タイムマシンなんてどうせ無理

赤秋ともる

タイムマシンなんてどうせ無理

 僕がいじめられるようになった原因は、タイムマシンだった。

 小学三年生のとき、『バックトゥザフューチャー』という映画の影響から、僕は科学者になって、デロリアンみたいなタイムマシンを作るという夢ができた。タイムマシンのどこに当時の僕をそこまで引き込む要素があったのかはよく覚えていない。いや、単純にかっこいいと思ったからかもしれない。あの頃の僕は、純粋に世界の美しい部分を直視できていたから。

 小学四年生になって、その純粋さが仇になった。国語の授業で行われる作文発表のテーマは「将来の夢」だった。小学校低学年ならヒーローやアイドルとかいった現実的ではない夢を語っても笑って受け入れてもらえた。しかし、彼らは高学年という境界を超えてから変わってしまった。もしくは、背が伸びるにつれて今まで見えていなかったものが見えるようになってしまったのだろうか。警察官や看護師などの現実味がある内容が僕より順番が先の同級生たちから発せられていた。

 中崎君の作文朗読が始まった。幼稚園の頃から、僕たちはよくヒーローごっこをして遊んでいた。変声期を迎えた彼が将来の夢にヒーローと言わなかったときの衝撃。そのとき、僕の頭に浮かんだのは、黒い煙だった。その煙がゆらゆらと天まで上り、灰色のどんよりとした雲をつくって、ねずみ色の雨に僕はうたれている。

 言いようのない不安が僕の胸から抜け出さないまま、僕の番が回ってきた。家で練習していたときはすらすら読めたはずの文章はのどにひっかかってしまったように出てこない。どれだけ抑えようとしても手と足は震えた。それでも、僕だけ発表しないわけにもいかない。体育の授業で、右向け右と言われたのに、一人だけ左を向いてしまったような気分。それをずっと感じながら僕の朗読は終わった。大雨が地面をたたきつける音は聞こえず、からあげを揚げるときの音が教室に聞こえたのは不思議だった。拍手よりもコウモリ声がよく聞こえて、僕は初めて人の目というものを意識した。


「タイムマシンができたら、俺にさきに使わせてくれよ」

「いい年こいてタイムマシンはないだろ。さすがに冗談だよな?」

「お前はタイムマシンを完成させたら、発表前に戻って内容を変えるように言うべきだよ」

 いままでヒーローごっこで遊んでいた友達に慰めと心配が混じりあった目でそんなことを言われた。彼らは直接僕に話してくれているだけマシだった。僕の心にもっと響いたのは陰口のほうだった。

「タイムマシンとか馬鹿みたい」

「キモい」

「ふざけてるなら、滑ってるよね」

 わざと聞こえるような声量。無遠慮で蔑みに満ちた視線。

 僕は不器用だった。周りの変化にも気づけない。作文の発表直前に逃げ出せばよかった。お腹が痛いと嘘を言って早退してしまえば、別の内容を考え直せてこうはならなかっただろう。まさにタイムマシンがあればと思った。しかし、それは諦めのこもった願望だった。今まで気づかなかったなんて馬鹿みたいだ。

 タイムマシンなんて作れるはずがない。


 家に帰り、僕はいつものようにランドセルを置き、虫よけスプレーを身体にかけて遊びに出かけた。ただ、僕は一人になりたかったから、とっておきの誰も寄り付かない場所に向かう。

 そこは周りを古い家に囲まれ、誰からも放置され雑草が伸び放題。遊具は錆だらけで、触れば粉々になってしまいそう。ただ、真上は正方形に切り取られた、澄み渡った空を見ることができる僕のお気に入りの場所だった。以前、虫よけスプレーを使わずにいたら、身体のいたるところに赤い斑点ができ、死にそうになった。僕の血は虫にとっては絶品らしい。

 ブランコのところだけ雑草がない。もちろん、僕が抜いた。僕はそこが一番のお気に入りだった。無心にブランコを漕ぎ、空を舐め回すように見る。友達と遊ぶ予定がないときはここに来た。

「やあ」

「わあ!」

 馬鹿みたいに口を開けてブランコを漕ぎ、空を眺めていた僕は、唐突に声をかけられ、ブランコの制御を失ってしまった。頭の中が真っ白になり、危ないところだったが、声をかけてきた人物が止めてくれた。

「あぶないじゃないか!」

「いやー、すまないすまない」

 思わずため口で言ってしまったが、その声は老人のものだった。慌てている僕を見て楽しんでいたような雰囲気を感じ、僕は第一印象でその人が嫌いになった。落ち着いてじっくり見た結果、ホームレスみたいという第二印象を得た。ボロボロの服にボサボサの白髪。顔は洗っていないようで、汚れていた。

 僕は困ってしまった。この人は間違いなく不審者だ。そして、この状況はかなりまずい。周囲は家に囲まれて、見通しが悪い。大声を出しても、助けが来る前にこの人に取り押さえられる。万事休すだ。

「まあ、安心しなさい。私はよぼよぼの老人だよ。君の力なら倒せるよ」

 そう言うと、老人は隣にあるもう一個のブランコに腰かけた。「なつかしいなー」と上を向いてつぶやいていた。

「この公園ってそんな昔からあるんですか?」

 老人は右手であごをさすりながら、困ったように考え込んだ。

「おそらくな」

 なんともぱっとしない回答だ。

「その頃からこんなだったんですか?」

「そうだな。私が君ぐらいの歳のときからこんな感じだった」

 この公園はそんな長い間見捨てられているのか。同情した気分に浸っていると、大事なことを思いだした。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕は祖父江ひろし。ひろしははかせって書きます」

「なら、ドクって呼ばせてもらおうかな」

 僕は驚いた。

「バックトゥザフューチャー見たことあるんですか!」

「ああ、私の大好きな映画だよ」

 第三印象で、僕は老人のことが好きになった。それから日が沈むまで、僕とその老人はバックトゥザフューチャーについて語りあった。


 その翌日の放課後にも、その老人は公園にいた。

「昨日、名前を聞くのを忘れていました」

 僕たちは昨日と同じようにブランコに腰をかけている。

「さしずめ、マーティとでも呼んでくれ」

「それだと年齢が真逆ですが、まあいいか」

 僕は老人、もといマーティに対して、好意的な諦めを抱いていた。冷静に考えれば、マーティは警察や保護者が言うところの不審者というやつだ。しかし、昨日話をしただけなのに、信頼しても大丈夫だろうと直感した。科学者にとっては直観が大切だ。科学者……。

「どうした? 学校で嫌なことでもあったか? 私は君にとっては壁みたいなものだよ。何を話しても君に不利になることは何もない」

 マーティは両手を広げ、なんでも受け止めてやるといったポーズをとった。

 僕は不思議と心の内側まですべてをさらけ出してしまいたいという気持ちに抗うことができなかった。こんな気持ちは親に対してももったことがない。

「――実は」


「なるほど。それで君は今、人の視線が気になってしまって苦しいんだね」

 マーティの同情は突っぱねる気がまったく起きないほど心地よいものだった。心の膿をやさしく吸い取ってくれる。

「そんなこと気にしなくていいんだよ」

「……それが無理だから困ってるんです」

「いや、そういう意味じゃない。人の視線を気にする自分のことを気にするなと言ってるんだよ」

 僕はマーティが何を言っているのかがよく分からなかった。

「いいか、ドク。人の視線を気にするのなんて当たり前のことだ。それが過剰に気になる時期というのも人には必ず存在するんだ。なぜか分かるか?」

 僕は首を横に振って、なぜですか、と訊いた。

「それは頭、つまり脳みそが成長してる証拠だからさ。ドク、今君は頭がよくなってるんだよ」

 僕は「なぜですか」と訊くのを止められなかった。

「人の視線が気になるというのは、難しく言うと、自分を客観視できてるということだ。平たく言うと、君は鳥の目を手に入れたのさ。自分以外の人から自分を見つめることができる。まるで、鳥になって自分を見降ろしているかのようにね」

「なぜですか」

 マーティは額の部分を人差し指で指す。

「脳みその前頭葉という部分が発達すると、そういうことができるようになるんだよ。君は年齢に比べてそれが早いみたいだから、きっとそういうことが得意な脳なんだよ」

「それっていいことなんですか?」

「もちろん。君は人の痛みが分かる人間になれる。人が自分に何を求めているかも瞬時に判断できるようになるだろう。その機能を作ってる段階だから君は今とても不安定なだけで、時間が解決してくれるさ」

 マーティはブランコから立ち上がって、それに、と付け加える。

「君は理解が早い。話していてそう感じずにはいられなかったよ」

 マーティが僕の頭の上に置いてくれた手はとても温かく、撫でられても不快感は一切なかった。

 マーティは僕と同じ視線になるように屈みこんだまま、続ける。

「そんな頭のいい君にならきっといつか分かってもらえると信じて言うよ。周りの人間に笑われることもある。タイムマシンという夢を馬鹿にされて自信をなくしてしまう気持ちも分かる。けど、そうやって笑ったり馬鹿にしたりするやつの顔を思い浮かべてごらん」

 僕は目を閉じて、この前のことを思い出す。

「そいつらはタイムマシンを作ったことがあるか?」

「ないです」僕は即答した。

「そいつらはタイムマシンを作ろうとしたことはあるか?」

「それもないです」

「それなら、なんで彼らはそれが無理なことだと知っているんだ?」

「……」

「いいか、お前は今後もそういったやつらに遭遇し、何回も同じ言葉を言われる。『どうせ無理』だ。やつらはそう言ってお前のやる気や将来の可能性を潰しにくる。なんでか分かるか?」

 マーティの声に力がこもっているのを感じた。僕も真剣に考える。

「きっと知りたくないんだと思います」

 マーティは黙って、その先を促す。

「僕の友達は、ヒーローになって悪者を倒すのが夢でした。けど、この前の発表で彼は会社員になって家族に恩返しをするのが夢だと言っていました。別にその内容自体はいいことだと僕は思うんです」

 けど、

「僕は彼の本心だとは思えなかったんです。まるで操り人形みたいに機械的な声でお経を呟いているように聞こえたんです。彼は僕たちの中で誰よりもヒーローになろうと頑張っていました。けど、そんなことは無理だということを聞きたくなくて、知りたくなくて、逃げているんだと思うんです」

 僕はいつの間にか目を開けていて、真剣に思ったことを主張した。

 マーティも頷く。目には涙が浮かんでいた。

「そうさ、ドク。やつらは、中崎たちはお前のことが怖かったんだ。夢を純真に追い掛けるお前の姿と自分を重ねて、お前のほうが間違ってるということにしたいだけなんだ」

 服の袖で目をこする。

「さっきも言ったが、お前はこれからもいろいろな人から『どうせ無理だ』と言われ続ける。それでくじけそうになる時も訪れる」

 だがな、

「同時に、『だったらこうしてみようよ』って提案してくれたり協力してくれる人たちとも出会えるよ。その人たちのことを大事にするんだよ」

 マーティの目から堰を切ったように涙が流れだすのを僕は黙って見ることしかできなかった。

 マーティは涙なんてお構いなしに、小指をつきだす。

「タイムマシンの夢を諦めないことを誓ってくれ、ドク」

 マーティの小指は乾燥していたが、確かな力と熱を感じさせた。

 マーティは僕の目を見て「ありがとう」と言って、公園から立ち去っていく。

 僕は、これで彼とは二度会えないということを直感した。それでも僕は、マーティの背中を見つめることしかできなかった。

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