第25話竜鱗の拳 其の五

 ヤムはザインの顎を打ち上げた感触で勝利を確信すると同時に、やりすぎたと後悔した。ザインが想像以上の化け物だったこと、そして友であるオットーの手前で無様に負ける訳にはいかないことから思わず竜鱗の籠手を解放した。しかしながらこの武器は人間相手に本気で使うべきものではない。手応えから察するに最低でも顎が砕け、最悪首が折れて死亡したかもしれない。

 闘技場での死者は事故死として片付けられるとは言え、人を殺してしまうのは寝覚めが悪い。ヤムは仰向けに崩れるザインが死んでいないことを祈りつつ、勝利の雄叫びを上げようと腕を天に掲げようとしてー


 「痛ってぇなぁ。いい武器だったのに折りやがって…」

 「ウソだろ!?」


 バッっと振り返った。少なくとも失神していて然るべきザインが、顎をさすりながら折れた剣の調子を確かめるように素振りしている。


 「な、何で…」

 「マトモに食らったらヤバかっただろうがな。」


 嘘である。ヤムの拳はザインにクリーンヒットしていた。彼が普通に立っているのは単にザインがタフであるからに過ぎない。


 「こいつは高くつくぞ?構えろよ、オッサン。」

 「クソッ!ぐぅぅ!」


 ヤムはもう一度竜鱗の籠手を解放して竜の力を得る。残りの魔力は少ないが、あと数分ならば戦えるはずだ。対してザインは折れた剣と戦槌をいつも通りに構えている。


 「行くぞォ!」


 ヤムは焦りを浮かべつつもラッシュを仕掛ける。同じくザインも攻撃の手を休めないが、先程とは違って折れた剣は短くなった代わりに軽くなっている。ヤムの拳法と戦うならば、長剣よりもこちらの方が都合が良かった。


 「くっ…!」


 二度目の攻防はザインが圧倒した。一撃の重さは若干弱まったものの、それ以上に手数が増えたことが大きかった。鈍重な長剣でもヤムの拳についていったザインが短剣に持ち替えたようなものなのだから当然だろう。


 「畜生!負けねぇ!負けらんねぇんだよ!」


 滝のような汗を流しながら必死の形相で拳を振るうヤムが吼える。そんなことはお構いなしに、ザインは左の戦槌でヤムの右腕を上から殴りつける。すると戦槌も限界を迎えたらしく、円錐に変形させていた鉄球が砕けた。


 「ほらよ。」

 「あ、熱っ!」


 拳をザインの戦槌に押し戻されて仰け反っていたヤムの顔面を炎が撫でた。ザインの魔術である。炎の魔術は決して得意ではないし威力も低いが、不意をついた目潰しには効果的だ。秘密の一つを公開して得た好機を逃さず、右の短くなった剣でヤムの右腕を切り落とした。


 「うぐぁぁぁぁ!」


 真紅の血を吹き上げながらヤムの右腕は地に落ちる。ヤムは苦悶の表情を浮かべながらも、左手で傷口を抑えて止血している。左手の籠手はすでに元の状態に戻っており、戦える状態でないのは明確だった。


 『ヤム・サンス戦闘不能!よって勝者は、『剣王』ザイン・リュアスだぁ!』


 司会の勝利宣言と同時に観客は皆立ち上がって喝采を惜しまなかった。文句無しに過去最高の戦いであったのだから当然だろう。一方で闘技場の職員が担架を担いでヤムを医務室に搬送していた。高度な回復魔術を使えば腕を繋げることは容易なので、この位の事では観客は敗者を案じることはない。観客の視線は勝者たるザインに釘付けであった。


 「素晴らしい試合であった。見事である!」


 湧き上がる歓声を威厳ある声が闘技場に木霊して遮った。その声の発生源を見た者はそれが誰であるかを理解して口をつぐんで席に座る。なぜなら、その声の主はこの国の頂点におわすお方であるからだ。


 「『剣王』の名に恥じぬ強さ、余も感服した。ザイン・リュアスよ。剣闘士を辞して余に仕えよ。」


 事前にこうなることを知っていたザインは黙ってその場で跪いた。観客は最初は静まり返り、次にどよめき、最後には先程以上に盛り上がった。さらにそれから国王の演説が始まったのだが、跪いたままのザインはこの茶番が早々に終わることを切に願っていた。




 ザインがヤムを斬って勝敗が決したその時、勇者オットーは何も言わずに部屋から出て行った。それについてその場に残った三人の王族は何も言わない。国王は演説の内容の修正に気を取られ、第一王子は勇者の晒した醜態を嗤い、婚約者のアンネリーゼ姫は勇者になど興味が無かったからだ。

 特にアンネリーゼ姫の視界には、闘技場の中央で跪く男以外映っていない。彼女は直感が正しかったことに内心で狂喜乱舞していた。自分が求めた人材にどうやって接近し、どうやって味方につけるか。アンネリーゼ姫は見た者を震え上がらせる酷薄な笑みを湛えてザインに熱い視線を向けるのだった。

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