無題

逃ゲ水

 夜道を歩いていると、僕は犬に出くわした。いわゆる小型犬、リードや首輪は無く、毛並みは整っていなかった。

 そこは時々野犬を見かけるような地域だった。しかし、いわゆる愛玩犬に含まれるその小型犬が野犬であるとは、少し考えにくかった。

 そこは市街地から離れた所で、丁度そのあたりから道の左右の家並みがまばらになる地点だった。当然、車通りも人通りも少ない。


 はたして僕はどうすべきだったのだろう。


 僕はまず社会に属する人間として考えた。

 これが野犬であるなら、保健所に連絡するなり、保護して獣医に連れていくなりすべきだろう。どこかの迷い犬であるならそれで飼い主の所に戻されるかもしれない。そうでなければ保健所に送られ、引き取り手が現れなければ一定期間後に殺処分されるだろう。

 次に僕は世間の人間になりきって考えた。

 なんにせよ、小型犬が野良として生きていくのは困難で可哀想だから人間の下で飼われるべきだし、保護してあげるべきだろう。とりあえずこのまま保護して誰か引き取り手を探すか、あるいはそういう犬の引き取り手を探す団体にでも連絡すればいい。

 次は犬の気持ちというものを仮定して考えた。

 もしもこの犬が何かしらの不幸によって飼い主の手から離れてしまったのならば、犬は仕方なく野良で生きていて飼い主の所に戻りたいと思うだろう。そうであれば、保護して元の飼い主を探してやるべきだろう。

 あるいは、望まず捨てられた犬であるなら、人間に飼われたいと思うだろう。品種改良によって作り出された小型犬は野良での生活は困難であるだろうし、楽に生きられるならそれを望むだろう。そうであれば、やはり保護して新たな飼い主を探してやるべきだろう。

 しかし、仮にこの犬が自ら人間の手を離れた犬であるならば、犬は再び人間に飼われることを望むまい。人間に飼われる楽を捨てて自由を選んだのならば、どうせ人に飼われた所で再び逃げ出そうと足掻くだろう。そうであるなら、このまま見逃してやるか、あるいは道路から追い立ててやって車に轢かれたり人に見つけられる可能性を減らしてやるのがこの犬のためだろう。


 そうして最後に、僕は僕自身として考えた。

 僕は犬が好きでも嫌いでもない。仮に轢かれた姿を見たならば多少心が痛むだろうが、別にどこか知らない所で死んでいたとしても何も思うまい。

 野良犬は感染症に掛かっていることがよくあると聞いたことがある。代表例としては狂犬病、噛まれると感染し発症すれば高確率で死ぬ病だ。そうでなくても、野良犬はダニやノミを大量に持っている。できれば触りたくはないし近付くのも避けたい。

 仮に保護するとするなら、その場所も問題だ。僕はアパート住まいなのでペットを置いておくことはできないし、犬一匹のために交渉するのは面倒だ。さらに飼い主を探すにしても保健所に連絡するにしても、何かと面倒がある。ここで何もしなければ感じることは無かっただろう面倒を、行動してしまえばわざわざ感じる羽目になるのだ。


 どうすべきだろうかと悩み始めた僕の前に、一台の車が現れた。車は幸か不幸か犬に気付き、減速して犬が他所へ行くのを待ったようだった。そして車が走り去った後には、犬の姿はどこにもなかった。


 はたして僕はどうすべきだったのだろう。答えは未だ出ないままだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無題 逃ゲ水 @nige-mizu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る