第二話 大いなる意思
「大いなる意思」は、太古の昔に自我を得た。
我に名はない。自我を得る以前の記憶もない。目覚めたとき、まず気になったのが、肌のかさつきだ。皮膚の痛みと、痒さに、気が狂いそうになった。
この症状を改善するために、様々な試行錯誤を繰り返した。何十年? 何百年? いや、何億年かかったのか。我は、時間という感覚を意識することがほとんどなかった。それでも、悠久の刻を費やしたことは確かだろう。
そして、ついに成功した。潤いの源ともいえる、水を生み出したのだ。
ただ、それは完全ではなかった。
肌の大部分を水で覆うことはできた。それでも一部は、水に浸からなかった。そこが痒くて堪らなかった。
このため、露出部分に水を撒いてみた。水をかけた直後は、確かに肌は一時的に潤った。しかし、それは瞬く間に乾燥し、すぐに干乾びてしまった。
この問題をなんとか解決しなくてはならない。我は再び、長い年月の試行錯誤を繰り返した。
そして、植物という生命を創り出した。これに、肌の露出部分の保湿機能を持たせたのだ。
然しながら、新たな問題も生まれてしまった。植物をそのまま放置すると、うまく育たなかったのだ。
適切に育てるには、どうやら肌の新陳代謝を活発にする必要があった。その方法を考えたが、すぐには良い解決策が思い当たらなかった。兎に角、手当たり次第に、様々な生物を生み出すことにした。
そして苦心の末に掴んだのだ。肌のハリと艶を保つ絶秒な生物のブレンドを。
ただ、この絶妙な具合を維持するのも、一筋縄ではなかった。数多くの動植物やバクテリアで構成したピラミッド型のバランス。これを保つのが存外に難しかった。油断すると、すぐに同種の生物が独占しようと数を増やすのだ。そうするとバランスが崩れ、徐々に肌荒れが生じる。
この対処の一つとして、気象療法を編みだした。肌温度などの皮膚環境を一時的に大きく変えるのだ。これにより、同種の動植物が優占して繁殖するのを防いだ。
また、ある時は肌のごく一部に同一の生物が増殖し過密になった。そうなると一瞬で肌が、かさつく。これには、伝染薬を生み出した。ウィルス薬などで、過密となった生物を一気に減少させ、バランスをとるのだ。
何十億年もの間、維持管理システムの構築に日夜励んだ。そして、ついに健全な肌状態を保ち続ける秘訣を得た。これで、いつまでも若々しく瑞々しい肌を保てる。そう確信していた。
しかし、その自信が跡形もなく打ち砕かれた。ここ最近のことだ。始めは小さな肌荒れだったので、大して気にも留めなかった。今となっては、それが悔やまれる。その肌荒れは、あっという間に全身に蔓延した。これまでに類を見ない異常な速度だった。
途中で原因は明らかとなった。肌上に新たに発生し、急速に増殖した病原生物だ。この生物は他とは明らかに異質だった。これまで培ってきた肌荒れの対処療法が、悉く効果を発揮しなかったのだ。
気象療法を試しても、コロニーを守る独自の殻を作り耐えてしまった。それだけではない。殻の中で火を自在に操り、電気と呼ばれる不可思議な物を生み出した。治療が効かないどころか、治療前よりも繁殖域が拡大してしまった。
伝染薬は、効き目があるように思えた。しかし、処方当初だけで、直ぐにその効果が失われてしまった。次から次へと新しい薬を試してみたが、その効果は芳しくなかった。
我は頭を抱えた。これまで発生した生物では、到底考えられない耐性だ。治療の甲斐なく、むしろ逆の結果を生んでしまった。病原生物は変異を重ね、爆発的に増殖した。
肌を瑞々しく保っていた森は、切り倒されていく。苦心して作り上げた動植物のピラミッドバランスも大きく崩れていった。大事な機能を有する生物のいくつかは絶滅した。
すでに体のあちこちが痒くて仕方ない。健全な肌の維持管理システムを確立したと思っていた。我のうぬぼれだったのだろうか。
さらに、病原生物は皮膚温度を急上昇させる物質を吐き出し始めた。肌の乾燥が助長されていく。
さらに多くの動植物が死滅していった。急激な気候変化に適応できないのだ。潤いを保持する機能が弱まっていくのを実感する。
何億年もの苦心の末、整えてきた肌環境。もはや後戻りのできない危機的な状況に陥っていた。
心の底から恐怖した。この病原生物の存在に。どこで間違ってしまったのだろう。
もはや既存の対処療法では、肌の潤いを取り戻すのは不可能だ。それは認めざるを得ない。もう、抜本的な外科手術をするしかない。
短期的には肌状況は今よりも大きく悪化することになるだろう。しかし、やるしかなかった。そこまで追いつめられていた。
もう一度、最初から、やり直そう――
「大いなる意思」は、大いなる決断をした。
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