第十四話 誕生

「坊ちゃん、わかっていますか。昨日の今日ですよ!]

「うん……」

「無茶しないでください。昨日も途中で倒れたじゃないですか」


 メイドの静香はさすがに少し怒り気味だった。


「でも、今朝、父上から言われたんだ」

「なにを……でしょうか」


「僕がこの世に生まれてきた意味を理解しろって。そして、自分が成すべき事を自覚しろって」

「私には旦那様の深い考えは理解し兼ねます。ただ少なくとも、坊ちゃんは未だそんな事を考えなければならない歳ではないはずです。同い年の子供達は、みんな、お外で楽しく遊んでいますよ」


「静香、心配してくれているんだね。ありがとう。でも僕は大丈夫だよ」


 ソファーから静香を見上げる蓮夜の柳色の瞳。強い決意が宿っていた。

 静香はため息をつく。坊っちゃんが、こうなったときは無理だわ。こう見えてこの子、頑固だから。


「でも、傍にいて手を握っていて欲しいんだ。それだけで安心できるから」

「仕方ないですね。わかりました」


 静香はソファーに座り蓮夜の小さな手を握った。蓮夜はビニックと呼ばれる黒い帽子を被る。


「くれぐれも、無茶はしないでくださいね」

「わかった」


 蓮夜は心を落ち着かせるために目を瞑る。よし、大丈夫だ。今度はどんな残酷な光景が広がっていようとも呑まれない。決意を込めてビニックから過去の歴史へとアクセスした。



   ***


 ここは……。病室?

 百個ほどのベッドが所狭しと並んでいた。その半数ほどがすでに満たされていた。

 あれは、もしかして。蓮夜はベッドへと歩み寄り顔を近づけた。


「うわぁ、やっぱり。赤ちゃんの瞳がみんな僕と同じだ」


 小さなベッドに横たわるのは翡翠の瞳を湛えた赤児だった。


「でも、なんの区別だろう? 右の列にはP、左にはIって書いてあるな」


 シェイド襲来から五年後の西暦二〇五七年。人類の進化の歴史において新たな一ページが刻まれた。


 世界各地の州から連邦政府本部へ、ある報告がほぼ同時に提出された。当初それは放射性物質の影響による奇形児の発見という内容だった。生後の成長速度が一般的な赤児と比較して異常に早かったのだ。知恵遅れなどの障害が懸念された。


 その後、続々と新事実が明らかになる。専門家による詳細な調査報告が出て来たのだ。これらの子供たちの身体能力は異質だった。筋力、聴力、視力などが常人のレベルを遥かに凌駕していたのだ。

 後年、その成長は十歳ほどでピークに達すること。精神年齢や知力も肉体の成長速度に比例して成熟することがわかった。


 これらの報告は、ある重要なことを示唆していた。これまでとは明らかに違うタイプの人類が新たに出現したのだと。


 肌や髪の色などの外見は両親の特徴を色濃く受け継ぐ。ここまでは普通だ。しかし、このタイプの人類には共通点があった。人種の違いに関係なく、その双眸は深緑色の瞳を湛えていた。

 さらに興味深い報告が続く。瞳の色は翡翠色だが身体能力が常人と変わらない子供も発見されたのだ。だがその一方で、その子供たちは知能が極めて高かった。五歳児の時点で一般人の成人と比較したIQが二百を超えていた。

 

 これらの子供の出生率は極めて低かった。それでも一定の割合で着実に増加していった。

 最終的に連邦政府は結論づけた。これら特異的な人間は新人類であると。新人類には、その外見的特徴と人類の希望を込めた名がつけられた。


 Savior of green eyes

 緑の瞳の救世主という意味だ。通称、『セイジ』の誕生であった。セイジの中でも身体能力が高い者をPタイプ、知能が高い者をIタイプと区分した。



 蓮夜の視点が切り替わった。今度は、すり鉢状の巨大なホールだ。


「今日まで我ら人類は絶滅の危機に瀕していた。しかし、我々自身の生存本能が新たな可能性を生み出した。この重大な局面を脱するために、大いなる進化を遂げたのだ」


 中央の壇上で老人が演説していた。どうやら日本人ではないようだ。それでも、風格や威厳が蓮夜にもひしひしと伝わってきた。どうやら、老人は世界に向けて呼びかけているようだ。


「連邦政府は世界市民に宣言する。ここに大いなる希望が誕生したことを。彼らは常人とは一見、異なる所がある。だが決して差別してはならない。彼らもまた同じ人類である。我々はセイジの子供を保護し、愛情を持って育んでいかなければならない。私は確信している。セイジが、この未曽有の危機に瀕する我々人類の新たな道しるべになることを!」


 首長がそう言葉を締めくくった。すぐさま各国の議員がスタンディングオベーションでそれに応える。


「なんか劇みたいだな」


 蓮夜は子供心にも作為的な意図を感じ取った。しかし、それでもうれしかった。


「そっか、そうだったんだ。僕は人類の希望のセイジだったのか。だからみんなと違ったんだ」

 

 蓮夜自身、周りの子供と自分が何か違うことを薄々認識していた。その所為で気味悪がられていることも。彼には友達が一人もいなかった。


「でも僕はどっちのタイプなんだろ。力はあるようだからPタイプなのかな」


 世界連邦政府はセイジの保護施策を喫緊の課題として、次々と制定していく。これはセイジの出生率の低さと常人離れした特徴にあった。

 異端児もしくは異常児。そう扱われて各地で虐待を受ける可能性が極めて高かった。


「あ、また、変わった」


 目の前に白亜の三階建ての大きな施設。足元に綺麗に刈り揃えられた芝が広がる。緑と白のコントラストが綺麗だった。芝の上を子供たちが楽しそうに駆けずりまわっている。

 蓮夜は施設の中へと入る。真っ直ぐ伸びる廊下の両脇は全面ガラス張りだ。いつでも中が確認できるようになっていた。そこにはベビーベッドが並び、セイジの赤ん坊が横たわる。

 ベットの一つから泣き声が上がる。直ぐに赤子の口へとチューブが伸びた。赤子はそれを咥えて必死に乳を吸っていた。


「わあ! あれは……」


 別のベッドでは、おむつが替えられていた。ベッドの間を駆けずりまわる人影。銀色の光沢が光っていた。どうやらロボットのようだ。しかし、とても忙しそうだ。

 二階に上がると、大きな部屋が幾つかあった。館内の案内表示を見る限り、三階は子供達の寝室のようだ。

 蓮夜は二階の部屋を一つずつ覗いていく。大人の女性がカラフルな帽子に囲まれていた。


「あれ、これって色がいくつかあるんだ」


 蓮夜は自分の頭を触る。

 彼は気づかなかったが、それはまだ開発段階のものであった。要は人体実験である。精神崩壊等の犠牲のうえに今のビニックが出来上がったのだ。勿論、これらは一部の政治家にしか知らされていない。一般人には今も秘匿されている。

 蓮夜の脇を少年が横切る。自分と同じ歳頃だろうか、と顔を窺う。


「え……」


 少年の頬には大きな火傷の痕があった。


「まさか――」

 

 はっとして周りを見回す。よく見ると、その少年だけでなかった。


「なんでこんなこと……」


 体のどこかに火傷の痕や暴行による痣が見られる。異常な速さで成長する子供を受け入れられない親が多かった。

 自分とは違う瞳もどこか不気味だった。さらにその色は忌まわしいシェイドの血と同じだった。災厄児扱いされたのだ。

 また、ある子供は放射能に汚染されていると周囲から蔑まれた。隔離され、食べ物もまともに与えられなかった。


 ここは保護施設だったのだ。虐待を受けていたセイジの児童や、受ける怖れのある赤子を保護していたのだ。


「酷いよ。僕らは皆と同じで変わらないのに。僕だって、ほんとは街のみんなと一緒に遊びたかった……」


 自分と同じセイジである子供。彼らの受けた酷い扱いに蓮夜は涙する。


 部屋の入口でスーツの男が子供の手を携えていた。奇妙な光景だった。男は白髪の老女に話かける。


「園長、この子もお願いします」

「またですか。つい昨日も受け入れたばかりじゃないですか」


「いえ、最近、地方部にも手を伸ばしはじめたんですよ」

「人は少ないのですから逆に減るのじゃありませんか」


「いえ、地方に行くほど虐待の傾向が強いのです」

「そうなんですか」


「人口の少ない地方の町ではセイジが出生すること自体、稀ですから」

「だから逆に迫害される……と?」


「ええ、それに、そもそも知らないんですよ」

「ああ、そうでしたね。都市から取り残された街には中央の情報が伝わらないのですね」


「皆、生き抜くのに精一杯でそれどころじゃありません」


 そのような状況もあり、セイジの確保を急ぐ必要があった。各地の政府は軍内に専門の保護部隊を結成した。地方部からの早期の救出に乗り出したのだ。同時にセイジ児童の養護施設や教育訓練校も建造した。


「しかし、私の所はもうこれが限度ですよ。次は他をあたってください」

「どこも一杯なんですよ。なんとかご協力お願いします」


 スーツの男が頭を下げる。園長と呼ばれた老女は困ったように息を吐いていた。

 次々と保護される赤子や児童。その数は増加の一途を辿り、養護施設の増築が間に合わないのだ。


「では、学校の方はどうですか? 大きい子たちを学校が引き取ってくれれば」

「ああ。それなら来週になれば可能かと。もう一校、開校しますので」


 セイジ専門の教育訓練施設も建造されていた。寮が完備され、衣食住の安定した生活が保障される。もちろん、その見返りとして授業を受ける義務がある。セイジP型は戦闘特殊訓練を、I型は特殊先端教育を積むのだ。


 目の前の大地で漆黒の狼が暴れていた。しかし、その勢いも段々と精彩を欠いていく。

 

「うわあ。す、凄い!」


 五人の黒い人影が空を飛び駆っていた。一人が右足に斬りつく。狼がそれに牙を剥ける。その隙をついて死角から一人が飛び込む。狼の前足が中央を舞っていた。

 まさに統制のとれた動きだ。一人一人の動きも洗練されたものだった。


 二〇六四年。世界連邦軍に陸海空軍以外の新たな軍が初めて組織化された。小規模であったがセイジのみで組織された軍であった。それは第二世代軍、通称セイビーと命名された。


 セイビーには技術研究所も創設された。最先端の試験設備が導入され、有能なセイジⅠ型研究員が配属された。シェイドの構造、組成、生態または動態などの基盤研究。そしてシェイド素材を利活用する機能研究。広範囲にわたる研究開発が推し進められた。天才的頭脳と恵まれた研究環境。新しい発見や技術が相継いで世に排出されていった。


 とりわけ莫大な予算と人員が注ぎ込まれたテーマがある。シェイドに対抗するための軍事技術の開発だ。そこで大きな成果が生み出された。一つがスカイムーブ。いま、まさに蓮夜が見上げているものだ。空を自在に翔けることのできる戦闘スーツだ。そしてもう一つがブラッド。狼の足を斬り飛ばした武器である。


 二〇六六年、セイビーが快挙を遂げる。これら二つの新兵器を装備し、シェイドの撃破に成功したのだ。少人数の接近戦では初めてのことだった。

 世界連邦政府は世界市民に誇らしげに表明した。新人類がシェイドを撃破した。この年こそが新たなる人類の歴史の幕明けであると。


 そして、年号も西暦から新歴へと改めた。この時の世界人口は約五億。未曾有の大災害前の二十分の一にまで減少していた。

 人口だけで見ると世界史でいうところの大航海時代前半。日本史では奈良時代辺りの人口だ。まさに絶滅寸前に追い込まれていた。

 

 しかし、この年を境に反撃が始まった。もう人類は一方的に蹂躙される側ではなくなったのだ。

 シェイドとの永く苛烈な戦いが、ここから始まった。



   ***


「そうか、僕が生まれた理由は、そういうことだったのか」

「あ、坊っちゃん。お戻りになられたのですね」


 静香は声をかけるが、蓮夜は未だ上の空だった。

  

「僕は、いや僕たちは、あの怪物から世界を救うために生まれて来たんだ」

「それだけじゃない。お前はセイジの頂点にたつ器なのだ」


 ビニックを脱ぎ、そう呟いた蓮夜の背に声が掛けられた。


「あ、父上。いらしたのですか」


 いつのまにかリビングの中央に蓮夜の父親の姿があった。


「お前は力が強いだけじゃない。知能までもが高いのだ。P型とI型の両方の才がある」


「え、そうなのですか」

「当たり前だ。お前は儂の息子なのだからな。全ての人類を統べる王と成るべく生まれたのだ。儂はそのための投資を惜しまぬ」


「そうなんですね。僕はセイジでも、特別。だから今から学ばないといけないことが沢山あると」

「そういうことだ」


「父上! 僕が、皆を、世界を救います。そのために今まで以上に頑張ります!」

 

 蓮夜は瞳を輝かせる。父親が日頃から自分を特別だと言っていた意味を理解したのだ。


「おお、私の息子はやはり賢いな。よくわかっているじゃないか。そして私は新たな世界の父になるわけだ」


 欲望に染まった醜悪な顔だった。父親は見るに耐えない肥えた腹を震わせて高笑いする。

 そんな親子の姿を傍目に、静香は一人心を痛めていた。

 このままではいけない。こいつがいる限り、ここにも、少年にも、望ましい未来は訪れない――。

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