第2話 【第一章】旭日の大改変
【第一章】 旭日の大改変
◇一年前
元号が昭和から旭日に変わるころから、日本経済はバブルがはじけその後は長く下降線をたどった。
構造改革が叫ばれ、小さい政府が提唱され、消費税アップの主張が繰り返され、とにかく経済的状況の打開のために、あらゆる政策が打ち出された。
20年以上も、いくどか盛り上がりその度に流れてきた改革改変、省庁再編の審議が、実際に国会を通過したのはこの前年のことだった。
「日本の官僚組織はムダが多すぎる」
「今や国をあげてスリム化、縮小化をする時代だ」
そんな議論が、いくつも重ねられた。
そして省庁大改編が実行されたのは、旭日26年4月のことだった。
いくつかの省庁が合併又は統合され、分割または分離された。
人事も今後は省庁の垣根を超えて行うことになる。
このため新しく内閣府に「国家公務員省庁人事課」が設置された。
公務員つまり官僚は、最初の採用で入った官公庁に3年はいるが、その後の人事配置は省庁の垣根を超えて成されることになる。現時点の官僚も、枠を超えて移動や配置が成された。これによって人員のムダを省き、同時に省益・庁益を超えて国益を考える公務員を育てようという趣旨だ。
移動になった官僚たちはその後会話の中で、本来属していた省庁を本籍地と呼び、新しい配置先を「住民票を○○庁に移した」と言うようになった。
このでたらめな程の改革は、官僚役人からは疎まれたが、国民からは面白がられた。
これがのちに、歴史に名高い『旭日の大改変』と呼ばれる省庁大再編であった。
◇財務省の乱
円城寺文也がいとも簡単に国家公務員試験に合格し、財務省に採用されたころ、旭日の大改変と呼ばれる官公庁再編の動きはすでに始まっていた。
表向きはともかく。
財務省はその改編に最も反対した組織だ。
大蔵省から財務省に名称が変わったときも根強い反発があったが、今回はその比ではない。根本的かつ徹底的な反抗だった。
国の根幹を担う為に最も優秀な人材を採用し、最も優秀に育て上げ、最も国益をのみ計らうように構築した組織を、改編・改正の美名のもとにそんな簡単に壊すことはできない。これは国の大損失であり「有史以来の愚策」である!
表立ってはそれほどのことは言わないが、裏では壮絶に主張を繰り返し、あらゆる反対と抵抗をした。
政治家への訴え、他省庁への根回しと圧力、怪文書の発行、最後はメディアへの露出もいとわず、反対を続けた。
以前の財務省なら、ここまでやれば自分たちの意見は通った。
否、本来ならば他の省庁が財務省に対して意見を通そうとし仕掛ける、財務省はそんな立場だった。
財務省こそが、国家の「お上」だった。
それがどうした。
あろうことか、財務省の方が他省庁に頭を下げ、財務省の方が陳情をし、財務省の方が誰かに意見を聞いてほしいと動き回る立場になり下がる時代になったのだ。
時代の流れか、それとも気がつかずに誰かに時間をかけて戦略をしかけられたのか。
十数年ほど前に「官僚悪者説」が世間に流布した折には、トップオブザトップの財務省官僚は、鼻で笑って取り合わなかった。
バカな政治家が、自分たちへの非難の矛先を別の方向かわそうとした。ま、いいでしょう、かえって操りやすい。
そう考えて、放っておいた。
だが、それこそ視野狭窄だった。
どんな頭のいい彼らも、永田町や霞が関しか見ていない。私たちは国家を見ているのだ、と言ってもそこを通してしか見ていない。
彼らには見えていないものがある。
国民だ。
本当の国民の姿だ。
力がなく、時に愚かで、言いたい放題の国民。
自分のことしか考えないで、自分には優しいが人には厳しい国民。言うことも、考えることも、信念も、ころころ変わる国民。日和見で、深い考察もなく、決断を下す国民。
だがその国民は、塊となって力を持ち、不思議な智恵をみせる。
政治や経済のことなど考えず、人間のことだけを考える。
人類には優しいが、権力に厳しい国民。
言うことも、考えることも、信念も、柔軟な国民。時に優れた直感で、その決断を下す国民。
財務省官僚は、国民が愚かだったから国の重要機関である財務省は弱体化した、と思った。
マスコミが偏った報道をして国民を誘導した、と結論付けた。
なにしろマスコミは、「財務省の乱」と揶揄して、面白可笑しく報道している。そしてそのタイトルにすると、視聴率が取れる。
雑誌にも、ネットにも「財務所の乱」はすっかり定着し、その年の流行語大賞にまでノミネートされた。
財務省官僚の彼らは、国家、つまり霞が関と永田町を通してしか国民を見ないので、国民のその愚かな一面しか見えていなかった。
その「愚かな国民」か彼らにしっぺ返しをすることになるなんて、思いもよらなかった。
実は、財務省弱体化の戦略を仕掛けて成功したのは国民だった、そういうストーリーを、鼻っから思いつかないのであった。
とにかく。
財務省の役人たちは、事態が自分たちの思うようにならないことに、初めて頭を抱えた。
やられてしまった。
政治家は以前ほど言うことを聞かないし、また他省庁からは有史以来の反発もあり、メディアへの訴えも思ったほどの効果はない。
ことここに至っては、どうしようもなかった。
結局、「旭日の省庁大改編」は決行され、財務省もその改変の憂き目を見ることになった。
本籍を財務省に置くものは、できるだけ住民票を他省庁に移したくはない。移動したとたん、最高の出世ルートが外れると予想されるからだ。一般的にはもう移動が考えられないはずの中堅以上の幹部でさえも、今回は躊躇なく移動させられる。
大改変が始まってからも、大改変の最中も、実際にその後の人事システムが動き始めてからも、財務省は新人事院の命令に明らかに反発し、明らかに反抗し、明らかに渋ってきた。
円城寺文也を新しくできる複合課題解決隊にという人事の打診が会った時、財務省の意見は二つに分かれた。
財務省では、入省の時からその年に入った大勢の優秀な新人の中からわずか一人二人が将来のトップ、財務次官としてなるべく目をつけられ、常に目をかけられ大事に育てられるのが習慣だった。
当然、円城寺文也はその年の最注目株で、「将来のトップオブザトップ」候補生と目されていた。特にまた、彼が外務省試験も合格したのにそれをけって公務員試験を受け財務省に入ってきたことも、省幹部の心証を良くしていた。
頭脳は当然として、育ちのせいか、しぐさや行動に品がある。
おまけに、目上の人間を敬うことも自然にでき、日本的上下関係を保つ行動に無理や破綻がない。そのうえ、生来のチャームングさを発揮する時も心得ている。
何より。省の幹部も同僚も、ありありと想像できるのだ。この円城寺文也が、バカで粗野で言うことを聞かない政治家どもをいとも簡単に牛耳る姿を。いとも簡単に手玉に取る痛快なイメージを。
そういうわけで、円城寺文也は財務省の「重要不可侵不動人材」だった。
それなのにあろうことか、新人事院はその円城寺文也をよこせと言う。新しくできる、訳の分からない新組織に彼を入れるというのだ。これほどの人材に、さらに一年ほど教育訓練をするという。
絶対に彼を放してはダメだという派と、いや彼一人を放出することでその引き換えに残り十数人全員を拒否できる、という意見での対立である。
どちらも円城寺文也の類まれな優秀さを当然の前提としての意見対立だった。
反対派は、彼こそ財務省の今後を支える最も中心となり牙城となる人物でそれを放出したら財務省に未来はないと言い、賛成派は、最優秀の天才一人を渡すことで十数人の優秀な人材をこちらに引きとめることができるのだからここは戦略的にいこうと主張した。
状況は動かないかに見えた。
だが。
決着は案外、簡単に着いた。
円城寺文也ー。
彼自身が、あっさりと移動を希望したのだ。
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