。インナーマッスルを鍛えたり(大腰筋を含む)、体幹トレーニングに勤しんだりすると、いわゆるボディビルダーというよりは、アスリート的な身体つきになって、気に入っている。
真っ白だと気色が悪いと思ったので、浅黒く肌を焼き、会社の営業先に行くと、キャアキャアと女性に喜ばれるほどには、良い身体だとの自負がある。
つまり新太は、そういうやつになったのだった。
その日も、新太はジムでのトレーニングを終え、帰路に着こうとしていたところだった。時計では夜の8時。ジムでシャワーは借りたから帰ったら何を食べようか、と思案して歩いていた。
「すみません」
後ろから、随分と可愛い声が聞こえる。自分にはそんな声の知り合いはいない、と思考を切り捨てようとした時だった。
ぐい、と腕を引かれる。
「あの、すみません」
びっくりしてそちらを見ると、自分より随分と下に、声に見合う可愛らしい顔があった。
「よろしければお話伺いたいんです、ご飯でも一緒にいかがですか!?」
「はぁ…別に、構いませんけど」
新太はその女性に、興味がなかった。
可愛らしい声も、可愛らしい顔も、新太の心を動かすことはない。その女性の姿勢が、大してよくなかったからだ。
女性は新太に名刺を差し出した。
「宮部真知子といいます、その、下着ブランドの社員をしていまして」
「へぇ…大手ですね、羨ましい」
ウチは全然大きくないから、と笑う新太に、真知子は困ったような顔をした。
「申し訳ありません。突然、ぶしつけに」
「大丈夫ですよ。でももう逃げたりとかしませんから、手離してください」
握られたままの腕を指摘すると、真知子は慌てて手を離した。面白い人だな、と新太は目を細めた。
「下着の話ってことはアレすか、結構話ってのも、ソッチで」
真知子は顔を赤くしながら、小さく頷いた。新太は納得したと言うように頷くと、駅の方へと顎をしゃくった。
「今日外食する気ないし、家にササミのチーズフライ仕込んでるの思い出したんで、良かったら、ウチに」
「えっ」
「ご馳走しますよ、何かの縁でしょ。脱いだりすんなら家のがいいし」
「でも、その、」
赤い顔で新太の話を遮ると、真知子は恥ずかしそうに呟いた。
「見知らぬ男性の家に行くのは、」
「アンタから声かけてきたんしょ」
「いやでも、あの、襲ったりとか」
「襲う?」
「しませんか?」
「しませんよ」
新太はあっさりと言うと、時計を確認して歩き出した。
「とりあえず、電車出ちゃうんで。俺いきますよ、付いてくるならどうぞ」
「あっあの、はい!」
真知子も新太に駆け寄ると、連れ添って歩き出した。
「ササミのチーズフライって、どう作るんですか?」
「ササミに切れ込み入れて、その間にチーズを挟み込んで。衣つけちゃったらそれで揚げてもいいし、切れ込み塞ぐようにつまようじか何かで串を打って焼いても美味しいですよ」
新太の家は広めの2LDKだ。趣味は筋トレと料理であり、金のかかるものではないので、家は良いところに住もうとした結果だった。そのキッチンに、真知子と立っている。
「今日はお客さんに出しますから、贅沢に油でカラッと揚げましょうかね、美味いよ」
嬉しそうに油を熱し始める新太に、真知子はほっとした様子で笑った。
「よかった、本当に襲わないですね」
「襲いませんって」
「ええ、確信が持てました!」
意味がわからずきょとんとしている新太に、真知子は得意顔で話し始める。
「だって、男性って、そういうことする時にご飯食べないって聞きました!ご飯をご馳走してくれるってことは、本当にする気が無いってことですよね!」
新太はしばし考え込み、一つ頷いた。
「襲うときは襲うと思いますけど」
「ええっ!?」
「いや、飯を食おうが何をしようがやる時はやりますよ。俺だって、好みの女がホイホイ家に上がってきたら多分襲うし」
「そんな…じゃあ、私も、襲いますか?」
うるうると瞳を潤ませる真知子に、溜息をつく。
「今のところ、アンタは俺の好みじゃないから、襲いません。ささみ、油に入れといてください」
淡々と述べると、新太は皿を用意し始めた。真知子もそれを見ると、黙ってささみを揚げ始めた。
「美味しい!」
真知子は目を輝かせた。
「美味しいですよ、これ。ささみなのにぱさぱさしない!」
「麹に漬けとくんです、そうしたら柔らかくなりますから」
「なるほど…!!」
ふんふんと頷きながら夕食を食べていく真知子に、新太は笑った。
「美味そうに食いますね」
「だって美味しいですから!」
そりゃ良かった、と独りごちつつ、自分の分を食べ終わった新太は皿を片す。皿に水を溜めながら、ふと、新太は思い出した。
「そういや、宮部さん」
「はい!」
「俺の用事って何だったんでしたかね」
「あっ」
真知子は小さく声を上げ、それきり黙ってしまった。ちまちまと箸を動かす。
ソファへと戻った新太は、赤い真知子の顔を見ると眉を下げた。
「言いにくいことなんですか?まぁ、脱げってことかなって思ってますが、そのくらいなら構いませんよ」
ジムに通っている関係で、体を見せてくれとはよく頼まれるものだ。大して気にはしないと真知子に言うと、彼女は首を振った。
「違うんです、そうじゃないんです」
「じゃあ、なんですか」
できる限りの優しい声と顔で聞くと、真知子は意を決したように箸を置き、新太を見た。
「貴方の大胸筋を!!揉みしだきたいんです!!!!」
「……は?」
新太はこの上なく間抜けな顔をすると、裸を恥じらう乙女のように胸に手を当てた。
「えっ、いや、は?変態?」
「ちっ、違いますよ!私、大胸筋フェチなんです!」
真知子は慌てて弁明を始めた。
曰く、ガッシリした男性が好きだったこと。
曰く、そのうち筋肉全てが好きなわけでないことに気づいたこと。
曰く、自分の高ぶりは男性の大胸筋に呼び起こされること。
曰く、新太の大胸筋が、服の上からでも分かるほど理想的だったこと。
以上を滔々と語り、ジリジリと寄ってくる。新太は気圧されるように後退りながらも、やがて背中が壁に当たった。
冷や汗が流れる。襲っているのはどっちだ!
「私!貴方の大胸筋に触れるなら抱かれても構いません!お願いです、触らせてください!!」
寸の間、声が出なかった。
しかし、と自分を省みる。
自分も決して人に威張れるような普通の嗜好をしてはいない。それに、筋肉好きという点では同士じゃないか。
自分は、この人を拒む権利があるのか?
ごくり、と生唾を飲む。
「いいですよ」
新太は頷いた。真知子の顔が輝く。
「好きなだけ、どうぞ。シャワーをもう一回浴びてきます」
そうと決めたら腹を括れ、と自身に言い聞かせると、新太は浴室へと向かっていった。
真知子はソファに座り、頬を上気させて待っていた。
あんなに理想的な大胸筋を!好きなだけ揉んでいいだなんて!
服の上からでも分かるほどよく張っていて、シャツがパツンとして見える筋肉。それを見た瞬間、頭が真っ白になって、気付けば声を掛けていた。
人並み以上の容姿をもつ真知子は、いわゆる巨乳でもあった。しかしながら長谷川は、未だにそのことに触れてこないし、ちっともいやらしい視線を投げてこない。
「最高……」
思わず言葉が漏れる。ちなみに夕食も完璧に美味しかった。本格的にルームシェアをしてほしいくらいである。
「あの」
うっとりと考えを巡らせていた真知子に、声が掛けられた。そちらを向くと、バランス良く鍛えられた筋肉に、理想を具現化したような大胸筋が、そこにあった。風呂上がりでしっとりと濡れた肌も相まって、まるで誘うかのように真知子には見える。
「服、着ないで、そこに座ればいいんですか」
パンツ一枚でのそのそとやってくる新太に無言で頷くと、新太は顔をわずかに赤くしてソファに腰を下ろした。
「ほ、ほんとに、触るんですよね」
どもる新太に真知子は微笑みかけて、立ち上がる。
まずはじっくりと鑑賞しなくてはならない。
恥じらう新太をよそに、再びじっくりと大胸筋を観察する。
「…ふつう、ジムに行ってる人って、無駄に筋肉つくじゃないですか…、こんなに綺麗な筋肉…」
間近で見ながらうっとりと呟くと、新太はくすぐったそうに身じろぎした。
「と、吐息が…っ!ほら、触るんなら早く触って!ちゃっちゃと終わらせましょうよ!」
急かす新太に、じっくりと楽しみたいのに、と唇を尖らせつつも、真知子は新太の膝に乗り上げながら、大胸筋に触れた。
触れると、しっとりと手に吸い付く、ハリのある肌。力を入れなければごく柔らかい大胸筋は、真知子の手が乳首に触るたび、びくりと震えて硬さをあらわす。
「ああ!吸いたい!」
「えっ」
「あっ」
心の叫びを本当に叫んでしまい、赤面する真知子に、新太は青くなる。
「す、吸うんですか」
「吸わないです、吸わないです!すいません!!」
「よかった……」
新太はぐったりと脱力して目を閉じ、そっと呟くと、ああ、と言いながら目を開けた。
「あともう一つ言っときますけど」
「はい?」
「宮部さん、ムネ。当たってますから」
「あ!」
慌てて距離をとると、新太は苦笑した。
「そう慌てなくても、俺はそういうのにムラッとはこないタイプなんで」
「は、はぁ…というと、男性に興味がおありなんですか?」
胸元を正しながら恐る恐る尋ねると、新太は首を横に振った。
「俺ね、大腰筋のしっかりした、体幹の鍛えられてる女性にしか惹かれないんすよ」
「ダイヨウキン?」
真知子は首を傾げた。何を言っているのかと如実に戸惑いを見せる真知子に、新太は、やっぱりなぁ、とため息をついて、苦笑して見せた。
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