超神伝
arm1475
第一章 臨時講師 神(1)
二十一世紀までカウントダウン目前となったその年の、少し冷めた九月の秋風に乗って、秋茜が青空を滑って行く。今年の夏のうだる様な暑さが、まるで嘘の様に思える程の涼しい午後であった。
東京・港区の三田にある「私立皇南学院」は、都内で数少ない創立百年を越す、文武両道を誇る名門校である。それでいて堅苦しくない自由な校風を誇り、その卒業生達には政界、財界を問わず大物が多く名を連ねていた。更に、幼稚園から大学院までスライド式に進学出来るところから、幼児を持つ母親から都内で子供を入学させたい学校の第一位を不動のものにしていた。
今日も、活気ある学生達の声が校舎の内外を問わず響いている。
その中で一際、声の高い所があった。鉄筋構造の校舎に寄り添う様に建てられた、武道館の中からであった。
武道館内では、白い道着姿の二人の巨漢が、同じ道着を着た大勢の男達に見守られながら拳を交わし合っていた。
皇南学院高等部空手部。白い道着に黒糸で縫われたその文字はそう読めた。
フルコンタクトで戦い合うこの二人の巨漢、何れも、拳のグローブ以外の防具を装着していないので各々の容姿は一目して判る。
一方の巨漢は、如何にも筋肉質で武骨さが目に付きそうな、愛想の欠けらさえも伺えそうに無い野武士の様な顔の持ち主であった。
そして、もう一方。
何と、対照的であろう。もう一方の巨漢は美形と呼ぶには少し程遠いが、何処かあどけなさを残した、妙に愛敬のある童顔をしている。拳を繰り出す最中でも伺える心地良い温かみに満ちた精練された瞳は、なかなか魅力的である。好青年という形容が最も相応しいだろう。
それでも、二人には共通点があった。
常人を遥かに越した、その巨躯である。
だが、それも僅かに違っていた。童顔の方がもっと大きかった。
この童顔の巨漢は、彼が相手をしている武骨な巨漢の体躯を一回り大きくしたぐらいの見事な巨躯を持っていた。あと数センチあれば2メートルを超す体躯である。彼らの年齢からして、伸び盛りの今なら、それを満たすのは時間の問題であろう。
そんな巨漢同士の激突は、それをかたずを呑んで見守る者達の視線を捕らえて離さないでいた。
一同が見守る中、武骨な巨漢が、対する童顔の巨漢の横隔膜を狙って右正拳突きを繰り出した。
童顔の巨漢は、迫る突きを左腕で払い除け、カウンターとして右肘で弧を描いて相手の懐を打ち抜こうと正面に飛び込む。
正拳を払い除けられた武骨な巨漢は、透かさず左前蹴りを放ち、迫り来る肘打ちを払い除けた。これにより、童顔の巨漢の右脇に付け入る隙が生じてしまった。武骨な巨漢はその隙を見逃さなかった。
だが、全ては童顔の巨漢の計算通りだった。彼は肘打ちを弾かれたのと同時に、その反動に乗って、そのまま時計回りに左足を軸にして巨躯を勢いよく回転させ、その勢いを込めて対峙する武骨な巨漢の右脇に右廻し蹴りを放ったのだ。
「もらったぁ!」
勝利の手応えに、童顔の巨漢は思わず綻んだ。
しかし。相手の左脇腹を捕らえるまであと数ミリの所で突如、彼の廻し蹴りが止まった。
(――寒っ!)
童顔の巨漢の背筋に悪寒が走った。
「何だと?!」
驚愕したのは、廻し蹴りを食らう筈であった武骨な巨漢の方だった。童顔の回し蹴りは中途半端に弧を描いて相手を打つ事なく、宙に静止していた。
ぱしぃぃぃぃんんん! 厚い肉の弾ける音が室内に静かに響き渡った。相手の予想外の隙に、武骨な巨漢は慌てて右脇に飛び退き、透かさず右足蹴りを隙だらけの相手の右脇腹に叩き込んだのだ。
「ぶっ!――っんッ!?」
童顔の巨漢は右脇腹を襲った激痛に顔を歪めたが、しかしその勢いをもってしても彼の巨躯を地に沈める事は叶わなかった。童顔の巨漢が食らった右足蹴りは、その手応えを確かめ続けているかの様に、深々と脇腹に沈み込んだままであった。それは宛ら、複雑な力のバランスに支えられたモビールの様である。
「一本!それまで!」
今まで、二つの巨躯の激突に翳んでいた小柄の審判役の空手部顧問の奥野教師の声が、ここぞとばかりに響いた。
「やった!副将の勝ちだ!」
「くそっ!葉山が負けた!」
歓喜と遺憾の声が同時に沸いた。その声はほぼ半数。
巨大な白いモビールがゆっくりと二つに分かれた。童顔の巨漢は照れ臭そうに右脇腹を摩りながら後ろに引き、対照的に、武骨な巨漢は勝利に何の感慨も無さそうに憮然とした表情で下がり、審判の先生に促されて礼を交わした。
「これで事実上、灰原〔はいばら〕副将が来年の主将に決定したな」
「まあ、当然の結果だな。しかし、葉山〔はやま〕も惜しかったな」
「惜しかった?冗談だろ、あそこで葉山が蹴りを止めなかったら、副将の負けだったんだぜ!」
「今年の全国大会の個人戦で準優勝したあの灰原副将と互角に戦うなんて、全く、凄ぇ一年〔やつ〕だ!」
二人の巨漢の激突を見届けた空手部員達は密やかに、しかし熱く勝負の結果を語り合っていた。
そんな周囲をよそに、二人の巨漢は息を整えながら互いの顔を見合っていた。
一方は、苦笑混じりに。
しかし、もう一方――武骨な顔の、灰原副将と呼ばれる巨漢は、憮然とした表情で童顔の巨漢の顔を睨んでいたのだ。
「……葉山」
「はい? 何です、副将?」
葉山と呼ばれる童顔の巨漢は、灰原の顔を上から覗き込む様に見た。
「……何であの時、俺を蹴らなかった?」
「え?」きょとんとする葉山。「……え、ええ、一寸、ねぇ」
「……業と止めたな」
灰原の声は怒気を孕んでいた。
「ち、違いますよ、副将」
葉山はどぎまぎして、
「一寸、気になる事があって……」
「気になる?――俺に勝っちゃいけねぇ、何て事を考えたのか?」
灰原は曖昧に返答を濁す葉山に詰問した。明らかに、灰原は怒っていた。
「葉山……何で本気で掛かって来なかった?」
だが、葉山は何も応えずに俯いて沈黙した。
「っンの野郎!」
葉山の曖昧な態度に、遂に堪忍袋の緒が切れた灰原は、咄嗟に葉山の胸元を掴んだ。
「葉山! 俺をなめているな?!」
「副将……」
怫然とする灰原の怒声に、周囲の部員達が驚いて二人を見る。
「止めろ、灰原! いったい、どうしたって言うんだ? 離れろ!」
「……ちぃ」
奥野に窘められた灰原は舌打ちし、口惜しそうにゆっくりと葉山の胸倉を離した。そして、踵を返してその場からズイズイと離れて行き、数歩離れてから再び葉山の方に振り返って、その困惑する顔を指さした。
「良いか、葉山!こんな、お前が実力を出し切っていない試合の結果なンぞ、俺は認めんからな!」
これ以上の遺憾は無い、とばかりの捨て台詞を残し、灰原は再度、踵を返して武道館を出て行ってしまった。
後に残された者逹は、事情を良く把握し切れていない者と、葉山の不審な行動に気付いていた者と、矢張り、半分ずつに分かれて騒然とした。
「……副将」
灰原の後ろ姿を見送る葉山の眼差しは、遣り切れぬ悲しみに満ち溢れていた。
ふと、葉山は思い出した様に慌てて周囲を見回した。
騒然としている部員達の姿が映る。
「……違うんだ」
葉山は今、自分が求めた何かがその瞳に映え無かった事を、唇を噛み締めて口惜しがった。
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