王の隠れた英雄譚
絢音 史紀
第1章 始まりに影は落ちる
第1話 風のありか~まどろみの中から~
広い部屋に沈黙が流れていた。大きなベットだけが置かれた部屋はそれ以外に物がなくもの悲しい雰囲気も漂わせている。しかし、その置かれているベットはその中で異彩を放っている。それはまるで貴族や王族がつかうような天蓋がつけられ、品を崩さぬ程度の美しい装飾がほどこされたベットに清潔感のある白く薄いカーテンがまるで天使の羽根のように、眠っている誰かを包み込み守っているようにも見える。
その傍らにはベットに眠る誰かの顔を覗き込む幼い子供と少年の頭をその大きな掌で優しくなでる男がいた。
幼い子供は幼さを残しながらもその顔立ちは整っており凛々しさと可愛らしさを同居させている。髪は男の子にしては少し長く、女の子にしては短い。薄い灰色がとても特徴的でふわふわとした髪をしていた。服装はシンプルなデザインながら気品があり、いいとこのお坊ちゃんといえる雰囲気が滲み出ている。
その傍らに立つ男は、少年とは打って変わってゴツゴツとした輪郭に、はっきりとした鼻立ち。威厳を感じさせる整えられた顎鬚。男の黒髪はわずかな前髪を残し、オールバックのように後ろに流し整えられている。さらに目つきの悪さと顔に刻まれた無数の傷跡がその厳つさに拍車をかけている。しかし、そんな男の双眸には僅かに悲しみの色が見え隠れしている。その男の装いは、派手なものはほとんどなく、左手の薬指にはめられたシルバーリングの水色の宝石だけが輝いている。その上から下まで黒一色の姿は、喪服のようにも見える。
どれくらいその様子が続いただろうか、5分か10分か部屋には重苦しい沈黙の時間が流れている。
「ねぇ…母上は、どうして起きてくれないの?」
幼い問いかけがそれまで流れていった沈黙を破った。男が少し驚き少年に目を向けると少年は振り返って男を下から見つめていた。真っすぐで純粋な瞳が男に向けられ、思わず口ごもる。また少しの沈黙の後に
「ねぇ、父上。どうして…母上は、目を開けてくれないの?」
再び同じような質問を投げかけられた男は、微かに目をそらし口を開いた。
「母上は…だな…天界の使者が意識を運んで行ってしまったのだよ…」
少し迷いながら男は少年の前で膝を折り、片膝立ちで視線の高さを合わせた。少年はそんな男の姿にぽけーっと呆けたような顔をしていた。
「テンカイノ…シシャ?イシ…キ?」
少し難しかったようで少年はしきりに首をかしげている。男自身も4歳の息子にこの説明はないなと少し自嘲気味に苦笑いをして続けた。
「ごめんな、父さん説明が下手で…そう…だな…要は、心が長い…とても長い…旅に出たんだ。」
男はたどたどしくも説明し少年に微笑みかける。少年はそれに対して少し考えるように視線を上に泳がせて、口を開いた。
「タビ…お出かけ?」
「ああ、そうだよ。長いお出かけだ。」
平静を装いつつも男の心は少年の純粋な瞳に見詰められ、罪悪感を募らせていくことに少年は気付かずに男に質問を投げかける。
「母上、いつ頃帰ってくる?」
その問いにまた男は黙り込む。答えるべきか迷い男は少年から目をそらし、思い出したかのように唐突に、胸に手を入れそこから何かを取り出した。
男が取り出したのは、手のひらサイズの八面体の結晶だった。淡い青の輝きを放つその結晶には、それを押さえるように上下を金具で止められており、その先に鎖がつけられている。男はそれを少年に手渡す。一瞬だけ少年を中心に周囲に風が生まれて消えた。少年はそんなことに気が付きもせず、両掌に乗せられた結晶を顔の目の前に持って来たり、光にかざしてみたり不思議そうに見つめていた。男は微笑むと少年に語り掛ける。
「これは、母上からお前へのプレゼントだ。肌身離さず持っていなさい。誰にも渡してはいけない。わかったね?」
少年は結晶に夢中といった様子で、男の言葉を聞き流していた。それは無理もない。少年の両掌に乗せられた青く輝く結晶の中には、小く白い羽がフワフワと浮かんでいる。それは淡い光を放ち幻想的な輝きを持っていた。
「気に入ってくれたようで何よりだ。」
男はそんな少年の姿を見ながら少し懐かしむような眼をしていた。そして、
「いつか…俺を助けてくれ……」
微かな男の呟きは誰の耳にも届くことはなく周囲に霧散した。
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