第29話紅玉の姫 其の三

 アンネリーゼ・ダアル・カシュレ・アジェルヴォルン。『紅玉』と呼ばれる美姫は王国のとある田舎町で幼少期を過ごした。父親は居なかったが、彼女と同じ美しい真っ赤な長髪を持つ優しい母と祖父母の愛を一身に受けてすくすくと成長した。

 ただの少女であったアンネリーゼが十歳になった時、物々しい軍勢を引き連れて王都から兵士がやってきた。彼らの目的はアンネリーゼを王都へと連れて行くことであった。アンネリーゼの母、アナスタシアは王宮魔術師ユーランセンの弟子であったが、その類い希なる美貌から国王は強引に彼女を我が物とした。その結果、アナスタシアはアンネリーゼを孕んだのだ。しかし、アナスタシアは身重でありながら何を思ったか王宮から逃げ出して腹の子供と共に行方知れずとなっていたという話だ。

 アンネリーゼを国王の娘、すなわち一国の王女として認知されることをアナスタシアは拒んだ。そもそも自分が逃亡したのは孕んだ子供を政治に利用されることを良しとしなかったからである。アナスタシアの必死の抵抗も虚しく、半ば誘拐のようにアンネリーゼは王宮に連れて行かれた。

 彼女の王宮での日々は地獄であった。王族の子女として必要な教育を一気に習得することを強いられたからだ。それだけではない。身一つで王宮にやってきたアンネリーゼを、国王の正妻や側室は毛嫌いし、虐待した。肉体的な暴力は無かったが、十歳になったばかりの女の子の精神が蝕まれて行くのにさほど時間は掛からなかった。

 それでもアンネリーゼを支えていたのは、この辛い境遇を乗り越えればいつかは大好きな母と祖父母に再会できると信じていたからに他ならない。しかし、現実は彼女に甘くなかった。

 彼女の心を打ち砕いたのは家族の死であった。母と祖父母の家が不審火によって炎上、残骸からは三人分の炭化した死体が転がっていたそうだ。そしてそれがアンネリーゼを王宮に閉じ込めておく為の父親である国王による謀殺、という残酷すぎる事実を彼女は偶然耳にしたのは、事件から一年も経った後であった。

 アンネリーゼの心に空いた大きすぎる穴を満たしたのは、ザインと同じ憎悪と憤怒であった。そして彼女は国王、ひいては王国そのものへの復讐を誓った。そして復讐のために力を求めた。その力を与えたのが王宮魔術師ユーランセンである。

 彼の興味は魔術の理を細部まで究明することに集約されている。故に才ある者を自ら育て、自分とは異なる見地から深淵へアプローチできる魔術師を生み出そうとしていた。当時のアナスタシアはそんな才ある魔術師の一人であったのである。

 幸運にも母の才能を受け継いだアンネリーゼはユーランセンの指導の下、砂が水を吸うように魔術の知識を習得していった。どんな魔術も思いのままに操れるまでに成長したアンネリーゼであったが、彼女は遂に精神干渉魔術という新たなを魔術体系を編み出した。

 ユーランセンは大いに喜び、その魔術を汎用化するための研究に今でも没頭しているが、アンネリーゼはこの精神干渉魔術によって同志を探すことにした。彼女は早速、視界に入った相手の心の深奥に潜む感情を暴く魔術を構築して様々な人間を調査した。彼女が求めたのは自分と同じく狂おしいまでの憎悪に満ちた、自分の代わりに王宮の外で活動できる人材である。

 とは言え、限られた範囲でしか自由に行動出来ないアンネリーゼでは調査が難航した。野心家の貴族や大商人は同志にはなり得ぬ俗物ばかり、それ以外で彼女が接触出来る者は忠誠心溢れるお人好しだった。

 そんな折、国王に随伴する形で闘技場に赴くこととなった。正直、剣闘士の戦いなど興味は無い。剣闘士にも王国への憎悪を抱く者は数多くいたが、どれも彼女の眼鏡に適うほど強い感情では無い。しかも殺してやりたい父親と愚かで喧しい長兄、そして綺麗事を並べ立てる勇者という彼女の嫌いな男ランキング上位の連中と同席させられて、アンネリーゼは最悪の気分だった。

 しかし、最後の最後で闘技場に現れた『剣王』の心中は、アンネリーゼと同質同量の憎悪が吹き荒れていた。彼女は彼こそが自分の剣となるべき人物であると確信し、勇者の仲間を打ちのめした強さを見て何としても自分の側に引き込む決心を固めたのである。

 そして王宮にやってきた今日、記憶と知識の共有の儀式を行うためにザインをこの庵に呼びつけたのであった。




 アンネリーゼと互いの記憶を共有したザインは溜め息混じりに苦言を呈した。


 「俺が暴れることを考慮したってのは解ったが…信頼を得ようって相手に毒を盛るか、普通?」

 「あら?竜である貴方ならば平気でしょう?」

 「さっきまで知らなかったのによく言うぜ。」

 「そうでしたわね。」


 そう言って上品に笑うアンネリーゼをザインは冷ややかな視線を送る。憎まれ口を叩きながらも、すでにザインはアンネリーゼを信頼している。記憶の交換には感情の共有を伴う。その時の感情が理解出来ない者にその人物の正しい記憶は伝わらないからだ。今、ザインとアンネリーゼは互いにとって最も信頼出来る同志を得たのである。


 「それで、俺は外で戦力の確保に勤しめばいいのか?」

 「記憶と知識の共有は上手くいったようですね。失敗したらどうしようかと思いましたが…」

 「全くだ。アンタと俺の人格まで混ざって別人になる可能性も十分にあった…のかよ。危ない女だな。」

 「否定はしません。あ、それから私のことはアンリと呼んで下さい。アンタとかお前とかでは悲しいです。」

 「解ったよ、アンリ。」


 ザインがアンリと呼ぶと、アンネリーゼは今までの貼り付けたような作り笑いではなく、自然体で微笑んだ。

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