第112話動乱の前夜 其の二

 「ウフフ…アハハハハ!」


 ダーヴィフェルト王国の王宮、その外れにあるその存在すら忘れさられた離れにて。人びとの預かり知らぬ魔族の侵攻を唯一知るアンネリーゼ・ダアル・カシュレ・アジェルヴォルンは邪悪に笑っていた。ようやく待ちに待った時が来るのだ。自分から全てを奪い自分を閉じ込める王宮という名の牢獄を叩き壊され、自由になる悲願が達成されようとしている。それでどうして笑わずにいられるのか。


 「ご機嫌ですな。首尾は良さそうで何よりですじゃ。」


 狂ったように笑うアンネリーゼに話し掛けたのは、この場所を知る数少ない人物である宮廷魔術師ユーランセンである。彼はアンネリーゼと彼女の母親の師匠であり、アンネリーゼの協力者であった。

 魔術を究め、真理に到達する為に生きるユーランセンには王家への忠誠心など欠片もない。彼が王国に仕えているのは偏にこの大陸で最も魔術の研究が盛んであるからに過ぎない。故に彼は師匠として不足の無い、より魔術を究めた者の存在をちらつかせれば容易く王国を裏切る男である。


 「ええ。魔王セイツェルは悪魔王。師匠の師足り得るお方ですわ。それで例の物はやはり宝物庫に?」

 「姫の予想通りでしたぞ。王子殿下にそれとなく話を振ると笑えるほど反応されておりましたよ。流石の情報収集力ですのぉ。」


 アンネリーゼは当代の魔王が魔術に優れた悪魔、それも悪魔王という真正の化け物である事をユーランセンに教えたのだ。そして魔王セイツェルに彼を紹介する事を条件に、王国の滅亡に協力を迫ったのである。魔術の全てを知悉しているであろう悪魔王ならば、彼の師匠として不足など全く無い。ユーランセンは二つ返事でアンネリーゼの計画に乗ったのである。

 ユーランセンの抱き込みに成功したアンネリーゼは、とある特殊な道具を探していた。それはザインにも秘密にしているのだが、それは隠し事と言うよりもあるかどうかの確証が無かったからだ。それを使えば彼女たちの復讐に役立つハズなのだが、実在するかも解らない物の捜索の助力を請うにはザインは余りにも忙しすぎたのである。


 「あれを使えばもっと楽しくなりますわ。ああ!もう待ち切れません!」

 「では失礼しますぞ。何時までもフラフラしておっては弟子共に怒られますでな。姫様も程々になさるがよろしい。」

 「そうで…あら?もう動き出すのですか。流石は陛下、と言って差し上げるべきかしら?」


 何かを察知したらしいアンネリーゼの声を背に、ユーランセンは彼女の庵を後にした。彼は王国の行く末に興味など無いが、身内からアンネリーゼのような人の形をした化け物を生み出すようでは魔族の侵攻など無くとも内部から崩壊していたに違いない。己も同種の化け物である老魔術師は間違い無く滅ぶであろう祖国をそう嘲笑するのだった。




 娘が己に弓を引いているなどと露知らぬ国王は、執務室にてパルトロウ侯爵と共に大鷲の勇者オットーと謁見していた。彼を呼び出したのは他でもない、王国南部がきな臭くなってきたことについてである。


 「オットー・ガイム・ヴェーバー、参上致しました。」


 恭しく国王に跪く勇者の姿は、国王と侯爵に優越感を与えてくれる。勇者とは神獣に選ばれた清廉な戦士にして一国を滅ぼし得る超人だ。そんな存在が頭を垂れる己の権力に酔ってしまうのも仕方がないだろう。


 「面を上げよ。よくぞ参ったな、勇者よ。」

 「早速で申し訳ありませんが、王国に危機が迫っております。この度も貴公の力をお貸し頂きたいのです。」

 「当然です。私は王国の臣民を守る剣であり盾ですから。」


 凛々しい顔を引き締めて決意を示すオットーには、確かに勇者の風格とも言うべき常人とは異なる雰囲気が漂っている。とは言え、民を守るためと能書きを垂れれば二つ返事で引き受ける勇者は扱いやすい。

 南部の諸侯からの報告によれば、獣人が戦力を結集させているとのこと。今度は向こうから攻め込んでくるというのだろう。そんな余力があるとは予想外だが、獣人が戦争を起こすのならば望むところ。此方には神獣の加護を得た勇者がいるのだ。何をトチ狂ったのかは知らないが、戦の結果など前回と同じに決まっている。勝利し、獣人の奴隷が増えた王国は更なる発展が約束される。国王と侯爵は思わずほくそ笑んでしまう顔を平静に保つのに必死であった。


 「流石です。ヴェーバー殿、頼みますぞ!」

 「うむ。此度もそちには期待しておるぞ。」

 「恐縮で御座います…ところで、私達は何時出発すれば良いでしょうか。ご存知かもしれませんが、私の仲間である『白炎』グルミンは北部の施設で警備の依頼を受けております。彼と合流するまで王都で待たせて貰えないでしょうか?」


 『大鷲の勇者』オットーの仲間であり、『白炎』の二つ名を持つ魔術師グルミン・デンファウストが単独で魔王領付近の施設に居ることを国王も侯爵も勿論知っている。本当は勇者の仲間全員で警備して欲しかったのだが、あの施設で行われている狂気の実験に理解を示してくれるのはグルミンだけだろうと予想して彼個人に依頼したと報告を受けているからだ。

 しかし、獣人が何時動くか解らない以上、勇者には出来るだけ早く現地へ赴いて貰わねば困る。魔術師であるグルミンが勇者のパーティーにおける最大火力を誇るのは確かだが、ここは我慢してもらう外ない。国王は苦悩しているような表情で首を横に振った。


 「済まぬ。事は一刻を争うのだ。かの施設には余の手紙を持たせた早馬を送るとしよう。戦場にて合流してもらいたい。」

 「仰せのままに、陛下。支度を整え次第、南部へ参ります。それでは、失礼致します。」


 不満をおくびにも出さず、勇者は戦場へと歩みを進める。その頼りに背中に向けられる国王達の欲望に濁りきった視線に、『大鷲の勇者』オットー・ガイム・ヴェーバーは最後の最後まで気が付かなかった。

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