第98話怠惰の魔王 其の三
ザインは魔王の玉座の元へ近付くと、騎士の叙勲式時のように跪いて口上を述べた。
「お初にお目にかかる。我が名はザイン・ルクス・リュアス。魔王様にお願い申し上げたき儀によって参上仕った。ご尊顔を拝見する機会をお与えいただいたこと、感謝の言葉も御座いませぬ。」
「いいっていいって。もっと緩くいこうや。ね、ザインちゃん?」
「…え?」
想定外のフランク過ぎる魔王の対応に、ザインは頭を殴られたような衝撃を受けて戸惑いを隠せなかった。ケグンダートを盗み見ると変化しないハズの顔に諦念と悲嘆の表情が浮かんで見える。つまり、この魔王は平時からこうなのであろう。
「俺ぁセイツェルってモンだ。知っての通り悪魔で魔王をやってるぜ。エルキュールから話を聞いてからずぅっと会うのを楽しみにしてたのよん?」
「は、はぁ。光栄でござい…」
「いやいや、堅っ苦しいのはナシナシ!肩が凝っちまうぜ。」
ザインは迷った。あくまでこのまま丁寧な言葉遣いを貫くべきか、砕けた言い方に変えるべきかについてだ。ただ、ここは魔王セイツェルの言に従うべきだと本能が囁いている。ザインは己の直感を信じることにした。
「では魔王様。俺は頼みたいことがあってここまで来た。」
「聞いたよ。人間の王国滅ぼして勇者に復讐するんだって?いや~いいねぇ!血気盛んだねぇ!んで、俺の手を借りようって来た、と。ちょうど暇で退屈してたから、いいよ。全軍、貸してあげる。好きに使って。」
「そ、そんな簡単に決めていいのか!?」
軽すぎる魔王の承諾に、ザインは思わず大声を上げてしまった。しかも口調も完全に普段のものになっている。驚かせた本人である魔王は、そんなザインの動揺を楽しむように笑っていた。
「もちろん、タダってわけにゃいかねぇよ?俺は強欲だからな。それ相応のものを差し出してもらう。その覚悟はあるかい?」
「復讐が成るのなら命だってくれてやる。」
「お!いいねぇ!じゃあねぇ…」
その場に同席する全員が異様な緊張感に包まれる中、魔王セイツェルはこれからザインに幾度となく行うこととなる最初の命令を下した。
「世界だ。俺ぁ世界中に遍く全てが欲しい!世界丸々手に入りゃ、俺の退屈も紛れるだろ?この大陸だけじゃねぇ、全世界を手に入れる俺のワガママに付き合ってもらおうっか。出来るよね?」
「世界を…手に?」
魔王の求める物は余りにもスケールが大きすぎて、ザインだけではなくギドンとフューも理解が追い付かなかった。魔族の歴々も初耳だったようで、口を開くことはなくともざわついた雰囲気は隠しきれない。
困惑する者達を睥睨したセイツェルは、転移魔術により一瞬でザインの背後に立つ。発動までのタイムラグが全く無かったことに驚く暇もなく、人の悪い笑みを浮かべたセイツェルはザインにそっと囁いた。
「無理に、とは言わねぇよ?けどなぁ、俺はどうせ世界征服のために魔族を動かすぜ?俺は俺の欲を満たす為に動くんだからな。その時、エルフやドワーフとの関係をどうするかはわからねぇんだよなぁ…。」
その声はザインとすぐ側にいるギドンとフューにも聞こえるが、絨毯を挟むように並ぶ魔族には聞こえないように風魔術まで使っている。暗に己の種族を滅ぼすことも厭わないという魔王の言葉に二人は顔面蒼白になってしまった。本人はそのつもりは無くとも、二人は自然とザインに縋るような目を向けている。
「俺に従えばザインちゃんが舵を切ることだって出来るんだぜ?なぁ、どうするよ?」
「端っから俺に選択肢は無ぇってことだろ。流石は悪魔、脅しも悪辣だってことかよ。」
「褒められちゃった♪」
褒めてないというツッコミをぐっと堪え、ザインは目を瞑る。魔王に仕えることも可能性の一つとして考えていたので驚きは無い。しかしながら世界征服という極大の規模を誇る事業に加わるなど想像の埒外であったし、自分がそれを実現するために何が出来るのか一つも思い付かない。それ故に思わず気後れしたのだが、どうやら断る道は無いらしい。ただ、それを悪くないと自分が思っていることをザインは自覚していた。
故郷を失って早十年、ザインの半生は復讐の為に費やされて来た。故に、ザインには復讐を終えた後からやりたいことが無い。ならば魔王の野望の為に使うのも面白いと考えていたのだ。そうと決まれば彼の答えはただ一つであった。
「承知した。このザイン・ルクス・リュアスの存在全てを以て魔王様の覇業を微力ながらお手伝いさせて頂くこと、お約束しましょう。」
「あいよ!よろしくぅ!じゃあ、今日からザインちゃんは宰相ね。色々任せたよ?みんな最初は不満があるだろうけどさ、ちゃあんと協力してあげてね。」
「え?さ、宰相!?」
ぽっと出のザインを宰相という国政を動かす立場に任命したことで、謁見の間に集まった者達は魔王や悪魔を除いた全員が硬直する。玉座の間には、ただ魔王セイツェルがザインの背中をバシバシ叩く乾いた音が響くのみであった。
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