神託を受けし者

薄暗くなった路地を四人と一匹でてくてくと歩く。

あちこっちから未だトンテンカンと聞こえてくるし、どこからか笑い声も聞こえてきた。

漂ってくるお酒の匂い、暗がりで服をはだけて退廃的な雰囲気で立つ妙齢の女性。

夜の帳が落ちてくるであろう宵闇の空は美しい濃紺とオレンジのグラデーションである。

うーむ、この街もこうして見れば中々に風情がある。

明るいランプがあちこちを照らして何とも情緒的だ。

満腹のお腹を抱えて撫で擦る。

このまま部屋に帰ってベッドにダイブしたら多分3分もたないな。うん。

inスヤスヤドリームといった所であろう。


「ふぁ~」


大きく伸びをする。

今夜もいい夢を見られ、いや、その前にお風呂に入ろう。

そうしよう。

確かシャワーがあったはずだ。

お湯が出るかはとんと怪しいが別に水でも構わない。

後は石鹸なんかが必要だ。あとタオル。


「マリーさん、ちょっとお店に寄って行っていいですか?」


「何か必要なものがあるのかしら?」


しゃなりと御髪を優雅に掻き上げつつマリーさんは微笑んだ。

貴族だなー…。


「石鹸とタオルが欲しいのです」


「日用雑貨か。今更すぎるが」


「あー、まぁ」


確かに今更だけども。


「それなら直ぐそこに店があるわ。たいして大きくはないけれど掘り出し物も多いわ。日用雑貨も手に入るでしょう」


「おー」


マリーさん御用達って事か。

これは期待が出来そうだ。



「お店なのよー!カナリーも入るのよー!」


カナリーさんは大興奮だ。

妖精の国にはこんなお店とか無かったのかもしれない。

立ち寄った店をどれどれと覗き込む。

ふむ、確かにごちゃごちゃと商品が乱雑に並んでいる店頭は掘り出し物もありそうだ。

逆を言えばほぼガラクタだ。

というか盗難品じゃないのかコレ。いいけど。


「えーと」


日用雑貨らしき物品を漁る。

何だかんだマリーさん達も買い物に勤しんでいるようだ。

手に持っているのは…なんだアレ。

呪われそうな人形だ。

見ないでおこう。

石鹸にタオル、歯ブラシ。この変な瓶は香油だろうか。

きつい匂いを発するガラス瓶もある。香水のようだ。

色々ありそうだ。

それらを眺めていてふと思った。

本を開く。

カテゴリは生活セット。

パラパラとページを捲ると目的の物は直ぐに見つかった。

シャンプーにリンスによさげな石鹸。

ふっかふかなタオルにバスローブ。

手元の商品と比べる。

…高くない?

本でこういった商品を買うと恐ろしく高い気がする。

私の魔力で五円チョコ。

家具なんかは、1万から10万ほど。

高いものだと100万とかいく。

マリーさん達の魔力量を思う。

ブラドさんが2500、クロノア君が1000。

マリーさんは封印されていて200しか無い。

この本で言うところの所持金換算2500円と1000円と200円だ。

いや、無いだろう。

あの三人がそれって無いはずだ。

さらにパラパラとページを捲る。

なんというか、どういう割り振りなんだろうこれは。

金貨の類は非常に安い。

にもかかわらず、この本で直接物品を買おうとすると高い。

金貨の方が圧倒的に安いってどういうことだ。

今着ている服はこの本で出したものだが…。

この本で金貨を出して服を買うのとこの本で直接服を出すではコストの掛かり方が違う。

確かにこの服は生地もいいし着心地いいしサイズもぴったり暑くも無く寒くもなく汚れに強くて洗濯いらず、あ。

そうか、コレか。

この世界には無いのだ、私が着ている服は。

恐らく家具の類も。

存在しないものは高い、そういう事か。

金貨が安いのは元からあるからだろう。多分。

この辺りのバランスの見極めも重要だ。

よくよく考えねば。

石鹸をいくつか手に取りタオルを三枚ほど。

ひとまずコレぐらいでいいだろう。

あとは…特に思いつかないな。

生活していて不便になったら買い揃えよう。

…今まではどう暮らしていたんだっけ?

記憶を思い返してみるが霞がかって判然としない。

人間だった、筈だ。男だった気もするが女だった気もする。

年はいくつでどこに住んでいたのだったか。

名前、家族、友人。

何だかはっきりしないな。

救急車の音は覚えているのだが。

そもそも最後はどうだっただろう。


「………」


なにやら飲まれている?

飲まれていた?

人間、過去の記憶は薄れていくものだが…流石に早い気がするぞ。

まるで洗い流されていくようだ。

うーむ、しゃんとせねば。ボケるにはまだ早いのだ。


商品を入れたカゴを持ってそそくさと会計へと急いだ。

会計をしていて気付いたがカナリーさんがこっそり変な物を入れていた。

いつの間に…!

カナリーさんを見やればしてやったりとばかりに笑いやがった。

なんて妖精だ。




「さて、戻るか」


「はーい」


「いい物が手に入ったわ。クーヤはタイミングがいいわね」


「何を買ったんですか?」


「極楽鳥の手羽先よ」


「…羽根とかじゃないんですね」


手羽先かよ。

情緒もクソもない。

マリーさん、とても惜しい人である。




「おやすみなさーい」


「ええ」


「私はまだ寝ないがね。お子ちゃまは寝る時間だ」


「ブラド、また娼婦を連れ込むつもり?いいけれど騒がしくはしないで頂戴」


「相手次第だな。ヒィヒィと鳴くのは私にはどうしようも無くてね」


最低だなこのおっさん。


「………」


クロノア君は慣れたものなのか、のそのそと部屋に戻っていった。


「カナリーも行くのよー」


カナリーさんは私に買わせたアイテムを抱えてクロノア君についていってしまった。

よく見たらあれよさげなタオルだったな。

寝床にするつもりか。


「じゃー私も部屋に戻りますー」


「おやすみなさい、クーヤ」


「はーい」


ぎーと既に住み慣れた部屋のドアを開けた。

魔物達がさささーっと走って四方八方に散っていった。

ゴキブリみたいだ。

考えないでおこう。

シャワールームに入ってきゅっとコックを捻る。

ガボガボゴボボゴロゴロとなにやら詰まったような変な音を出し始めた。

大丈夫かこれ。

ゴボッホボッとパイプを大きく揺らすと、勢いよく水を吹き出し始めた。

やっぱり水か。いいけど。

暫く出しっぱなしにしたほうがよさそうだ。

なんか水濁ってるし。

その間にさっさとすっぽんぽんになる。

まさに一脱ぎである。

着ている服は見た目は着込んでいるというかごつごつしているのだが実は脱がしやすい。

誰の趣味だろう。まぁいい。

そろそろ水も澄んできただろう。

ちゃちゃっと浴びて寝るとしようか。

タオルと石鹸を持ってシャワールームへと向かったのだった。



ぶるるるっと身を震わせる。

カラスの行水とでも呼ぶがいい。

身体は小さくていいが髪が長すぎて洗い難いのは問題だ。

今度切ってしまおうか。

本当なら乾かさねばならない所だが…風邪なんか引きやしない。

このままベッドにダイブだ。

怠惰こそ贅沢というものである。

暗黒神ちゃんマークを眺めてからランプを消してベッドにいそいそと潜り込んだ。



何だか夢を見た。


目の前に傅く黄金の薔薇。

うっとりとこちらを見上げる表情には畏敬と尊敬、恐怖と感動、色々なものが含まれているように見える。

声を掛けようかと思ったが…声が通じるとも思えないのでやめておく。

発狂されたら困る。

魂の位階を昇りつめ、此処に至った女性。

吸血鬼と呼ばれる種族の一人だ。

そういえば真祖の男はどうなったのだろう。

未だ死ねずにどこかを彷徨っているのか。

不幸な男だ。

目の前の女性を見やる。

身体を震わせこちらを必死に見上げてくる。

なんだか子供の様に見えて少し笑ってしまった。


「貴方にお会いできましたこの瞬間を…わたくしはこの魂に永遠に刻み付けるでしょう。光栄です。この世で最も偉大なる神。わたくしの名は――――――」




目が覚めたのは奇跡に等しかったんじゃないだろうか。

私の居心地のいい部屋に紛れ込んだ異物の気配。

覚醒すると同時にベッドから転げ落ちた。

落ちた時に顎を強打した。いてぇ。

感覚だけで逃げたので何が起きたのかわからん。

辺りを見渡し、直ぐに異常に気付く。

ベッドに突き立てられた白刃が開いた窓から差し込む月光に照らされ淡い煌きを放っていた。


「………っ!」


わたわたとベッドから距離を取る。

暗黒神ちゃんマークを跨いで部屋の隅へ。

唯一のドアには何だろう。

変な模様が書かれてしまっている。

薄っすらと白い光を放つその模様、何となくマリーさんが見せてくれた結界に似ている。


「あーぁ、起きちまったか。動けなくしてから楽しむつもりだったのになぁ?」


昼間の。


「…勇者」


月光に照らされた男、ベッドに刺さった剣を無造作に引き抜きその輝きをうっとりと眺める瞳には控えめに言っても正気が窺えない。

様子が可笑しい。

昼間の様子からして気をつけようとは思っていたが…その日のうちにこんな無茶をするような男には流石に見えなかった。

魔物がキーキーと喚いて闖入者を威嚇している。

喚くだけでどうにかしようというつもりはないらしい。

役に立たない。


「気持ちのわりぃ部屋だなぁ…。アー…魔王城より気持ちわりぃ…ヒヒ、ヒ…」


泡まで吹いている。

蟹かコイツ。

完全に錯乱している。


「気持ち悪いなんて失礼な」


取り敢えず訴えておく。

ギョロギョロと血走った目で見てくる勇者はやっぱりどう見ても正気とは思われない。

何か変な薬でもキマってるんじゃないだろうか。

警戒しながら距離を取っていると…ふと勇者の顔から表情が抜け落ちた。

何も無い。どこまでも透明で、いっそ神々しくさえある。そんな表情だった。


「神託が下った」


「神託…?」


「神の声を聞いた。神の姿を見た。光に抱かれた。御使いが来た。頭の中で太鼓の音がする。俺を駆り立てる」


「………」


恍惚とした表情には昼間の狂気とは方向性の違う狂喜が垣間見えている。


「光が俺の傍で囁くんだ。邪悪を浄化せよってさ。

 ―――――ああ、俺は神の愛を知った。世界はこんなに光に満ちていたんだ」


神の啓示に導かれた光の使途は神託を果たすべくその剣を向ける。

神の怨敵、忌むべき邪悪の権化たる私へと。





「………っ!」


迷っている暇はない。

私に打てる手はない。

逃げるしかない。

しかし、ドアは多分出られない。

混乱していたとは言え、あまりの位置取りの悪さに歯噛みする。

出られそうなのは窓だけだ。

だが、窓から反対側へと逃げ込んでしまった私には酷く遠い。

この狭い部屋の中、勇者をすりぬけあの窓から逃げ出すのは至難の技だろう。

何か打開の一手を探さねば。

部屋を見渡して、気付く。

本と木の枝。

近い。

この状況、打破するにはアレしかない。

勇者を睨みつつじりじりと移動する。

ついでに時々窓を見つめる事で勇者にこちらの意図に感ずかれないよう小細工もしておいた。

勇者の目は妙に爛々としていて不気味だ。

何をしだかすかわからない、そんな不気味さがある。

壁に引っ付くようにしながら本へと近づく。

マリーさん達は勇者に気付いていないのだろうか?

もしかしたら寝ているのかもしれない。

今は何時なのだろう?

せめてブラドさんが起きていればいいのだが。

助けを叫んだら来てくれるだろうか?

いや、来てはくれるだろう。

しかし声を上げた瞬間にこの勇者は飛び掛ってくるのは疑いない。

マリーさん達が来る頃には恐らくこちらの命がない。

何はともあれ勇者が近すぎる。

まずはこの場から逃げねば話にならない。

逃げる時に窓の一つも割ればマリーさん達の事だ、気付いてくれるに違いない。

今は兎に角このお花畑に行った勇者から距離を取る、これに尽きる。


「………」


ぎょろりと濁った目を向けてくる勇者。

名前は…バーミリオン。

太陽の色などこいつには勿体無い名前である。

うんこ色で十分だ。

レベルは55。

ステータスはイマイチに見えるが…マリーさん達の話からすれば私が見えないだけで実際にはとんでもないステータスとスキルを持っている筈だ。

ただ、気になるのはあの武器だ。

ちらちらと光を放つ剣は奇妙な形にねじくれている。

思い出す。

昼間の話を。

女子供に拷問を加えるのが趣味のサイコパス。

なるほど、その為の形状か。

のこぎりのような刃はおよそ切れ味など無さそうだ。

あちこちささくれているのは苦痛を与える為だろう。

しかし、形状もそうだが…妙なオーラとでもいうのか、力を感じる。


「ひひ、ひ」


私の視線に気付いたのか、勇者は手にした剣をこちらへと突き出した。


「いいだろ?なぁ?紅薔薇ってぇ神剣さ…ヒッ、ヒ。モンスター共の苦痛と憎悪に塗れた魂を炉に投げ込んで鍛えた神の加護を与えられた剣なんだぜぇ…?

 これで斬られるとサァ…どいつもこいつもスッゲェイイ声で鳴くんだ。いてぇんだぜェ…お前もさ、気持ちよくなれるんだ。ナァ?斬られたいだろ?ナァ」


「謹んで遠慮申し上げる」


趣味の悪さは折り紙つきのようだ。

神剣、…なんだか凄そうだ。

神の加護を与えられた剣か。

斬られたらやばそうである。

ついでに勇者の思考回路もやばそうである。


「ヒィ、ひひ」


ずりずりと移動しながら油断無く勇者を見つめる。

目線だけでこちらを追いながらも動こうとはしない。

…いや、こちらの隙を窺っているのか?


「…」


私にしては奇跡ともいえる察知の良さだろう。

床を踏みしめた足、勇者が僅かに重心を移動するのがわかった。

飛び掛ってくる予備動作。

来る。


目の前へと迫った刃からの逃亡に間一髪で成功する。

避けるとか躱すなんて表現はとても出来やしない両手両足を伸ばしきったムササビポーズでの逃亡だが回避は回避である。

勢いのまま、直ぐ横の床に転がっている木の枝と本に飛び込むようにして抱え込んだ。

振りぬいた剣が見事に空振りした勇者の怒りのままに喚き散らすキンキンと耳障りな声は当然に無視だ。

立つのももどかしくその場で速攻で本を開く。

カテゴリは何故か生活セット。


商品名 ハニートラップ

蜂蜜をぶっ掛けて固めて動きを封じます。

効果は5分。


「意味がちげぇ!」


叫びながらも購入。

しかしクソ高い。

でもまぁ足止めの相手が勇者ともなれば仕方がない。


べちょっと飛んでいった甘ったるい匂いの琥珀色の粘液が今まさにこちらへ第二の刃を突きたてようとしていた勇者の足元で固まった。


「ぐっ…!?んだこりゃぁ!クソがぁ!!」


「へんだ!クソったれ勇者め!あっかんべー!」


舌を突き出して窓へと駆け寄り、ベッド脇の花瓶を投げ付ける。

ガラスの砕け散る音が夜の静寂を引き裂いた。

二階のマリーさん達も恐らく気付いた筈だ。

そのままぴょんと窓から外へと逃げ出した。

勇者の足が速くないことを祈りながら。

ステータスの素早さだけなら私の何百倍だが、足の速さはステータスには関係ないだろう。多分。

そう思っとこう。


ひーこらと走る。

こういう時、疲れないのはありがたい。

足は遅いが仕方が無い。

どこへ逃げよう?

しかし逃げたところでどうにかなるだろうか?

相手は勇者、マリーさん達すらどうにもならないと言っていた奴らだ。

獣じみていた天使と違ってむざむざ結界外で時間稼ぎの末に呪われて死ぬなんてないだろう。

そろそろ5分は経った筈。

それに問題は勇者だけではない。

昼間の勇者は聖女を連れていたのだ。

どこに居るのか判らない。

姿を隠している可能性も十分にある。

どうする。

走りながらも必死に考える。

今更ながら昼間に会った事を後悔した。

調子こいてすいませんでした!

後ろから迫ってくる怒気。

やはり動けるようになったようだ。

この分なら直ぐ追いついてくるだろう。

ぐぐぐ。

本を開く。

マリーさんの為に使いたくなかったというのに…!

クソ勇者め!


商品名 世界鈍足紀行

相手を呪い、足を止めます。

ロック数は5。持続時間は5分。


迷わず勇者と何処にいるかも分からないが聖女を頭の中で指定する。

超高い。痛い。懐が痛い。

しかし構ってはられない。

購入。

今のうちである。

すたこらさっさと逃げる逃げる。

遅いながらも必死に走り続けているとやがて先に見えてきた光。

ギルドだ。

無意識にこちらへと向かっていたらしい。

私も一応ギルドのメンバーだし少しは助けてもらえるかもしれない。

そうと決まれば話は早い。全員巻き込んでやれ。


「………っ!」


しまった。

思うが遅い。

振り返る。

其処にはいつの間にやら。

既に5分経っていたのか。

我ながらなんて足の遅さだ。

こちらへと追いついた、直ぐそこに剣を振り下ろしたポーズのままの勇者が立っていた。

その顔は喜悦に歪み、とてもではないが勇者とはとても言えない。

やはりうんこ野郎でいいだろう。


「ひひ、ひ、ナァ?いてぇだろ?泣けよ。叫べよ。なぁ?」


何?

痛い?

別に痛くもなんともないが。

自分の身体を見下ろして…そりゃもうぎょっとしたね。

なんてこった。

腕がなくなっている。

何をしやがるこの勇者め!

しかし、あんなもので斬られた割には痛みはない。

血も出ない。

…はて?

勇者の喜悦に歪んだ顔が徐々に強張っていく。


「んだてめぇ。何で痛がらねぇんだよ、クソが。クソがクソがクソがクソがァ!!」


そんな事言われても。

痛くないのだから仕方が無い。

そういやずっと歩いていても痛くならないのだった。

痛みは感じない身体なのかもしれない。

あ、でもさっきベッドから落ちた時もそうだが痛い時は痛い。

何か法則でもあるのだろうか。

血も出ない傷口を見やればそこにあるのは虚無だけだ。

真っ黒な断面はただの平面ではない。

すぐそこに何か怪物でも潜んでいそうな恐怖や不安を凝り固めたような深い黒。

あからさまに人間じゃなさ過ぎてわかっちゃいたが改めてショッキングである。

でも本を木の枝を握った方の小脇に抱えていて良かった。

幸いにも斬られた腕には何も持っていない。

しかし片腕では本も木の枝も使えないな。

許せんこの野郎!

この拳で一泡吹かせてくれるわ!

…と、取り敢えず暗黒神ちゃん怒りの神罰鉄拳は心の中で思うにとどめておいて再び逃げた。

今はすたこらっさっさと逃げるが勝ちである。


…まぁ、問題は逃げ切れない事なのだが。



「っ!」


何度目だろう、風を切る刃先。

やはりコンパスの差があまりにも大きすぎる。

おまけに片腕では本も使えず、まさに何も出来ないまな板の鯉である。

一度追いつかれてしまった以上、再び引き離せる目は既にもう無い。

しまったなー。

ここに来てゲームオーバーのようだ。

それはいいがあの洞窟に居るであろう悪魔を思うと気が重い。

また散々どつかれるに違いなかった。

足を切りつけられて転んでしまった身体をようようと上げ、縺れながらも再び走る。


「ヒャ、ハッハァ!!」


勇者は絶好調だ。

獲物が痛がらなくとも傷を増やすのは楽しいようだ。

こいつがこうして楽しんでいるからこそ未だにこうして動けるわけだがやられる側としては面白くない。

身体は既に切り傷だらけで処々真っ黒な闇が覗いている。

これって治るのだろうか?

治ればいいのだが。

走りながらも血走った目をした勇者を振り返る。

うわ、目が両方ともあらぬ方向を向いているのを見てしまった。

どう見たって心と呼べるものが完全に壊れている。

これが神託を受けるというものか。

それでも性癖全開な辺り、余程の真性さんだったのだろう。

こんな奴を楽しませてしまう事になったのは遺憾であるが…まぁ仕方が無い。

次は絶対こいつを地獄に落としてやる、そう決めた。

こいつには天国よりも地獄の方がいい感じだ。

背後で勇者が大きく神剣を振り上げる気配。

とどめを刺す腹積もりなのだろう。

せめてイーッと舌でも出してやろう、そう思った。


「クーヤ、しゃがみなさい!」


闇を引き裂く凛とした声。

イーッと舌を出したまま言われるがままにしゃがみ込む。

瞬間、勇者が文字通りぶっとんでいった。


「わぁ!」


ぶっ飛んでいった勇者を見送る間も無く抱え上げられた。


「無事、とは言えんようだな」


「ブラドさんじゃないですかやだー!」


「何を言うか!私のような美男子に救われる事に頬を赤くして俯きながら礼を言う場面だろうこのおチビめ!」


勇者をぶっ飛ばしたのは案の定クロノア君だったようだ。

手の具合を確かめるようにフリフリとしている。

ブラドさん私を抱えただけじゃないか。


「クロノア、腕はどうだ?」


「………」


クロノア君は腕をひらひらとさせながらこちらへ向けた。

そう、ひらひらと。

とても柔らかな動きだった。


「…折れたか。流石は勇者だな。精霊すら居ないこの大地でコレとはな」


マジか。

天使をぶん殴っても無傷だったクロノア君が。


「クーヤ、傷は大丈夫…ではなさそうね。女に傷を付けるなんて…これだから勇者は嫌いよ」


「マリーさん…助けに来てくれたんですね!ありがとうございます!」


マリーさんに向かって頬を赤くして俯きながら礼を言った。

ついでに目も潤ませておいた。


「ふふ、クーヤ。当然でしょう?その犬と一緒にしてはダメよ」


「私はその扱いの差に不服を申し立てるぞ!」


「ブラドさんだし…犬っぽいし…獣臭いし…」


「ワイルドと言い給え!この溢れ出る危険な大人の魅力が分からんとは!」


「ただのダメ人狼じゃないですか!」


叫んでから漸く人心地つく。

こうしてブラドさんにぶーぶー言えるのも今だからこそだ。

あー良かった。

暫くはアスタレルの顔を見ないで済む。


「ひ、ひ。…さっきの吸血鬼じゃねーか?クク、斬られたくなったのか?ナァ?」


「お断りね」


「そう言うなよ。あんた、すっげーいい声してる。俺好みなんだァ…、くくく」


おお、勇者の性癖がついにレガノアの神託を上回ったようだ。

勇者の目には最早マリーさんしか映っていない。

どれだけ変態なのだコイツ。


「ギヒィヒヒヒィ!!」


マリーさんに飛び掛る変態、もとい勇者。

その所々裏返った笑い声と来たらもう悪魔さながらだ。

まさにヒャッハーと言ってよかった。

私には効かなかったが流石のマリーさんもあの神剣で僅かなりとも斬られたらひとたまりも無いだろう。

それにマリーさんは魔法系のお人、あそこまで懐に入られては魔法など使えるわけがない。

徒手空拳で勇者に挑むのは無理だ。


「させるか!」


飛び出したのはブラドさん。

我を忘れたのだろうか?

私を抱えたままである。


「ブラド!クーヤを抱えたままこっちに来るのではなくてよ!」


「ちっ…!」


クロノア君にぶん投げられてしまった。

いやいいけど。

仮に勇者をどうにか出来ても礼は言わんし扱いはこのままであることが今この瞬間確定した。


「クロノア君、クロノア君。腕は大丈夫ですか?」


ぷらぷらとあらぬ方向を向いたりする腕は見るからに痛そうである。


「………」


…平気なのか?

よくわからん。


「邪魔をォ…するなァアァアァァア!!!」


空気を震わせる怒りに満ちた咆哮。

ブラドさんという邪魔が入った事が余程気に食わなかったようだ。

ブラドさんをも狩るべき獲物に定めたらしい勇者は片腕でマリーさんを押さえ込みながらブラドさんに応戦している。

恐ろしい男だ。

あの二人を同時に相手取り、一歩も引かない、所ではない。

マリーさん達の攻撃は全く届いていないのだ。

二人だからこそ何とか凌いでいるというのが正しいだろう。

一手でも下手を打てば恐らくマリーさん達が負ける。

これが勇者…!


クロノア君は私を抱えたまま動かない。

いや、私を抱えているから動けないのだろう。

何とかしたいが…!

片腕にされたのは口惜しい限りだ。

クッソー。

歯噛みして斬り飛ばされた腕を見つめる。

拾ってひっつけたらそのまま治らないだろうか?


「マリー!」


聞こえたのはブラドさんの声。


「マリーさん!」


見ればマリーさんの腕からは一筋の血。

じわりじわりと黒ずんでゆく傷は明らかにただの傷ではない。

神剣紅薔薇。

魂を熔かした炉で鍛えたという神剣は斬った者にこの世ならざる痛苦を与える。

勇者が愛用する悪趣味な剣。


「ヒャッハハハァ!いてぇだろ!?もっと痛がれよォ!!泣いて喚いて叫んで死ねぇ!!

 アンタをそいつらの前で細切れにした後、悪魔共の神とやらもこの紅薔薇で小さく切り刻んでやるよォ!!」


「………」


…驚嘆すべきはマリーさんの精神力か。

自分の爛れた傷を眺めるマリーさんは眉一つ動かさない。

勇者が拷問に使っていたくらいの剣だ。

余程の苦痛だろうに。


「…黙れ。私にその不愉快な鳴き声を聞かせるな地を這いずる餌でしかない下等生物がぁ!」


…めっちゃぶち切れてた。

怒りのあまり苦痛を忘れたらしい。

口調が思いっきり変わっていらっしゃる。

ちょっぴり、いや、かなり…うん、漏れそうなくらい怖い。


「ブラド!何の為の犬だ!少しは時間を稼げ!」


「全く…満月でも無いというのに…獣の本性を公衆の面前で晒すなど紳士としてありえんよ」


言うが早いか、ブラドさんの身体が見る見る膨らんでいく。

誇張ではない。文字通り全体のシルエットが月を背景にどんどん膨れ上がっていく。

ぞわぞわと生えてくる獣毛。

ビリビリと破けていく服から覗く身体は完全に獣のそれだ。


種族は人狼。

そうか、これが人狼たる所以。

伊達に犬耳を生やしているわけではないようだ。

人の姿を取っていた頃より倍ほどの大きさになった身体。

腕などは丸太のような太さだ。

鋼のような爪の殺傷力はかなりのものだろう。

巨大な狼と化したブラドさんの猛攻にさしもの勇者もマリーさんに構いきりというわけに行かなくなったようだ。


「…この…っ、ケダモノがァ!邪魔しやがるならてめぇから殺すぞ!!」


「ふん、紅薔薇と言ったか?成程、凄まじい剣だ。当てられればの話だがね?

 君の実力は…失礼ながら些かその剣に見合っていないようだね」


巨体に見合わぬ目にも留まらぬ動き。

ブラドさんすごい。

意外だ。

その間にマリーさんは以前報酬として払った例の魔んじゅうを全部食べてしまった。

実は持ち歩いていたらしい。

全てを攻撃につぎ込むつもりだろう。

本気でやる気のようだ。

ぶつぶつと…恐らくは呪文だろう、呟いている。

展開される巨大な魔法陣。

めちゃくちゃ複雑そうだ。

それに何だか以前見た魔法陣とは全体的に毛色が違う。

何だ?


「来たれ!深淵に蠢く黒き雷よ!」


マリーさんの手には真っ黒な光。

これは…!

クロノア君がマリーさんから隠すように私を抱え込む。

うん、絶対私みたいな最弱には近くにいるだけで危険な魔法だ。

マリーさん私の事忘れてませんか。


獄雷ヴァル・アダド!!」


以前の天使戦で見せたものとは比較にすらならない。

おそらくは暗黒魔法。

空気が撓む。放たれた雷は重々しい音と共に一瞬で周囲を舐め焦がし融解させる。

それもブラドさんが言った通り、雷本来の性質を完全に無視しプラズマの様な球体となりいつまで経っても消え去る様子がない。


「っんだ、こりゃぁ…!?」


驚きながらも勇者はこの一瞬で何やら結界のような物を張ったようだ。

張られた光の結界は雷を弾き、中の勇者には届かない。


「ちっ…この程度とは…!」


私には十分凄い魔法に見えるがマリーさんには面白くないようだ。


「…笑えん威力だな」


ブラドさんとしてもイマイチらしい。

マリーさんが手を振ると雷はパッと闇に霧散し消えてしまった。


「今のが暗黒魔法って奴か?へぇ…初めて見たぜ。

 確かに只の魔法じゃねぇが…たいした事ねぇな?…ヒヒ」


「………」


マリーさんの目がめっちゃ赤く光っている。

うおおお…。


「…少々厳しいね」


ブラドさんも奥歯に物が詰まったまま取れないような顔だ。


「ヒャッハァ!」


ブラドさんの動きにも慣れてきたらしい勇者の猛攻。

ブラドさんもじりじりと押されつつある。

マリーさんはあれで魔力を使い切ってしまったようだ。

ブラドさんのフォロー一辺倒に回っている。

…本当に屈辱に違いがない。

唇に血が滲む程に噛み締める様にありありとそれが出ている。

魔王にまで昇り詰めたにも関わらずこんな強いとはとても言えない勇者にいいようにされているのだ。

これが屈辱で無いわけが無かった。

ブラドさんだってそうだ。

魔王では無いが…本来であればこんな勇者に引けを取るなど無かっただろう。


「………」


腕を見る。

斬り飛ばされた片腕。

本も使えず、神剣なんて物で斬られた身体中の傷も治るかどうか微妙だ。

…もういいか。

アスタレルはいざとなったら肉の壁にでもしろと言っていたが…勿論そんなつもりは毛頭ない。

クロノア君の影から出てその辺の石を手に取る。

振りかぶって投げた。

カツーンといい音である。


「…あ?」


「クーヤ!」


マリーさんの声。


「マリーさん、暫く魔んじゅうは無しです。あと今度来る時はもっと魔水晶もいで来ますんで」


少々離れる事になるがどうせまたこの大地で会うだろう。

この前の事を考えると一ヶ月か?

次はもっとうまい事やろうと思う。


「勇者のバーカ!変態!マリーさんに触んな変態が移るし妊娠する!!

 地獄に落とすぞこのエセ勇者!人間の底辺!ピラミッドの下の分厚い所め!」


べーっと舌を突き出してやった。

勇者の顔が見る間に赤黒くなっていく。

ヒクヒクと引き攣った口元。

効果は覿面だ。


「……そうかそうか、てめぇからブチ殺されてぇわけか。

 いいぜ?こいつらの前でてめぇを細切れにしたら面白そうだからなァ?」


ゆらゆらと海草みたいに揺れながら歩み寄ってくる。

その身体は…蜃気楼の如く揺れている。

何だろう。

あれが勇者の魔力だろうか?


「クーヤ、逃げなさい!」


マリーさんには悪いが逃げるつもりとっくにはない。

傍のクロノア君に囁くようにお願いしておく。


「クロノア君、皆さんを連れて逃げるのです。

 私はあの剣で斬られても痛くないですし…まぁ精々時間を稼ぎますので」


左腕は無いがまだ右腕と両足がある。

斬られていない箇所もそれなりだ。

いっぱいに使えば何とか三人が逃げるぐらいの時間は稼げるだろう。


「………」


クロノア君は相変わらず返事をしない。

相変わらず無表情にこちらを見ている。

が、何となくだが了承はしていないのだろう。

そこはかとなくそんな空気だ。多分。

だが了承してもらわねば困る。

全員共倒れなどより、生き返る私が命は一つしか持っていない三人を逃がすのが多分最善の筈だ。


「皆さん逃げるのですー!」


叫びつつ勇者に立ち向かっていった。

のたのた遅いけど。


「クーヤ!」


私の名を叫んだのは誰だっただろう。





「ぶへっ!」


こんな時に幾らなんでもお約束すぎる。

我ながら見事な転がり方だった。

地面から空へと綺麗に視界が回る。

ごろんと美しく華麗に一回転していた。

地面の小さな木の根っこ。

恨むぞこの野郎。

必死に立ち上がるがもう遅い。

勇者は既に目の前だ。


「ヒヒッ!ヒ、ひぃ…!!しぃねえぇぇえぇええ!!」


泡を吹き出しながら叫んだ勇者。

完全に裏返った目がその精神の壊れっぷりを如実に語っている。

真っ直ぐに振り下ろされる剣、心臓や頭では無いが十分に致命傷コースの流れだ。

時間を稼ぐどころじゃなかった。こりゃまずい。

死の直前には一瞬が永遠に感じられるというアレだろうか。

随分ゆっくりに見える。

だが身体の方は碌な反応すら出来そうもなかった。

身体も動かず、出来ることといえば必死に目を閉じるだけ。

ああ、今までの苦労もこれで全て水の泡。

さようなら世界。そしてこんにちわ悪魔の洞窟。


「…………?」


が、いつまで経っても思っていた衝撃が来ない。

粘ついたものが身体に掛かっている。

暖かいものが勢いよく私の顔に飛んできた。


「わ…っ」


何だこれ。

鼻に突き刺さるようなきつい鉄の臭い。


「て、め」


声につられてそっと目を開けた。


「………ひぇ…!」


まず目に入ったのは黒い異形の腕。

実体の無い影にしか見えないが如何な力によってか、勇者の胸を抉り貫き、赤黒い何かを握っている。

ビグ、ビグと規則的に動く肉塊。

ガボリ、間抜けとさえ言える音を立てて抜け出たそれはその肉塊を持ったまま。

呆然としていた勇者は、ゴボゴボと血の塊を吐き出しながらもそれを見てふらふらと近寄ってくる。


「かえ、せ…!おれ、の…ォ!!」


あまりの光景に後ずさる。

必死にこちらに手を伸ばしてくる勇者、その胸には大きな風穴。

処々白いものが覗く大穴は素人目にだってどう見ても致命傷。

今生きて動いている事の方が信じられない。

が、限界は直ぐだった。

糸が切れた操り人形のように倒れ込んだその身体から赤いものが広がっていく。

あっという間に地面は赤に染まり、その中心に伏す勇者はそのままピクリとも動かず。

誰が見ても事切れているのは明らかだった。


未だ動き続ける、色々と紐っぽいものを付けたままの心臓を持った怪物の腕を見やる。

慄きながらもそれを辿れば、――――腕は私のお腹あたりから生えていた。


「な、な、な…」


引き攣った声しか出ない。

何だこの怪物。

何だこれ。

何だこれ。


「クソ弱ェ」


「ふぎゃっ!」


喋った。


「暗黒神様、この程度のゴミなぞにいいようにされるんじゃありまセン。吐き気がする程度には不愉快デス」


この声、まさか。


「ア、ア、アスタレル?」


「そうデスヨ」


心臓持ったままの腕はひらひらと揺れた。


「全く、こちらはほんの僅かな干渉しか出来ないというのにこれほどあっさり死ぬとはネ」


「うぐ、ぐえ、動かないで気持ち悪い」


なんだか気分が悪くなってきた。

お腹から腕が生えていてその腕は勇者の心臓を握り込んでいるのだ。

気分が悪くなるのも当然であろう。


「境界なんて有って無きもの。

 そのうち慣れますヨ」


「イヤだー!」


こんなもんに慣れてたまるか。


「それでは、ゴキゲンヨウ」


ひゅるんと腕は私のお腹へと引っ込んでいった。

いや出て来いよ。

しかも心臓まで引き入れやがった。

気分は急転直下で大下降、これ以上ないぐらいに最悪だ。


「う~」


イカ腹ぽんぽんを撫で擦った。

全く。


「…何だね、今のは」


「む」


そういやこの三人が居るのだった。

何と説明したものか…。


「…イヤね、わたくしの肌に鳥肌が立ってしまったわ」


呟いたマリーさんがその腕をすりすりと擦った。

それは由々しき事態である。


「確実に近隣の魔素に甚大な影響を与えたな…。しかし人の一生では見てはならんものを見た気分だよ」


ブラドさんも口調は軽いが目が笑っていないというか若干汗だくに見える。

クロノア君は何も言わないが…。

天使の時と違って動こうとはしなかったな。


…アスタレルってそんなにヤバイ奴なのか。

いやまあ、レベル100万だしな…。


「レガノアの加護をあっさりとブチ抜いたな。それも一瞬で」


「殆ど防壁が意味を成していなかったわね」


よくわからないが何気に凄い事をしていったようだ。


「…それで?クーヤ、今の怪物は何かしら。勇者はおろか、天使以上の力を感じたのだけれど」


「えーと…お昼に話したアスタレルって悪魔というか」


「…今のがかね」


「そうなのです」


「…確実に上位悪魔族だったわね。それも最上級。名のある邪神か…七大悪魔王に匹敵するかもしれないわ」


「そんな化け物がなぜおチビの腹から出てくる」


「うーん…勝手に住まれている…?」


「その腹にかね?」


「まぁ…そうですかね」


正確には地獄だ。

この身体はもしかしたら地獄と繋がっているのかもしれない。

この身体そのものが地獄?

いやまさかな。


「まさか受肉もせずに物質界に干渉してくるなんて…クーヤ、貴女…凄いものをその身体に飼っているのね」


飼っている、というには語弊があるような。

いいけど。

訂正する気にもならない。

お腹をポン、と一つ鳴らして返事の変わりにしておいた。

…そういや何か忘れているような。

何だったっけ。


「マリーさん、何か忘れている気がするのですが」


「そう?…それよりもクーヤ、その傷を何とかしなくてはダメよ」


「そうだな。…しかしこれは魔法でどうにかなるレベルなのかね」


確かに。

片腕は無いしあっちこっち切り傷だらけだし。

困ったな。

拾って引っ付けてみようか?


「痛みは無いのかしら?」


マリーさんのおててがそっと身体を撫でて来る。

労わるようなその柔らかな動きに何だか喉をゴロゴロと鳴らしたい気分である。

とろーんとしつつ答える。


「特に痛みはないですし…そのうち治るんじゃないですか?」


多分。

腕だってほっとけば生えてきそうだ。

が、ブラドさんは私の言い分が面白くなかったようだ。


「…もう少し自分の身体に興味を持った方がいいな。

 その傷は下手をすれば死ぬぞ?」


「そうですかね?」


これでは死ぬ気がしないが。

HPが5の割に中々しぶとい身体である。

それにこう言っては何だが死んでも死なないしな。

世知辛い世の中である。

何そのでっかいため息。


「クーヤ、その傷は本でどうにかなって?」


「多分なると思いますよ」


「そう、それならいいのだけれど…」


頬に手を当てて眉を顰めるマリーさん。

マリーさんは本当にいい人だなー。

これはつまり魔力を使って治すべきだと言う事だろう。

当たり前の様に言っているがマリーさんの願いを叶える日が遠くなるだけだというのに。

うむ、頑張ろう。


「………」


「クロノア、どうした?」


ん?

クロノア君がジーッと森を見つめたまま微動だにしないようだ。

折れた腕も放置プレイである。

ブラドさんはクロノア君の心配もした方がいいんじゃないかな。

確かに平気そうだけど。


「何かあるんですか?」


視線の先に目をやる。

森の中に白い物がひらひらとしていた。

やだ、幽霊かしら!

水洗便所!水洗便所の出番だ!!


「人か?」


「そのようね。…気をつけなさい」


「え?」


人?

だが、言われて見れば確かに。

幽霊よろしくひらひらとした物はどうやら服のようだ。

誰であろうか。


「………」


何事か口元をもにゅもにゅと動かしているようだ。

何を言っているのだろう?

確かめるように目を細めて、すっと頭が冷えた。


思い出した。

人間の手には真白の光。

いかん。


「…勇者であるバーミリオン様を殺すだなんて…貴方達、何者ですの?」


静かに歩いてくる女。

その手の中の光は徐々にその力を増しながら、迷う事なくこちらへと向けられている。

何の魔法かは分からないがどうせこちらにとって碌でもないものだろう。


「クロウディア王国の聖女ではなくて?何の用かしら。わたくし達は忙しいのだけれど」


マリーさん、図太い。

しれっとした表情で何の用だと言い切った。

そう、そこに立っていたのは勇者の連れ。

例の痛々しい聖女、目に映るその名はフィリアフィル。


「言い逃れなんて聞きませんわ。神の名の下に貴方達を浄化いたします」


引っ掛かる。

妙だ。

さっきの勇者と比べて、正気だ。

そういえば結局、勇者が倒されるまで現れることは無かった。

てっきり同じくレガノアから神託を受けて私を殺しにくると思っていたのに。

まさに今こちらの騒ぎに気付いて出てきたという感じだ。

まじまじと見つめて、気付いた。

真逆、神託を受けていない?

…いや、受けていない。

それも間違いなく。

うん、あれは受けられないだろう。

彼女が使おうとしている魔法は光魔法であろうか?

…使えるのかな、アレ。


「聖なる光の神術、その目に焼き付けてくださいませ。

 次元の彼方へ消え去るがいいでしょう」


翳した手の平、その光は徐々に中心へと収束し、周囲に文字が浮かんでくる。

だが、ゆらゆらと切れかけ電灯みたいに揺らめく光は酷く不安定に見える。

マリーさんも違和感に気付いたのだろう、ふと怪訝そうに首を傾げた。


「…貴女、その魔法…暴走していてよ?」


「何を言いますの?魔の眷属の命乞いなんて―――――」


言いかけた聖女もここに来て漸く気付いたらしい。

益々不安定にチカチカとする光。

パシン、とあちこち光が弾ける度に浮かび上がっていた文字も壊れていく。


うん、どう見ても制御を離れてますね。

聖女は慌てたように手の中の光を安定させようとし始めた。

だがその努力も虚しく光は益々荒ぶるだけである。

何の魔法だろう。

次元の彼方と言っていた。

空間的な魔法だろうか。


まぁ、直ぐにこの身で体験できる事であろう。

浮遊感についで内臓全体持ち上がるような気持ちの悪い特有の落下感、視界を焼く真白の光、その弾けた向こう、手を伸ばしてきたブラドさんの手を握り返す事は叶わなかったからだ。

一難去ってまた一難とはよく言ったものである。

地面にぽっかりと空いた穴、吸い込まれる様にして私は落ちていた。

落ちる最中、這い上がるひんやりとした冷気だけを覚えている。


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