第111話動乱の前夜 其の一

 ザインが魔将に王国との戦争における戦略について説明している頃も、イーフェルン大陸では多くの勢力が暗躍していた。その中でも最も慌ただしいのが部族連合パシャール・グネの獣人であった。

 彼らはザインによって解放された同報が人間によって虐げられている事実に憤慨し、今度は此方から戦争を仕掛けようとしていた。ただ、先の戦争で力ある部族の長とその配下の戦士の大半が死亡した上に、補充されたのは魔獣との戦闘もロクに経験したこともない新兵ばかり。しかも人間の侵攻によって彼らの農地や放牧地が奪われていたせいで兵糧も心許ない。戦力的にも戦略的にも五年前以上に貧弱な獣人が、逆に強化された人間と正面から戦うのは余りにも無謀であった。

 狼の獣人ムジク・ラクは、帰還してからこれまで分別のある族長と共に血気に逸る者達を必死に抑え込んできた。しかしその苦労も虚しく同胞達はもう止められない所まで戦の準備を進めてしまった。


 「これではリュアス殿に合わせる顔が無い…ああ、どうしてこうなったのだ!」


 ムジクは怒りに任せて自宅の床に拳を叩き込んだ。鍛え上げられた肉体から繰り出された鉄拳が家を揺らす。何かに当たらずには居られなかったムジクを責めることは、彼の苦労を知る家族には到底出来ないことであった。


 「あの分からず屋の若造共が…前回の失敗から学ぼうともせんとは…!」


 ムジクは当然、族長たちに自分達がどうやって此処まで帰って来れたのか、そして誰に救われたのかを詳細に報告済みだ。同胞の扱いに対して怒りを露わにしつつも、ほとんどの族長達はザインの協力を仰ぐべきだと主張した。恩人ということもさることながら、圧倒的な実力で手強いアンデッドを倒した手腕は頼るに値すると判断した結果だ。

 しかし、若手の族長達は反対した。恩人とは言え、どこの馬の骨ともわからない者を信用するべきではないと言い出したのである。ムジクはその場で喉笛を噛み切ってやりたいという衝動を抑えて、必死に説得してその場は事なきを得た。しかしタカ派の族長達は思い切った行動に出る。慎重派の族長達に許可無く部族連合全体に檄文を送ったのだ。すると血気盛んな若者が続々と集まり、彼らを犬死にさせない為に仕方なくベテラン戦士が腰を上げた。これが獣人は戦争に向かっていった経緯である。


 「とうさま。だいじょうぶ?」

 「ああ、平気さ。驚かせて悪かったね。」


 ムジクの膝元に寄ってきて顔を覗き込むのは戦争の直前に産まれていた我が子である。この子の存在がムジクに生き残る執念を与え、この子の未来を守るためにも逃れられない戦争に必ず勝たねばならないのだ。我が子を抱き上げたムジクはザインに頼める筋ではないと解りつつも、どうか力を貸して欲しいと心の中で願うのだった。




 ザインによるプレゼンが終わった後、シャルワズルはウンガシュの塒に脚を運んでいた。目的は当然、戦争に向けての打ち合わせである。今頃、ケグンダートはすぐにでも進軍出来るよう準備を整え、ティトラムは一族総出で筏を組んでいる。彼らもまた彼らの責務を果たさねばならないのである。


 「よう!あの戦いの直後に訓練とは精が出るな!」

 「…何の用や。」


 ウンガシュは己の住む洞窟の奥深くで部族の戦士複数人を相手に組み手に励んでいた。ザインによって完膚無きまでに敗北したウンガシュは、徹底的に己を鍛え直すつもりらしい。こういう割り切りの早さは、間違いなく彼の美点である。


 「この度の戦、私と貴殿が組む事になったのでな!その打ち合わせに来たのだ!」


 シャルワズルは何でもない事のように言ったが、ウンガシュは心底驚いて振り向いた。


 「ワシは魔将をクビやと思っとったわ。」

 「何を馬鹿なことを!貴殿の卓越した戦闘力を無駄にするような愚か者なら、私はザインを支持したりしなかったぞ!」

 「…さよか。」


 ウンガシュは今まで強さにのみ意味があると思っていた。実際に同じ感覚の魔族は多い。むしろケグンダートやシャルワズル、ティトラムの妻であるクーファ、そして先代や当代の魔王のように小難しいことを言う者の方が少数派なのだ。

 しかし、ザインが敗北した己に価値を見出した事、そしてそれを当然のように受け入れる者達がいる。そしてそんな彼らが己に勝利したことにどこか納得していた。一対一で勝てる実力を持ちながらも、勝利を盤石な物にするべく鍛錬以外の努力が出来る者に勝てる道理など無かったのだ。力だけでは成し得ない事がある。それをウンガシュは認めた瞬間であった。


 「ええやろ。話を聞かせて貰おうやないか。ガッツリ働いてアイツに嫌味の一つでもくれたるわ!」

 「はっはっは!貴殿らしい!」


 認めたからと言って直ぐに素直になれないのはご愛嬌であろう。それが解っているからこそシャルワズルも朗らかに笑えるのだった。

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